第22話 拙僧、命の重さにて煩悩を超越する
悲鳴が聞こえた先へ急ぐ一行。
やがて、通路が開け、巨大な広間に出た。
そこには――
「な、なんだこれは……」
ボンノーが息を呑んだ。
灰銀の牙の四人が、血まみれで倒れていた。
◆ ◆ ◆
「う……ぐ……」
ザリオが苦痛に呻いていた。
左足と右腕に、何かが貫通したような大きな穴が開いている。血が止まらず、顔面蒼白だった。
「助け……て……」
か細い声で懇願する姿に、先ほどまでの傲慢さは微塵もなかった。
黒ローブのネルムは、失禁して気絶している。眼鏡は割れ、顔には恐怖の表情が張り付いていた。
巨躯のドランは右足を貫かれ、必死に止血しようとしているが、血は止まらない。
「イタイ……イタイ……」
片言で苦痛を訴える姿が、なんとも痛ましい。
そして――
「ユリス……ユリスぅぅぅ!」
ザリオの絶望的な叫びが響いた。
深緑の軽鎧を着た女性――ユリスが、腹部を撃ち抜かれて倒れていた。
美しかった顔は血の気が失せ、瞳は虚空を見つめたまま動かない。
息は――絶えていた。
「なんで……なんでだよ……」
ザリオが血を吐きながら、必死に這いずってユリスに近づこうとする。
「俺が……俺がちゃんと守ってやれば……」
◆ ◆ ◆
その時――
ズシン、ズシンと重い振動が伝わってきた。
「あれは……!」
広間の奥、巨大な影がうごめいていた。
全長10メートルはあろうかという巨大な蠍。
漆黒の外殻が不気味に光り、巨大なハサミが威嚇するように開閉している。
そして何より恐ろしいのは、その尾だった。
太く長い尾の先端から、透明な液体が滴っている。
「シューティングシャウラ……!」
ナターシャが震え声を上げた。
◆ ◆ ◆
「知ってるのか?」
グレアが剣を構えながら尋ねる。
「ああ、聞いたことがあるのさ」
ナターシャの声には恐怖が滲んでいた。
「尻尾から体液を硬化させて、弾丸のように撃ってくる化け物さ。獲物を安全圏から仕留めて、動けなくなったところを捕食する……とんでもなく賢いモンスターなのさ」
その説明が終わるか終わらないかのタイミングで――
ビュッ!
空気を切る音と共に、何かが飛来した。
◆ ◆ ◆
透明な弾丸が、真っ直ぐドランに向かって飛んでいく。
「ア、アブナイ!」
ドランが逃げようとするが、足の傷で動けない。
その瞬間――
「させない!」
ヴィヴィが素早く飛び出し、大盾を構えた。
ガァン!
凄まじい衝撃音と共に、弾丸が盾に激突する。
盾の表面に亀裂が走った。
「ヴィヴィ……」
呆然と見上げる。小柄なドワーフの少女が、自分を守っている。
喉が震え、今度ははっきりと――「……ヴィヴィ」
ドランの瞳に、初めて感情が灯った。
◆ ◆ ◆
「シノ殿!」
ボンノーが即座に指示を飛ばす。
「灰銀の牙の者たちに回復魔法を!」
「え? でも彼らは……」
シノが戸惑う。
「こんな奴ら、助ける必要があるのか?」
グレアも疑問を呈した。
「俺たちを罠にはめた連中だぞ」
ボンノーは静かに、しかし力強く答えた。
「命に貴賤なし。今、目の前で苦しんでいる者を見捨てることはできませぬ」
その瞳には、108年の人生で培われた慈悲の光が宿っていた。
「……わかりました」
シノが頷き、祈りの杖を掲げた。
「今はこれで申し訳ありませんが……」
『白ノ四式・サークルリジェネレーション!』
淡い緑の光が、灰銀の牙の面々を包み込む。
この魔法は消費魔力が少ない代わりに、回復がゆっくりと行われる。
傷口から血が止まり始め、わずかずつだが治癒が始まった。
「ありがとう……ございます……」
ザリオが涙を流しながら、礼を言った。
◆ ◆ ◆
ビュッ! ビュッ! ビュッ!
シューティングシャウラの攻撃は止まらない。
体液の弾丸が、雨のように降り注ぐ。
「全員、ヴィヴィ殿の後ろに! 密集陣形を取れ!」
ボンノーが的確に指示を出す。
「シノ殿、防御魔法を頼む!」
「はい!」
「生命の女神レファリアよ――我が祈りを受け、守護の環を顕現せよ!」
『白ノ二式・サークルプロテクション・ツヴァイ!』
淡い光輪が地面に広がり、仲間たちを包み込む。
「生命の女神レファリアよ――我が祈りを受け、仲間に祝福の息吹を与え給え!」
『白ノ二式・サークルブレス・ツヴァイ!』
温かな金光が降り注ぎ、仲間たちの身体に力が満ちる。
二重の加護が、仲間たちを守る。
◆ ◆ ◆
ガン! ガン! ガン!
ひっきりなしに飛来する弾丸が、ヴィヴィの盾を叩く。
(まるで軽機銃のようじゃな……)
ボンノーは懐かしい記憶を思い出しながら、状況を分析していた。
「このままでは接近できませぬ」
「どうする?」
グレアが焦りを見せる。
「ナターシャ殿」
ボンノーが振り返った。
「あの尻尾を切断する魔法はありますか?」
◆ ◆ ◆
「あるよ」
ナターシャが頷いた。
「でも、あたいの魔力が枯れて、その後は寝ることになるけどね」
「それでも、お願いします」
ボンノーの真剣な眼差しに、ナターシャは微笑んだ。
「わかったのさ。任せて」
両手を天に掲げ、集中する。
「月の女神ルナテミスよ――銀光を下し、我が敵を切り裂け!」
『黒ノ一式・エア・ドレイ!』
◆ ◆ ◆
空中に、巨大な真空の刃が形成され始めた。
透明な刃が、少しずつ、少しずつ大きくなっていく。
「一式魔法……!」
グレアが驚愕する。
「そんなものまで使えるのか」
ガン! ガガン!
その間も、ヴィヴィの盾は弾丸を受け続けていた。
「もう……限界……!」
盾に無数の亀裂が走り、今にも砕けそうだった。
◆ ◆ ◆
「お待たせ〜、なのさ!」
ナターシャが叫ぶと同時に、巨大な真空の刃が放たれた。
シュゥゥゥン!
音もなく空を裂き、一直線にシューティングシャウラの尾へ――
ズバッ!
見事に尾を切断した。
「ギィィィィィヤアアアア!」
シューティングシャウラが怒りと苦痛を混ぜた絶叫を上げる。
切断された尾から、緑色の体液が噴き出した。
シューティングシャウラの複眼が妖しく光り、残された八本の脚が岩床を激しく叩き、地面が低く唸るように震えた。
甲殻が軋む音とともに、殺気が洞窟全体を満たす。
◆ ◆ ◆
「あとは……頼んだのさ……」
ナターシャがシノにリフレッシュリングを手渡し、そのまま崩れ落ちた。
「ナターシャさん!」
「大丈夫……ちょっと寝るだけ……」
同時に、ヴィヴィも膝をついた。
「もう……無理……」
大盾がガラガラと音を立てて地面に落ちる。
前衛が崩れた。
◆ ◆ ◆
怒り狂ったシューティングシャウラが、巨大なハサミを振り上げて突進してくる。
ズシン! ズシン! ズシン!
地面が揺れ、土煙が舞い上がる。
「……よく耐えてくれた、ヴィヴィ!」
感謝の言葉を投げかけ、グレアが一歩前に出る。
兜の隙間から、亜麻色の髪先がふわりと揺れた。
「行くぞ……!」
「リヴィエラの姫騎士、その名に懸けて――勇気の光、いま解き放て!」
『姫騎士権能・ブレイブハート!』
赤いオーラが、グレアの全身から立ち上った。
通常の三倍…いや、それ以上の速度――!
赤い彗星の尾を思わせる残光を引きながら、グレアは間合いを詰める。
一閃。
右のハサミが火花と共に吹き飛ぶ。
二閃、三閃――紅の閃光が閃き、前脚が宙を舞う。
四閃、五閃、六閃――甲殻が裂け、蠍の巨体がよろめく。
七閃、八閃、九閃――まるで戦場に咲く紅蓮の華。
舞うように、斬るように、ただ静かに――美しい。
「ズギャァァァッ!」
巨体がのたうち回るが、グレアは跳び、くるりと回転して背後へ回り込む。
一瞬――視線が仲間たちを捉えた。
「守るべきもののために――斬る!」
赤いオーラが最高潮に達し、刃が眩く輝く。
『紅蓮剣・裂光斬!』
振り下ろされた一撃が、空間そのものを切り裂くように、巨大な蠍を真っ二つに切り裂いた。
甲殻が裂け、破片が閃光の中を舞う。
ズシンッ!――地響きと共に、蠍の巨体が崩れ落ちる。
◆ ◆ ◆
静寂が、広間を包んだ。
「……っ、う……ううあああああっ!」
突然、仰向けに倒れたまま、ザリオは血に濡れた拳で地面を叩きつけた。
その声は、絶望に満ちた魂の叫びだった。
「ユリス……ユリスぅぅぅ!」
必死に這いずって、動かないユリスの体にすがりつく。
「俺……俺、お前のこと好きだったんだ! でも、言えなくて……臆病で……」
血と涙でぐちゃぐちゃになった顔で、慟哭する。
「なんで死んじまうんだよ……まだ、何も伝えてないのに……」
◆ ◆ ◆
ボンノーが静かに近づき、ザリオの肩に手を置いた。
「……拙僧が、なんとかしよう」
「は?」
ザリオが振り返る。
「死んだ者を生き返らせるなんて……できるわけないだろ!」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔で叫ぶ。
ボンノーは静かに微笑んだ。
「シノ殿」
振り返って指示を出す。
「拙僧が蘇生しますゆえ、その後の回復魔法をお願いします」
「え? 蘇生……?」
シノも驚きを隠せない。
◆ ◆ ◆
ボンノーは錫杖を高く掲げた。
深く息を吸い、静かに詠唱を始める。
「ミホトケサマの御光をもって、死の縛めを解き放つ――魂よ、現世へ還れ!」
その言葉が結びとなり、煩悩が魔力へと変換され、白き光がほとばしる。
『白ノ零式・アルティメットリザレクション!』
錫杖が眩い白光を放ち始め、純白の光がユリスの体を包み込む。
洞窟を満たしていた鉄の匂いに、ひとときだけ清らかな香の気が混じる。
冷たい空気が和らぎ、頬を撫でる微かな温かさ――耳の奥で遠い鈴がひとつ澄む。
傷口が塞がり、血の気が戻り――
「……う……」
かすかに、唇が動いた。
◆ ◆ ◆
「ユリス!?」
ザリオが目を見開く。
シノが素早く詠唱した。
『白ノ三式・ヒール・ツヴァイ!』
回復魔法が、蘇ったばかりの体を癒していく。
「あ……れ……?」
ユリスがゆっくりと目を開けた。
「私……死んだはずじゃ……」
次の瞬間――
「ユリスぅぅぅ!」
ザリオが抱きついた。
「よかった……生きてる……生きてるよ……」
◆ ◆ ◆
「ザ、ザリオ!? ちょ、ちょっと!」
ユリスが真っ赤になって暴れる。
「離しなさいよ! 恥ずかしいじゃない!」
「離さない! 絶対離さない!」
ザリオは泣きながら叫んだ。
「俺、お前のことが好きだ! ずっと前から好きだった!」
「え……?」
ユリスの動きが止まる。
「お前のその高飛車なところも、実は寂しがりなところも、全部好きだ! だから……死なないでくれ!」
◆ ◆ ◆
「ば、馬鹿……」
ユリスの目からも涙が溢れた。
「今更……今更そんなこと言われても……」
小さく微笑む。
「……でも、嬉しい」
二人が抱き合う姿を、一同は温かく見守った。
その時――
「ヴィヴィ……」
ドランが這いずってヴィヴィに近づいてきた。
「ひぃっ!」
ヴィヴィが後ずさる。
◆ ◆ ◆
「ヴィヴィ、タスケテクレタ。ヴィヴィ、ヤサシイ。ヴィヴィ、ツヨイ」
ドランが必死に言葉を紡ぐ。
「ちょ、ちょっと待って! あたし、そういうのは……」
「ヴィヴィ、カワイイ、スキ――」
「助けてー! 御本尊様ー!」
ヴィヴィがボンノーの後ろに隠れる。
「ふふ、ヴィヴィも男を惚れさせるとは」
グレアが兜の奥で苦笑した。
「……モテモテじゃねぇか、ヴィヴィ」
◆ ◆ ◆
ザリオが土下座した。
「悪かった! 本当に悪かった!」
頭を地面にこすりつける。
「ボンノーの兄貴を罠にはめたり、馬鹿にしたり……最低だった」
ボンノーは静かに微笑み、手を差し伸べた。
「『煩悩ある者が己のためにだけ煩悩を振るえば、その煩悩はいつか己をも裂く。人は一人では強くなれぬ。守り、守られる者あってこそ……真の煩悩は宿るのじゃ』」
「煩悩……?」
「欲や執着のことです。それ自体は悪ではない。大切なのは、その使い方です」
ボンノーはザリオの手を取って立ち上がらせた。
「これからは、仲間を大切に」
「……ああ」
ザリオが涙を拭いながら頷いた。
◆ ◆ ◆
こうして、ボンノー一行と灰銀の牙は、共にダンジョンを後にした。
外に出ると、夕日が西の空を赤く染めていた。
二台の馬車が、ダンジョンの入口で待っていた。
「じゃあ、俺たちは先に行くよ」
明日、ギルドでクエストの報告をする約束を交わし、ザリオは手を上げた。
「ユリスの体調もあるし、先に帰らせてもらう」
「うむ、お大事に」
ボンノーが頷いた。
灰銀の牙の馬車が、ゆっくりと動き出す。
ドランが名残惜しそうにヴィヴィを見ていたが、ザリオに引っ張られて馬車に乗り込んだ。
◆ ◆ ◆
「さて、拙僧らも帰りましょうか」
ボンノーが自分たちの馬車に向かう。
グレアがナターシャを背負ったまま、慎重に荷台に乗せた。
「まだ起きそうにないな」
「黒ノ一式を使ったんだもん、当然だよ」
ヴィヴィが討伐の証として切り落としたシューティングシャウラの尻尾を荷台に放り込みながら言う。
「……少し疲れましたが、大丈夫です」
シノも疲労の色を隠せない。
「私も……魔力をかなり使いました」
◆ ◆ ◆
馬車がゆっくりと動き出す。
夕焼けの街道を、リントベルクへと向かって進んでいく。
荷台では、ナターシャが静かな寝息を立てていた。
その手には、先ほどシノがそっとはめた《リフレッシュリング》が淡く光っている。
ヴィヴィも大盾にもたれかかって、うとうとし始める。
その穏やかな寝顔を横目に、シノが静かに呟いた。
「ボンノーさまは、本当に死者を蘇生できるんですね……」
「拙僧にもなぜだかわからぬが――」
ボンノーも深く息をついた。
「命の重さを、改めて感じる一日でしたな」
グレアが手綱を握りながら、小さく頷く。
「あいつらも、変わるだろう」
夕日に照らされた馬車は、ゆっくりと街道を進んでいく。
今日という日が、それぞれにとって大きな転機となったことを胸に刻みながら――。




