第53話 扶桑4000年の厄災
光が収まると、一同は見知らぬ空間に立っていた。
白いクロスで覆われた長机が整然と並び、柔らかな照明が空間全体を包んでいる。
壁には複雑な計器類が並んでいたが、不思議なことにその空間は和やかだった。
「ここは第二艦橋でございます」
ヤマトヒメが優雅に説明する。
「かつては艦隊司令部の施設がございましたが、今は皆様をお迎えするための場所として整えました」
クレアが周囲を見回す。
「まるで、王城の会議室のようですが……もっと暖かみがありますわね」
「海の上の王宮、といったところさね」
ナターシャが興味深そうに天井を見上げる。
その時——
ぐぅ〜〜〜
静寂を破る音が響いた。
「!」
全員の視線が一点に集まる。
ヴィヴィが真っ赤になって両手でお腹を押さえていた。
「あ、あはは……雑茸たくさん食べたのに、もうお腹すいちゃった……」
小さくなりながら呟く。
「そういえば、自分も少しお腹が……身体や精神の変化で、思った以上に体力を使ったのかもしれません」
ボンノーが苦笑する。
ヤマトヒメがくすりと微笑んだ。
「ちょうど正午でございますね。まずは昼食にいたしましょう」
「昼食? でも食べ物なんて……」
リリアが不思議そうに問いかける。
「では、皆さまお座りくださいませ」
ヤマトヒメが静かに手を振る。
桜の花びらが光の粒子となって舞い上がり——
次の瞬間。
白いクロスの長机に、きれいに配膳された料理が出現していた。
湯気の立つ皿、スプーン、水の入ったグラス。
全てが整然と、一人一人の前に。
「これは!?まさか!!」
ボンノーが目を見開く。
「すごい! 魔法みたい!」
ヴィヴィが歓声を上げる。
しかし、次の瞬間、一同の表情が固まった。
白い粒の山と、その横に盛られた茶色いドロドロとした何か。
見た目は、正直なところ——
「この茶色い食べ物は……」
クレアが困惑の表情を浮かべる。
「泥……いえ、違いますわね。でも……」
「不思議な食べ物ですが、良い香りがしますね」
リリアが興味津々で覗き込む。
「スパイスの香りかしら?」
「異世界の料理とは興味深いのさ」
ナターシャが余裕の表情で観察する。
「でも、見た目は正直言って……」
ボンノーが慌てて説明を始める。
「あ、これは……白い部分は米といって、扶桑の主食です。皆さんが毎日食べるパンと同じくらい扶桑では食べられています」
「そして、茶色い部分は様々なスパイスを混ぜ合わせたものです」
一同が不思議そうにボンノーを見つめる。
「この料理は扶桑海軍の伝統料理で、ライスカレーといいます」
「カレー……?」
クレアが初めて聞く言葉を繰り返す。
「扶桑では毎週決まった日に出される、海軍の名物料理だったんです。兄様には、懐かしい味です……」
ヤマトヒメが補足する。
「材料は、この地底湖の水田や畑で採れたものと、バナテールで採れたものを使っております」
「へぇ〜、でも本当に食べられるの?」
ヴィヴィが恐る恐る皿を見つめる。
しかし、その良い香りに、お腹がまた鳴ってしまう。
ぐぅ〜
「う〜、お腹すいた……」
ヴィヴィが意を決したようにスプーンを握る。
「え、えい! いただきます!」
勇気を出して一口。
「!」
目が大きく見開かれる。
「ちょっと辛いけど……美味しい!」
次々とスプーンが進む。
「本当に美味しい! なにこれ!」
その様子を見て、他のメンバーも恐る恐る口に運ぶ。
「あら……」
クレアの表情が変わる。
「見た目に反して、とても深い味わいですわ」
「本当ですね。スパイスが複雑に絡み合って……」
リリアも感心したように頷く。
「初めての味だけど、癖になりそう」
「ほぅ、これは面白い料理なのさ」
ナターシャも満足そうに食べ進める。
「扶桑の食文化、侮れないね」
ヴィヴィは夢中で食べ続け、あっという間に皿を空にした。
「おかわり!」
ヤマトヒメが微笑みながら手を振ると、新しいカレーが現れる。
「ヤマトヒメの魔法すごいよぉ〜!」
そして二皿目も完食。
「ボンノーさんの国の料理、最高!」
その無邪気な笑顔に、一同も思わず笑みをこぼす。
「故郷の料理が気に入ってもらえるのは、嬉しいですね」
ボンノーも嬉しそうに微笑んだ。
◆ ◆ ◆
食事が終わり、ヤマトヒメが立ち上がった。
「皆様、改めて自己紹介をさせていただきます」
巫女装束の袖を整え、優雅に一礼する。
「わたくしは、扶桑暦1941年12月16日にこの大和に鎮座した、扶桑の戦女神でございます」
一同が静かに聞き入る。
「鎮座したその日から、兄様が——ボンノー様が、わたくしのお世話をしてくださいました」
ヤマトヒメの瞳に、懐かしさが宿る。
「毎朝、艦内神社を清掃してくださって……ゆえに、わたくしの唯一無二の兄様なのです」
——あの時、確かに感じていた温かな気配。
——風もないのに鳴る鈴の音。
——『兄様、お帰りなさい』という声。
全ては、ヤマトヒメだったのか。
毎朝、自分は知らずにヤマトヒメと会話していたのだ。
「艦内神社……毎朝、自分はヤマトヒメに会っていたのですね」
ボンノーが呟く。確かに、大和での日課だった。
「扶桑にて戦女神が鎮座した艦は、この『大和』と『武蔵』のみでございます」
ヤマトヒメの表情が少し曇る。
「武蔵は……」
言葉を詰まらせる。
ボンノーも静かに目を伏せた。武蔵はソブヤン海で沈んでいるのだった。
重い沈黙が流れる。
ヤマトヒメが顔を上げ、話を続ける。
「そして、このバナテールは扶桑の一万倍の魔素濃度がございます」
「一万倍!?」
ボンノーが驚きの声を上げる。
「はい。そのため扶桑では姿を現すことができなかったわたくしを肉眼ではっきりと確認できるのです」
「なるほど、だから今は実体化できるのですね」
ボンノーが納得したように頷く。
ヤマトヒメの表情が真剣になった。
「ここから、本題に入らせていただきます」
◆ ◆ ◆
「4000年前のことでございます」
ヤマトヒメが語り始める。
「扶桑の勇者スサノオが、ヤツマタノオロチという邪悪な大蛇を討伐いたしました」
一同が息を呑む。
「しかし、完全には倒しきれていなかった……その核の一部を、異世界に逃がしてしまったのです」
「異世界って……まさか」
リリアが不安そうに呟く。
「はい。バナテールでございます」
ヤマトヒメが頷く。
「そして70年前——」
ヤマトヒメの声が重くなる。
「70年前、ヤツマタノオロチが扶桑において強大な負の感情を取り込んだ際に、その存在が察知されました」
「負の感情?」
クレアが問いかける。
ボンノーが考え込むように呟く。
「70年前……扶桑で何があったのか、自分にもよく分かりません。ただ、誰かの強い憎しみや絶望が関係しているのかもしれません」
「潜伏先は、セレスティアの北にある魔島でございます」
ヤマトヒメが続ける。
「そして、扶桑より討伐のため、わたくしが派遣されました」
「でも、なぜボンノーさんも?」
ヴィヴィが首を傾げる。
「兄様は、ミホトケサマに選ばれた特別な輪廻転生者でございます」
ヤマトヒメが優しく微笑む。
「わたくしの能力を引き出すためには、兄様が必要不可欠なのです」
「つまり……」
ナターシャが理解したように呟く。
「少尉様のバナテールへの転生は必然だったということさ」
「その通りでございます」
「この大和は、扶桑の神々とバナテールの神々によって改修と祝福を与えられております」
「70年間、バナテールの神々と共に改修を続けていました。そして——兄様を待っていたのでございます」
ヤマトヒメが艦内を示す。
「70年も……ボンノー様を待っていたのですね」
リリアが少し驚く。
「最大の凶事は、ヤツマタノオロチが4000年間バナテールの魔素を取り込み続けていることです」
ヤマトヒメの表情が厳しくなる。
「完全体になるまで、もう一年もございません」
重い沈黙が流れる。
「ヤツマタノオロチが完全体になる前に、八つの首を切り落とし、核を消滅させる必要があります」
「厄介さね」
ナターシャが溜息をつく。
「首を全部落としても、核が残れば再生するってことかい?」
ヤマトヒメが静かに頷く。
「その通りでございます。完全に滅ぼすには、全ての首を落とした後、核を浄化する必要があります」
「どうやって浄化するのですか?」
リリアが不安そうに尋ねる。
「艦内神社に集められた神域の波動を核に打ち込むことで、穢れを祓い清めます」
ヤマトヒメの瞳に、静かな決意が宿る。
「ヤツマタノオロチを完全に祓い消滅させることが、わたくしの使命でございます」
◆ ◆ ◆
ヤマトヒメが深く頭を下げた。
「扶桑の厄災が、この世界にご迷惑をおかけしていることを、大神アマテラスに代わって、深くお詫び申し上げます」
「ヤマトヒメ様!」
クレアが慌てて立ち上がる。
「顔を上げてください。これは誰のせいでもありません」
ボンノーも頭を下げる。
「いや、これは自分の故郷の問題……自分も謝罪せねば」
「ボンノーさまも顔を上げてください」
リリアが優しく言う。
「わたしたちは仲間です。一緒に戦いましょう」
「そうだよ!」
ヴィヴィが元気よく立ち上がる。
「ボンノーさんとヤマトヒメちゃんが困ってるなら、あたしたちが助けるよ!」
「4000年物の大蛇退治かい……」
ナターシャが不敵に微笑む。
「バナテールの命運がかかっている戦いになりそうさね」
クレアが凛とした声で宣言する。
「リヴィエラの姫騎士として申し上げます」
青い瞳に決意の光が宿る。
「この世界を守ることは、わたくしたちの責務でもあります」
「だから、これは扶桑だけの問題ではありません」
リリアも頷く。
「レファリア教の聖女として、命ある者を守るのは当然のことです」
ヤマトヒメの瞳に、柔らかな光が宿る。
「皆様……ありがとうございます」
深く、深く頭を下げる戦女神。
その姿は、10歳ほどの少女でありながら、確かに神々しさを帯びていた。
ボンノーが静かに立ち上がる。
「皆さん、本当にありがとう」
踵を揃え、背筋を伸ばす。
扶桑海軍の敬礼——右手が額に添えられる。
「扶桑皇国海軍少尉、新村煩乃。皆さんと共に戦えることを、誇りに思います」
一同の決意が、ひとつになった瞬間だった。
まるで、運命の歯車が動き出したかのように——




