第51話 扶桑皇国海軍少尉
地底湖の中央――
静かに、巨大な影が浮かび上がってきた。
黒灰色の巨体。
全長二百六十三メートル。
四十六センチ三連装主砲が、三基。
そして――艦首に輝く、菊花紋章。
「……っ!」
ヴィヴィが息を呑んだ。
クレアは言葉を失い、ただ見上げていた。
リリアは祝杖を握りしめながら、大和を見つめている。
ナターシャは、僅かに身を引いている。
ボンノー一行は、ただ呆然と立ち尽くしていた。
◆ ◆ ◆
最初に声を発したのは、ヴィヴィだった。
「お、おっきい……!」
「こんなの……見たことない!」
盾を持つ手が、小刻みに震えている。
「船……だよね?でも、でも……!」
「こんな大きな船、あるの!?」
ヴィヴィの声が、地底湖に響く。
その大きさは、想像を絶していた。
城が、水の上に浮かんでいるかのようだ。
「これは……」
ナターシャの声が、珍しく震えている。
魔法使いとしての冷静さも、盗賊としての洞察力も、今は役に立たない。
ただ、圧倒されていた。
「魔力が……流れてる」
ナターシャは目を細める。
「船全体に、巨大な魔力の流れがあるのさ」
「まるで……生きているみたい」
「いや、生きてる。この船には、魂が宿ってるのさ」
そして、畏怖の念を込めて言った。
「これが……扶桑の――」
クレアは大和を見つめていた。
黒灰色の巨体。
三基の主砲。
分厚い装甲が、鈍く輝く。
艦首の菊花紋章が、誇り高く輝いている。
(これが……ボンノーの艦……)
以前、ボンノーから聞いたことがある。
『拙僧は艦という戦のための大きな船に乗っておった』と。
(これほど……大きいとは……)
水上の鋼鉄城。
そう呼ぶに相応しい威容だった。
クレアの喉が、渇いた。
「美しい……」
思わず、言葉が漏れた。
クレアは理解していた。
これは、芸術だ。
人の技術と意志が結晶した、鋼鉄の芸術。
「わたくしは……これほど美しい兵器を、見たことがございません……」
それほどまでに、心を揺さぶられていた。
(ボンノーは……この艦で戦っていたのですね)
胸が、高鳴る。
尊敬と、畏敬の念が混ざり合う。
三基の主砲。
二基の副砲と無数の対空砲。
全てが、一つの意志のもとに統一されている。
(一切の迷いなく、ただ戦うために在る姿……)
そして――
(この艦が、ボンノーを……あの優しい人を、育てたのですわ)
クレアは右手を胸に当て、深く頭を下げた。
騎士として、この艦に敬意を表するために。
リリアは、静かに手を組み合わせていた。
彼女には、感じ取れた。
(これは……神域……)
(この船には、神が宿っている)
「神聖な……気配……」
リリアの声は、祈りそのものだった。
「ボンノー様の故郷……扶桑の……」
そして、静かに呟く。
「女神レファリア様が、ここへ導いてくださった理由が……」
「分かりました」
大和は、静かに湖面に浮かんでいる。
圧倒的な存在感で。
ボンノー一行を、ただ見下ろしていた。
◆ ◆ ◆
しばらくの静寂が場を支配する。
そして――
ヤマトヒメの瞳が、大きく見開かれた。
「兄様……!」
トトトッ――
紅白の巫女装束を揺らし、少女が駆け寄ってくる。
十歳ほどの小さな体。だが、その瞳には八十年という時の重みが宿っていた。
ボンノーは――無意識に、膝を落とした。
少女の目線に、自分を合わせる。
「ヤマトヒメ……」
「兄様、八十年……八十年でございます……!」
少女の声が震える。
次の瞬間――
ヤマトヒメの小さな体が、ボンノーの胸に飛び込んできた。
ギュッ――
細い腕が、必死に抱きしめる。
「待っておりました……ずっと、ずっと……」
ボンノーも、静かに少女を抱きしめた。
その瞬間――
世界が、光に包まれた。
◆ ◆ ◆
温かい。
眩しい。
懐かしい。
魂の奥底から、何かが込み上げてくる。
(これは……)
煌めく光が、ボンノーの全身を包み込む。
桜の花びらが、光の粒子となって舞い上がる。
地底湖の水面が、金色に輝く。
そして――
ボンノーの中で、何かが砕けた。
百八年という時の鎖。
老いた魂の殻。
それらが、音を立てて崩れ落ちていく。
(拙僧の……魂が……)
代わりに――
熱い血潮。
若き日の情熱。
大和で戦った、あの日々。
蘇る。
(自分は……自分は……!)
魂が、若返っていく。
扶桑皇国海軍少尉として、大和の中央射撃指揮所で戦っていた、あの頃に。
◆ ◆ ◆
光が、静かに消えていく。
ボンノーは、ゆっくりと顔を上げた。
仲間たちが、息を呑んで見つめている。
「拙僧は……」
言葉が、詰まる。
目の光が、違う。
佇まいが、違う。
空気が、違う。
「ボンノー様……?」
リリアが、戸惑いながら呼びかける。
ボンノーは、一度目を閉じた。
深呼吸。
そして――目を開く。
「拙僧は……」
言葉が、止まる。
仲間たちが、固唾を呑んで見守る。
ボンノーは、首を横に振った。
「いや――」
胸を張る。
背筋を伸ばす。
まっすぐに、前を見据える。
そして、力強く宣言した。
「自分は、扶桑皇国海軍少尉、新村煩乃であります!」
――扶桑皇国海軍式の敬礼。
右手が、額に添えられる。
ヤマトヒメが、にっこりと微笑んだ。
「はい。お帰りなさいませ――兄様」
静寂。
「すごい!ボンノーさん、目がキラキラしてる!」
ヴィヴィが、屈託なく声を上げた。
クレアが、呆然と呟いた。
「カッコいい――まるで、別人ですわ」
ナターシャが、不思議そうにボンノーを見つめる。
「これが本当のお坊様なのかい?魂の色が変わったのさ」
桜の花びらが、風に舞う。
地底湖に、静かな波紋が広がっていった――




