第38話 吾輩、蛇頭の化け物と戦うにゃ
「今すぐ助ける。放っておけねぇ」
砂が足元でざりと鳴る。踏み出そうとしたザリオの籠手を、ミケケがすっと掴んだ。
「待つにゃ」
ミケケの尾が警戒を示すように一度だけ振れる。声は低く、静かだ。
「助けたい気持ちは吾輩も同じにゃ。けど今飛び出したら、尻尾だけ掴んで頭を逃がすようなものにゃ。誰が回収に来るのか――そこを押さえるのが先にゃ。女性たちは眠らされてるだけと見ていいにゃ」
「だが——」
ザリオは短く息を吐き、剣の柄から手を離した。
「……分かった。ミケケの読みで行く。だが少しでも危険を察したら即救出だ」
「当然にゃ。一瞬たりとも目は離さないにゃ」
ミケケは銀杖を握り直し、低く応じた。
一時間が過ぎ、二時間が過ぎ――
そして深夜二時を回った頃、異変が起きた。
◆ ◆ ◆
闇に沈む沖合で、さざ波が不自然に四角く消えた。
舟? いや、普通の舟なら灯りがあるはずだ。櫂の音も聞こえない。
低い舷をもつ幅広の小舟が、音なき音――低い脈動だけを残して、海面を滑るように近づいてくる。
ドッ……ドッ……ドッ……。
規則的な振動が水を伝わってくる。波が押しのけられ、舟の後ろで青白い泡が細かく弾けている。何か見えない力が海を押し出しているのか、航跡が妙に軽い。舵も帆もないのに、舟は潮流を完全に無視して一直線に海岸へと向かってくる。
「にゃ……見たことない"舟"にゃ」
ミケケが小声で呟く。
その船上には、人影が十体。
長身の四体は、月光を浴びて鱗のように光る皮膚を持つ――馬車から現れたあの"人ならざる影"と同じ姿だ。三日月刀を逆手に構え、刃が冷たい輝きを放っている。
小柄な六体は骨だけの躯体で、片手に短剣、もう一方にロープ束を持つ――小型のスケルトンだ。
舟は砂浜の斜面に鼻先を押しつけるようにして止まった。
次の瞬間――船首の板継ぎが内側からぱかりと割れ、鉄の渡し板がガタンと音を立てて降りた。
先頭に立つのは"蛇の頭をもつ人型"が四体。その後ろからスケルトンが六体続く。砂に浅い足跡を刻みながら、静かに上陸を始めた。
敵の全員が完全に陸に上がったのを確認し――
「今にゃ!」
ミケケの合図と同時に、猫尻尾を模した銀杖が眩い白光を放った。
『白ノ四式・サークルスリープ!』
白い霧が瞬く間に広がり、敵の集団全体を包み込む。
「僕も続く!」
ネルムが素早く詠唱を始める。
『黒ノ四式・サークルパラライズ!』
紫の霧と白い霧が混ざり合い、上陸した敵たちを覆い尽くす。
蛇の頭をもつ人型二体が、その場でよろめき、そのまま砂浜に倒れ込んだ。麻痺し眠りについたのだ。
しかし――残りの蛇人型二体とスケルトン六体は、魔法の効果をものともせずに立っている。
「シャァァァ!」
縦に割れた瞳孔が危険な光を帯びて細まる。蛇頭の怪物は三日月刀を逆手のまま半身に構え直した。切っ先が獲物を狙う蛇のようにわずかに揺れている。
「今――放つ!」
ユリスが即座に弓を構え、矢を番えた。
シュッ、シュッ、シュッ――息をつく間もない三連射。
毒を塗った矢が、蛇人型の胸板に次々と深く突き刺さる。
「ギシャァァァ!」
蛇人型の怪物が毒の苦痛に身をよじらせ、膝から崩れ落ちた。
「オレノ バンダ!」
ドランが野性的な雄叫びを上げて突進する。
巨大な戦斧を大きく振り回し、スケルトン三体をまとめて薙ぎ払った。
骨が粉々に砕け散り、白い粉塵となって夜風に舞う。
返す刃で、もう一体の蛇人型に斧を叩き込む。相手は三日月刀で受け止めようとしたが、ドランの怪力に弾き飛ばされ――
横薙ぎ一閃!
ザクリという湿った音とともに首が切断され、蛇頭が砂浜に転がった。
「グォォォ!」
残ったスケルトン三体が、短剣を振りかざしてミケケに襲いかかる。
「にゃっ!?吾輩、狙われてるにゃ!」
「させるか!」
ザリオが素早くミケケの前に滑り込み、ナイトシールドで攻撃を完全に受け止めた。
ガキィン! ガキィン! ガキィン!
短剣が盾に弾かれ、火花が夜闇に散る。
「今度はこっちの番だ!」
ザリオがロングソードを鋭く振り抜く。
一振りで一体のスケルトンの胴を両断し、骨を粉砕した。
ネルムが杖を構え直す。
『黒ノ五式・ストーン!』
空中に生まれた石礫が放たれ、スケルトンの頭蓋骨を撃ち抜く。白骨が散る。
「最後の一体にゃ!」
ミケケが杖先を残った敵へ向け、力強く突き出した。
『白ノ五式・ホーリージャベリン!』
収束した聖なる光が槍と化し、頭蓋骨を貫く。白骨が崩れ落ちる。
戦場に再び静寂が戻った。
砂浜には、魔法で眠っている蛇人型二体だけが無防備に横たわっている。
「眠ってる二体を……」
ザリオがロングソードを静かに構えた。
「情けは無用だ。確実に仕留める」
一歩一歩慎重に近づき、急所を正確に貫いた。
「戦闘終了にゃ!」
ミケケの尾が高く弾む。
「吾輩たちの完勝にゃ!」
「……たいしたもんだ」
ザリオが感心したように短く頷く。
「初撃で完全に流れを掴んだな。ミケケ、ネルム、見事な連携だった」
「ソウダナ……」
ドランも満足げに頷いた。
「ミンナ ツヨク ナッタ」
「はい、全員の連携が完璧でした」
ネルムが眼鏡を直しながら控えめに微笑む。
「……あの不気味な舟も調べましょう」
ユリスが浜に乗り上げた舟を指差す。
「何か手がかりが残されているかもしれないわ」
一行は慎重に舟に近づいた。
船内を隅々まで調べたが、完全に空だった。蛇頭の怪物たちは、この舟で女性たちや赤魔石を密かに運び出していたようだ。
砂浜には、魔法で眠らされたままの女性たちが十人、静かに横たわっている。
ユリスは一人一人の傍に膝をつき、喉元と手首に二本指を当てて脈を確認し、頬に顔を近づけて呼吸を確かめた。
「全員、無事に生きてるわ」
ミケケも鼻先を女性たちに近づけ、胸に耳を当てて心音を注意深く聴く。
「深い魔法睡眠に落ちてるだけにゃ。呼吸も脈拍も正常にゃ」
「この舟、沖に流されないようにロープで係留しておく」
ザリオの指示で、舟は砂浜に固定された。ネルムとドランは周囲の警戒へ回る。
「女性たちを一人ずつ、優しく揺すって起こしてみよう」
ユリスとミケケは、眠っている女性たちの肩を慎重に揺さぶり始めた。
「うーん……」
最初の女性がゆっくりと目を開けた。
「あ、あれ? ここは一体……?」
「大丈夫です、もう安全ですよ」
ユリスが安心させるように優しく声をかける。
「私たちは冒険者ギルド所属の灰銀の牙です。あなたたちを無事救出しました」
一人、また一人と、女性たちが意識を取り戻していく。
年齢は様々だが、10代から20代前半の若い女性ばかりだった。
全員が状況を理解できずに混乱していたが、灰銀の牙の面々が丁寧に事情を説明すると、徐々に落ち着きを取り戻していった。
「安心してくれ。俺たちが護る。立てるか? 無理なら肩を貸す」
ザリオが力強く言う。
「これより我々のアジトまで護衛していく」
◆ ◆ ◆
灰銀の牙のアジト『錨と樽』――
女性たちを無事にアジトまで連れて帰ると、ユリスとミケケが世話を始めた。
「お風呂を沸かしてきました。ゆっくり温まってください」
「温かい食事もたっぷり用意するにゃ」
「寝床もちゃんと用意してあるから、安心して体を休めて」
女性たちは、温かい対応に涙ぐんでいた。
「本当に……ありがとうございます……」
「命を救っていただいて……感謝してもしきれません……」
全員が落ち着きを取り戻したところで、ザリオたちが慎重に事情聴取を始めた。
「それで、皆さんはどこから、どのように連れて来られたんですか?」
女性たちの証言を総合すると――
バスタなどの地方都市から大聖堂のシスター見習いとして王都に連れて来られた者が七名。
王都で何者かに突然拉致された者が三名。
その中の一人――蜂蜜色の髪を丁寧に編み上げた十三歳の少女が、震える声で恐る恐る口を開いた。
「私は……エルナ・フォン・アルセインと申します」
その瞬間、ザリオの目が見開かれた。
「アルセイン……だと?」
「は、はい……」
「まさか、アベルト王国騎士団長の……?」
「……はい、父です」
ザリオの声が震えた。
「おい……これは、ただ事じゃねぇぞ」
ザリオが仲間たちを見回す。
「王国騎士団長の娘が攫われてたなんて……」
「大変なことになってるにゃ……」
ミケケの耳が不安げにぺたんと伏せる。
「これは兄貴……ボンノーの兄貴に連絡を取らないとダメだ」
ザリオが決断する。
「だが俺は騎士団を追放されてる身だ。直接騎士団長に会いに行くのは……」
「それなら吾輩が行くにゃ!」
ミケケが手を上げた。
「吾輩が医者の変装をして、騎士団長屋敷に行くにゃ! 要点を外さず伝えられるにゃ!」
◆ ◆ ◆
翌朝――
ミケケは医者の格好に変装していた。
白衣を身にまとい、医療鞄を手に持ち、三毛柄の耳は帽子の下に器用に隠している。
「では行ってくるにゃ!」
「気をつけろよ、ミケケ」
ザリオが心配そうな表情で見送る。
「何かあったらすぐ戻って来い」
「大丈夫にゃ! 吾輩に任せるにゃ!」
ミケケは自信満々に胸を張ると、騎士団長屋敷へと向かった。
朝日が王都の屋根を金色に染め始める中、小さな医者の後ろ姿が朝靄の向こうに消えていく。
王都セレスティアでは、戒厳令発布から七日目の朝を迎えていた――




