第49話 拙僧、松茸づくしの朝餐に動揺し、西の岬へ向かう
九月八日朝――
王城ゲストルーム。格子窓越しの朝光が薄布を透け、室内をやわらかな金色に満たした。
コンコンと控えめなノック音が響く。
「失礼いたします」
扉を開けて入ってきたのは、白髪まじりの黒髪を丁寧に整えた老紳士――王城侍従長ゼバスだった。
「皆さま、朝餐の準備が整いました」
ボンノーは錫杖を手に立ち上がった。が、その頬がかすかに赤い。
「あ、ありがたく頂戴いたします」
「ボンノーさん、顔赤いよ〜?」
ヴィヴィがニヤニヤしながら覗き込む。
「昨夜は良く眠れたのかな〜?」
「う、うむ……その……」
ナターシャがクスクス笑いながら口を開く。
「そりゃあ、両手に花で眠れば疲れも取れるのさ〜」
「な、ナターシャ殿!」
廊下を歩く間、クレアとリリアは微妙に距離を取っている。目が合うと、二人とも顔を赤らめて視線を逸らした。
◆ ◆ ◆
王族専用の会食室――
銀の食器が触れ合う小さな音が響く中、メイドたちが手際よく配膳を整えていく。
「お待たせいたしました」
ゼバスが恭しく頭を下げ、料理が順番に運ばれてきた。
第一皿――チーズの盛り合わせ。
「チーズの盛り合わせでございます。王城の貯蔵庫に残っていた数少ない上等品です」
第二皿――キノコのスープ。
蓋を開けた瞬間、ボンノーの顔が青ざめた。
「ま、ま、ま、松茸ぇぇぇ!?」
スプーンを持つ手が止まり、スープの中身を凝視する。
ごろごろと親指大の塊が浮かんでいる。扶桑なら一杯で十万扶桑円は下らない代物だ。
「なんと……これは……!」
恐る恐る手でスプーンを持ち、一片を掬い上げる。
「どうしたの、ボンノーさん?」
ヴィヴィが不思議そうに首を傾げる。
「ただの雑茸スープでしょ?」
「ざ、雑茸じゃとぉぉぉ!?」
ボンノーの叫び声が会食室に響いた。
第三皿――松茸と卵のオムレツ。
「……贅沢すぎる……」
第四皿――ベーコンの薄切り添え松茸のソテー。
「松茸を……焼いて……しかも山盛り……」
ボンノーが松茸をフォークで丁寧に一本ずつ刺し、慎重に口に運ぶ
「ボンノー、どうした?」
クレアが心配そうに見つめる。
「体調でも悪いのですか?」
第五皿――松茸のハーブ焼き。
「南無三宝……」
とボンノー小声でつぶやく。
そして、フォークを持つ手が震え始めた。
◆ ◆ ◆
「物資が不足しており、姫殿下の大切なお客人に雑茸の料理で申し訳ございません」
ゼバスが深々と頭を下げた。
「ベーコンは王城の貯蔵庫に残っていた最後の一本を使わせていただきました。本来ならば厚切りでお出しすべきところ、薄切りで失礼いたします」
「いや、ベーコンよりも松茸の方が……!」
ボンノーが必死に訴える。
「拙僧の故郷では、この『松茸』は黄金にも等しい価値があるのじゃ! 数本で庶民の月給に相当する高級品なのじゃ!」
一同がポカンとする。
「え〜! こんな雑草みたいなキノコが宝物〜?」
ヴィヴィが信じられないという顔をする。
「ボンノーさんの国って変なの〜!」
「松茸? ああ、この雑茸のことさね。雨が降るといたるところに生えてくるのさ。毒はなく食べれるけど、普段は誰も見向きもしない。冬以外はいつでも採れるのさ」
「お坊様の国では、この雑茸が貴重品なのさね。世界は広いのさ〜」
ナターシャが楽しそうに笑う。
「貧しかったころ、たくさん食べたよ。雨が降ったあとの松の木の下にはいつも生えているからね!」
ヴィヴィが明るく笑う。
クレアも軍事知識を披露する。
「戦場では、兵糧がなくなったらこの雑茸で飢えをしのいだと言われています。まあ、味は悪くないですが、下等な食材ですわね」
(松茸が……雑草のように……貧困食として……)
ボンノーの世界観が音を立てて崩壊していく。
「私はこのキノコの風味と香りが好きです」
リリアが無邪気に微笑む。
「ぉぉ、リリア殿……!」
ボンノーの瞳に希望の光が宿った。
「雑茸にしては美味しいですよね」
ガクッ。
最後の希望も潰えた。
「……」
ボンノーは震えながら松茸を食べ続ける。一本一本、まるで宝石を扱うように。
「ボンノーさん、手が震えてるよ?」とヴィヴィが心配そうにボンノーを見つめる。
「お坊様、大丈夫かい? 体の調子が悪いなら残してもいいのさ」とナターシャがボンノーの肩を叩く。
「ち、違うのじゃ! 美味すぎて……貴重すぎて……もったいなくて……!」
結局、ボンノーは全ての松茸を一片残らず平らげた。
(松茸がこのような扱いをされているとは……)
第六皿――白パンに蜂蜜とレーズンバターを添えて。
「これは……松茸が入っていない……」
ホッとした表情で白パンを手に取るボンノー。
第七皿――食後のデザートとして林檎のコンポート。
「ようやく、普通の食事に……」
しかし――
「申し訳ございません。デザートの果物も不足しており、僅かばかりの林檎で……」
ゼバスが再び頭を下げる。
(松茸は山ほどあるのに、林檎の方が貴重品とは……!)
ボンノーの世界観が、さらに音を立てて崩れていった。
◆ ◆ ◆
食事がひと段落すると、ゼバスが恭しく前に出た。
「姫殿下、お尋ねしたいことがございます。陛下が倒れられて以降、朝議はヨコマール枢機卿が執り行っておりましたが、本日の朝議は如何いたしましょうか?」
クレアは一瞬考えてから、凛とした声で答えた。
「朝議は軍議の間で執り行います。アベルトとクルーゼに出席するよう伝えてください」
「畏まりました」
ゼバスは深く一礼すると、控えていたメイドたちに素早く指示を与えた。メイドたちは静かに退室していく。
しばらくして、リリアがそっと立ち上がった。
「姫殿下、陛下の治療に向かわせていただいてもよろしいでしょうか」
「リリア、陛下をお願いします」
クレアも立ち上がり、リリアの手を軽く握った。
「はい、必ずお救いします」
リリアの瞳が、慈愛に満ちた光を宿す。
「わたくしも同行します。陛下の顔を見てから朝議に参加します」
二人は頷き合い、王の寝室へと向かった。
◆ ◆ ◆
軍議の間――
王城の東翼、騎士団長宮廷執務室に隣接する軍議の間。装飾は最小限で、壁には王都とリヴィエラ全土の地図が張られている。
しばらくして、扉が開き、クレアとリリアが入室してきた。
「お待たせしました。陛下の容態は安定しています」
クレアとリリアが着席する。
「では、朝議を始めます」
まず、昨日の被害報告と復旧作業について話し合いが行われた。
犠牲者へ一分間の黙祷が行われた。
そして――
「次に、戒厳令についてですが」
クルーゼが提案する。
「ヨコマールが行ったものゆえ、直ちに解除してはいかがでしょうか?王都の物資不足を解消するためには戒厳令の解除が必要です」
その時、ボンノーが錫杖を床に軽く突いた。
「待っていただきたい」
全員の視線が集まる。
「ヨコマールはこう言いました。『フソウ様は必ず復活する』『無こそ救済』と」
「そして、『十四度目の鐘で戒厳令を解除する』と布告した。しかし拙僧は思うのです――その日こそ、セレスティアを無にする日ではないかと」
「確かに……」アベルトが険しい表情で頷く。「ヨコマールが民に希望を与えるなど、不自然極まりない」
「お坊様の考えに同意なのさ。あのヨコマールが無策とは思えないのさ」
ナターシャの声にも警戒の色が滲む。
クレアは熟考の末、決断を下した。
「ヨコマールの企ての可能性を排除できない以上、明日まで警戒し、明後日に解除することとします」
「もう一つ、気になることが」
「昨夜、不思議な夢を見ました。ヨコマールの企てと関係があるやもしれません」
ボンノーは錫杖を軽くつき、深呼吸をした。
「拙僧が見た夢の話を聞いていただきたい」
そして、夢を語り始める。
「紅白の巫女装束を着た、十歳ほどの少女が現れた。黒髪で、凛とした佇まいでした」
クレアとリリアが顔を見合わせる。
「その少女は『兄様』と拙僧を呼び、『八十年ぶり』と言った。そして……」
ボンノーは一呼吸置く。
「『大和の艦内神社で、毎日清めてくださったこと、忘れてはおりません』と」
「大和……?」
アベルトが首を傾げる。
「大和とはなんですか?」
「扶桑の……拙僧の故郷の軍艦です。だが、なぜこの世界で……」
「私も夢を見ました」
リリアが発言した。
「女神レファリア様が西の岬にて扶桑の戦女神に会いに行くようにと……」
「西の岬には何もありませんが……」
アベルトが困惑する。
「扶桑? 聞いたこともない国ですね」
クルーゼも首を傾げる。
ボンノーが意を決して告白する。
「クルーゼ殿、扶桑は拙僧の出身国でこの世界にはありません。拙僧は扶桑より輪廻転生してこの世界に参りました」
クルーゼが驚く中、ボンノーは続ける。
「詳しい話は後程。今は西の岬へ急ぎ向かいたい。時があまりないと、あの少女は告げていた」
「まずは冒険者を派遣して調べさせては――」
クルーゼが提案しかけた時、クレアが銀等級の冒険者プレートを誇らしげに掲げた。
「冒険者ならここにおりますわ」
キラリと光るプレート。
「姫殿下、いつのまに……!」
アベルトとクルーゼが目を丸くする。
「みんな知らなかったの? 姫殿下は立派な冒険者だよ〜」
ヴィヴィが楽しそうに笑う。
「クレアちゃんは、ボンノーパーティーのアタッカーなのさ」
ナターシャも頷く。
「西の岬ならば徒歩で一時間程度。冒険者パーティー『ボンノー一行』なら造作もないことですわ」
クレアの瞳が輝く。
それは姫としての威厳ではなく——久々の冒険を前にした、一人の剣士の高揚だった。
「姫殿下、しかし――」
「アベルト、クルーゼ。しばらく王城を頼みます」
二人は諦めたように深い溜息をつく。
「……承知いたしました」
そして、ボンノーに向き直った。
「ボンノー殿、姫殿下をお頼みします」
「拙僧、この命に代えてもクレア殿をお守りします。それが仲間としての務めですゆえ」
ボンノーは一呼吸置いて、真剣な表情で続けた。
「アベルト殿、もう一つ重要な件が。ザリオ達が保護している女人たちの安全確保をお願いします」
「承知しました」
◆ ◆ ◆
準備を整え、王城の西門に集合した一行。
「それにしても、大和の艦内神社って何なのさ?」
ナターシャが尋ねる。
「拙僧が前世で毎朝清掃していた場所じゃ。まさか、その縁がこの世界にまで……」
「ボンノー様、その少女は誰なのでしょう?」
リリアが心配そうに聞く。
「分からぬ。じゃが、懐かしい感じがしたのじゃ」
クレアが剣の柄に手を置く。
「何が待っているか分かりませんが、みんなで行けば大丈夫です」
「そうだね! 久しぶりの冒険だ〜!」
ヴィヴィが元気よく盾を掲げる。
西の空には、不思議な雲が渦巻いていた。
まるで、何かが目覚めようとしているかのように。
こうして、ボンノー一行は西の岬へ向かった。――潮の匂いにまぎれて、微かな鈴の音が風に揺れた。




