第8話 拙僧、悪党どもを谷間にて一網打尽にする
「民が立ち上がれる土壌は整った。次は——奪った者から奪い返す番だ」
グレアの言葉に、ヴィヴィが大盾を鳴らして応じる。シノはそっと祈りの杖を握りしめ、ボンノーは錫杖を高く掲げた。
腹を満たし士気も高まったところで、一行は村はずれの共同納屋に集まった。作戦会議の時だ。
「まずは情報整理だ」
グレアが地面に木炭で簡易地図を描く。
「ここがジミナ村。東にリントベルク、西に隣村ラスタ。そのラスタへ向かう街道の途中に、切り立った〈クラークの峡谷〉がある」
突然、納屋の戸が勢いよく開かれた。息を切らした少年が転がり込んでくる。
「た、大変だ! 武装した騎士たちが峠道を通って行った! 黒い逆さ十字の隊旗を掲げて、ラスタの方へ……!」
四人は顔を見合わせる。グレアが鋭く問いただした。
「人数は? 装備は?」
「騎馬が五騎! 槍と剣を持って、荷車を二台引いていた……!」
ボンノーが静かに頷く。
「ガルド配下の小隊長グズタじゃな。ラスタ村への強制徴発に向かったのであろう」
グレアが地図の峡谷部分を指差す。
「昼前にラスタに着けば、黄昏にはこの道を戻るはず。峡谷の最も狭い場所——そこが勝負どころだ」
ヴィヴィが大盾をストンと置き、その上に腰を下ろした。
「じゃあ私が壁になって道を塞ぐ! この大盾でね!」
「俺とヴィヴィで背後を抑える。シノは白魔法で援護だ。だが陽動が必要——ボンノー、頼めるか?」
視線が集中する中、ボンノーは錫杖で胸をトンと叩いた。
「拙僧が敵の前面に立ち、囮となろう。奴らの注意が拙僧に向いた刹那、諸君らが後ろから討ちかかるのじゃ」
シノが決意を込めて微笑む。
「四人で十分……村人を巻き込むわけにはいきませんから」
グレアが剣の鞘を叩き、白銀色のヘルム越しに決意を示す。
「民を苦しめる者に、容赦はしない」
ヴィヴィが盾を掲げてガツンと床を鳴らし、ボンノーは掌を合わせ祈りを捧げる。
「天よ——煩悩を力と変え、苦しむ者に救いを。参るぞ、諸君!」
納屋の扉が開かれると、午後の日差しが強く差し込み、四つの影を地面に深く刻んだ。
◆ ◆ ◆
クラーク峡谷——切り立つ岩壁が夕陽に朱く染まる。
峡谷の中ほど、灌木と転がる岩を利用した即席の陣地に、ボンノーは静かに佇んでいた。足元には草と蔓を編んだ〈ククリ罠〉が幾重にも張り巡らされている。
「拙僧の罠にかかれば儲けものくらいの気持ちじゃが——油断こそ大敵ゆえな」
数珠を握り、錫杖を地に突いて息を整える。
小柄な影——ヴィヴィが巨大な盾を背負って駆け寄る。
「準備万端だよ、ボンノーさん!」
「うむ。あとは待つのみ——」
蹄の振動が岩肌を揺らす。収奪を終えたグズタ隊が、獣道を連なって戻って来た。背嚢に詰め込んだ戦利品を揺らし、粗野な笑い声が峡谷に満ちる。
峡谷中央に、僧衣の男が歩み出る。ボンノーだ。
錫杖の真鍮頭輪が岩を叩き、カランと澄んだ音が峡谷全体に木霊する。
「お前たちの悪事は、もう逃れられんぞ……」
静かな声が夕映えの風に乗って神殿騎士たちへ届く。
「——ここで煩悩を清算せよ。この先は通さぬ」
思わぬ宣告に、獲物をぶら下げた神殿騎士の一部は戸惑い顔で互いを見やる。しかしグズタだけは鼻で笑った。
「坊主一人で俺たちを止めるつもりか? 愚か者め」
大男は腰の曲刀を抜き放ち、馬をぐいと前へ進ませる。夕陽に照らされた刃が赤く煌めいた。
「面倒だ——踏み潰せ!」
大男が鐙に踏み込み馬腹を蹴ると、背後の神殿騎士ふたりも抜刀し、三頭の馬が一斉に前脚を蹴り上げる。
夕塵が舞い上がり、峡谷の空気が剣呑に震えた。
三騎が突進——
バチンッ!
罠が弾け、うち二騎が転倒。騎手は砂利を噛みながら転がった。
その瞬間、岩棚から二つの影が舞い降りる。
◆ ◆ ◆
ボンノーは掌をかざし、静かに合図を送る。
岩陰に潜んでいたローブ姿の少女シノが掌を組み、小声で詠唱を紡ぐ。
『白ノ四式・サークルプロテクション!』
淡い光の膜が仲間たちを包み、鎧の上に薄く重なった。
『白ノ四式・サークルブレス!』
温かな風のような力が背中を押し、四肢が軽くなる感覚が走る。
ヴィヴィが盾を構え、「任せて!」と叫びながら一騎を吹き飛ばす。
鎧に身を包んだ騎士グレアは短く息を吐き、鋭い一閃で別の神殿騎士を落馬させた。
しかしグズタは転げ落ちながらも受け身を取り、砂を払って立ち上がる。曲刀を逆手に構え、野太い咆哮をあげた。
「まだ終わってねぇ! かかれ!」
呼応する生き残りの神殿騎士たちが馬を降り、半月隊形で前進する。グズタは大盾のヴィヴィへ一直線に突っ込み、刀身を何度も叩きつけた。
ガァン! ガァン!
金属と金属が打ち鳴る轟音。ヴィヴィが踏ん張るも、盾が後方の岩に食い込み火花が散る。
そこへグレアが横合いから突進。低く滑り込み、グズタの脇腹を狙うが、間一髪で刀を回して受け止めた。刃の衝突で火花が散り、二人の足元の砂利が跳ねる。
ボンノーは静かに前へ進み出る。錫杖を逆手に取り、隙を突いてグズタの肩へ柄頭を叩き込んだ。
「——悟りの杖、受けてみよ」
鈍い衝撃にグズタの体勢が崩れる。だがなおも踏ん張り、反撃の一刀をボンノーの胴へ振るう。
刀身がボンノーの法衣を掠めた瞬間、先ほど張られた〈白ノ四式・プロテクション〉の薄膜が火花を散らして衝撃を吸収した。
「効いておる……!」
わずかに後退しつつも、ボンノーは踏みとどまる。
◆ ◆ ◆
「ここまでだ!」
ヴィヴィが渾身のタックルでグズタを岩壁へ押し付ける。グレアの一撃がグズタの曲刀を弾き飛ばし、錫杖の石突が足元をすくう。
狭い峡谷で混乱が広がる。逃げ場を求めるグズタ隊の背後で、白衣の少女シノが詠唱を完了する。
『白ノ三式・ホーリーウォール・ツヴァイ!』
白光の障壁が出口を塞ぎ、神殿騎士たちは袋の鼠となった。
震える神殿騎士たちを前に、ボンノーは錫杖を胸元で静かに構えた。
錫杖の鈴が澄んだ音を放つ。砂利がぱらりと崩れ、驚いた馬たちは鼻を鳴らし、一歩後ずさる——それだけで充分だった。
わずか十数呼吸——グズタ隊は誰一人欠けることなく膝をついた。
「やったね、ボンノーさん!」
ヴィヴィが盾を掲げて歓声を上げる。
グレアは無言で剣を納め、兜越しにボンノーへ小さく頷いた。
ボンノーは事前に用意していた束縛用ロープを取り出し、グズタの両腕を後ろ手に縛る。シノが静かに『白ノ四式・サークルスリープ』を唱え、暴れる騎士たちを眠らせた。
◆ ◆ ◆
荷車の蓋を開けると、干し肉の樽、麦袋、織り布、薬草——二つの村から奪われた品々がぎっしりと積まれている。
「すべて略奪品だね!」
ヴィヴィが嬉しそうに声を上げる。
「まずは被害の大きいラスタ村へ返そう」
グレアが短く言い、ボンノーは頷いた。
ボンノー一行は騎士たちを縄で連ね、馬車の後ろに歩かせる形で出発した。夕陽が峡谷を染める頃、荷車はラスタ村へ到着する。
村人たちは最初こそ警戒したが、荷台に積まれた物資を見て歓声を上げた。
「戻ってきた! 食糧が戻ってきたぞ!」
泣きながらパンを抱きしめる子ども、安堵して腰を抜かす老人。ボンノーは深く合掌し、一袋ずつ手渡していく。
続いてジミナ村へ戻り、残りの荷を分けた。老夫婦がゆっくりと近づき、涙ながらに頭を下げる。
「ボンちゃん……いや、ボンノーさん。本当に、ありがとう……!」
村人たちの笑顔が夜空に灯る松明よりまぶしかった。
◆ ◆ ◆
夜明けとともに、一行は両村の長老たちと話し合った。
「捕らえた神殿騎士たちをどう扱うべきか、ご相談したい」
ボンノーが問うと、ラスタ村の長老が静かに答えた。
「フォルク砦の王国騎士団に引き渡しましょう。あそこなら公正な裁きが期待できます」
ジミナ村のカイ爺も頷く。
「証拠の品々と一緒にな。若い衆が護衛で付いていこう」
こうして荷車と囚人を連れ、両村の若者数名を護衛に加えた一行はフォルク砦へ向かった。
「さあ次は……」
ボンノーが錫杖を軽く鳴らすと、グレアが南の方角を指差しながら低く呟く。
「ガルド——神殿騎士を陰で操り、近隣を荒らしている悪党の頭目らしいな」
「ガルド退治ってことだね!」
ヴィヴィが盾を肩に担ぎ、白い歯を見せる。
シノはその名前を聞いた瞬間、祈りの杖を強く握りしめた。一瞬身体が震えたが、すぐに静かな決意を宿した瞳でみんなを見つめる。
「……あの人を止めなければ、また犠牲者が生まれてしまいます」
こうして一行は、次なる標的——悪名高いガルド討伐へ向けて、まずはリントベルクで態勢を整えることにした。