第56話 大和抜錨
九月九日——午前五時。
「兄様!!」
激しい扉の音と共に、ヤマトヒメが飛び込んできた。
紅白の巫女装束が乱れ、黒髪が揺れている。
普段の優雅さはどこへやら、その顔には焦燥の色が浮かんでいた。
「たいへんです、兄様!!」
「何事ですか、ヤマトヒメ」
ボンノーはベッドから跳ね起きた。
白い軍服に袖を通しながら問いかける。
「魔島方面より、セレスティアへ大船団が押し寄せてきております!」
「なんと……!」
ボンノーの表情が引き締まる。
「今日は九月九日……ヨコマール枢機卿が戒厳令を解除するとした日ですね」
(枢機卿側に援軍が来なかったのも、そういうことか)
(戒厳令で外部との情報を遮断し、セレスティア守備兵を最小限にさせる)
(つまり——今日がセレスティア滅亡の日として定められていた)
「第一艦橋へ向かいます!」
ボンノーは軍帽を被り、部屋を飛び出した。
◆ ◆ ◆
第一艦橋——
巨大な水晶球が、青白い光を放っていた。
ヤマトヒメが手をかざすと、映像が鮮明になる。
「これは……」
ボンノーは息を呑んだ。
水晶球に映し出されたのは、漆黒の船団だった。
四隻の戦艦に護衛された、無数の輸送艦群。
まるで海を覆い尽くすかのように、セレスティアへ向かっている。
「敵船団、確認できます」
ボンノーが水晶球を凝視する。
戦艦の形状が、目に留まった。
あの艦影——見覚えがある。
「金剛型……いや、違う。よく似ているが……」
砲塔の配置。艦橋の構造。
扶桑皇国海軍の巡洋戦艦「金剛」に酷似している。
だが、全体を覆う漆黒の装甲は、明らかに異質だった。
(なぜ、扶桑の艦艇に似ているのか……)
先日の大発といい、今日の戦艦といい。
敵は明らかに扶桑の技術を知っている——いや、持っている。
(魔島には、扶桑所縁の者がいるのかもしれない)
しかし今は、そのことを考えている暇はない。
「ヤマトヒメ、出港準備を」
「承知いたしました、兄様」
ヤマトヒメが頷く。
「魔導炉の起動準備に取りかかります。三十分で出港可能でございます」
「よろしく頼みます」
ほどなくして、パーティーメンバーが第一艦橋へ駆け上がってきた。
「ボンノー様、何事でしょうか!?」
リリアが息を切らせながら問う。
淡い金髪が乱れ、清らかな瞳に不安の色が宿っていた。
「敵襲かい?」
ナターシャが深緑の瞳を細める。
プラチナ色の髪をかきあげながら、水晶球を見つめた。
「あたし、まだ眠いんだけど……って、なにあれ!?」
ヴィヴィが目を丸くする。
大盾を担いだまま、水晶球に映る艦隊を指さした。
「状況を説明します」
ボンノーは水晶球を指し示した。
「四隻の戦艦に護衛された漆黒の輸送艦群が、セレスティアへ向かっています」
水晶球の映像が切り替わる。
セレスティアの港湾区が映し出された。
「すでに輸送艦から大発が排出され、セレスティアへの砲撃も始まっています」
一同の表情が引き締まった。
映像の中では、蛇人兵を満載した大発が、次々と海岸線へ接近していく。
四隻の戦艦が砲火を放ち、港湾区の建物が崩れ落ちていく。
「ボンノー!」
クレアが一歩前に出た。
亜麻色の髪が揺れる。青い瞳に焦りと決意が宿っている。
「一刻も早く参りましょう」
拳を握りしめ、強く訴える。
「今この時も、わたくしの民が——戦っているはずです!」
その声には、王女としての責任と、姫騎士としての覚悟が滲んでいた。
「そういえば、今日はヨコマールが言っていた戒厳令解除の日だったねぇ」
ナターシャが腕を組む。
「最初からこの日を狙っていた、そういうことかい」
「レファリア様、セレスティアをお守りください」
リリアが胸の前で手を組んだ。
聖女として、祈りを捧げる。
「そして……ボンノー様に力をお貸しください」
「はやく大和で敵をドカーンってやっつけようよ!」
ヴィヴィが大盾を拳で叩いた。
ガンッ、と鈍い音が響く。
ボンノーは一同を見渡し、力強く頷いた。
「準備でき次第、出港します」
そして、リリアに向き直る。
「リリアさん、皆に護りを」
「はい」
リリアが静かに目を閉じた。
両手を胸の前で組み、祈りの言葉を紡ぐ。
「生命の女神レファリアよ、どうか我らをお守りください」
「レファリアプロテクション!」
淡い金色の光が、リリアの身体から広がっていく。
その光は一同を包み込み、やがてヤマトヒメにも届いた。
「わたしにも……」
ヤマトヒメが驚いたように呟く。
「レファリア様の加護が、感じられます」
「神様同士、相性が良いのかもしれませんね」
リリアが微笑む。
「ありがとうございます、リリア様」
ヤマトヒメが深く一礼した。
◆ ◆ ◆
三十分後——
ヤマトヒメの声が響く。
「魔導炉の始動を確認いたしました」
「全兵装への接続、良好」
「大和、いつでも抜錨可能でございます」
「了解」
ボンノーが頷く。
「北の水路より、海へ出られます」
ヤマトヒメが案内する。
「地底湖から北へ進めば、セレスティア近海に出ることができます」
ボンノーは背筋を伸ばし、凛とした声で宣言する。
「大和、抜錨!」
ゴゴゴゴゴ……
大和の巨体が、ゆっくりと動き始めた。
地底湖の水面が波打ち、光る石々が照らす洞窟の天井が、少しずつ後方へ流れていく。
「微速前進」
「微速前進、了解」
北の水路へと進む大和。
狭い水路を、慎重に、しかし確実に抜けていく。
やがて——
「水路を抜けました。前方、開けております」
ヤマトヒメの報告と同時に、視界が一気に広がった。
地底湖の湿った空気から、潮の香りが流れ込んでる。
「これは……」
クレアが息を呑んだ。
水平線が見える。
そして——東の空から、朝日が昇り始めていた。
旭光が、大和の黒灰色の船体を照らす。
三基の主砲塔が、黄金色に輝いた。
艦首の菊花紋章が、荘厳な光を放つ。
「朝日に照らされる大和は、なぜかとても神秘的で美しく感じます……」
リリアが呟いた。
朝日に照らされた大和は、まるで神話の中から現れた鋼鉄の城だった。
波を切り裂きながら進む姿は、威厳と荘厳さに満ちている。
海面に映る影さえも、神々しさを帯びていた。
「これが……扶桑の魂……」
クレアが静かに呟く。
マストに二本の旗が翻った。
リヴィエラ王国旗と、扶桑海軍旗。
朝風を受けて、誇らしげにはためいている。
ヤマトヒメが緊張した面持ちで報告する。
「距離15000に敵の大発多数です。兄様」
◆ ◆ ◆
水晶球の映像が、リアルタイムで戦況を伝えていた。
「大発群、確認できます」
ヤマトヒメが報告する。
「先発した大発は、すでにセレスティア港湾区へ到達。蛇人兵が続々と上陸しております」
映像の中では、おぞましい光景が広がっていた。
蛇の上半身を持つ異形の兵士たちが、砂浜を駆け上がっていく。
その数は、百や二百ではきかない。
「これ以上、上陸させるわけにはいかない」
ボンノーの声が、低く響いた。
「ヤマトヒメ、主砲に三式弾〈桜花〉を装填。目標、海上の大発群」
「承知いたしました」
「射撃諸元は——」
ボンノーが言いかけると、ヤマトヒメが微笑んだ。
「お任せください、兄様」
「わたくしは魔道探信儀百式改と常に繋がっております。射撃諸元は、わたくしが算出いたします」
「兄様は、艦の指揮に集中してくださいませ」
ボンノーは、少し驚いた表情を見せた。
かつて、自分が担っていた射撃計算。
それを、ヤマトヒメが代わりに行ってくれる。
「……頼みます」
「はい」
ヤマトヒメが手をかざす。
ギィィィィン……
大和の主砲塔が、右舷へと旋回を始めた。
第一砲塔、第二砲塔、第三砲塔。
三基九門の四十六センチ砲が、大発群へと向けられる。
ヤマトヒメより報告が上がる。
「三式弾〈桜花〉、装填完了」
「射撃諸元、入力完了」
「自動追尾装置、連動確認」
「誤差修正、上下角三度」
「全主砲、発射準備よし」
ボンノーが手を振り下ろす。
「撃て」
ズガガガァーーーンッ!
凄まじい轟音と共に、大和が震えた。
九門の主砲から、白煙が噴き上がる。
「弾着まで、二十秒」
ヤマトヒメの声が響く。
水晶球の映像が、空を映し出した。
砲弾が放物線を描き——
そして、炸裂した。
空中で、砲弾が花開いた。
桜の花びらのような形をした無数の散弾が、大発群に降り注ぐ。
それは、まるで死の花吹雪だった。
「あれは……」
クレアが息を呑んだ。
水晶球の映像の中で、大発群が燃え上がっていく。
散弾が着弾した瞬間、桜色の炎が広がり、大発を呑み込んでいく。
次々と火の手が上がり、蛇人兵たちが炎に包まれ海へ投げ出されていく。
「これが……大和の力なのですね……」
クレアの声が震えていた。
姫騎士として、数多くの戦場を経験してきた。
だが——これほどの破壊力は、見たことがない。
「あたいのメガフレアなんて、子供の花火みたいなもんさね……」
ナターシャが呆然と呟いた。
108年生きてきた魔法使いが、初めて見る光景だった。
「恐ろしいほどの威力ですね……」
リリアが胸の前で手を組む。
「レファリア様、どうか魂に安らぎを……」
「すごい……ね……」
ヴィヴィが小さな声で呟いた。
いつもの元気はどこへやら、ただ茫然と水晶球を見つめている。
「第二射、用意」
ボンノーの声が、淡々と響いた。
「撃て」
ズガガガァーーーンッ!
第二射が放たれる。
そして、第三射。
三式弾〈桜花〉が、容赦なく大発群を殲滅していく。
海面は、火の海と化していた。
◆ ◆ ◆
「大発群、ほぼ壊滅」
ヤマトヒメが報告する。
「しかし、敵戦艦四隻が本艦へ向かってきます」
水晶球の映像が切り替わった。
セレスティアを砲撃していた四隻の戦艦が、進路を変えている。
漆黒の戦艦が、大和に向かって突進してくる。
「金剛型に似て異なる、漆黒の戦艦……」
ボンノーが呟いた。
「識別のため、『魔戦艦』と命名する」
「魔戦艦、了解いたしました」
ヤマトヒメが復唱する。
「距離20000」
「徹甲魔弾、装填」
ボンノーの号令。
「装填完了」とヤマトヒメが即座に呼応する。
「目標、魔戦艦」
「全主砲、射撃開始」
ズガガガァーーーンッ!
九門の主砲が、火を噴いた。
徹甲魔弾が、一直線に魔戦艦へと向かう。
数十秒後——
「命中!」
ヤマトヒメの声が響く。
水晶球の映像の中で、三隻の魔戦艦が爆発した。
漆黒の装甲が引き裂かれ、火柱が天を衝く。
艦体が真っ二つに折れ、海中へと沈んでいく。
「爆沈、三隻確認」
「残り一隻、第二射で撃破します」
ズガガガァーーーンッ!
第二射。
最後の魔戦艦も、直撃を受けて爆沈した。
四隻の魔戦艦は、瞬く間に海の底へと消えていった。
「……あっという間だったね」
「あの戦艦、すごく強そうだったのに……」
ヴィヴィが呆然と呟いた。
「四十六センチ砲の威力は、金剛型の装甲では防ぎようがありません」
ボンノーが静かに告げる。
「それが、大和の力です」
少し間を置いて——
「大和って、すっごく強いんだね……」
ヴィヴィが感心したように呟いた。
残された輸送艦群は、我先にと魔島方向へ撤退を始めていた。
「輸送艦群、逃走を開始」
「目標、敵輸送艦群。可能な限り砲撃してください」
ボンノーが指示する。
「逃がせば、また来ます。ここで叩けるだけ叩きます」
ズガガガァーーーンッ!
主砲が再び火を噴いた。
十隻ほどの輸送艦が、瞬く間に海の藻屑と消えていく。
「残存輸送艦、射程外へ離脱」
「深追いは不要です。セレスティアの状況を確認しましょう」
◆ ◆ ◆
「面舵一杯、針路110」
ボンノーが指示する。
「セレスティア港湾区へ接近します」
大和がゆっくりと旋回し、セレスティアへと向かう。
水晶球の映像が、港湾区の戦況を映し出していた。
「すでに、リヴィエラ王国軍と交戦状態でございます」
ヤマトヒメが報告する。
映像の中では、激しい戦闘が繰り広げられていた。
蛇人兵の群れと、王国騎士団を中心としたリヴィエラ王国軍が激突している。
「あれは……」
クレアが身を乗り出した。
「アベルト様! そして、ヘイゲル様も!」
映像の中に、見覚えのある姿があった。
王国騎士団長アベルト・フォン・アルセインが、グレートランスを振るって蛇人兵を薙ぎ払っている。
その隣では、神殿騎士団長ヘイゲルが聖槍を閃かせていた。
「両団長が、自ら前線に立っているようですね」
ボンノーが水晶球を見つめる。
「アベルトさんが指揮を執っているなら、大丈夫でしょう」
「三式弾は使えないのですか?」
クレアが問う。
「乱戦状態では、味方を巻き込む危険があります」
ボンノーが首を横に振った。
「港湾区の迎撃戦は、リヴィエラ王国軍にお任せするしかありません」
そして、クレアを見つめる。
「自分たちは、魔島へ向かいます」
「魔島……」
クレアの表情が引き締まる。
「そうですわね。元凶を断たねば、この戦いは終わらない」
クレアがヤマトヒメに尋ねる。
「ヤマトヒメ様、王国軍将兵に声を届ける方法はありますか?」
「ございます」とヤマトヒメが頷く。
「では、よろしくお願いします、ヤマトヒメ様」
そして、クレアは甲板へと向かった。
◆ ◆ ◆
甲板——
朝日が、海面を黄金色に染めていた。
遠くに、セレスティアの港湾区が見える。
煙が立ち上り、戦闘の轟音が微かに聞こえてくる。
クレアは、手すりに手をかけた。
そして——
「アベルト様!! ヘイゲル様!!」
声が、戦場に向かって響いた。
「リヴィエラの勇士たちよ!!」
クレアの声はヤマトヒメの神力で増幅され、遠くまで届いていく。
「わたくしは今から、魔島へ向かいます!!」
亜麻色の髪が、海風に靡く。
「必ずや、この災いの根源を断ち切ってみせます!!」
青い瞳に、決意の光が宿る。
「だから——」
一拍、間を置いて。
「どうか、わたくしの民を、わたくしの国を守ってください!!」
「わたくしを信じて!!」
そして——
クレアは、拳を天に掲げた。
「リヴィエラに光あれ!!」
その声は、戦場に響き渡った。
王国騎士団の兵士たちが、一斉に振り返る。
そして、海上に浮かぶ巨大な艦影を見つけた。
「姫様だ!」
「姫様が、あの船に!」
「姫様が、魔島へ向かわれる!」
歓声が上がる。
士気が、目に見えて高まっていく。
アベルトが、グレートランスを掲げた。
「聞いたな、諸君! 姫様が魔島へ向かわれる!」
「我らは、姫様のお帰りを待つのだ! このセレスティアを、絶対に守り抜くぞ!」
「おおおおおお!!」
雄叫びが、戦場に響いた。
◆ ◆ ◆
第一艦橋——
クレアが戻ってきた。
表情は凛としていたが、目がわずかに赤い。
「クレア様」
リリアが優しく声をかける。
「大丈夫です」
クレアは微笑んだ。
「わたくしの民は、強い。必ず、セレスティアを守り抜いてくれます」
「そして、わたくしたちは——」
ボンノーを見つめる。
「魔島で、全ての元凶を断ちます」
ボンノーは、力強く頷いた。
「針路、魔島へ」
「全速前進」
大和の汽笛が、長く響いた。
鋼鉄の城は、朝日を右舷に受けながら、魔島へと向かっていく。
その艦影は、まるで希望の象徴のようだった。
マストに翻る二本の旗が、誇らしげにはためいている。
リヴィエラ王国旗と、扶桑海軍旗。
二つの国の誇りを胸に、大和は進む。
魔島まで、あと数時間——
決戦の時が、迫っていた。




