第29話 拙僧、黄金聖水の詐欺にて六金貨の勉強代を払う
翌朝――
宿屋『銀狼亭』の中庭に馬車が用意されていた。朝露に濡れた車輪が、陽光を受けてきらめいている。
「では、王都セレスティアへ向けて出立じゃ」
ボンノーが錫杖を地面に軽く突く。澄んだ音が朝の静寂を破り、空気を震わせた。
(そういえば、日付の確認を忘れておったな)
輪廻転生してからというもの、日々の冒険に追われ、暦を意識することなどなかった。
宿の主人に尋ねると――
「今日は八月二十七日じゃよ」
「ほう、八月二十七日……」
ボンノーは携えの小冊子に、日付だけを静かに記した。
◆ ◆ ◆
馬車は聖河アレムに沿って北上していく。
川面が朝日を受けて黄金色に輝いていた。まるで溶けた金が悠々と流れているかのような、神々しいまでの美しさだ。水しぶきが跳ねるたび、無数の宝石が散らばるように光る。
「綺麗ですね……」
シノが窓から顔を出し、うっとりと川を眺めていた。風が彼女の髪を優しく撫でていく。
「本当に黄金色なのさ」
ナターシャも感心したように呟く。
「でも、なんか重い空気だよね。みんな下向いてるし」
ヴィヴィが首をすくめながら、街道を行く人々を指差した。
確かに、往来の人々の表情は暗い。戒厳令の影響だろう、誰もが重い足取りで、まるで見えない鎖に繋がれているかのように俯いて歩いている。笑い声一つ聞こえない異様な静けさが、街道を支配していた。
◆ ◆ ◆
昼過ぎ――
一行は水路の街アウレリアに到着した。石造りの門は荘厳にそびえている。
「検問があるぞ。気を引き締めろ」
グレアが兜の奥から低く呟いた。
街の入り口には、神殿騎士が五人ほど立っている。通行人を一人一人、執拗に調べているようだった。
「通行証を見せろ」
神殿騎士の一人が、威圧的に馬車に近づいてきた。
ボンノーは落ち着いた動作で、懐からヨコマール枢機卿の偽造通行証を取り出した。これは以前、金貨一枚で手に入れた偽物だ。そして冒険者ギルドの銀等級プレートも併せて提示する
神殿騎士は書類を疑い深く見つめた後、手を振った。
「……通れ」
◆ ◆ ◆
アウレリアの街は、リントベルクとはまた違った趣があった
街の中を縦横に水路が走り、小舟が優雅に行き交っている。石造りの建物が水面に複雑な影を落とし、まるで水彩画の中に迷い込んだような幻想的な風景だ。橋の下では、魚が跳ね、波紋が広がっていく。
「水の街って感じだね〜 舟とか乗ってみたい!」
ヴィヴィが興奮したように周りを見回し、目を輝かせる。
「建築様式も実に洗練されておりますな。アーチ型の橋といい、水路沿いの回廊といい、機能美と装飾美が見事に融合しておる」
ボンノーが感心したように、建物の細部まで観察していた。
「今日はここで宿を取りましょう」
ボンノーがふと提案した。
「日はまだ高いが……もう少し進めるんじゃないか?」
グレアが眉をひそめる。
ボンノーが静かに首を振った。
「野宿よりは宿屋の方が安全でしょう。戒厳令下での夜営はなるべく避けたいのです」
「賛成〜! 野宿よりベッドだよね!」
ヴィヴィが真っ先に手を挙げた。
結局、一行は水路沿いの宿屋『水鏡楼』に投宿することにした。三階建ての瀟洒な建物で、窓からは水路が一望できる。
宿に荷物を置くと、それぞれが思い思いの行動を始めた。
「俺とヴィヴィは武具の手入れに行ってくる」
グレアが愛剣を肩に担いだ。
「おー、いい研ぎ屋さん探そう! この前の戦いで盾もボコボコだし」
ヴィヴィも大盾を背負い、グレアの後を追う。
「あたいは一杯引っ掛けてくるのさ。この街の酒がどんなものか確かめないとね」
ナターシャは早速、鼻歌を歌いながら酒場へと消えていった
残されたのは、ボンノーとシノの二人。急に静かになった部屋で、微妙な空気が流れる。
◆ ◆ ◆
「ボンノーさま、お買い物に行きませんか?」
シノが頬を染めながら、恥ずかしそうに提案した。指先で髪を弄りながら、上目遣いでボンノーを見つめる。
「旅の必需品を補充しておきたいですし……それに、街の様子も見ておきたくて」
「うむ、それは良い考えですな。備えあれば憂いなし、と申します」
こうして、二人きりの買い物が始まった。
シノはとても嬉しそうだった。ボンノーと二人きりで街を歩けるなんて、まるで恋人同士のデートのようで――
(い、いけません……これは買い物です。……でも、今だけは――ボンノーさまは私だけのもの、です)
頬を真っ赤に染めながら、必死に平静を装うシノ。時折、ボンノーの横顔を盗み見ては、慌てて視線を逸らす。
一方のボンノーは、そんなシノの様子に全く気づいていない
「まずは保存食などを買い足しておきましょう。腹が減っては戦はできぬ、と申します――」
◆ ◆ ◆
買い物を終え、市場通りを歩いていると、どこからともなく甘い香りが漂ってきた。焼きたてのバターに、花の蜜めいた甘さがふわりと重なり、鼻腔をくすぐる。
「あ、ケーキ屋さん! 可愛い!」
シノの目が一瞬で輝いた。まるで子供のような無邪気な表情だ。
看板には『雫と泡』と優雅な文字で書かれている。
「ボンノーさま、少し寄っていきませんか? 疲れも取れますし」
シノが上目遣いでボンノーを見つめる。
「ふむ、甘味で英気を養うのも一興でございましょう」
ボンノーはあっさりと頷いた。
――菓子工房『雫と泡』
小さな扉を押すと、鈴がころんと涼やかな音を立てる。
しずく型のランプが天井で揺れ、白い壁に幻想的な水紋が踊った。
「わあ……素敵……」
シノの瞳が宝石のように輝く。
ショーケースには、艶やかなケーキが美しく並ぶ。どれも魅惑的でおいしそうだ。
『雫シフォン・柑橘』、『泡雪ムース・はちみつ』、『水鏡タルト・ぶどう』。
名前からして瑞々しく、見ているだけで幸せな気持ちになる
「シノ殿はどれに?」
「これと……これも。あ、でも食べきれないかな」
迷う指先がくるくると踊り、店員は白いトングを構えたまま、楽しそうに微笑みながら待っていた。
結局、二人用の木皿に三品ものせてもらう。
ボンノーは温かい穀物茶、シノは微炭酸のレモネードを頼んだ。
窓ぎわの丸卓に腰を下ろす。
川面の反射がゆらぎ、テーブルの上のガラス玉に小さな虹が宿る。まるで夢の中のような、幻想的な時間だ。
「いただきます!」
シノが『泡雪ムース』をひと口含む。瞬間、頬がふわっとほどけ、至福の表情を浮かべた。
「しあわせです……」
その表情があまりにも幸せそうで、ボンノーも思わず頬を緩める。
拙僧も『雫シフォン』を味わう。
舌に乗せた瞬間に雪のように消える軽さ。遅れて柑橘の爽やかな香りが鼻を抜け、胸の奥まで涼しくなる。
「シノ殿」
甘さが落ち着いたところで、ボンノーは真面目な表情で問いを向けた。
「レファリア教の教義を、詳しく教えていただけますかな」
シノは姿勢を正し、うれしそうに胸に手を当てる。
「はい、よろこんで!」
「まず――根本命題です」
シノは指を一本立てた。
「『命は連なりであり、己は他者のためにある』。難しく聞こえますが、簡単に言えば、"ひとは誰かのために生き、支え合う"ということです」
「ふむ、なるほど」
ボンノーは深くうなずき、穀物茶をひと口含む。その哲学的な内容に、興味を惹かれた。
「次に、三つの誓いです」
二本、三本と指が増えていく。
「慈愛――弱きを助け、決して傷つけぬこと。節度――力も財も独り占めせず、余剰は必ず分かち合うこと。奉仕――日々ひとつ、誰かの役に立つ行いをすること」
言い切ると、シノは得意げに微笑んだ。
レモネードの泡が、こつこつと小さく弾ける音が、静かな店内に響く。
ボンノーは窓外の川を見つめた。
連なって流れる光の帯。ひとしずくは小さくとも、集えば大河となる。
(己を見つめ、他者へ注ぐ。仏教で申せば利他行に近い。いや、レファリア教の言う他者利は、"先に他者を立てる心"をもう一歩、積極的に前へ押し出しておるのう)
胸の内でそっと整理する。
(拙僧の歩みも、結局はそこへ向かっておる。人は独りでは生きられぬ)
「ボンノーさま? どうかされました?」
シノが心配そうにのぞき込む。
「お口に、クリームが……ついてます」
シノはハンカチを取り出し、恥ずかしそうに視線をそらしながら、そっとボンノーの口元をぬぐった。その手つきは、まるで愛おしいものに触れるように優しい。
「……失礼しました。つい……」
「お恥ずかしい。甘味に心を奪われました」
「ふふっ、かわ――い、いえ、尊いです。ボンノーさまの無邪気な一面が見れて」
シノは慌てて視線を落とし、フォークでタルトを小さく切った。耳まで真っ赤になっている。
(ボンノーさまの無防備な姿……可愛い……守ってあげたい……)
内心でにやにやが止まらないシノだった。
◆ ◆ ◆
ケーキ店で和やかな時間を過ごした後、二人は再び街を歩き始めた。
シノは歩幅を半歩だけ縮め、そっとボンノーの袖口をつまむ。まるで恋人のような距離感だった。
「聖河アレムは本当に美しいですな。黄金に輝く川など、扶桑でも見たことがない」
ボンノーが川を眺めながら、感慨深げに言った。
「はい」
シノが優しく微笑む。
「第一柱――生命の女神レファリア様。彼女は虚無の海に命の雫を落とし、大地を作り、草木を芽吹かせ、川を流しました」
まるで物語を語るように、シノは詩的に続けた。
「その水脈は今日も『聖河アレム』として絶えず流れ続けているんです。命の源流として」
「そして、遥か昔、この国が魔王軍に攻められた時――」
シノの声が少し真剣になり、語り部のような口調になる。
「聖河アレムが血で真っ赤に染まりかけましたが、三柱の加護で突如黄金色に輝き、傷や呪いを一瞬で癒したという伝説があります」
「ほう……」
「このことは『黄金聖水の奇跡』と言われ、今も語り継がれています」
シノは誇らしげに語った。
ボンノーは深く頷きながら、この世界の歴史の深さに思いを馳せた。
◆ ◆ ◆
しばらく美しい街並みを眺めながら歩いていると――
広場の片隅で、誠実そうな神官風の男が露店を出していた。白いローブが夕日に映えている。
「さあさあ、本日限り! 黄金聖水の特別販売でございます!」
男の前には、黄金色に輝く液体が入ったガラス瓶が整然と並べられていた。
夕日を受けて、確かに神々しく輝いている。
「黄金聖水……?」
シノが興味深そうに、目を輝かせながら近づいた。
「お嬢さん、よくぞお気づきになりました」
神官風の男が丁寧に、深々と頭を下げる。
「これは『聖河アレム』の源泉で採取した、正真正銘の黄金聖水でございます」
男は瓶を一本手に取り、光に透かして見せた。
「魔力を即座に、そして著しく回復できる奇跡の水。戦闘で疲弊した魔法使いには必需品でございましょう。まさに神の恵みです」
「本当に効くのですか?」
ボンノーが訝しげに尋ねる。
「もちろんでございます! ちょうどここに試飲用が――」
小さなコップのあたりに、さわやかな柑橘の香りが漂った。
男が小さなコップを示そうとした、その時。
「おっ、ラッキー!」
黒ローブを着た冒険者風の魔法使いが、突然息を切らして現れた。
「へとへとなんだ、魔力が空っぽで……ちょうど良かった」
「あ、お客様! それは試飲用でして――」
男が慌てて手を伸ばすが、冒険者は既にコップを手に取っていた。
「えっ、飲んじゃダメなの?」
「い、いえ! その……どうぞ」
男は苦笑いを浮かべながら、仕方なさそうに頷いた。
冒険者は試飲用のコップを一気に飲み干した。
「おお、これは……!」
冒険者の顔がみるみる輝く。
「体が軽くなった! 魔力が戻ってきた感じがする!」
そう言い残して、冒険者は感謝しながら足早に去っていった
「申し訳ございません」
神官風の男が困ったように頭を下げる。本当に申し訳なさそうだ。
「試飲用がなくなってしまいました。ですが――」
男は自信たっぷりに胸を張った。
「万が一、効果にご満足いただけなかった場合は、代金は全額お返しし、さらに迷惑料として銀貨一枚をお渡しいたします」
「返金保証付きなのですね。それなら安心」
シノが感心したように言った。
「お値段は?」
「金貨一枚でございます。破格のお値段です」
ボンノーは躊躇した。金貨一枚は相当な大金だ。宿代の何日分にもなる。
しかし――
(魔力の即座回復……これがあれば、戦闘で大いに役立つ。仲間の命を救うかもしれぬ)
シノも同じことを考えていたようだ。目を輝かせている。
「ボンノーさま、絶対に買うべきです!」
シノが強く推す。
「これがあれば、いざという時に仲間を守れます!」
結局、ボンノーは二本、シノも二本購入することにした。
「あ、ナターシャさんの分も買っておきましょう。きっと喜びます」
シノの提案で、さらに二本追加。
合計六本、金貨六枚という大金を支払った。
「ありがとうございます。良いお買い物をなさいました」
神官風の男が深々と頭を下げる。
「きっとご満足いただけるはずです。神の加護がありますように」
手にした黄金聖水の瓶は、夕焼けを受け、いっそう濃い黄金色に煌めいていた。
二人は大切そうに瓶を抱えて、宿へと戻った。
◆ ◆ ◆
夜、宿屋『水鏡楼』――
女子部屋に全員が集まっていた。
「見てください! すごいものを買ってきました!」
シノが誇らしげに黄金聖水の瓶を高々と掲げる。
「これで魔力不足も解決です!」
「黄金聖水?」
ナターシャは口の端だけで笑った。
「へぇ、本当に黄金色だね。綺麗」
ヴィヴィも感心している。瓶の中で、光がとろりと魅惑的に揺れた。
「これで魔力疲労も一気に解決できるはずじゃ! 戦闘が楽になる!」
ボンノーが自信満々に説明する。
「聖河アレムの源泉で採取された、正真正銘の――」
「で、いくらで買ったの?」
ヴィヴィが身を乗り出して尋ねた。
「金貨六枚です」
シノが胸を張って答える。
瞬間――部屋の空気が凍りついた。
「ろ、六枚!? 六金貨!?」
ヴィヴィが目を丸くした。
「六金貨……当面の路銀が半分か。効くなら安いが」
グレアはあっさりと頷いた。効き目が先、値段は後回し――そんな顔だ。
ナターシャは頭を抱え、天を仰いだ。
「お坊様、シノちゃん」
ナターシャがゆっくりと、諭すような口調で口を開く。
「ひとつ、開けてみて」
「は、はい……」
嫌な予感を感じながら、ボンノーは瓶の栓を開けた。
そして、恐る恐る匂いを嗅いだ瞬間――
「うっ!」
ボンノーは反射的に顔をそむけた。
なんとも言えない独特の臭気が鼻を突く。どこかで嗅いだことのあるような、しかし口に出すのも憚られる類の……。
「ぁ……」
シノが顔面蒼白になり、唖然とする。
騙された。完全に、徹底的に騙された。
「うっ」
グレアが鼻をつまみ、後ずさる。
「くさいよ〜 なにこれ〜」
ヴィヴィも顔をしかめた。
ナターシャは無言で蓋を閉め、前髪を耳にかけて視線を前に戻した。
一呼吸置いて――ため息と共に言った。
「こんなのでよければ、あたいがいくらでも作ってあげるのにさ」
瓶の口を爪でコツンと弾き、いたずらっぽく、そして呆れたように目を細めた。
◆ ◆ ◆
「御本尊様、シノちゃん」
ヴィヴィが腕を組んで立ち上がった。
「そこに正座してください」
有無を言わせぬ迫力に、二人は素直に正座した。
「はい……」
「ごめんなさい……」
ヴィヴィの説教タイムが始まった。彼女の声が、部屋中に響き渡る。
「いい? 世の中にはね、うまい話なんて絶対にないの! 分かる?」
「はい……」
「特に露店の怪しい商品なんて、十中八九詐欺なの!」
「ごめんなさい……」
「金貨六枚あったら、どれだけ美味しいもの食べられたと思ってるの!? 高級宿に何日泊まれたと思ってるの!?」
ヴィヴィの説教は延々と三十分に及んだ。
ボンノーとシノは、ひたすら頭を下げ続けた。
「申し訳ございません……」
「ごめんなさい……」
グレアは複雑な表情で見守っていた。腕を組み、壁に寄りかかっている。
(仲間のためを思えば……私も同じことをしていたかもしれない)
グレアは、少し申し訳なさそうに二人を見つめる。
一方、ナターシャは苦笑しながら腕を組んでいた。
(……ま、勉強代ってやつなのさ。世の中、甘くない。ふたりにはいい経験だよ)
◆ ◆ ◆
その頃、王都セレスティア――
レファリア教団大聖堂の鐘楼から、重厚な鐘の音が響いた。
ゴーン……
一度だけ打ち鳴らされた鐘。その音は、夜の静寂を切り裂くように響き渡る。
それは、ヨコマール枢機卿が密かに仕組んだ「十四の晩鐘」の最初の一打だった。
街の人々は、その音を聞いて安堵の息をついた。
「戒厳令解除まで、あと十三日か。もうすぐ平穏が戻る」
誰もが、そう信じていた。
まさかそれが、滅亡への秒読みだとは知らずに――
◆ ◆ ◆
窓の外では、夜の帳が完全に下りていた。星が冷たく瞬いている。
ボンノーは正座したまま、深く反省していた。
(金貨六枚……高い勉強代じゃった……)
シノも隣で小さくなっている。肩を落とし、しょんぼりしていた。
(でも、ボンノーさまとふたりきりでデートできたから……
密かにそう思い、心の中で自分を慰めるシノだった。
明日、一行は再び王都へ向けて出発する。
時は、確実に、無情に刻まれていく――
――セレスティア滅亡まで、あと十三日――




