吾輩は個にして完成している
吾輩は個にして完成している。
まずこの一点を明らかにしておきたい。
人はどうも、うさぎを見ると勝手に物語を盛る。少し静かにしていれば寂しそうだと言い、隅にいれば心が弱っているように騒ぎ、まぶたが半分落ちているだけで、何やら人生の夕暮れを見たような顔をする。落ち着いてほしい。吾輩はまだそこまで象徴的に生きておらぬ。
とりわけ心外なのは、あの有名な決めつけである。
うさぎは寂しいと死ぬ、というやつだ。
誰が言い出したのか知らぬが、だいぶ話が大きい。
少し一羽でいた程度で生死の話に飛ぶな。
こちらにも段階というものがある。
まずは静けさ、次に機嫌、さらに気分、その先にようやく不満がある。人間はそのへんを二歩ほど飛ばして、すぐに哀れみへ着地する。雑である。
もちろん吾輩は鈍感な生きものではない。
気配には敏感だし、うるさい音は好まぬし、落ち着かぬ環境では腹立たしくもなる。急な変化など歓迎しない。だがそれは、生きるうえで必要な注意深さであって、常時か弱さを上映しているわけではない。そこを混同されるのは不本意である。
そもそも吾輩は、一羽で過ごす時間をそれなりに高く評価している。
考えごとをするとき。
耳の角度を整えるとき。
気分よく床を掘るまねをするとき。
そういうものは、一羽でこそ質が出る。
静けさには静けさの完成度があるのだ。そこへ勝手に切なさを混ぜられると、味が濁る。
先日も吾輩は、日当たりのよい場所で、ただ静かに座っていた。
風はほどよく、床はあたたかく、腹具合もちょうどよい。
あれはかなり質の高い午後であった。
それなのに人間は吾輩を見るなり、小声で言った。
「なんか寂しそう」
失敬な。
あれは寂しさではない。
充足である。
満ち足りた者だけが出せる、あの半眼である。
一羽でいる者を見てすぐ感情の欠損を疑うのは、人間の悪い癖だ。静けさに耐えられぬ者ほど、他人の沈黙に意味を足したがる。
さらに別の者が言った。
「もっとかまってあげたほうがいいかな」
やめてくれ。
今の吾輩に必要なのは、追加の親切ではない。
午後の続行である。
完成された時間に手を入れるな。煮えている鍋の蓋を開けるな。それと同じことだ。
腹立たしいのは、少し様子が違うたびに、何でも寂しさへ回収されるところである。
隅にいる。
寂しいのかも。
食欲がない。
寂しいのかも。
動かない。
寂しいのかも。
床を掘る。
寂しいのかも。
何でもそうするな。
それではもはや便利な呪文である。
雑な者ほど、説明を一種類しか持たぬ。
この前など、吾輩が気分よく毛づくろいの順番を整えていたら、
「ひとりで耐えてる感じがする」
と言われた。
耐えてはおらぬ。
整えておるのだ。
順番があるのだ、こちらには。
もっと言えば、吾輩は別に孤高を気取っているわけでもない。
安心できる気配は好きだし、気に入った者がそばにいるのは悪くない。撫で方がうまければ、なお悪くない。だがそれは、吾輩が欠けていて埋めてもらう必要があるという話ではない。完成されたものが、追加で快適を受け取っているだけである。豪華な座布団に座ったからといって、床にいたとき未完成だったことにはならぬ。
つまり吾輩が言いたいのはこうだ。
吾輩は繊細ではある。
だが、儚く売られる筋合いはない。
吾輩は静けさを好む。
だが、沈黙するたび悲恋の主人公にされては困る。
吾輩は一羽でいる時間を大切にする。
だが、それは欠落ではなく完成である。
個にして完成している。
これである。
すると、近くで話を聞いていた亀が、のそのそと顔を上げた。
「でも、きみ、さっきからじわじわこちらへ寄ってきておるぞ」
吾輩は黙った。
見れば、たしかに吾輩は、いつのまにか亀の甲羅のすぐそばまで来ていた。
別に意図したわけではない。
風が少し冷えただけである。
床の具合も多少ある。
甲羅の近くが、偶然、たいへん穏やかな温度を保っていただけのことだ。
亀は穏やかに言った。
「温かいのだろう」
「少しだけだ」
「寂しかったのではなく」
「もちろん違う」
「では何だ」
吾輩はきっぱりと答えた。
「完成された個が、快適性の高い地点へ移動しただけである」
亀はしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。
「言い方だけは立派だな」
失礼なやつである。
だが、甲羅は実際あたたかかったので、吾輩はそれ以上離れなかった。
誤解しないでほしい。
吾輩は寂しさに負けたのではない。
ただ、完成された存在が、完成された判断のもと、より快適な場所を選んだだけである。
その結果として少し寄っているように見えるなら、それは見る側の問題だ。
吾輩は今日も、個として、十分に仕上がっている。
たまたま甲羅の横にいるだけである。




