第6話 拙僧、リッチロードを煩悩で討伐する
——祭壇の奥。
そこには、古びた鉄梯子が口を開けていた。
まるで誘うかのように、ひやりと冷たい風が、下層から吹き上げてくる。
「第二層に……ミスリル鉱床がある、でしたよね?」
シノの問いに、ボンノーがうなずいた。
「うむ。冒険者ギルドの話では、こたびの依頼は、その採掘と確認……だったはずじゃ」
「じゃあ、行こうぜ。さっさと終わらせよう。」
グレアが短く言い放ち、先に梯子を降りていく。
その背中を追うように、他の三人も慎重に後に続いた。
——第二層
空気はさらに冷たく、澱んでいた。
足元の岩床は湿っており、天井には鉱脈らしき光が微かに走る。
そのとき——
「……う、ぅ……あ……」
微かに、呻くような声。
闇の奥から、のそりと動く人影が近づいてくる。
その歩みは異様に遅く、不自然にねじれ、そして……腐臭を伴っていた。
「ゾ、ゾンビ……!」
ヴィヴィが呟いた。
ボロボロの鉱夫服に身を包んだそれは、明らかに"生きていない"。
おそらく、炭鉱封鎖時に逃げ遅れた鉱夫の末路だろう。
「全員、警戒せよ! シノ、結界を!」
「は、はいっ……!」『白ノ四式・サークルプロテクション』
薄く光る魔法の膜が仲間たちを包み込む。
その直後、ゾンビの一体が突如跳びかかってきた。
ヴィヴィは盾で受け止めたものの、錆びた爪が腕を掠めて血が滲む。
「危ないっ!」
グレアが踏み込み、横薙ぎの一閃でゾンビの首を刎ね飛ばす。
まるで"舞うような"斬撃だった。
「なにそれ、すっご! マジで騎士様だったの!?」
ヴィヴィが痛みをごまかすように呆れ気味で言うが、グレアは何も答えない。
ただ、剣のひと振りひと振りが、不思議と気品を感じさせた。
その間に、シノがヴィヴィへ向けて呪文を唱える。
『白ノ三式・ヒール・ツヴァイ……!』
ヴィヴィの腕の裂傷が柔らかな光に包まれ、瞬く間に塞がっていく。
——ゾンビたちは数を増していたが、ボンノーの錫杖とグレアの剣によって、一体ずつ着実に倒されていく。
「なんとか……切り抜けた、か——」
ゾンビの最後の一体が崩れ落ち、静寂が戻る。
一行は傷を癒しつつ、慎重に奥へと歩を進めた。
道中では、崩れかけた坑道や不意に湧いたスライムとの小競り合いもあったが、すでに誰も動じなかった。
そして——炭鉱の奥、人工の掘削が終わったと思しき場所に、不自然にぽっかりと開いた“穴”があった。
「……これは、人の手で掘られたものではない、のう」
岩肌にぽっかりと開いたその空間へと足を踏み入れると、そこには、自然の神秘が広がっていた。
巨大なドーム状の空間。
その壁面には、星屑のような淡い蒼光が散りばめられていた。
「これが……ミスリル鉱床か」
ボンノーが感嘆の声を漏らす。
あまりに幻想的な輝き。鉱石でありながら、どこか神聖な光を放っている。
「……依頼完了だね。これなら……」
ヴィヴィがそう呟きながら、そっと壁面に手をかけたときだった。
——微風
空間の中心から、ぞわりと風が吹く。
風は冷たくはなかった。
だが、魂の奥にまで染み込むような……生きている者にはあまりに異質な風だった。
「な、なに……?」
ヴィヴィが固まった。
そして、蒼白になって、叫ぶ。
「リ、リッチ……リッチロード……っ!!」
まるで断末魔のような叫びだった。
「む、むりむりむり! モームリー! 勝てない! 逃げよう!!」
彼女が後ずさるように叫ぶが——
「む……!? 出口が……」
ボンノーが振り返ると、来たはずの道が、まるで靄のような力に封じられていた。
異様な魔力が、その通路すら歪めている。
逃げ道は——ない。
「どうやら、奴を倒さねば、この場を離れることすら叶わぬようじゃな……」
静かに、錫杖を構えるボンノー。
その前方。
ミスリルの光を背に、影の中から、骸骨の王が歩み出る。
ローブを纏い、赤い魔石の瞳を光らせるそれは——死の支配者。
かつて高位の魔術師だった者が、幾百年の果てに堕ちた存在。
それは、熟練のパーティですら撤退を選ぶ、災厄の名だった。
◆ ◆ ◆
——死の王が、手をかざす。
『……黒ノ三式・ブリザード……ツヴァイ……』
低く、呻くような呪文詠唱とともに、空間が凍てついた。
そして——
「ヴィヴィ、下がれッ!」
叫ぶより早く、氷の嵐が直撃する。
「ぐっ……!」
ヴィヴィは咄嗟に大盾を構えた。
だが、三式魔法の直撃は重すぎた。
盾ごと氷塊に巻き込まれ、ヴィヴィの小柄な身体が壁際まで吹き飛ばされる。
「やっば……! ちょっとガチで痛かったんだけどっ!?」
崩れた瓦礫の中から、ヴィヴィが歯を食いしばって立ち上がる。
「——全員、配置につけ!」
ボンノーが錫杖を掲げ、仲間たちに号令を飛ばす。
「シノ、まずは、防御魔法を! ヴィヴィは後衛で体勢を立て直せ! 拙僧とグレアで、奴を抑える!」
「は、はいっ!」
シノが詠唱を始め、神聖な光が仲間たちを包む。
「よし、行くぞ」
ボンノーは錫杖を構え、グレアは無言で剣を抜いた。
——打撃開始。
連携の取れた攻撃が、リッチロードのローブを裂き、骨の身を叩く。
だが、その骸の王は、一歩も退かない。
「効いておらぬ……!」
ボンノーが額に汗を滲ませる。
「グレア、引くなよ!」
「うるさい、黙って殴れ」
グレアの動きは冴えている。だが、まるで打ち込んだ剣を拒絶するように、リッチの身体が禍々しい霧を纏っていた。
「光属性なら……!」
シノが、両手を掲げて詠唱を開始する。
『白ノ三式・ホーリージャベリン・ツヴァイ!』
眩い光が放たれ、リッチの顔面を直撃した。
「グギィィィィィッ!」
確かな悲鳴。だが、まだ立っている。まだ、殺しきれていない。
「足りない……!」
シノが膝をつく。魔力が、底をついていた。
——グレアの息も荒い。
剣を握る手が震えていた。いかに技量があろうと、限界はある。
そして。
『……黒ノ二式・メガフレ…ア……』
リッチが、静かに詠唱を始めた。
空間が揺れる。空気が赤熱する。
「うひゃーっ、マジでもうムリかもぉぉ……!?」
ヴィヴィが盾を構え直すが、脚が震えていた。
そのときだった。
「……まだ、終わってはおらん」
ボンノーが、静かに目を閉じる。
(白魔法……拙僧にも、できるはずじゃ。かつて祈り続けた日々、誰かを救うために……)
——だが。
『白ノ三式・ホーリージャベリン・ツヴァイ!?』
錫杖を突き出し、詠唱するも、何も起きない。
空振りだった。
その瞬間、脳裏にふと、よぎった。
ただの僧だった拙僧が、なぜこの異世界に導かれたのか。
なぜ、今ここで立っているのか。
その理由が、心の奥から、湧き上がる。
「そうか……煩悩なればこそ……」
欲に揺れ、怒りに震え、誰かを救いたいと願う。——それもまた、煩悩。だがそれゆえに、人は力を持てるのだ。
「人は欲する。救いたいと。守りたいと。それもまた煩悩。ならば拙僧は、その煩悩のすべてを……力に変えるのみ!」
ボンノーの手に、白く柔らかな光が灯る。
それは、ただの聖の力ではなかった。
——それは、執念と、祈りと、そして「煩悩」から生まれた力。
脳裏に浮かぶ名が、確信となって口を突いて出る。
『白ノ零式・セラフィムランス!!』
錫杖の先から放たれたそれは、まばゆい光の槍。
天の理を断ち、地の穢れを浄化する、天上よりの一閃だった。
「バ……バカナ……ソンナ……ザレイシキナド……アリエ……」
リッチロードの身体が、崩れ始める。
骨が、塵になり、マントが崩れ、魂の残滓が断末魔と共に浄化されていく。
「グギャアアアアアアアアア!!」
そして——
完全に、消えた。
広間には、ただ静寂だけが残る。
「……な、なに今の……?」
ヴィヴィが呆然と呟く。
「零式……聞いたこともないぞ……」
グレアが小声で漏らす。
シノも、ぼうっと光の残滓を見上げたまま、言葉を失っていた。
——誰も、理解できなかった。
あれが何だったのか。なぜ、僧であるボンノーにそんな術が使えたのか。
「……拙僧にも、よく分からぬ。ただ……助けたいと思った」
ボンノーがぽつりと呟く。
その表情は、108年を祈りに捧げてきた僧侶そのもの。
だが、そんな尊き沈黙を——
「ボンノーさぁぁぁぁぁんっっ!!!」
――――破ったのは、轟音のような歓喜だった。
「お、おおっ!? ヴィヴィ殿!?」
駆け寄ってきたヴィヴィが、勢いよくボンノーに抱きつく。
そして次の瞬間——
むにゅん、と。
——圧倒的、質量。
「ふぎゅ……っ!?」
ボンノーの顔面に、柔らかく、弾力ある、二つの煩悩が直撃した。
しかも、戦闘中に砕けた鎧の破損部分から、思いっきり素肌が露出しているという事故仕様。
「えへへーっ!すごいねボンノーさん!さっすがあたしのご本尊様だ〜!」
本人は無自覚。悪気はゼロ。笑顔は満点。
だが、ボンノーにとっては——
即死級である。
「ぼ……煩悩が……煩悩があああああっ!!」
どぼぼぼぼっ!!
大量の鼻血と共に、ボンノーの意識は闇の彼方へと飛んでいく。
リッチロードすら倒した聖なる力の持ち主が、まさかの二度目の戦闘不能。
ばたり
「あ、あれ? ボンノーさん? おーい、ボンノーさーん?」
ヴィヴィが慌てて身を離し、倒れた僧侶を揺さぶる。
「え、え? なんで倒れたの? あたし何かした? さっきまで元気だったのに……あ、もしかして怪我してたの? それとも魔力使いすぎ?」
「……また、煩悩ですね。リッチロードは倒せるのに、女性には勝てないなんて……」
と、フードの中で少し拗ねたように、シノが呟いた。
グレアはその様子を見て、
「やれやれ……坊主のくせに、やるじゃないか---」
と、鼻で笑いながらも、どこか照れたように兜の奥で小さく息を吐いた。
その後、ミスリル鉱石を慎重に採掘し、リッチロードが持っていた冥王の杖と、黒煙の指輪を回収。
すべてをバックパックに収め、パーティは依頼達成と共に地上へ帰還するのだった。
◆ ◆ ◆
夕暮れのリントベルクの街へ、炭鉱帰りの四人が帰還した。
冒険者ギルドの扉を押し開けると、カウンターの受付嬢が顔を上げる。
「おかえりなさいませ。ミスリル採掘依頼の進捗は……」
そう言いかけた彼女の口が、ぽかんと開いた。
「……え? り、リッチロードを……討伐……!?」
ボンノーが静かに、リッチロードとの戦いの一部始終を語ると、ギルド内は騒然となった。
「ちょ、ちょっと待って! その階層にはリッチロードなんて報告されてなかったはずよ!?」
「本物だぜ。これが、その杖と指輪な」
グレアが無言で、甲冑の隙間から取り出した戦利品を机に置く。
ほどなくして、ギルドの査定官が飛んできて鑑定を行い、顔を青ざめさせながら告げた。
「ま、間違いありません……“黒煙の指輪”と“冥王の杖”……! これは……金貨10枚相当の価値がある……!」
ざわっ……と、ギルド中の冒険者たちが一斉にこちらを見る。
「とんでもねぇ新人だ……」
「おっさん騎士、マジで強ぇな……」
「ガキに見える坊主まで混じってるのに、あのパーティ、何者だよ……」
そんな視線を浴びながらも、ボンノーは静かに掌を合わせ、合掌した。
「南無阿弥陀仏。これも仏のご加護であろう」
こうして、金貨10枚という破格の報酬を得たボンノー一行。
その場で金貨は、ひとりあたり金貨2枚を受け取り、残りの2枚はパーティー共有資金とすることにした。
「みんなで無事に帰ってこれたからこそ、だよね!」
ヴィヴィが笑顔でそう言い、パーティの空気は和んだ。
その夜、ギルド併設の酒場では自然と「帰還パーティー」が開かれた。
肉とチーズの盛り合わせ、焼きたてのパン、麦酒とぶどう酒が卓に並び、冒険者たちの笑い声が響く。
ヴィヴィは酒に弱いらしく、すっかり出来上がって大盾を抱えたままカウンターの下で寝落ち。
シノは麦茶で乾杯している。
そして、ひときわ異彩を放っていたのが——
甲冑を脱がずに、黙々とパンをちぎり、肉を食らう“おっさん騎士”グレアである。
「グレア殿、そのご装束……この陽気の中では、さぞや御身もお暑いのではありませぬか?
ボンノーが聞いても、グレアは低く、ひと言。
「……これが、俺の正装だ」
誰もが「寡黙でストイックなおっさん騎士」と納得し、それ以上は追及しなかった。
——もちろん、誰一人として疑っていない。
この寡黙な騎士が、どこかに秘密を抱えているなどとは。
宴は深夜まで続いた。ボンノーは静かに祈りを捧げた後、麦茶を手にぽつりと呟いた。
「……煩悩のままに戦い、煩悩に学ぶ——異世界とは、なんとも味わい深いのう……」