第54話 艦長
第二艦橋――
白いテーブルクロスに覆われた長机。ライスカレーの皿が片付けられ、穏やかな空気が流れていた。
「兄様」
ヤマトヒメが立ち上がり、紅白の巫女装束の袖を正した。
その表情に、いつになく真剣な色が宿る。
「こちらのお召し物にお着替えくださいませ」
差し出されたのは――
白い軍服だった。
「これは……」
ボンノーの手が、止まった。
扶桑皇国海軍第二種軍装。
襟には金線の階級章が輝いている。
八十年ぶりに見る、あの制服。
「兄様が、かつてお召しになっていたものでございます」
ヤマトヒメが優しく、しかし確かな声で告げる。
「少し手直しはいたしましたが――どうか」
ボンノーは軍服を手に取った。
白い布地は、まるで昨日仕立てたかのように真新しい。
だが、確かに感じる。
この軍服に宿る、重み。
(これを着れば――)
(自分は、もう戻れない)
僧侶ボンノーではなく。
扶桑皇国海軍少尉、新村煩乃として。
「……分かりました」
静かに頷き、ボンノーは隣室へと向かった。
◆ ◆ ◆
数分後――
扉が開く。
一同の視線が、一斉にそこへ集まった。
白い軍服。
白い制帽。
金線の階級章。
背筋を伸ばし、踵を揃えて立つ姿。
もはや、そこに僧侶の面影はない。
扶桑皇国海軍少尉――新村煩乃。
若き扶桑海軍士官の姿が、そこにあった。
「――」
クレアの呼吸が、止まった。
白い軍服が、ボンノーの凛々しさを際立たせている。
優しかった目は、意志の強さを宿した鋭い眼光に変わっていた。
(なんて……)
心の中で、言葉にならない感情が渦巻く。
(カッコいい……)
これが――
数学博士号を持つ天才。
大和で統制射撃を担った士官。
そして、自分たちを守ってくれた、優しい人。
全てが、一つに重なって見えた。
「ボンノー……様……」
リリアの声が震えた。
両手を胸の前で組み合わせ、祈るような仕草。
淡い金髪が照明を受けて輝き、頬が紅潮している。
(こんな……凛々しい方だったなんて……)
聖女としての理性が、音を立てて崩れていくのを感じた。
「わ……わぁ……」
ヴィヴィが、珍しく言葉を失っている。
いつもなら「すごーい!」と飛び跳ねるところだが――
今は、ただ呆然とボンノーを見上げていた。
「ボンノーさん……本当に……軍人さんだったんだ……」
小さな声で呟く。
ナターシャは、いつもの余裕を失っていた。
プラチナ色の髪を掻き上げる手が、微かに震えている。
「こんなに様になる軍服姿は……初めて見たのさ」
深緑の瞳が、ボンノーを捉えて離さない。
クレアが、騎士として――いや、女性として、思わず一歩前に出た。
「わたくしが知っていたボンノーは、優しい僧侶でした」
声が、僅かに震える。
「でも……今、目の前にいるのは……」
白い軍服。
確固たる意志を宿した瞳。
戦場を生き抜いた者だけが持つ、研ぎ澄まされた空気。
「……扶桑の戦士です」
クレアが呟く。
「僧侶ではなく……戦う者の顔をしています」
ボンノーは、少し照れくさそうに頭を掻いた。
だが――その仕草さえも、どこか凛々しく見える。
「いや、その……自分は、ただの士官で……」
「皆さん、そんなに見つめられると……」
「兄様」
ヤマトヒメが微笑む。
「とてもお似合いでございます」
そして、静かに付け加えた。
「これが――本当の兄様のお姿でございます」
◆ ◆ ◆
「では、中央射撃指揮所へ参りましょう」
ヤマトヒメが手を差し出す。
第二艦橋の奥へ進むと、鋼鉄の扉があった。
「エレベーターか……」
ボンノーが呟く。
前世で一度だけ長官と乗った時、揺れが酷かったことを思い出す。
「大丈夫です、兄様。ご安心を」
ヤマトヒメが微笑んだ。
シュゥゥゥ……
扉が開き、一同が乗り込む。
ウィィィン……
滑らかに動き出すエレベーター。前世とは比べものにならない乗り心地に、ボンノーは小さく驚いた。
「わぁ、全然揺れない!」
ヴィヴィが感心する。
「確かに……快適ですね」
リリアが微笑む。
クレアとナターシャも、静かに頷いた。
数十秒後――
チン、と音が鳴り、第三艦橋に到着した。
◆ ◆ ◆
中央射撃指揮所――
扉が開いた瞬間。
ボンノーの足が、止まった。
「――」
声が、出ない。
ここは――
八十年前、自分が毎日通った場所。
電波探信儀百式を操作し。
射撃諸元を計算し。
黒田砲術長の号令を待ち。
そして――撃った。
何発撃ったのか。
何隻沈めたのか。
何人、殺したのか。
手が、震えた。指先に、八十年前のあの日の轟音と振動が蘇るようだった。
(ここで――自分は……)
「兄様?」
ヤマトヒメが心配そうに見上げる。
「……いや」
ボンノーは深く息を吸った。
「大丈夫です。懐かしいですね」
一歩、踏み出す。
装置が、変わっている。
電波探信儀百式の面影はあるが、全く異なる構造だ。
そして――
八方向に、透明な聖水晶が配置されていた。
淡く光を放ちながら、静かに脈動している。
「これは?」
ボンノーが尋ねる。
「これは魔導探信儀百式改です」
ヤマトヒメが聖水晶に触れる。
「電波ではなく、魔力で探知いたします」
「この世界の法則に合わせ、七十年かけて作り上げました」
「すべての情報は、第一艦橋の水晶球に集約されます」
「第一艦橋……」
ボンノーの胸が、強く打った。
伊藤長官が立っていた場所。
有賀艦長が指揮を執った場所。
そして――
多くの仲間が、命を賭して戦った場所。
「……行こう」
ボンノーが静かに告げた。
◆ ◆ ◆
再びエレベーターで上昇。
第一艦橋――
扉が開いた瞬間、ボンノーは息を呑んだ。
八十年前の伊藤長官の声が、蘇る。
『新村君、明日はよろしく頼むよ』
『これは特攻にあらず。諸君らを必ず、生還させる』
(長官……自分は、生き残りました)
(そして――今ふたたび大和にいます)
拳を、握りしめる。
「兄様」
ヤマトヒメの声が、ボンノーを現実に引き戻した。
「こちらを」
中央に置かれた、巨大な水晶球。
直径一メートルはある、透明な球体。
ヤマトヒメが手をかざすと――
ウォォォン……
水晶球が輝き始めた。
球体の内部に、無数の光点が浮かび上がる。その中心には大和が投影されていた。
立体的に表示され、まるで星図のように空間を形成している。
「これは……」
クレアが息を呑む。
視点が動き、拡大される。
地底湖の上空を飛ぶ、渡り鳥の姿。
その横に表示される、数字の羅列。
「高度二百、速度八……進行方向は北北東……」
ボンノーが数値を読み上げる。
「鳥一羽の姿や位置まで……正確に……」
「魔導探信儀百式改は、旧百式を遥かに凌駕します」
ヤマトヒメが誇らしげに告げる。
「そして――」
ヤマトヒメが、ボンノーに向き直った。
紅白の巫女装束が揺れる。
十歳ほどの幼い姿。
だが、その瞳に宿る光は――神そのものだった。
「兄様」
深々と、一礼する。
「どうか」
顔を上げる。
その瞳には、真剣な光が宿っていた。
「どうか、この大和の艦長になっていただけませんでしょうか」
「――」
時が、止まった。
自分が?
「自分は、ただの統制射撃士官です」
ボンノーが口を開く。
「艦長などという大任、自分には……」
「兄様」
ヤマトヒメが首を横に振る。
「兄様以外に、この大和を託せる方はおりません」
「わたしは兵装を動かすことはできます」
「ですが――戦術を立案し、大和を指揮して、勝利へ導くことは」
ヤマトヒメが、静かに告げた。
「わたしにはできません」
「ゆえに兄様が必要なのです」
ボンノーは、水晶球を見つめた。
地底湖に浮かぶ、大和の姿。
黒灰色の巨体。
三基の主砲。
艦首に輝く、菊花紋章。
迷いが、ボンノーの胸を満たす。
その時――
「ボンノー」
クレアが一歩、前に出た。
亜麻色の髪が揺れる。
青い瞳が、まっすぐにボンノーを見つめている。
「わたくしたちがいます」
凛とした声。
「一人で背負わないでください、ボンノー」
「わたくしたちも、一緒に戦います」
「そうです」
リリアが続ける。
「ボンノー様、わたしたちを信じてください」
「あたしも!」
ヴィヴィが大盾を叩く。
ガン、と重い音が響いた。
「ボンノーさんが守ってくれたから、あたしたち、ここにいるんだよ!」
「今度は、あたしたちがボンノーさんを守る番!」
「少尉様」
ナターシャが微笑む。
「108年生きてきて分かったことがあるのさ」
「一人で戦える奴なんて、いないってね」
ボンノーは――
静かに、目を閉じた。
深呼吸。
そして――
目を開ける。
踵を揃える。
背筋を伸ばす。
右手を、額に添える。
扶桑海軍式、敬礼。
「艦長の任、謹んでお受けいたします」
ヤマトヒメの瞳から、涙が一筋、流れ落ちた。
「ありがとうございます――兄様」
◆ ◆ ◆
「では」
ヤマトヒメが水晶球に向き直る。
「全兵装を動かせることを、お見せいたします」
手をかざす。
ウォォォン……
ヤマトヒメから、神聖な波動が広がる。
その瞬間――
ゴゴゴゴゴゴゴ……!
地底湖全体が、震えた。
「な、何!?」
ヴィヴィが床を踏みしめる。
「地震か!?」
「いや――」
クレアが窓に駆け寄る。
そして――
「主砲が……!」
大和の主砲塔が、動き始めた。
第一砲塔。
第二砲塔。
第三砲塔。
三基九門の四十六センチ砲が――
ギィィィィィン……!
耳を劈くような金属音を響かせながら、旋回する。
「はやい……!」
ボンノーが驚愕する。
前世では、旋回に時間がかかった。
水圧システムの限界。重量の問題。
だが――
今、目の前で動いている主砲は。
「前世の三倍……いや、もっと速い……!」
ギギギギギ……
主砲塔が左舷を向き、停止した。
そして――
ウィィィィン……
砲身が、仰角を上げ始める。
10度。
20度。
30度。
「40度……」
ボンノーが呟く。
「最大仰角は45度のはず……」
だが。
砲身は、まだ上がる。
50度。
60度。
そして――
「70度……!」
ボンノーは驚く。
天を向いた主砲。
その圧倒的な存在感に、一同は言葉を失った。
「す、すごい……」
クレアが呻く。
騎士として、数多くの兵器を見てきた。
だが――
こんなものは、見たことがない。
「巨大な砲が……あんなに速く動くなんて……」
ナターシャは、笑うことができなかった。
いつもの余裕が、完全に消えている。
「……いろんな国を旅してきたけどさ」
震える声で呟く。
「こんな兵器……見たことないのさ」
「ドラゴンの吐息も、古代魔法の砲撃も見てきた」
「でも――これは次元が違うのさ」
深緑の瞳が、主砲を見つめる。
リリアは、静かに祈っていた。
両手を組み合わせ、小さく呟く。
「レファリア様……どうか、この力が正しく使われますように……」
聖女として、力の使い道を案じる。
こんな力が――
悪しき者の手に渡れば。
(でも、ボンノー様なら……)
リリアは、白い軍服姿のボンノーを見つめた。
(この方なら、きっと……)
今、目の前にあるのは。
人と神が作り上げた、鋼鉄の奇跡。
ヴィヴィは、大盾を見下ろしていた。
自分の盾。
どんな攻撃も防いできた、自慢の盾。
だが――
(あの兵器で撃たれたら……)
守れない。
絶対に、守れない。
「ボンノーさんが……」
小さな声で呟いた。
「これが……ボンノーさんが戦ってきた場所……」
主砲塔が、元の位置に戻り始める。
ギギギギギ……
滑らかに、そして力強く。
最終的に、第一及び第二主砲は艦首方向、第三主砲は艦尾を向いて停止した。
静寂。
誰も、何も言えなかった。
「これが」
ヤマトヒメが静かに告げる。
「バナテールの魔法と、扶桑の科学と、神力で実現した力でございます」
ボンノーは――
ただ、大和を見つめていた。
(これが……大和……)
七十年の時を経て。
異世界で蘇った、扶桑の魂。
「ありがとう、ヤマトヒメ」
ボンノーが静かに告げた。
「見事な改修です」
◆ ◆ ◆
「兄様」
ヤマトヒメが、表情を引き締める。
「次に、兵装について説明させていただきます」
全員の視線が、ヤマトヒメに集まった。
「まず――この世界では、扶桑の火薬が使えません」
「使えない……?」
ボンノーが眉をひそめる。
「はい。バナテールの魔素環境下では、扶桑の火薬は不安定になり、暴発の危険がございます」
ヤマトヒメが続ける。
「ですので、バナテールの赤魔石を粉砕し、代替としております」
「赤魔石の爆発力は、扶桑の火薬と同等以上でございます」
「なるほど……」
ボンノーが頷く。
「では、砲弾は?」
「主砲弾は、三種類ございます」
ヤマトヒメが指を一本立てる。
「一つ目――徹甲魔弾」
「黒鉄鋼で作られた、物理攻撃と魔法攻撃の両方に対応した砲弾です」
水晶球に、砲弾の映像が浮かび上がる。
黒光りする、一メートル半はある巨大な弾体。
「こんな物が飛んでくるのですか……」
クレアが呻くように呟く。
ヤマトヒメが指を二本立てる。
「二つ目――三式弾<桜花>」
「これは、扶桑の三式弾改七を改良したものです」
「刃閃片と導炎霧を散布し、広範囲の敵を無力化いたします」
ボンノーの脳裏に、あの日の光景が蘇る。
四月七日。
坊ケ崎沖。
三式弾改七が炸裂し、空が火の海と化した光景。
「あの三式弾改七がさらに改修されているとは……」
ボンノーが少し驚いた。
そして――
ヤマトヒメの表情が、厳粛になった。
「三つ目――」
一拍、間を置く。
「徹甲神弾でございます」
空気が、変わった。
「神弾……」
ボンノーが呟く。
「はい」
ヤマトヒメが頷く。
「これは、扶桑の神々が総力を挙げて作り出した、ヤツマタノオロチ討伐専用の砲弾です」
水晶球に映し出される、砲弾。
徹甲魔弾と同じ大きさだが――
その輝きが、全く違う。
金色に輝く、神々しい光。
「素材は、オリハルコン」
ヤマトヒメが告げる。
「神代の金属。神々の力を宿した、唯一無二の素材でございます」
「大和からヤツマタノオロチの首を破壊できるのは――」
ヤマトヒメが、強く告げた。
「この徹甲神弾のみです」
静寂。
「弾数は……」
ヤマトヒメが、申し訳なさそうに続けた。
「十八発のみでございます」
「十八発……」
ボンノーが呟く。
「少ない、ですか?」
リリアが不安そうに尋ねる。
「いや――」
ボンノーが首を横に振る。
「ヤツマタノオロチは、八つの首を持ちます」
全員が、息を呑んだ。
「まず、八つの首をすべて切り落とすか破壊しなければなりません」
ボンノーが冷静に分析する。
「核を露出させるためには――最低でも八発は必要です」
「オリハルコンは、極めて希少な素材でございます」
ヤマトヒメが説明を続ける。
「扶桑の神々が七十年かけて集め、鍛え上げました」
「これが限界でございました」
ボンノーは、徹甲神弾の映像を見つめた。
金色に輝く、神々しい砲弾。
「そして兄様」
ヤマトヒメが、静かに告げた。
「この大和には、ヤツマタノオロチの核を完全に消滅させるための――」
ヤマトヒメの瞳が、ボンノーを見つめる。
「最終兵装が、別に備わっております」
「最終兵装……?」
ボンノーが眉をひそめる。
「はい」
ヤマトヒメが頷く。
「詳しくは、船体内部にてご説明させていただきます」
そして――
表情を引き締める。
「その兵装は一度しか撃てません。そして――この大和の全てを懸けたものとなります」
「大和の……全てを……」
ボンノーが呟いた。
その言葉の重みが、胸に突き刺さる。
(これに――すべてがかかっている)
(そして……最終兵装……)
「分かりました」
ボンノーが頷く。
「ならば――一発たりとも、無駄には撃てない」
「自分がこの大和を指揮して、必ずヤツマタノオロチの首へ当てます」
ヤマトヒメの瞳が、潤んだ。
「ありがとうございます、兄様」
「次に、副砲弾について」
ヤマトヒメが説明を続ける。
「十五・五センチ副砲から発射されるのは、徹甲推進弾<水連>でございます」
「これは、水中でも推進力を失わない特殊な砲弾です」
「水中の敵に有効でございます」
「そして、対空砲」
「対空砲弾も、黒鉄鋼と赤魔石を使用した砲弾となっております」
ヤマトヒメが一礼する。
「以上が、大和の主要兵装でございます」
ボンノーは、しばらく沈黙していた。
そして――
「十分です」
力強く告げた。
「これだけの力があれば、必ずヤツマタノオロチを討伐できます」
クレアが一歩前に出る。
「ボンノー」
「ん?」
クレアが静かに告げた。
「わたくしたちも、一緒に戦います」
「わたしたちを信じてください」
リリアが続ける。
「はい」
ボンノーが微笑んだ。
「信じています」
◆ ◆ ◆
「では、最後に」
ヤマトヒメが一同を見回す。
「艦内をご案内させていただきます」
再びエレベーターで移動。
今度は、船体の内部へ。
扉が開いた瞬間――
ボンノーの足が、止まった。
「これは……」
かつて、水兵たちの居住区域があった場所。
食堂や、休憩室があった場所。
それらは――
すべて、消えていた。
代わりに広がっていたのは。
神域。
「なんて神々しい空間なのでしょう……」
リリアが驚く。
数重の巨大な朱色の柱が、天井を支えていた。
床には、白い玉石が敷き詰められており、参道が艦内神社まで続いていた。
時折、複雑な扶桑式陰陽陣が描かれていた。
桜の花びらが、どこからともなく舞い落ちている。
そして――
中央には。
「艦内神社……」
ボンノーが、震える声で呟いた。
前世では、小さな社だった。
だが。
今、目の前にあるのは――
まるで、大神殿。
朱色の柱。金色の装飾。
そこには、高さ十メートルはあろうかという、巨大な社殿があった。




