第25話 拙僧、コンゴウ山にて王都決戦への覚悟を固める
朝――
宿屋『銀狼亭』の食堂に、雨上がりの朝日が差し込んでいた。
窓の外には清々しい青空が広がり、残された水たまりが陽光をきらきらと反射している。
「おはようございます、皆様」
シノが微笑みながらパンとスープを配る。
「昨夜はよく眠れましたか?」
「ああ、おかげさまで」
グレアは兜を被ったまま低い声で答えたが、その声音には昨夜とは違う晴れやかさが宿っていた。
「あたしはぐっすりだったよ〜」
ヴィヴィが大きく伸びをする。
「雨の音って、なんか落ち着くよね」
「そうなのさ。雨音は月の女神の子守歌とも言われているからね」
ナターシャが穀物茶を啜りながら応じた。
朝食の席で、ボンノーが口を開いた。
「戒厳令が敷かれて、街の空気も重苦しい。ここは一つ、気分転換に山歩きなどいかがかな?」
「ハイキング?」
シノが首を傾げた瞬間――
「ていとくぅ〜! コンゴウ山に連れていくデース!」
ヴィヴィが突然立ち上がって叫んだ。
その突拍子もない発言に、一同は呆気に取られた。
ボンノーは静かに思いを巡らせる。
(このバナテールにも金剛という名の山があるのか……)
遠い記憶が蘇る。扶桑皇国の誇り高き戦艦「金剛」――巡洋戦艦から高速戦艦へと改装された歴戦の勇士の姿が、脳裏をよぎった。
そして、ヴィヴィの「ていとく」という呼び方に苦笑する。提督といえば本来は中将クラスが務めるもの。自分のような少尉には過ぎた呼び名であった。
「拙僧は提督ではなく、下働きでした」
ボンノーが苦笑しながら答える。
「えー! ボンノーさんは船乗りだったから、きっと偉い提督だと思ってたのに……」
ヴィヴィが少ししょんぼりした。
「でも、ハイキングは良い考えですね」
シノが優しく話題を戻す。
「気分転換に、少し体を動かすのもいいかもしれません」
「俺もシノに賛成だ」
グレアが頷いた。
「決まりなのさ!」
ナターシャも立ち上がる。
「では、昼飯を持って軽い山歩きに参ろう」
ボンノーが錫杖を手に取った。
◆ ◆ ◆
リントベルクから南東へ一時間――
コンゴウ山と呼ばれる小高い山がそびえていた。標高こそさほど高くないが、頂上からの眺めは絶景として知られている。
「さあ、登るよ〜!」
ヴィヴィが先頭を切って山道を進む。
木漏れ日が優しく一行を包み、鳥のさえずりが心地よく響く。時折、リスが木々の間を駆け抜けていく。
「気持ちいいですね」
シノが深呼吸した。
「街の喧騒を離れて、こうして自然の中を歩くのは」
◆ ◆ ◆
一時間ほどかけて、一行は山頂に到着した。
「わあ……!」
シノが感嘆の声を上げる。
眼下にはリントベルクの街並みが箱庭のように広がり、北方へ聖河アレムが黄金の帯のように流れている。白く強い昼の光が川面を磨き上げ、その先にはかすかに王都セレスティアの王城が望めた。
「絶景じゃな」
ボンノーが錫杖を地面に突きながら呟いた。
「あの川、王都まで続くんだよね? 黄金色に輝いて綺麗だねぇ~」
ヴィヴィが見とれている。
山頂には他に誰もいない。戒厳令の影響か、ハイキング客の姿は見えなかった。
「さあ、お昼にしよう!」
ヴィヴィが持参した包みを広げる。
パン、チーズ、果物、干し肉などを岩の上に並べた。
「いただきます」
全員で手を合わせ、和気あいあいと昼食を取り始める。
「このチーズ、美味しいね!」
「ああ、リントベルク名産らしいよ」
「果物も甘くて最高なのさ」
しばし、穏やかな時間が流れた。
◆ ◆ ◆
食事が一段落したところで、ボンノーが静かに口を開いた。
「皆様、語らねばならぬことがございます」
空気が引き締まる。
「ヨコマール枢機卿について、そして……」
ボンノーは一度言葉を切った。
「その前に、シノ殿……いや、リリア殿。聖女リリアの生い立ちをお聞かせ願えますか」
シノ――聖女リリアは少し驚いたように目を見開いたが、やがて静かに頷いた。
「私の過去を、お話しします」
リリアは遠い目をしながら語り始めた。
「十六年前……私は王都セレスティアの大聖堂で、籠の中に入った赤ちゃんとして発見されました」
風が優しく髪を撫でる。
「ヴィタリス教皇様は、私を生命の女神レファリア様が千年に一度バナテールに遣わす代行者だと仰いました」
「千年に一度……」
ナターシャが呟く。
「シスターの方々と教皇様に大切に育てられ、私は聖女として生きてきました。でも……」
リリアの声が震えた。
「六か月前、ヴィタリス教皇様が教皇執務室で謎の死を遂げられました」
「謎の死……?」
ヴィヴィが眉をひそめる。
「はい。突然のことで、誰も原因がわかりませんでした。そして四か月前……」
リリアは深く息を吸った。
「西の森で、私はガルドに殺されかけました。そこでボンノー様に助けていただいて、今に至ります」
「なるほど……」
ボンノーは静かに頷いた。
「では、拙僧からヨコマール枢機卿の話をいたしましょう」
ボンノーは立ち上がり、北方の王都を見据えた。
「一年前、レオシオン王子を殺害したのは、王位継承者を排除するためでしょう」
グレアの肩が震えた。
「六か月前、ヴィタリス教皇を殺害したのは、形式上の上位権力者を排し、教会の権力を掌握するため」
リリアが唇を噛む。
「五か月前、ルークス王を呪いにかけたのは、殺すより行動不能にしておいた方が都合が良いため」
「殺さず縛る……」
ナターシャが肩をすくめた。
「通りの目をごまかす時のやり口なのさ」
「もしクレア姫が表に出て戦っていたら、殺されていたでありましょう」
その言葉に、グレアが息を呑んだ。
「そして数日前、王国騎士団長が倒れたのも、国王派を機能不全にするためでしょう」
「そんな……計画的すぎる……」
シノが青ざめた。
「ヨコマール枢機卿は、極めて戦略的に権力奪取を進めております。今回の戒厳令は、その最終段階……あるいは、何か別の意図があるのかもしれませぬ」
「さらに……」
ボンノーの声が重くなる。
「ガルドを使い、若い女人をシスター見習いとして王都に集めているのは、良からぬ気配を感じます」
「まさか……」
ナターシャが顔をしかめた。
「生贄か何かに使うつもりなのさ?」
「その可能性は高いでしょうな」
ボンノーは深く息を吐いた。
「このリヴィエラ王国の腐りの根は、ヨコマールであると拙僧は考えます。彼を討たねば、この国はもたぬ」
◆ ◆ ◆
その時――
グレアが立ち上がり、兜を外した。
亜麻色の髪が風になびき、青い瞳が真っ直ぐにボンノーを見つめる。
「わたくしは――クレア。リヴィエラ王国の王女です」
クレアは深く頭を下げた。
「わたくしの大切な人を守るため……父上を、国を救うため、どうかお力をお貸しください」
リリアも立ち上がった。
「わたしも……かつて、わたしを大切にしてくれた人を傷つけたヨコマールを、止めたいです」
彼女もまた、深く頭を下げる。
「どうか、お力を貸してください」
「クレアちゃんは姫様で、リリアちゃんは聖女だったのね」
ナターシャが優しく微笑んだ。驚いた様子はない。
「あたいは、クレアちゃんもリリアちゃんも助けるさ」
姉御肌を見せながら、二人の肩に手を置いた。
「悪い人は許せない!」
ヴィヴィも拳を握りしめる。
「あたしも戦うよ! みんなのために!」
ボンノーは仲間たちを見渡し、静かに頷いた。
「――ヨコマールを討つため、王都セレスティアへ参ろう」
錫杖を高く掲げる。
「では、山を下りて街へ戻り、支度を整える。明朝、王都へ出立じゃ!」
クレアが小さく息を吸い、胸を張る。
「わたくしは誓います。この身に代えても、ヨコマールを討ち、この国を守ります!」
リリアは胸の前でそっと手を組んだ。
「レファリア様……わたしは祈ります。ヨコマールの穢れが祓われ、この国に安らぎが戻りますように」
◆ ◆ ◆
夕日が山を赤く染め始めた。
一行は山を下りながら、それぞれの決意を胸に刻んでいた。
王都への道は険しく、ヨコマール枢機卿という巨大な敵が待ち受けている。
しかし、今この瞬間、五人の絆は確かなものとなった。
明日、彼らは王都セレスティアへ向けて旅立つ。
リヴィエラ王国の命運を賭けた、決戦の地へ――




