第7話 拙僧、煩悩満載の馬車で恩人の村を救う
季節は巡り、あれから三か月——
炭鉱での死闘と、帰還パーティーを皮切りに、ボンノーたち四人は順調に冒険を重ねていた。
薬草の採取、迷宮遺跡の探索、村を悩ませていた巨大イノシシの駆除——次々と依頼をこなすうちに、彼らの名は冒険者ギルドでも知られるようになっていた。
「ふふん、見てよこれっ! 銀の証だよ、銀っ!」
ヴィヴィが誇らしげに胸を張る。手にした銀等級のプレートが、朝日を受けて美しく輝いていた。
「そういえば、あのリッチロード戦からもう三か月か。あれがきっかけで一気に名前が売れたもんね!」
「あの時のボンノーさまの零式、今でも忘れられません」
シノが微笑みながら、新調した薄ピンク色のローブの裾を整える。
「まあ、まだまだだな」
重厚な鎧に身を包んだグレアは、腰の剣を軽く叩きながら低い声でそう言う。けれど、その声色にはどこか満足げな響きが混じっていた。
「……皆さんのおかげです」
ボンノーは新調した旅装に身を包み、手にした銀等級のプレートを静かに見つめていた。
「……あっという間だったのう。拙僧など、かつては寺で畳を拭いておったというのに」
四人のパーティーは「無名ながら確実に成果を上げる実力派」として、銀等級へと昇格していた。
財政面も潤い、馬車を一台所有し、折り畳み式の天幕や調理道具も充実してきた。
◆ ◆ ◆
ある日のこと、依頼を終えてギルドへの帰り道。
ボンノーがふと足を止め、遠い目をして呟いた。
「……拙僧、思うところがある。この国に来て早々、世話になった老夫婦がおるのだ。恩返しがしたい」
それを聞いて、シノの表情がぱあっと明るくなった。
「……あのご夫婦ですね。私もお世話になりました。ぜひ、ご挨拶したいです、ボンノーさま」
その瞳には、懐かしさと温かい感謝の気持ちが宿っている。
「そういうの……大事だよね! 恩には報いないとさ!」
ヴィヴィは拳を握りしめ、目を輝かせた。
一方、グレアは無言で一歩前に出ると、兜越しに重い声で言った。
「……それが、お前の討つべき煩悩ならば、付き合おう」
「いや、討つとかではないのだが……」
内心でツッコミを入れつつも、ボンノーは静かに頷いた。
こうして、ボンノーの恩人が暮らす村へ向かうことになった。
◆ ◆ ◆
——ジュワッ。
鉄板で焼けるベーコンの音が、朝靄のリントベルク市場に響いた。その香ばしい匂いが鼻孔に届いた瞬間、ボンノーの理性に亀裂が走る。
ボンノーは仏門に入って以来、八十年以上も葉菜と豆ばかりの精進料理で命を繋いできた。肉の旨みは——それ自体が煩悩の味であると戒めていたはずなのに。
「……尊しき戒律よ、いましばし眠るがよい……煩悩即菩提!」
合掌しながらも視線は肉に釘付け。危うく涎がこぼれそうになった瞬間、後ろから渋い低音が飛んだ。
「ボンノー、涎!」
重厚な白銀鎧——「おっさん騎士」グレアが、ヘルムの下でため息をつく。だがボンノーは涎をぬぐうどころか、さらに身を乗り出した。
「ベーコン二塊、干しソーセージ三束、頼む!」
「肉ばっか!」
ヴィヴィがツッコミを入れる。赤銅色の三つ編みをブンブン振りながら、両手を腰に当てて呆れ顔だ。
「小麦と毛布とランタン油と麻布も忘れちゃダメでしょ!」
「はい、野菜もちゃんと用意しました。乾燥ハーブですが、栄養価も高いですし、お肉との相性も抜群ですよ」
フード姿のシノは、袋いっぱいの乾燥ハーブを抱えながら、穏やかに微笑んで助け舟を出す。
結局、「光明号」と名付けられた荷馬車には、肉・小麦粉・日用品が詰め込まれ、煩悩の香り漂う荷台を背に、一行はジミナ村へ出発した。
◆ ◆ ◆
ガタゴト、ガタゴト——。
街道を走ること一時間、緑の匂いが濃くなってくる。揺れる荷台でヴィヴィが嬉しげに歌を口ずさむと、グレアが軽く咳払いをした。
「……静粛に。谷間では音が響く」
「え~、おっさんはノリ悪いなぁ!」
"おっさん"と言われた鎧騎士は肩を落としたが、ヘルムの奥では頬がわずかに緩んでいた。
一方、ボンノーは荷台の隅で錫杖を膝に置き、目を閉じて座禅——かと思いきや。
(干しソーセージ……あとで焼いて……いや、煩悩! 煩悩っ!)
心の中で己を叱咤する声が、誰よりもうるさかった。
◆ ◆ ◆
木柵の門をくぐると、ジミナ村はまるで息を潜めているかのようだった。
畑に人影はなく、家々の扉は固く閉ざされている。いつもなら聞こえるはずの子どもたちの笑い声も、鶏の鳴き声も、まったく響いてこない。
「おかしい……前に来たときは、もっと活気があったのに」
ボンノーが眉をひそめて呟くと、グレアが素早く剣の柄に手を置いた。ヴィヴィは背中の大盾を引き抜き、シノは祈りの杖を握りしめる。
周囲を警戒しつつ、ボンノー一行は老夫婦の家へとたどり着いた。
「カイ爺! ルダ婆! ご無沙汰しておる!」
戸を叩くと、しばらくして白髪の老婆が恐る恐る顔を出した。皺だらけの瞳が見開かれ、次の瞬間、安堵の涙が溢れる。
「ボンちゃん……! 生きとったんかい!」
"ボンちゃん"呼びに仲間たちは目を丸くするが、本人は照れくさそうに頭を掻くのみ。
囲炉裏端で暖を取りながら、老夫婦は震え声で語り始めた。
三日前、神殿騎士ガルド隊の小隊長グズタが現れ、「教会改築の御用金だ」と嘘をつき、蔵の干し肉も小麦も冬用の野菜も根こそぎ奪っていったのだと。
抵抗した若者は"異端"と断じられ、腕をへし折られた。
語り終えた老爺の手は震えが止まらない。ルダ婆がボンノーの袖を掴むと、彼は静かに微笑んだ。
「心配には及びませぬ。拙僧らが持参した分、まずは腹を満たしてくだされ」
そう言うや否や、ボンノーは荷馬車へ駆け戻り、干しソーセージや小麦粉、乾燥ハーブを抱えて戻ってきた。ヴィヴィも大盾代わりに袋を担ぎ、グレアとシノは鍋と水壺を運ぶ。
囲炉裏に火が焚かれ、肉と豆とハーブの香りが室内に広がる。温かな湯気に包まれ、老夫婦は震える指で木椀を取り、スープを啜った。
「ボンちゃん……いや、ボンノーさん。本当に……ありがたいよ」
安堵の涙が皺を伝い落ちる。その様子を見届け、ボンノーは合掌した。
グレアの拳が卓を叩いた。ギシ、と古木が悲鳴を上げる。
「ガルド隊……ヨコマールの走狗め。これ以上、民を弄ぶか」
白銀色のヘルムから洩れる声は低く冷たい。それに応じ、シノが静かに立ち上がった。
「……私も、彼らに殺されかけました。神殿騎士たちの行いは、断じて許せません」
ヴィヴィが大盾を掲げ、炎のような笑みを浮かべる。
「悪党退治だね! 胸が熱くなるよ!」
最後にボンノーが深く合掌し、静かに宣言した。
「煩悩の根源を断つのも、拙僧の務め。拙僧らが立てば、誰かの涙は拭えるであろう」
部屋の空気が震えた。小さな藁葺きの家に、確かな決意が満ちていく。
◆ ◆ ◆
蝋燭が短くなる頃、納屋に戻った四人。静まり返る空気の中、ボンノーが袈裟の裾を正して深く一礼した。
「恩義あるこの村を救わせてほしい。力を貸してくれぬか?」
グレアが剣の柄に手を置き、低く力強く頷く。
「当然だ。義を見てせざるは騎士の恥」
シノは胸の前で両手を組み、優しく微笑む。
「村人のために、私も微力ながら尽くします」
ヴィヴィは大盾を肩に引き寄せ、眩しい笑顔で叫んだ。
「よーし! 燃えてきたぁ! まずは食糧確保だよね!」
ボンノーの言葉に、グレアが頷くと、腰の袋から金貨を取り出して卓に置く。
「冒険で貯めた分だ。使ってくれ」
「冒険の稼ぎがまだ少し……」
シノが小袋を差し出し、ヴィヴィは胸元から磨き抜かれた銅貨束をどんと積んだ。
「値切りは得意! あたしに任せて♪」
夜も更けきらぬうちに四人は馬車を回し、リントベルクへ取って返す。市場は閉じていたが、ヴィヴィの押しの強さとシノの穏やかな交渉術で裏門を開けさせ、買い尽くし作戦を敢行した。
干し肉、パン、小麦、豆、野菜、岩塩、ランプ油、毛布……荷台は救援物資で山盛りに。
◆ ◆ ◆
昼前、ジミナ村の広場。
一行は大鍋を据え、スープと焼きベーコンやパンなどを次々と振る舞う。香りに誘われ、戸口の陰から村人たちがそろそろと集まってきた。
「好きなだけ食べてくれ。これは——拙僧らの煩悩の断ち切り料ゆえ」
ボンノーの冗談めいた声に、子どもたちがくすりと笑う。頬を染めた村人達が頭を下げた。
「生きる力を、ありがとう……!」
やがて鍋は空になったが、村人の眼には再び光が灯っていた。
そこで初めて、グレアが剣の柄を強く握りしめた。
「民が立ち上がれる土壌は整った。次は——奪った者から奪い返す番だ」