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page13:白、赤、灰色


 夢をよく見るようになったのは、子供の頃以来ではずいぶんと久しぶりだった。

 そもそも夢なんてものは、本人の意思で診ようと思って見れるような代物ではない。

 見たくもない夢に限って妙にリアルな描写で描かれることもあれば、本当にどうでもいい、心底くだらないと吐き捨てるような内容の夢を見せられることだってある。

 そう考えると、幼少時代に夢を見ることが多かったという事実は、どこか納得できる部分がある。

 私に限らず、誰だって幼い頃にはいくつもの夢を持っていたはずだ。

 実現の是非には限らず、ね。

 夢というのは本来、人間の深層にある審理が一時的に具現したものだと、心理学者は唱えることもあるらしい。

 私はその考え方も、あながち間違っていないんじゃないか、むしろそうなんじゃないかと考えている。

 ということは、だ。

 夢の内容は、少なくとも何かしらの思うことがあるものしか映し出されない、ということになる。

 しかしそうなると、私は疑問を覚えてしまう。

 なぜなら。


 ――私の夢の中に出てきた人物に対しても、私は何かを思っているということになってしまうからだ。


 ……空?

 言葉にならない声で、私はその名前を呼んでみる。

 案の定、返事はない。

 当たり前、か……。

 これは私が見ている夢なのだから、そもそもそんな中で会話が成り立つ方がおかしいというもの。

 例えるなら私は、無人の映画館の中に一人でいるようなものだ。

 そして空は、映画のスクリーンの向こう側にいる、つまりは映画の登場人物。

 スクリーンに映ったものは、所詮ただの映像に過ぎない。

 話しかけても答えないし、手を伸ばしても触れることはできない。

 そんなことは当たり前だ。

 ……何やってんだろ、私……。

 がらんどうな映画館の中、そのちょうど真ん中辺りの席にぽつんと腰掛けて、私はスクリーンを眺めていた。

 けれど。

 そのスクリーンの向こう側に映し出された景色は、全くの無だった。

 ようするに、真っ白。

 何も映し出されていない状態だ。

 これが夢の中だからいいものの、現実だったらとんでもないことになる。

 きっと私だって、金返せって叫ぶと思う。

 ……ま、それはこの際置いておくとして。


 私は再び、何も映っていないスクリーンへと目を向ける。

 誰もいない。

 何もない。

 それでも確かに、誰かがそこにいるような気がした。

 何も見えないのは、何も見ようとしていないから。

 本当は見えているはず。

 けれど、どこかでそれを拒絶している。

 見たくない?

 見てはいけない?

 そんな事実が、そこにはある気がして……。

 ……でも、夢だしね……。

 呟き、私は顔を上げる。

 そうだ、これはどうせ夢だ。

 だったら何を見たところで、夢だったの一言で簡単に片付けられるじゃないか。

 悪夢だろうと何だろうと、覚めてしまえばそこでおしまい。

 正夢というものも確かに存在はするけれど、そんなのはせいぜいお正月に見ればいいものなのだから。

 楽観的な気分で、私は自分の中のチャンネルを切り替えた。

 カチリと、自分の中で何かが切り替わるような音が聞こえた。

 するとどうだろう。

 真っ白だったはずのスクリーンに、徐々に映像が映りこんできた。

 が、次の瞬間それは。

 ……っ!

 私はその光景に、夢とは分かっていても言葉を失い、寒気さえ覚えた。


 ――スクリーンが、まるで血のような真っ赤な色一色に塗り潰されていた。


 これがやけにリアルで、まるで本物の血のように見えて仕方がない。

 血潮が流れ、ポツリと落ちるその音まで、鮮明に甦る。

 ……何、これ……?

 ホラー映画かと、私は一瞬疑った。

 が、違う。

 私にでも分かるくらいに、その強烈な赤の色合いは、間違いなく血の色だった。

 前進に寒気が走った。

 怖い。

 よくできたホラー映画なんかより、何倍もリアルに恐怖を感じている。

 ……嫌だ、こんな夢、早く覚めてよ……っ!

 自分の体を自分で抱いた。

 震えているのがよく分かる。

 だが、恐怖はそこで終わらなかった。

 スクリーンに目を戻すと、真っ赤だったその色が奇麗に消えていた。

 代わりに映し出されたのは、どこかの家のリビングのような風景だった。

 テーブルにソファ、テレビなどが映し出され、それはどこの過程でも珍しくない、日常の風景に見えた。

 ただ一つ。

 胸から血を流し、倒れる人影さえ映っていなければ……。


 ……っ。

 私は再び息を止めた。

 あまりにも生々しいその映像は、まるで殺人事件の現場を隠しカメラで撮影し、それを直接見せられているかのようだった。

 倒れているのは中年くらいの男性だった。

 胸を刺されたのか、それとも撃たれたのかは分からないが、大量の血がそこから流れ出て、フローリングの床を真っ赤に染め上げ、それでも止まらずに赤い水溜りは波紋のように広がっていく。

 その光景に、思わず私が目を閉じたくなったそのとき。

 スクリーンの中に、誰かの足が映りこんだ。

 その人は倒れている男性のすぐ傍に立っているのに、なぜか助けようともしない。

 一目見れば、どれだけ危険な状態か分かるはずなのに。

 だが、それは当然のことだったのだ。

 一歩、二歩。

 その足が歩み寄り、胸の辺りまでがスクリーンに映りこんだ。

 その、右手に。


 ――滴り落ちる赤い雫を携えた、銀の刃が握り締められていた。


 ……っ!

 私はもう限界だった。

 反射的に目を閉じて、椅子にしがみつくようにして膝を折った。

 どうしようもない恐怖感が、体中のあちこちからこみ上げてくる。

 夢だと分かっていても、あまりにリアルすぎる。

 どうして覚めてくれないのだろうと、本気で叫びたくなってくる。

 それでも。

 それでも、その声は聞こえた。


 耳を塞ごうと反射的に動いた手が、その声を聞いてピタリと止まる。

 ……え?

 何で……?

 どうして、なの……?

 自分に聞き返しても、答えは返ってこない。

 私はもう一度だけ、そっとスクリーンに目を向けた。

 さっきよりも少し、映し出される映像が変わっている。

 ナイフを手にしているのは、まだ幼さの残る少年の姿をしていた。

 その、横顔が。

 ……嘘……。

 あの日、帰り道で振り返った屋上の。

 ……嘘、でしょ……?

 一番空に近い場所で、空を見上げていた彼のものと。

 ……こんなのって……。

 全く、同じもので……。

 スクリーンの中の少年は、無言で私を見た。

 私は少なからず怯え、後ずさりしようにも椅子が邪魔をするので、結局椅子の上に座り込んでしまう。

 ……空、なの?

 呟き、問う。

 スクリーンの向こう側の少年は、答えなかった。

 血塗れたナイフを今もなお握り締めて、立ち尽くしていた。

 その顔は。

 言葉にできないほどの苦しさと悲しさが入り混じったような、そんな表情に満ち溢れていた。

 やがて、スクリーンの映像が外側から円を点にするように集束していく。

 少年の姿も、それに伴って消えていく。

 そのとき、確かに。

 …………え?

 少年の口は、何かを喋っていた。

 が、私にはそれを聞き取ることができなくて。

 気が付くとスクリーンは元の真っ白な色に戻り、映画館の中には小さな照明がポツポツと点きはじめていた。

 それと同時に、私の意識はようやく夢の中から開放された。


 跳ね起きるようにして、私は体を起こしていた。

「っ、は、あ……、はぁ……」

 呼吸を忘れてしまったかのように、夢中で酸素を取り込んだ。

 体中が熱を帯びて、炎の中にいるみたいだった。

「……ゆ、め?」

 呟きながら、部屋の中を隅々まで見回す。

 枕もとの目覚まし時計が時刻を教えてくれた。

 午後二時十二分。

 まだ真昼だが、カーテンを締め切った部屋の中はどこか薄暗く、その暗さは今まで夢見ていた映画館のものとどこか似ている。

「……夢、か……当たり前だよね、そりゃ……」

 安心して気が抜けたのか、私はようやく落ち着いた呼吸を取り戻す。

 自分の額に触れてみると、うっすらと汗の珠が浮かび上がっていた。

 わずかだが寝汗もかいているようで、背中の辺りにそんな感覚を覚える。

 一度着替えた方がいいかもしれない。

 ベッドから降りて、着替える前に一度カーテンを小さく開けてみた。

 すると、窓の外は雪が降っていた。

 地面を見ると、もううっすらとだが積もり始めている。

「雪、かぁ……」

 見上げれば、灰色の曇天の隙間を縫うようにして、白い雪がとめどなく降り注いでいた。

 空気の入れ替えついでに窓を開けてみると、途端に冷たい空気が私の体を襲う。

「……寒っ」

 火照った体では感じる寒さもひとしおだった。

「これ、積もりそうだなぁ……」

 降る雪の勢いはそこそこ強い。

 風が出ていないおかげで、雪も真っ直ぐに地面に向けて落ちていた。


「あ、そういえば……」

 そんな雪を見ていて、ふと思い出す。

「スノウ、大丈夫かな?」

 思い浮かんだのは、屋上に居座った雪の名前の白い猫。

 今頃、寒さで凍えてたりしないだろうか?

 いや、案外屋上に積もった雪の上に、小さな足跡をいくつもつけながら走り回っているかもしれない。

 きっと、アイツも一緒に……。

「あ……」

 思い、思い出した。

 夢のこと。

 同じ横顔の、幼い少年の姿。

 最後にあの少年は、何と言っていたのだろう?

 不思議と今は、もう怖くない。

 それどころか、やけに気になった。

 その原因はやはり、きっと……。

「…………」

 口には出さず、同じ空を見上げた。

 曇った空模様は、心の中を隠すスクリーンみたいだった。



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