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ボンノーさまがいく〜異世界転生した108歳坊主の煩悩戦記〜  作者: wok
第1章 108歳童貞煩悩坊主が異世界へ
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第9話 拙僧、〈アユ〉を釣りし静寂の中に戦の決意を噛みしめる

バスタ辺境・ガルド館――

赤茶けた煉瓦の外壁に、黒い逆さ十字の旗がゆらめく。

ここは〈ガルド館〉――王都から遠く離れた乾いた土地に立つ、小ぶりな領主館だ。

錆びた鉄扉の向こうには、荒い吐息と革の匂いが漂う訓練場。漆黒の鎧に羽飾りを付けた黒羽隊が無言で槍を振るう。その光景を、館の主が薄い笑みで見下ろしていた。

名はガルド。

背の高い体には、余計な肉のない筋肉がきっちりと乗っており、まるで戦いのために削ぎ落とされたかのようだった。腕や首筋に刻まれた古い刀傷が、裏稼業を生き抜いてきた証しとなっている。

丸太のような腕を組めば、革鎧がきしみ、張り詰めた血管が浮かび上がった。

金色の眼を鋭く光らせ、岩のような体躯で圧倒的な迫力を放ちながら、彼は自らヨコマール枢機卿へ近づき、下卑た笑みでこう告げたのだ。

「汚れ仕事なら何でも請け負いましょう。報酬と地位さえ頂ければ」

暗殺、密輸、脅迫――日の当たらぬ仕事ほどガルドは冴えた。

成果を献上するたび枢機卿の懐刀としての評価は高まり、ついにはこう言い渡される。

「好きにしてよい辺境を与えてやろう」

かくしてガルドはバスタの辺境領主となり、館と領民、そして黒羽隊という小規模だが精鋭の牙を手に入れた。

領内では重い税と勝手な取り立てが続き、若い娘たちは王都へ連れて行かれた。村に響いた悲鳴は、誰に届くこともなく、乾いた地面に沈んでいく。

それでも館の中は静かで、領主はろうそくの灯りの下、ひとりワインを楽しんでいた。

ガルドは杯を傾け、微かに笑った。

――荒事の匂いが消えない男。鉄と血の夜風こそが、彼の自尊心を満たす酒だった。

◆ ◆ ◆

リントベルク郊外の宿屋にて――

「というわけで、次の目的地はバスタね!」

リントベルクから南へ延びる街道を指差しながら、ヴィヴィが鼻息を荒くする。

「その前に、旅の準備をせねばならぬな」

ボンノーが錫杖を軽く地面に突きながら言った。

「そうですね。バスタまでは三日はかかりますから、保存の利く食糧を調達しましょう」

シノが旅装を整えながら提案する。

「よし、それじゃあ市場に行こう!」

朝のリントベルク市場は、いつもの活気に満ちていた。

「乾燥肉、固焼きパン、塩漬け野菜……」

ヴィヴィが指を折りながら必要なものを数え上げる。

「水筒の補充も忘れずにな」

グレアが兜越しに確認する。

その時、ボンノーの足が、ある店の前で止まった。

「……これは」

干し果物を扱う商人の籠の中に、黄色く乾燥した輪切りが並んでいる。

「おや、お坊さん。それは"乾燥レモン"ですよ。船乗りには人気の品でして」

商人が愛想よく説明した。

ボンノーは静かにその"乾燥レモン"を手に取る。

(……海での日々を思い出すのう。あの頃、これがなければ皆……)

かつて扶桑皇国海軍にいた頃の記憶が、一瞬脳裏をよぎった。

「これを少し分けていただけるか?」

「もちろんですとも!」

ボンノーが"乾燥レモン"を購入する様子を、ヴィヴィが興味深そうに眺めていた。

「あ、ドライフルーツの店だ! ねえねえ、甘いのもあるでしょ?」

ヴィヴィが商人に駆け寄る。

「ありますとも! こちらは乾燥リンゴ、こっちは乾燥イチジク。特にこの蜂蜜漬けの乾燥桃は絶品ですよ!」

「うわー! どれも美味しそう! これ、旅の途中で食べたら最高だよね!」

ヴィヴィが目を輝かせながら、甘そうなドライフルーツを物色する。

「ボンノーさん、それ何?」

「昔、馴染みのあった食べ物でな。長旅には体に良いものじゃ」

ボンノーは小さく微笑みながら、"乾燥レモン"を旅袋にしまった。

「へー、体に良いのか……でもすっぱそうだなあ」

ヴィヴィが乾燥レモンをちらりと見て、少し顔をしかめた。

「あたし、すっぱいのはちょっと苦手なんだよね。やっぱり甘い方がいいなあ! この蜂蜜漬けの桃、ちょーだい!」

結局、ヴィヴィは両手いっぱいにドライフルーツを抱えることになった。

◆ ◆ ◆

買い出しを終え、宿へ戻った一行。

ボンノーは静かにうなずき、錫杖を握り直した。

「ガルドの手下は村々を荒らし、民を苦しめている。シノ殿を殺そうとした悪党の元締め……見過ごしてはならぬ」

フードを深くかぶったシノ――聖女リリアは拳を強く握りしめる。

「あの男を許すわけにはいきません。私に刻んだ傷も、村の人たちの涙も、必ず取り返します」

白銀鎧のグレアが兜越しに低くつぶやく。

「民が泣くのは見過ごせない。潜り込んでガルドの首を落とす。それだけだ」

ボンノーは合掌し、柔らかい声で続けた。

「欲や恐れを抱く身だからこそ、苦しむ者の痛みがわかる。だから我らが行く。ガルドは拙僧らが討つ――必ず」

窓の外で夜風が木々を揺らした。四人は目を合わせ、黙って荷をまとめる。

翌朝、四人の決意を乗せた馬車が、朝日を背に南へと走り出した。

◆ ◆ ◆

昼下がりの午後、ボンノーたちは緩やかな山道を進み、渓谷の入口へと差しかかっていた。

澄んだ風が吹き抜け、頭上には切り立った岩肌と青空が広がる。鳥の鳴き声がこだまし、遠くから水の流れる音が響いてくる。

「おっ、こりゃあ当たりだね!」

馬車の先頭を歩いていたヴィヴィがぴたりと足を止め、嬉しそうに指をさした。

その先には、谷間を縫うようにして流れる川が、岩と岩のあいだをきらきらと走っていた。

「ほら見てよ、あの水の透明度! 絶対ここ、〈アユ〉がいるって!」

「〈アユ〉、ですか?」

シノが目を丸くする。

「うんうん、天然モノ! 塩で焼いたら、頭からしっぽまで丸ごと食べられるやつ!」

ヴィヴィは腰の袋から、誇らしげに伸縮式の釣り竿を取り出した。

「へえ、これは本格的な竿じゃな」

ボンノーが感心して目を細める。

「ドワーフ工房特製、七段継ぎ! ちょっと高かったけど、旅には必需品でしょ?」

ヴィヴィは得意げに竿をシャキンと伸ばしてみせた。

グレアが川の流れをじっと見つめて言う。

「流れも深さも申し分ない。ここで一休みしていくのも悪くないな」

ボンノーは錫杖を地面に立てて微笑んだ。

「ふむ、釣りはよき修行のひとつ。川の恵みに感謝しつつ、命をいただこうかのう」

「よし、それじゃあ釣りタイムといこうか!」

ヴィヴィのかけ声とともに、四人は川辺へと向かった。

◆ ◆ ◆

「ここで〈アユ〉が釣れるのですか?」

シノが興味津々にのぞき込むと、ヴィヴィは胸を張った。

「もちろん! あたしの目にくるいはないさ!」

「頼もしいな。ヴィヴィ殿に任せるとしよう」

ボンノーが静かにうなずき、シノも黙って竿を組み立て始める。

ヴィヴィは慣れた手つきで七段継ぎの自慢の竿を伸ばし、川岸へ飛び出した。

「ほら、シノも! こっちこっち!」

「は、はいっ!」

シノも少し慌てながら、ヴィヴィに並んで糸を垂らす。

すると、間もなくヴィヴィの竿が勢いよくしなった。

「ほらきたっ!」

シュパッ!

銀色の〈アユ〉が空を舞い、岸辺の草の上で元気よく跳ねた。

「すごいです、ヴィヴィさん!」

「まあね~、あたしにかかればこんなもんさ!」

得意満面のヴィヴィが次の一匹に狙いをつけるその時――

「あ、あれっ? なにか、引っ張られて……!」

シノの竿が激しく引き込まれ、小柄な身体ごと川に引き込まれそうになった。

「わ、わわっ――!」

ぐらりとシノの身体が傾いたその瞬間、ボンノーが俊敏に動いた。

「危ない、シノ殿!」

すばやく伸ばしたボンノーの腕がシノの肩を抱きとめ、そのまま引き戻す。

「あ……ありがとうございます、ボンノーさま」

シノが驚いたように頬を赤くすると、ボンノーは穏やかに微笑んだ。

「怪我がなくて何よりだ。だが大物だったようだな」

ふと見ると、シノの竿には大きな〈アユ〉がしっかりと掛かっている。

「わあ……こんなに大きいのが釣れちゃいました」

シノが嬉しそうに〈アユ〉を掲げると、ヴィヴィが驚いたように目を丸くした。

「なにそれーっ! あたしより大きいじゃん!」

シノは照れくさそうに首を振りながら、「ふふっ、偶然ですよ」と応じた。

そんな二人のやり取りに、ボンノーは微笑ましく二人を見守り、グレアもかすかに頷いた。

◆ ◆ ◆

夕暮れの焚火のそばには、きれいに串を打った〈アユ〉が並んだ。

「みんなで釣った〈アユ〉だ、きっと美味かろう」

〈アユ〉が焼ける香ばしい匂いが辺り一面に広がる。

「よしっ、焼きあがったぞ!」

ヴィヴィが自信満々に串を掲げると、黄金色に輝く〈アユ〉の塩焼きが焚火の明かりで鮮やかに照らされた。

「いい香りですね……!」

シノは期待に胸を膨らませ、目を輝かせている。

ボンノーは静かに頷いた。

「うむ、岩塩のみで焼いた〈アユ〉は格別だな」

「これぞ、天然ものの贅沢だね!」

ヴィヴィが嬉しそうに〈アユ〉を差し出すと、四人は一斉にそれぞれの〈アユ〉にかぶりついた。

――パリッ。

軽くて香ばしい皮がはじける音が響き、じゅわっとした脂の甘さが口いっぱいに広がった。

「美味しいっ……!」

シノが思わず目を閉じて感激の声を漏らした。

「だろー? あたしの見つけた川で釣れた〈アユ〉だよ、当然!」

ヴィヴィが得意げに笑う。

「骨まで柔らかいのですね。頭からしっぽまで丸ごと食べられるなんて、すごいです!」

「それが天然〈アユ〉の力だよ。たっぷり栄養取れるから、旅人には最高さ!」

ボンノーも満足げにうなずき、〈アユ〉をひと口かじった。

「うむ、まことに素晴らしい。自然の恵みに勝るご馳走はないな」

普段は黙々と食べるグレアも、このときばかりは〈アユ〉をじっくり味わっている様子だった。

「……確かに、これは格別だ」

グレアが静かな声でつぶやくと、ヴィヴィが嬉しそうに跳ねる。

「ね、あたしの目に間違いなかったでしょ?」

「ああ、認めよう」

四人は楽しげに顔を見合わせて笑い合った。

焚火がパチパチと音を立て、夜の静かな空気の中、岩塩をまぶした〈アユ〉の味は一層深く心に染み込んでいった。

戦いの前の、束の間の平和。

だがそれゆえに、この穏やかな時間は何よりも尊く感じられた。

明日からは、また危険な旅が続く。

それでも今は、ただこの瞬間を大切にしようと、四人は無言のうちに思いを共有していた。

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