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page10:笑顔、優しさ、何もいらない


 いらない。

 そんなものは、いらない。

 ……誰?

 やめろ。

 やめてくれと言っているんだ。

 ……誰の、声?

 そんな風に笑って見せるな。

 優しい言葉をかけてくれるな。

 もううんざりなんだ、そんなものは。

 ……誰だっけ、この声。

 どこかで、聞いたような……。

 暗い暗い、どこでもない場所。

 夢か現か幻か、それさえも分からないその場所で、誰かがそう叫んでた。

 聞こえるのは声だけで、その声の主の姿や顔は、真っ暗闇に遮られて輪郭さえ浮かぶことはない。

 近づくな。

 俺の中に入ってくるな。

 声は叫ぶ。

 その声は確かな苛立ちを含んで叫ばれているものなのに、反面、どうしようもないくらいに悲しい声だった。

 ……泣いているの?

 私はそっと、暗闇の向こうに言葉を投げる。

 ……っ!

 息を呑む音がした。

 それっきり、その声は何も言わなくなった。

 シンと静まり返るその場所。

 黒くて冷たい、寒くて痛い、そんな場所。

 ……ねぇ?

 ……やめてくれ。

 え?

 ……頼むからもう、やめてくれ。

 …………。

 俺は……何も…………ないんだから……。

 その言葉にかぶさるように、ノイズのような雑音が重なる。

 今、何と言ったんだろう?

 全部を聞き取ることができなかった。

 ジジ、ジジジ、ジー……。

 ノイズがひどくなる。

 それと同時に、ゆっくりと周囲の暗闇が振り払われて消えていく。

 徐々に白くなる世界。

 だがそこに、もう誰の姿も映ることはなかった。

 眩しい白さに押され、私の意識はそこから遠ざかる。


 目が覚める。

 最初に見えた色は、白。

 保健室の天井、ベッドを覆うカーテン、体を沈ませているベッドと枕。

 何もかもが真っ白だった。

「……あ、れ? 夢……?」

 軽く目元をこすりながら、私は上体を起こした。

 自分の体温で体が少し火照っているのが分かる。

 まだ寝ぼけ半分の頭を軽く左右に振り、残っている眠気を体の外へと押し出す。

「ふぁ……。今、何時になったんだろ?」

 ベッドを降りてカーテンを開け放つ。

 と、そこには誰の姿もなかった。

 眠る前までは確かに、空はテーブルで課題をやり始め、先生もコーヒー片手にデスクワークをこなしていたはずなのだが。

 私は壁にかけられた時計に目を向ける。

 時刻を見ると、すでに今は午後の三時半を指し示そうとしている。

「わ、もうすぐ放課後だよ……」

 六限目の授業が終わるのは三時四十分だ。

 なので、もう十分そこらで学校での一日は終わってしまうことになる。

「先生、昼休み前には起こしてくれるって言ってたのに」

 いや、もしかしたら私が単純に起こされても起きなかっただけではないのだろうか。

 自問してみると、そういえば何となくだけど誰かに軽く体を揺すられたような記憶がないわけでもない。

「参ったなぁ、どうしよう……」

 さすがに今から教室に戻るのもおかしな気がした。

 とはいえ、鞄や荷物は全て教室に置いてあるわけで、結局は一度戻らなくてはいけないことになる。

 午後の授業を丸々寝て過ごした私としては、そういう空気で教室に戻るのはなんだかやりづらい。

 事実、熱もあって先生の許可を得て休んでいたわけだから、特別な後ろめたさなどは感じる必要もないのだろうけど、どうもこういうのは苦手だ。

 うーん、どうしよう……。


 などと迷っているうちに、時計の針はさらに十分ほどの時を刻む。

 キーン、コ−ン、カーン、コーンと、聞きなれたチャイムの音が鳴り響いた。

 ほどなくして、先生が保健室へと戻ってくる。

 ガラリと音を立て、扉が開いた。

「あら、ようやく目が覚めた?」

 先生はわずかに微笑んでそう言った。

「すいません、私きっと、起こされても起きなかったんですよね?」

「あー、それはね」

 と、先生はもう一つ小さく笑いながら言葉を続ける。

「起きなかったって言うより、私が起こさなかったって言った方が正しいかも」

「……え?」

「いやぁ、だってねぇ。あんな幸せそうな寝顔見せられたら、起こすわけにはいかなくなっちゃうでしょ」

「う……」

 言われて思い出す。

 そういえば母さんも、私の寝顔は他に例を見ないくらいに幸せそうだったと言っていたことがあったっけ。

 無論、そんなことを言われても私本人は寝ているわけで、確認のしようがない。

 とはいえ、わざわざそんな寝顔をデジカメか何かで撮影し、後日改めて見せられでもしようものならば、私は全力を持ってそのデジカメを破壊しなくてはならないだろう。

「でもまぁ、熱が少し上がっていたって言うのも理由の一つよ。だから大事を取って、そのままにしておいたの」

「そう、ですか……」

「っと、一応もう一回熱測っておこうか、はいこれ」

 差し出された体温計を受け取り、私は耳にそれをあてがう。

 数秒後に電子音がピッと鳴り、検温が終わる。

「どれどれー? 七度ちょうど、か。まぁ、お昼頃に比べれば少しはよくなったほうね」

「熱、どのくらいまで上がってました?」

「お昼過ぎに測ったときは、七度六分だったわね。まぁ、眠っているときは体温もいくらか上がるんだけど」

「病院に行ったほうがいいでしょうか?」

「んー、しばらくは様子を見てもいいと思うよ? とりあえず今日は、帰ったら外出は控えて家で暖かくしておくことね」

 言って、先生は引き出しの中に体温計をしまいこむ。


「あ、そうそうそれと」

「はい?」

「上杉さんのお友達の、佐伯さんだっけ?」

「ヒロが、どうかしたんですか?」

「昼休みに一度様子を見にきてくれてね。放課後になったら、鞄とか持ってきてくれるって。それと」

「……それと?」

 聞き返すと、先生はまた小さく笑いながら続けた。

「あなたの寝顔を見ながら、佐伯さんがかなり癒されてたみたい。三十分くらいずーっと、ベッドの横で寝顔見てたのよ?」

「……あのバカ」

 小声で私が呟くと、先生は今度こそ声に出してアハハと笑った。

 どうして私がこんな恥ずかしい目に遭わなくちゃいけないんだろう。

 これじゃ逆に、体温が上がってしまいそうじゃないか。

「……あ」

 と、ふと思い浮かんだそのことを私は先生に聞く。

「せ、先生。まさかとは思いますけど……」

「ん、何?」

「その……アイツ、じゃなかった、彼は……空は、そのときこの場にはいたんですか?」

「ああ、藤杜君? 昼休みのときはいなかったわよ」

「……昼休みの、と、き、は?」

「ああ、そうそう。一応伝えておこうか。彼があなたの寝顔見て、何て言ってたか」

「……っ、見たんですか?」

「えーと、何て言ってたっけかなぁ……」

 しばし考え込む素振りを見せ、やがて先生はその言葉を思い出して口にした。


 「――人類全部がコイツみたいな寝顔で眠るなら、戦争なんて起きないかもしれないのにな、だってさ」


 色んな意味で頭が爆発しそうになった。

 先生は大笑いしていた。

 今もう一度体温計で熱を測れば、きっと八度くらいまで熱が上がってるかもしれない。

 もうこの状況で、どんな言葉を口にしても火に油にしかならない気がして、結局私は大きく一つ、溜め息を吐き出すしかなかった。


 間もなくして、保健室にヒロがやってきた。

 ノックもせずにいきなり扉を開け放ったヒロが最初に見たものは、膝を抱えたついでに頭も抱えてうずくまる私と、その横で後を引く笑い声を出す先生の姿だった?

「え? え? 何この空気?」

 頼むから、今だけは空気読まないで我が親友。

 いくら待っても場が収まりそうになかったので、私は適当にごまかしつつ場を収めた。

「何々? 何があったのナナ?」

「何でもない! 何でもないったら何でもないったら何でもないっ!」

「……大事件の匂いがするわ」

 強引にヒロの手を引いて、さっさと靴を履き変えて校舎の外へ。

「はぁ……今日は厄日だ、絶対にそうに決まってる……」

「そんな大げさな。ちょっと風邪気味なだけでしょ?」

「そうだけどそうじゃないんだよ……ああ、もう……」

「……まぁ、よくわかんないけど。とりあえずさっさと帰ろう、風邪引きさん」

「……はい」

 促され、私は歩き始める。

 今日もまた、一段と冷え込みが激しくなっている。

 マフラーをしっかりと首に巻きつけて、下校する生徒の真ん中を歩き出した。

「あ、そうそう。最後の数学の時間さ、試験対策用のプリント配られたから渡しとくね」

 ヒロは立ち止まり、鞄の中から数枚のプリントを取り出した。

「はい」

「あ、うん。ありがとね」

 受け取り、私もそれを鞄の中へとしまいこむ。

「ていうか、数学わかりません隊長。どうすればいいですか、サー」

「がんばりなさい」

「無理であります!」

 即答だった。

 またいつものように、どうでもいい会話が始まる。

 ゆっくりと並んで歩きながら、そんな言葉に耳を傾ける。

 くだらないこと、どうでもいいこと。

 そんなことでも、こうして話しているだけで笑ったりできる。

 毎日毎日同じことの繰り返しで、いつの間にか気付かなくなっていたけれど。

 こういう時間は私にとって、紛れもない優しい時間なのかもしれない。


 ――……そんな風に笑って見せるな。


「……え?」

「ん? どうかした?」

「あ、ごめん。何でもない」

 誰の声だろう?

 別に呼び止められたわけでもないのに、私の足は一瞬だけ立ち止まっていた。

 ……何でもない、よね……うん。

 再び歩き出す。

 その、一瞬の間に。

 振り返る背中。

 見上げた空の向こう。

 屋上が見えて、給水塔が見えて。

 その給水塔の上に立って、どこか別の空を眺めている人影が見えて……。

「……空?」

 ヒロに聞こえないように、私はそう呟いた。

 空の横顔は、髪に隠れてはっきりとは見えなかった。

 けれど。

 私にはどうしてか、その横顔が……。

 悲しくて、でも泣きたいのを無理にガマンしているように見えて。

 ……少し、寂しかった。



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