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page20:叫び、謝罪、涙の理由


 時間は緩やかに流れていく。

「ふぁ……」

 読みかけの雑誌を畳んで、私は何度目かのあくびを押し殺す。

 室内の暖房がいい感じに眠気を後押しして、このまま横になればすぐにでも寝入ってしまいそうだ。

 入院生活というのは、こうも退屈なものなのだと、私は生まれて始めてそれを実感する。

 症状の具合にもよるのだろうけど、入院患者の人達の大半は、こうして寝てばかりの日々を過ごしているのだろうかと思うと、別の意味でそれは大変だなぁと思う。

 でも、少しだけ羨ましかったりするかもしれない。

 二割くらいだけど。

「……私も少し、横になったほうがいいのかな」

 入院している以上、症状は軽いものとはいっても私も患者の一人だ。

 暇だ退屈だという前に、少しでも早く体を回復させるのが正しい判断なのだろう。

 とはいっても、寝てばかりの生活というのもそれはそれで億劫に感じることもあるのだけれど。

 まぁ、とりあえず眠気も出てきたことだし、少し眠ることにしよう。

 と、その前に。

 ずっと暖房の効いている部屋の中でジッとしていたので、すっかりのどが渇いてしまっていた。

 確か、廊下の突き当たりに小さな売店があったはずだ。

 何か飲み物でのどを潤して、それから眠ることにしよう。

「っと」

 私はベッドから降り、スリッパを履いて部屋を出る。

 平日の午後、病院の廊下は表面上ではそれほどの忙しさを感じさせない。

 他の入院患者の姿もそれなりに見かけられるし、中には看護婦さんや医師の人と廊下で立ち話してる人もいるくらいだ。

 ドラマで見るようなものとは、大分イメージがかけ離れている現実だった。

 もっとも、緊急の手術が必要な重症の人でも運び込まれれば、こののどかに見える景色も一転して険しくなるのだろう。

「……空が運ばれたときも、そういえばそうだったかな……」


 私はぼんやりと、昨日の夕方の光景を思い返す。

 何もかもが突然で、そして他人事だった。

 病院なんだから、負傷者が運び込まれてきたりするのは当たり前のこと。

 それこそ、病院で勤務する人達にとっては日常茶飯事のことなのかもしれない。

 少し違う意味合いになるけれど、私だって救急車のサイレンを耳にしたことはいくらでもある。

 そのたびに、私は思っていた。

 ああ、誰かケガでもしたんだろうな。

 もちろん、それは他人事に過ぎなかった。

 けれど、こうして比較的身近な人が目の前で担ぎ込まれてくる様子を見たら、そんな考えは一瞬でかき消された。

 むしろ逆で、目の前が真っ白になりそうな感覚を覚えた。

 頭の中がこんがらがってしまって、目の前の現実をはいそうですかと素直に受け入れることができなくなる。

 疑問ばかりが次から次へと浮かび上がってきて、体は動かす、呆然と立ち尽くすだけ。

 無力という言葉は、まさしくああいうときにこそ使われる表現なのかもしれない。

 そんなことを考えながら、私は売店とは反対側の廊下の奥を眺めていた。

 その向こうには、一般病棟と特別病棟を区分けする長い廊下がある。

 特別とはつまり、早い話が絶対安静の必要な重いケガや病気を患っている人達のためのもの。

 空も今は、そちら側にいる。

 朝、血圧を測りに来てくれた看護婦さんにそれとなく聞いてみたところ、空の意識はまだ戻っていないらしい。

 とりあえず危険な状態は抜けたらしいのだが……。

「……大丈夫、だよね……?」

 まるで直接本人に語りかけるように、私は無意識のうちに呟いていた。

 のどの渇きさえ、忘れてしまいながら。


 ベッドの上に横になる。

 体がゆっくりと沈んでいくような感覚。

「はぁ……」

 私は眠るに付く前の、このどうでもいい瞬間が実は結構好きだった。

 安心感というか開放感というか、とにかくそんな感じでものすごくリラックスできる。

 病院のベッドはやや硬さがあるようにも感じるが、まぁそれくらいは誤差の範囲。

 まるで本当に沈んでいくかのように、私の意識も徐々に吸い込まれていく。

「…………」

 完全に目が閉じるまでに、時間はほとんどかからなかった。

 扉の向こうから聞こえる知らない誰かの足音も、部屋に備え付けてある時計が時を刻む音も、今は全く気にならない。

 むしろ、その単調なリズムが眠気を後押ししてくれているのかもしれない。

 目を閉じる。

 そのまま、静かに眠りの中へと吸い込まれていく。

 そういえば……。

 と、意識がなくなる直前、私はふと思った。

 ここ最近は……というより、もう何年もの間、夢というものを見ていない気がする。

 ……まぁ、どうでもいいよね、そんなこと……。

 自分に言い聞かせて、自分の中にあるスイッチを遮断。

 音もなく切れて、体は睡眠だけの機能を残して静まり返った。




 あ、れ……?

 ここは、どこ……?

 気が付くとそこは、真っ暗な場所だった。

 いや、実際に真っ暗かどうかは別として、どの道私は目を閉じたままなのだからそう感じてしまう。

 ああ、そっか。

 私、夢を見てるのかも。

 だって、こんなに体が不安定だ。

 ふわふわと綿毛のように浮かんでいるみたいで、それでいて気持ちだけはやけに安らいでいる。

 夢、かぁ……。

 何年ぶりだろう。

 っていうか、最後に見た夢っていつの頃で、どんな内容だったっけ?

 ……覚えてないよね、さすがに。

 でもまぁきっと、本当にどうでもいいような夢だったんだろうなぁ。

 例えば、ビルの屋上から落下して、地上に激突する寸前に目が覚めたり。

 虎にでも追いかけられて、噛み付かれる寸前で目が覚めたり。

 そんな、ありがちで、本当にどうでもいいような夢。

 ああ、そうそう。

 他にも、寝言でもう食べられないよとか、そんなことを言っていた可能性もあるかも。

 まぁ、どれにしたってありがちで、ロクでもないのばっかりだけどさ。

 アハハと、乾いた声で笑う。

 もうのどがカラカラだ。

 ついさっき、飲み物を口にしたばかりのはずなのに。


 それに、何だか……。

 さっきから、何か聞こえてくるような気がする。

 ……これは……声?

 誰かの声、だと思う。

 だけど、私はその声に聞き覚えは全くなくて。

 それなのに、心のどこかでその声に心当たりがあるような気がして……。

 ……誰、だっけ?

 思い、出せそうなんだけど……。

 無理に思い出そうとすると、頭が割れるように痛み出した。

 何かを拒絶している。

 無意識のうちに、心が何かを拒んでいる。

 分かるはずのこと、分からないままにしておこうと、ずるい心が働きかけて。

 目を背けさせようとさせてくる。

 気付かないフリをさせようと語りかけてくる。

 けど、それでも。

 誰かのその声は、少しずつ大きく響き始めていた。

 それは、とても悲しい音色。

 それは、とても苦しい音色。

 けれど、とても優しい音色。

 ずっとずっと、何かに取り付かれたかのようにその声は叫んでた。

 涙を流しながら、声にならない声で叫んでた。

 何度も何度も、繰り返す。

 同じ言葉。

 ただ、一言、涙と共に吐き出した。


 ――ごめんなさい、生まれてきてごめんなさい。


 悲しくて、痛くて、泣き出しそうになるその言葉を、延々と繰り返していた。

 ただ、泣きながら叫んでた。

 心が悲鳴を上げている。

 壊れる前に壊してしまえと、悪魔の言葉が囁いて。

 幸せを願った果てに、得たものは全て不幸だらけ。

 だからきっと、最初から何もなければよかったのだと。

 自分自身に言い聞かせている。

 生まれたことが罪ならば、死に往くことは罰となる。

 幸せの始まりを知ることは、いつも最悪の結末に繋がって。

 ならばいっそのこと、生まれてこなければよかったのだと。

 生きてる自分を追い詰めて。

 生きてる時間を切り裂いて。

 なかったことにすればいい。

 何もかもをリセットしよう。

 だから何度でも、叫び続ける。

 涙を流して、繰り返す。

 ごめんなさい、ごめんなさい。

 生まれてきて、ごめんなさい。


 そんな言葉が、私の耳に届いている。

 悲しくて、あまりにも寂しすぎる誰かの詩。

 聞いているだけで、こっちの心が壊れてしまいそう。

 ……やめて。

 もう、やめて……っ!

 思わず両耳を手で塞ぎたくなってしまう。

 それくらいに、その声は追い詰められていた。

 居場所がない。

 逃げられない。

 生きる意味は、もうないのだと。

 生まれたことは、罪なのだと。

 悲しい音色が響き渡る。

 こんなにも苦しい孤独な叫び声を、私は聞いたことがない。

 聞きたいとも思わない。

 間違いなく、これは悪夢だ。

 だから、さっさと覚めてほしかった。

 目が覚めれば、きっと全て忘れることができると思うから。

 ……それなのに。

 それなのに、どうしてなんだろう?


 ――どうして私は、泣いているんだろう……?


 ワケが分からなかった。

 ただ、自分が泣いているのだと自覚すると、不思議と気持ちが落ち着き始めて。

 繰り返されるその言葉も、いつしかエコーのように遠ざかっていった。

 やがて、聞こえなくなる誰かの悲鳴。

 全ては悪夢の成せる業。

 起きてしまえば、そこが現実。

 だから、忘れてしまえばいい。

 思い出す必要は、これっぽっちもありはしないのだから。

 やがて、目覚めは訪れる。

「…………」

 目を覚ますとそこは、変わらずの白い部屋だった。

 変わったのは恐らく、たった一つ。

「……私、どうして……夢じゃ、なかったの……?」

 頬を伝った涙の後が、薄く乾いて残ってた。



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