第60話 決意
海は穏やかで不気味なほど静寂に包まれていた。
波一つ立たない。
風も止まっている。
魔島が、遥か前方に見える。
大和露天艦橋——
ナターシャが海を見渡しながら呟いた。
「嵐の前の静けさ——というやつさ」
深緑の瞳が、魔島を睨む。
「ここからが本当の地獄——」
「いや、この世界の運命をかけた戦いさね」
ヴィヴィは大盾を握りしめ、無言で前方を見据えている。
いつもの明るさはない。
緊張が、全身を支配していた。
◆ ◆ ◆
大和第一艦橋——
ピピッ——
通信機が鳴った。
「こちら大和艦長新村。どうぞ」
ボンノーが応答する。
『こちらは武蔵艦長御坂です』
冷静で、落ち着いた女性の声。
『新村艦長、これより作戦行動についてお伝えします』
「どうぞ」
御坂の声が続く。
『これより武蔵は、魔島の敵戦力掃討に当たります』
『大和は、ヤツマタノオロチ討伐に集中してください』
ボンノーは水晶球を見た。
魔島周辺に蠢く、無数の敵影。
「了解しました」
「武蔵が敵戦力をすべて引き受けるということですか?」
『はい』
御坂が静かに告げる。
『そして——武蔵は、現れるであろうヤツマタノオロチの気を最大限引きつけます』
「気を引く、ですと......?」
ボンノーの眉が動く。
『大和は、ヤツマタノオロチの討伐に専念してください』
『武蔵のことは気にせず、好機と見たら——攻撃を加えてください』
『タイミングは、新村艦長に一任します』
御坂の声に、一切の迷いはない。
『これは——大神アマテラス様がおっしゃいました』
ボンノーの手が、通信機を強く握る。
『七十年間、この世界との調和を図ってきた大和のみが——』
『ヤツマタノオロチを討ち果たせる唯一の存在であると』
——沈黙。
重い沈黙が、艦橋を支配した。
ヤマトヒメが、静かに目を伏せる。
クレアが息を呑む。
リリアが祈りの手を組む。
「......分かりました」
ボンノーが口を開く。
「武蔵が囮になる——そういうことですね」
『囮、という言葉は正確ではありません』
御坂が訂正する。
『武蔵は、大和が確実にヤツマタノオロチを討てる状況を作り出します』
『それが、武蔵の役目です』
「御坂艦長」
ボンノーの声が低くなる。
「武蔵の安全は——」
『詳しい話は、すべてが終わってからお話しします』
御坂が遮った。
『今は、作戦の成功を最優先に』
「......了解しました」
ボンノーは拳を握る。
「武蔵の武運長久を祈ります」
『ありがとうございます。大和も、ご武運を』
通信が——切れかけた、その時。
『姉ちゃん!』
ムサシヒメの声が割り込んできた。
「ムサシヒメ——」
ヤマトヒメが艦橋の通信機に駆け寄る。
『姉ちゃん、あとで会おうね!』
元気な声。
明るい声。
だが、その奥に——覚悟が滲んでいた。
「はい」
ヤマトヒメが微笑む。
涙を堪えながら。
「ムサシヒメ」
「......必ず、会いましょう」
『うん! 約束だよ!』
ムサシヒメの声が弾む。
『僕、姉ちゃんとまだまだ話したいことがいっぱいあるんだ!』
「わたくしも、です」
ヤマトヒメの声が震える。
『だから——絶対に生き残る! 姉ちゃんも!』
「......ええ」
通信が、切れた。
静寂。
ヤマトヒメは、通信機を見つめたまま動かない。
小さな拳が、白くなるほど握りしめられていた。
「兄様」
やがて、顔を上げる。
その瞳には——涙の跡。
だが、決意の光が宿っていた。
「私は——必ず、ヤツマタノオロチを討ち果たします」
「ムサシヒメと、約束したのです」
◆ ◆ ◆
武蔵第一艦橋——
「ムサシヒメ」
御坂が静かに呼びかける。
「......うん」
ムサシヒメが振り返る。
その目は、少し赤い。
「準備は、いい?」
「..うん....大丈夫」
ムサシヒメが頷く。
「僕、姉ちゃんを守るって決めたから」
「わかっている」
御坂が立ち上がる。
艦長席から、ムサシヒメの元へ歩み寄る。
そして——
ポンッ
頭に、手を置いた。
「ムサシヒメ」
名前を呼ぶ。
優しい声。
普段の冷静な御坂とは、少し違う。
「みさかさん......」
「戦女神が泣くものではありませんよ」
御坂が微笑む。
「泣いたら、ヤマトヒメが心配します」
「......うん」
ムサシヒメが目を擦る。
「大丈夫。僕、泣いてない」
「そうだね」
御坂が手を離す。
「では——配置につきなさい」
「了解!」
ムサシヒメの声が、力を取り戻す。
「針路005、魔島へ」
御坂の指示が飛ぶ。
武蔵の核融合炉は静かに稼働し、電磁モーターへ電力を送る。
そして、武蔵は魔島へ向けて進んでいく
続く




