第21話 拙僧、伝説の指輪と邂逅す
ブラッドウルフの死骸が転がる洞窟に、ようやく静寂が戻った。
「ふう……なんとか切り抜けましたね」
シノが額の汗を拭いながら、ほっと息をついた。
「さすがナターシャ姐さん! あのメガフレア、すごかったよ!」
ヴィヴィが目を輝かせながら興奮気味に声を上げる。
「ふふ、みんなもお疲れ様」
ナターシャが褐色の肌に光る汗を手の甲で拭いながら、艶やかな髪をかき上げた。
「しかし、まさか五十匹もいるとはな。灰銀の牙の連中、想像以上に悪質だ」
グレアが剣を鞘に納めながら苦々しく舌打ちする。
「確かにそうですな。しかし、おかげで拙僧らだけでこの空間を調べることができる」
ボンノーが錫杖を軽く地面に突きながら、洞窟の奥を見回した。
◆ ◆ ◆
「……おや? あれは……」
ナターシャが突然足を止め、壁際の影を指差した。
半ば岩屑に埋もれた古びた宝箱が、厚い埃をかぶってひっそりと佇んでいる。
「宝箱だ!」
ヴィヴィが反射的に飛びつこうとする――が、ボンノーが素早く彼女の袖をつまんで制止した。
「待たれよ、ヴィヴィ殿。罠の可能性を考慮せねば」
「あ、そっか……ごめん」
ヴィヴィは舌を小さく出して照れ笑いを浮かべる。
「ボンノー様の言う通りです。こういう場所の宝箱は特に慎重に」
シノも警戒を促しながら頷く。
一同は武器を構え直し、警戒しながらゆっくりと宝箱へと歩み寄った。
「うわー! 本物の宝箱だよ! 実物初めて見た!」
ヴィヴィが瞳をキラキラさせる。
「なんか、本当に冒険してる! って実感が湧いてくるね!」
手のひらサイズの小さな木箱だが、精巧な金の装飾が施されており、一目で高価な品だと分かった。
◆ ◆ ◆
「これは……実に見事な細工ですな」
ボンノーが箱の装飾を眺めながら感嘆の声を漏らす。
「ただ、鍵がかかってるな」
グレアが箱を慎重に調べながら指摘した。
小さいが頑丈そうな金属の鍵穴が、箱の前面にぽっかりと口を開けている。
「ふふ、こういう時こそ、あたいの出番なのさ」
ナターシャが不敵な笑みを浮かべた。
「趣味と実益を兼ねた、お楽しみの時間さ」
彼女が懐から取り出したのは、革製の小さなケース。
開くと、様々な形状の細い金属の棒が整然と並んでいた。
「シーフツール……!」
シノが目を丸くする。
「本格的ですね」
「百八年も生きてればね、色んなスキルが身につくものさ」
◆ ◆ ◆
ナターシャは慎重に二本の細い棒を選び取り、鍵穴にそっと挿入した。
カチャ……カチ……カチャ……
微細な金属音が、静かな洞窟に響く。
「ん〜、この感触は……ふむ、一昔前のドワーフ製錠前ね。懐かしい手応えさ」
目を閉じ、指先の感覚だけを頼りに、複雑な内部機構を探っていく。
その集中した横顔は、まさに職人のそれだった。
「……よし、捉えた」
ナターシャの表情がぴくりと変わった。
「いくよ」
カチッ!
澄んだ音と共に、重い蓋がわずかに浮き上がった。
「やった! 開いた!」
ヴィヴィが小さく飛び跳ねながら歓声を上げる。
ナターシャがゆっくりと蓋を持ち上げると――
薄暗い洞窟の中で、琥珀色の光が妖しくきらめいた。
「これは……指輪?」
シノが首を伸ばして覗き込む。
美しい琥珀色の宝石が中央に鎮座する、精巧な金の指輪だった。
◆ ◆ ◆
「おおお〜! なにこれ、ずごぉく綺麗!」
ヴィヴィが感嘆の声を上げる。
「宝石が、まるで生きてるみたいに光ってる!」
「確かに、これは尋常ならざる品ですな」
ボンノーも指輪に見入りながら呟く。
ナターシャが慎重に指輪を手に取り、松明の光にかざして仔細に観察した。
琥珀の中で、まるで炎が踊っているかのような輝きが揺らめく。
「これは……まさか……いや、でも……」
「何か心当たりがあるんですか?」
シノが身を乗り出して尋ねる。
「あたいの推測が正しければ……『リフレッシュリング』かもしれない」
ナターシャの声に、抑えきれない驚愕が滲んでいた。
「長い間行方不明になっていた伝説のマジックアイテムで、装着者の魔力を微量ながら継続的に回復させる、まさに幻の指輪なのさ」
「伝説の……!?」
グレアが息を呑む。
「そんな代物が、こんな辺鄙な洞窟に?」
◆ ◆ ◆
「もし本物なら……」
ナターシャが震える声で続ける。
「金貨に換算することすら不可能なほどの価値があるのさ。王家の宝物庫にすら存在しない、まさに伝説級の逸品さ」
その瞬間、洞窟の空気が一変した。
全員の視線が、小さな指輪に釘付けになる。
「グ、グレアの実家の宝物庫にもないの……?」
ヴィヴィの口がぽかんと開いたままになった。
「そんな……本当に伝説のアイテムが……?」
シノが信じられないという表情で呟く。
ボンノーは指輪を凝視したまま、動かなくなっていた。
(伝説級のアイテム……まさか拙僧らごときが手にするとは……)
◆ ◆ ◆
「まあ、本物だったらの話だけどね」
ナターシャが肩をすくめる。
「精巧な偽物や、下手すりゃ呪いのリングって可能性も十分あるからね」
「呪い……?」
シノが不安そうに身を引く。
「そうさ。でもまあ」
ナターシャは迷うことなく、指輪を左手の中指にすっと滑らせた。
「万が一呪われても、お坊様がいるでしょ?」
「ちょ、ちょっと待たれよ!」
ボンノーが慌てて制止しようとしたが――
「南無三宝……」
もう遅かった。
すでに指輪は彼女の指に収まっていた。
重苦しい沈黙が流れる。
一同が固唾を呑んで見守る中、ナターシャは何事もなかったかのように立っていた。
「……どうやら、呪いの類は発動しないようね」
「良かった……」
シノが大きく息を吐きながら胸を撫で下ろす。
◆ ◆ ◆
ナターシャは静かに目を閉じ、自身の魔力に意識を集中させた。
「あ……これは……」
彼女の瞳が驚きに見開かれる。
「魔力が……ゆっくりと、でも確実に回復していくのが分かる」
「ということは……」
ボンノーが恐る恐る尋ねる。
「本物なのさ!」
ナターシャが興奮を隠せない様子で叫んだ。
「間違いない! これは本当にリフレッシュリングだったのさ!」
「考えてみれば、人食い狼の巣なんて場所」
ナターシャが興奮を抑えながら説明する。
「普通の冒険者は絶対に近寄らないから、何十年、いや何百年も放置されていたんでしょう。まさかこんな貴重なアイテムが眠ってるなんて、夢みたいな話さ」
「ほ、本物の伝説級アイテム……」
ヴィヴィが呆然と呟く。
グレアも言葉を失っていた。
「魔法使いが一生をかけて探し求めるという、あの幻のアイテムか……」
◆ ◆ ◆
「し、しかし、これをどう扱えば……」
シノが困惑した表情を浮かべる。
「こんな伝説級のアイテム、売却なんてとてもできません」
「売るなんてとんでもないのさ」
ナターシャが即座に首を振る。
「こんな貴重な品、二度と手に入らないかもしれない。それに、これは金銭に換算するような代物じゃないのさ」
「では……誰が持つ?」
グレアが現実的な問題を提起した。
しばらく話し合った結果――
「シノ殿が預かり、必要に応じて拙僧、ナターシャ殿、シノ殿で使うということでいかがでしょう?」
ボンノーの提案に、一同が頷いた。
「今は、メガフレアで魔力を消費したナターシャ殿がそのまま装着していただくのがよろしいかと」
「ありがたいのさ。あの範囲魔法は魔力消費が激しくて、せいぜい二回が限界だからね」
ナターシャが嬉しそうに指輪を見つめた。
◆ ◆ ◆
宝箱発見の興奮も冷めやらぬまま、一行は巣の左奥に狭い抜け道を発見。それを通り抜けると、より広い通路へと合流した。
「ここから先へ進めそうですね」
シノが安堵の表情を浮かべながら、胸に手を当てた。
合流した道には、無数の足跡が奥へと続いていた。
「おそらく、灰銀の牙の連中が通った跡でしょうな」
ボンノーが地面の痕跡を見ながら推測する。
予想通り、通路には灰銀の牙が暴れ回った凄惨な痕跡が残されていた。
モンスターの死骸は無残に踏み潰され、血飛沫が壁一面に飛び散っている。
宝箱は鍵穴ごと粉砕され、木片や金具が辺り一面に散乱していた。
「ひどい有様だな……」
グレアが眉をひそめる。
「宝箱まで破壊するなんて……」
「本当に粗暴な連中なのさ」
ナターシャも呆れたように嘆息する。
皮肉なことに、灰銀の牙が道中の敵を一掃してくれたおかげで、道中の敵は皆無だった。
「ある意味、感謝すべきなんでしょうか」
シノが複雑な表情で苦笑する。
「なんか釈然としないけどね」
ヴィヴィも同じ気持ちだった。
◆ ◆ ◆
最奥部に近づくにつれ、洞窟の空気が次第に重く、禍々しくなってくる。
そして――
「……助けて……誰か……」
「誰か……お願いだから……死にたくなぃ……」
絶望に満ちた、か細い声が洞窟の奥から響き、そして途絶えた。
「今のは……灰銀の牙の声か?」
ボンノーが警戒心を露わに眉をひそめる。
その声には、恐怖と絶望だけが込められていた。
一行は顔を見合わせ、武器を構え直すと、慎重に最奥へと歩を進めた――




