第5話 拙僧、炭鉱にて可憐なる騎士の剣舞を目撃する
陽が高くなり始めた頃、ボンノー一行は街の外れから伸びる街道を歩き出した。
緩やかな丘陵地帯を抜け、農地が途切れると、景色は一変した。
むき出しの岩肌が増え、草木もまばらになっていく。
リントベルクから歩くこと一時間――かつて栄華を誇ったグスケン鉱山が、朽ちた姿を現した。
寂れた採掘場跡。崩れかけた木枠が、ぽっかりと口を開けた坑道を支えている。
風が石壁を撫でる音だけが、静寂を破っていた。
「よーしっ、危なくなったらこの盾に任せてねっ!」
先頭を行くのは、小柄な体に不釣り合いな巨大な盾を背負ったドワーフ娘・ヴィヴィ。
元気いっぱいに拳を握りしめ、ずんずんと前進する。
その後ろには錫杖を手にした僧衣の男・ボンノー。さらに灰色のフードを目深にかぶった少女・シノが続く。
そして最後尾には――
全身を重厚な白銀鎧で包んだ騎士が、静かに歩を進めていた。
グレアと名乗るその騎士は、兜で顔を完全に隠している。
重い鎧を着込んでいるはずなのに、その足取りは妙に軽やかだった。
一歩一歩が計算されたように優雅で、まるで舞踏のような所作――
(……妙じゃな)
ボンノーは錫杖を軽く地面に突きながら、ちらりと後ろを振り返る。
(言葉少なな騎士じゃが、どこか育ちの良さを感じる。軍人というより、むしろ貴族の――いや、考えすぎか)
坑道の入口に差し掛かると、シノが静かに呟いた。
『白ノ四式・サークルライト』
淡い光球がふわりと浮かび上がり、闇に包まれた坑内を優しく照らす。
その瞬間、グレアの鎧に刻まれた繊細な紋様が一瞬だけ光を反射したが、すぐに闇に溶けて消えた。
「さーて、鉱石掘ったら酒場で一杯やっちゃう? あそこのぶどう酒、美味しいんだってさ!」
ヴィヴィの能天気な声が坑道に響く。これから魔物との戦いが待っているというのに、まるで遠足気分だ。
こうして、どこか違和感を抱えながらも、四人は寂れた鉱山へと足を踏み入れていった。
◆ ◆ ◆
坑道を進むこと数分――
ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ!
暗闇から数本の矢が飛来した。
「来たッ!」
ヴィヴィの反応は素早かった。巨大な盾を瞬時に構え、全ての矢を弾き返す。
金属音が坑道に響き渡る。
「射手がいるよっ! みんな警戒してっ!」
その叫びに呼応するように、闇の奥から不気味な咆哮が湧き上がった。
「ギィィィィィ!!」
地面を蹴る音、荒い息遣い、そして――殺気。
ヴィヴィは素早く状況を報告する。
「ゴブリン五体!」
ボンノーが錫杖を構えた次の瞬間、緑色の肌をした小鬼たちが暗がりから飛び出してきた。
歪んだ牙をむき出しにし、粗雑な武器を振りかざすゴブリンが五体。
小さな体躯ながら、その眼には明確な殺意が宿っていた。
「行くぞッ!」
ボンノーの掛け声と同時に、戦闘が始まった。
真正面から突っ込んできた一体に、ボンノーは錫杖を振り下ろす。
長年の修行で鍛えた一撃が、ゴブリンの頭蓋を砕いた。
だが、その瞬間――
シュッ!
風を切る音と共に、銀の軌跡が闇を裂いた。
一閃、二閃、三閃。
流れるような剣戟が、瞬く間に三体のゴブリンを切り伏せる。
まるで花が散るように、緑の小鬼たちが地に倒れていく。
「……なんと」
ボンノーは思わず息を呑んだ。
グレアの剣技は、重厚な鎧姿からは想像もつかないほど華麗だった。
無駄のない動き、完璧な間合い、そして一切の迷いがない剣筋。
それは剣士の技というより、むしろ舞踏家の演技を思わせた。
(これは……ただの騎士ではないな。どこぞの流派で鍛えられたか、あるいは――)
考えを巡らせる間にも、戦いは続く。
『白ノ四式・サークルブレス!』
『白ノ四式・サークルプロテクション!』
シノが後方から支援魔法を展開する。
仲間たちの体に淡い光が宿り、動きが軽快になっていく。
「皆さん、お怪我はありませんか?」
「へーきへーき! この盾は伊達じゃないからねーっ!」
ヴィヴィが振り返って親指を立てる。
そして最後の一体を、盾の縁で思い切り殴打した。
ゴブリンが地面に沈むと、坑道は再び静寂を取り戻した。
「ふう……まずは一段落じゃな」
ボンノーが額の汗を拭う。初めて組んだパーティにしては、息がよく合っていた。
◆ ◆ ◆
さらに奥へ――
封鎖されて久しい炭鉱は、もはや魔物の巣窟と化していた。
湿った風が岩肌を撫で、どこからともなく低いうなり声が響く。進むほどに、邪悪な気配は濃密になっていった。
狭い坑道、見通しの悪い分岐点――そのたびにゴブリンの群れが襲いかかる。
だが四人の連携は回を重ねるごとに洗練されていった。
ヴィヴィが前線を支え、グレアが華麗に斬り込み、シノが魔法で援護し、ボンノーが全体を見渡しながら的確に指示を出す。
「……この先に、います」
最奥部に近づいた時、シノが震え声で警告した。
「強い……とても強い個体が」
そして、ついに――
最奥の広間に足を踏み入れた瞬間、異様な光景が目に飛び込んできた。
闇に浮かぶ祭壇。
獣の骨で描かれた魔法陣。
そして、その中央に鎮座する異形の存在――
ゴブリンシャーマン。
痩せこけた体に奇怪な文様を刻み、山羊の頭蓋骨を被った呪術師。
背中からは無数の呪符がぶら下がり、手にした杖の先端には干からびた眼球が揺れていた。
その周囲には、筋骨隆々としたホブゴブリンが五体。
上位種の圧倒的な威圧感が、空間を支配している。
「ギギギ……人間ドモ……焼キ尽クセ!」
シャーマンが杖を掲げると、ホブゴブリンの一体が前に出た。
『――黒ノ五式・ファイヤァァァ!!』
紅蓮の業火が、轟音と共に放たれる。
「シノ、伏せろ!」
ボンノーの叫びが響いた瞬間、彼は咄嗟に身を投げ出していた。
炎がシノを直撃する寸前、ボンノーの体が盾となる。
「ぐあっ!」
袈裟が焼け、肉が焦げる匂いが立ち込める。
激痛に顔を歪めながらも、ボンノーは振り返って微笑んだ。
「心配無用じゃ……これしき、煩悩の炎に比べれば……な」
「ボンノーさまっ!」
シノが涙声で『白ノ五式・ヒール』を唱える。
傷が癒えていく間にも、戦況は激しく動いていた。
銀の閃光が、広間を駆け巡る。
グレアの剣舞が、さらに激しさを増していた。
重い鎧を着ているとは思えない身のこなしで、ホブゴブリンの間を縫うように動き回る。
その剣技は、もはや芸術の域に達していた。
一体、また一体と、上位種の魔物が切り伏せられていく。
(これは……騎士というより、まるで――)
ボンノーの思考を遮るように、シャーマンが再び詠唱を始めた。だが――
「南無三!」
ボンノーは錫杖を槍のように投げつけた。
見事にシャーマンの手元を打ち砕き、詠唱を中断させる。
「ギギギャアァァッ!」
よろめくシャーマンに、銀の死神が迫る。
グレアの剣が、一直線に魔物の胸を貫いた。
断末魔と共に、祭壇の炎が消える。
静寂が、広間を包んだ。
「……終わった、か」
ボンノーは落ちていた錫杖を拾い上げ、深く息をついた。
「ボンノーさま、お怪我は……」
駆け寄るシノに、ボンノーは優しく頷く。
その隣で、ヴィヴィが感心したように呟いた。
「騎士さん、めちゃくちゃ強いじゃん! もしかして、有名な人だったりして?」
その問いに、グレアは短く答えた。
「……さあな」
低い声。だが、その立ち姿には隠しきれない気品が漂っていた。
ボンノーは、改めてその白銀鎧の騎士を見つめる。
(一体、何者なのじゃ……)
だが、その正体に気づく者は――まだ、誰一人としていなかった。