第20話 拙僧、褐色姐さんの月光制裁にて範囲魔法の恐怖を知る
翌朝、宿屋『銀狼亭』――
「さて、今日も稼がねばなりませぬな」
ボンノーが錫杖を手に立ち上がる。昨夜のジューシーボアステーキで腹は満たされたが、路銀はまだ心もとない。
「そうだね! もっと稼いで、美味しいもの食べよう!」
ヴィヴィが元気よく大盾を背負った。その大盾は彼女の身長ほどもあるが、軽々と扱っている。
「冒険者ギルドへ参りましょう」
シノも祈りの杖を握りしめる。朝の光が、杖頭に反射して眩しい。
「今日はどんな依頼があるかな」
ナターシャが伸びをしながら呟いた。褐色の肌が朝日に照らされ、健康的な艶を放っている。
◆ ◆ ◆
冒険者ギルド――
掲示板の前に、人だかりができていた。冒険者たちのざわめきが、普段より大きい。
「なんだろう?」
ヴィヴィが背伸びして覗き込む。小柄な彼女には、人垣を越えるのも一苦労だ。
その中央には、一枚の羊皮紙が貼られていた。赤い封蝋で留められた、緊急依頼の証。
**【緊急依頼:ヌマーノ湿地帯ダンジョン脅威制圧】**
**報酬:金貨20枚**
**内容:新発見ダンジョンより魔物が出現。近隣住民に被害拡大中。至急討伐求む**
「金貨二十枚!?」
ヴィヴィの目が輝いた。それは、ボンノー一行らの宿代1月分にも相当する大金だ。
「これは大きい依頼ですね」
シノも興味深そうに見つめる。
「よし、これを受けよう」
グレアが即決した。騎士としての責任感と、路銀への渇望が彼を突き動かす。
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カウンターへ向かうと――
「おっと、その依頼は俺たちが受けるぜ」
低い声が響いた。振り返ると、灰銀色の鎧を着た長身の男が立っていた。彫りの深い顔立ちは確かに整っているが、どこか鼻につく自信に満ちている。まるで世界が自分を中心に回っていると信じているような、傲慢な笑み。
「灰銀の牙のザリオだ。昨日の偵察で把握済みだ。依頼は俺たちのもんだ」
その背後には、三人の仲間が控えていた。それぞれが高級な装備を身に着け、明らかに格上のパーティーだと示している。
深緑の軽鎧に金茶の髪を束ねた女が、冷ややかな笑みを浮かべている。
「あら、銅や銀のプレートで金貨二十枚の依頼? 身の程を知らないのかしら」
弓使いのユリスが鼻で笑う。その口調には、見下しと侮蔑が滲んでいた。
◆ ◆ ◆
「ドケ」
巨躯のスキンヘッドが、ヴィヴィを睨みつけた。2メートルを超える筋肉の塊が、小柄な少女を威圧する。
斧を肩に担いだドランの威圧感に、ヴィヴィは大盾を構える。しかし、その手は微かに震えていた。
「なによ、いきなり!」
「チビ、ジャマ」
ドランの言葉は短く、暴力的だった。
黒ローブの痩せぎすな青年――ネルムが眼鏡を光らせた。その瞳には、計算高い冷酷さが宿っている。
「ギルド規約では、先に掲示板を確認した者に優先権があるんですがねぇ。君たちは後から来たでしょう?」
「何を言う!」
グレアが一歩前に出た。
「俺たちが先に見ていた!」
「証拠は?」
ザリオが鼻で笑う。
「お前の言葉だけじゃ、証明にならねぇな」
◆ ◆ ◆
「なら、決闘で決めるか?」
グレアが剣の柄に手をかけた。騎士の誇りが、彼女を突き動かす。
ザリオも腰の剣を抜きかける。刃が鞘から覗き、殺気が漂い始めた。
「上等だ、おっさん騎士。相手してやる」
一触即発の空気が流れる中――ギルド内の冒険者たちが、息を呑んで見守っている。
「待たれよ」
ボンノーが錫杖を地面に突いた。澄んだ音が、ギルド内に響く。その音には、不思議な説得力があった。
「争いは何も生みませぬ。話し合いで――」
「うるせぇ、坊主!」
ザリオが怒鳴る。唾が飛ぶほどの怒声だった。
「引っ込んでろ!」
◆ ◆ ◆
その時――
「何事だ!」
奥からギルドマスターが慌てて出てきた。片耳の古傷のある白髪の老人だが、かつては高名な冒険者だったという威厳がある。その眼光は、まだ鋭さを失っていない。
「ギルド内での私闘は禁止だぞ!」
「ギルドマスター、この依頼は――」
ザリオが言いかけた時、ギルドマスターが提案した。長年の経験が導き出した、最善の解決策。
「共同依頼にしてはどうだ? 報酬は山分けになるが、安全性は上がる」
「共同だと……?」
ザリオが顔をしかめる。明らかに不満そうだったが、ギルドマスターに逆らうわけにもいかない。
「拙僧は賛成です」
ボンノーが静かに頷いた。
「協力すれば、より確実に任務を遂行できましょう」
「ちっ……」
ザリオは舌打ちしながらも、渋々頷いた。
「いいだろう。共同だ」
◆ ◆ ◆
ヌマーノ湿地帯への道中――
二台の馬車が、並んで湿地帯へと向かっていた。車輪が泥道を踏みしめる音が、不規則なリズムを刻む。
灰銀の牙の馬車からは、時折嘲笑が聞こえてくる。
「あいつら、絶対何か企んでるよ」
ヴィヴィが不満そうに呟く。
「同感さ。でも証拠がないからね」
ナターシャが肩をすくめた。
「警戒は怠らぬようにしましょう」
シノも不安そうに前方を見つめていた。祈りの杖を、いつもより強く握りしめている。
◆ ◆ ◆
ダンジョンの入口――
じめじめとした空気が肌にまとわりつく。湿地特有の腐敗臭が鼻を突き、不快感を増幅させる。
二台の馬車から、それぞれのパーティーが降り立った。
「なあ、坊主」
ザリオが不敵な笑みを浮かべた。
「共同はダルい。先にボス落とした方が総取りだ。乗るか?」
「それは……」
シノが不安そうに呟くが、ボンノーは静かに答えた。
「よろしいでしょう。正々堂々と競い合うのも、また一興」
「へっ、話が分かるじゃねぇか」
ザリオが仲間たちと目配せする。
◆ ◆ ◆
ダンジョンの分岐点――
二つの道が、暗闇へと続いている。どちらも同じように不気味で、危険な雰囲気を漂わせていた。
「右が俺たちだ」
ザリオが親指で右の通路を指した。
「てめぇらは左」
「なぜ拙僧らが左なのです?」
「文句あんなら帰れ」
ユリスが嘲笑う。
「臆病者には無理な依頼よね」
「……わかりました」
ボンノーは仲間たちを見回し、頷いた。何か引っかかるものを感じながらも、進むしかない。
「では、左へ参りましょう」
◆ ◆ ◆
ランタンの灯りを頼りに、左の通路を進む。オレンジ色の光が、湿った壁に不気味な影を作り出していた。
「なんか嫌な感じ……」
ヴィヴィが呟く。
「あいつら、絶対何か企んでる」
「同感だけど、証拠がないのさ」
ナターシャが肩をすくめた。
しばらく進むと、通路が広がり、大きな空間に出た。天井が高く、まるで地下闘技場のような広さだった。
「ここは……?」
一歩足を踏み入れた瞬間――
『黒ノ三式・ストーン・ツヴァイ!』
背後から詠唱が響いた。ネルムの冷たい声だった。
ゴゴゴゴッ!
大きなの岩石が降り注ぎ、入口を完全に塞いでしまった。退路は断たれた。
◆ ◆ ◆
「があはははは!」
灰銀の牙の笑い声が、岩の向こうから聞こえる。悪意に満ちた、醜悪な笑い声だった。
「まんまと引っかかったな、坊主ども!」
ザリオの声だった。計画通りという満足感に満ちている。
「そこはブラッドウルフの巣だぜ! 人食い狼の餌になるがいい!」
「このダンジョンはまだ手付かずだ。中には宝箱も魔具も山ほど眠ってるはずだぜ。それを横取りされるわけにはいかねぇんだよ」
欲望と悪意に満ちた告白だった。
「じゃあな、坊主ども。せいぜい祈ってろ!」
ユリスの嘲笑と共に、足音が遠ざかっていく。
「くそっ! 罠だったのか!」
グレアが剣を抜いた。面頬の隙間で歯噛み(はがみ)の音が小さく鳴る。
◆ ◆ ◆
「シノ殿、明かりを」
『白ノ四式・サークルライト!』
白い光球が浮かび上がり、空間全体を照らし出す。
そして――
「こ、これは……!」
全員が息を呑んだ。恐怖が、背筋を凍らせる。
赤い眼が、無数に光っている。血のように赤く、飢えた眼が。
ブラッドウルフ――人食い狼が、50匹。
じりじりと包囲網を狭めてくる。涎を垂らし、低い唸り声を上げながら。
「ご、五十匹……!?」
ヴィヴィが震え声を上げる。大盾を構える手が、恐怖で震えている。
「これ、無理じゃない!?」
その時――
◆ ◆ ◆
「下がって!」
ナターシャが前に出た。褐色の肌が、白い光に照らされて艶めかしく輝く。
「あたいに任せるのさ」
両手を天に掲げ、高らかに宣言する。
「月の女神ルナテミスよ、銀光を下し、我が敵を焼き尽くせ!」
そして、にやりと笑った。いたずらっぽく——
「わるいわんこには、月に代わっておしおきなのさ!」
『黒ノ二式・メガフレア――ッ!!』
◆ ◆ ◆
巨大な火球が生成され、ブラッドウルフの群れの真上へ飛んでいく。それは小さな太陽のように輝いていた。
そして――
ドォォォォォン!!
まぶしい光と熱風が洞窟を揺らし、熱が肌を焼く。土壁が振動し、小石が落ちてくる。
無数の小さな火球が弾け、まるで火の雨のように群れを包み込んだ。
キャイン! キャイン!
断末魔の叫びが響き渡る。哀れな獣たちの最期の声。
40匹が一瞬で炭と化した。焦げ臭い匂いが、洞窟に充満する。
「す、すごぉぉいよぉ……」
ヴィヴィが呆然と呟く。
「ナターシャ姐さんは……もしかしてリッチロード!?」
「あたいはまだ死んでないのさ」
ナターシャが苦笑しながら髪をかき上げた。汗が褐色の肌を伝い、妖艶な雰囲気を醸し出している。
「リッチは不死の魔法使いでしょ? あたいはちゃんと生きてる百八歳の乙女なのさ」
◆ ◆ ◆
「もし、あのときリッチロードにこの魔法を撃たれていたら……」
ボンノーも冷や汗を流していた。
「拙僧ら、一瞬で全滅していたやもしれませぬ……」
範囲魔法の恐ろしさを、改めて実感する。
しかし――
10匹のブラッドウルフが爆炎を免れ、なおも迫ってくる。生き残った彼らは、より獰猛になっていた。
「まだいるよ!」
「私が!」
シノが素早く詠唱を始めた。祈りの杖が、柔らかな光を放つ。
「生命の女神レファリアよ――我が祈りを受け、安らぎの夢で敵を包み給え!」
『白ノ二式・サークルスリープ・ツヴァイ!』
白い霧が広がり、6匹のブラッドウルフが眠りに落ちた。
◆ ◆ ◆
「いい判断だね、シノちゃん」
ナターシャが褒めながら、追加の呪文を唱える。容赦のない、冷酷な魔法使いの顔になった。
「月の女神ルナテミスよ、銀光を下し、我が敵を蝕み尽くせ!」
『黒ノ二式・サークルポイズン・ツヴァイ!』
黒紫色の霧が、眠っているブラッドウルフを包む。猛毒の霧が、静かに命を奪っていく。
「寝てるまま、あの世行きさ」
毒に侵された狼たちが、苦しそうに痙攣しながら息絶えていく。
残り4匹――
「来るぞ!」
グレアが剣を構えた。
◆ ◆ ◆
4匹のブラッドウルフが、同時に襲いかかってきた。飢えた獣の最後の突撃だった。
グレアに1匹。その牙が、首筋を狙う。
ボンノーに1匹。錫杖を構える僧侶に、殺意を向ける。
そして、シノとナターシャを守るヴィヴィに2匹。最も小柄な彼女を、獲物と見定めたのだ。
「接近されたらあとはタンクに守ってもらうしかないのさ。ヴィヴィちゃん頼むのさ!」
ナターシャは短剣を構えながら言い放った。
「任せて!」
ヴィヴィが大盾を構える。小さな体に、大きな勇気が宿った。
ドカッ!
1匹目の突進を盾の角で打ち返し、そのまま撲殺。完璧なカウンターだった。
ガツン!
2匹目の牙が、盾に深く食い込んだ。
衝撃がヴィヴィの両腕を通じて大盾を震わせる。骨が軋む音がした。
「くっ……重い!」
◆ ◆ ◆
シュッ!
グレアの剣が鋭い弧を描き、ブラッドウルフの首を刎ね飛ばす。見事な太刀筋だった。
ズシャ!
そのまま返す刀で、ヴィヴィの大盾に噛みついている一匹を横合いから切り伏せた。
斬撃の衝撃に、獣の牙が盾から外れ、血飛沫が地面を染める。
「ありがと、グレア!」
「礼は後でだ。今は前を見ろ!」
最後の一匹――
ボンノーの錫杖が唸りを上げ、狼の頭蓋を粉砕した。鈍い衝撃音とともに、獣の体が力なく崩れ落ちる。
静寂が、洞窟に戻る。
生き残った者たちだけが、荒い息を吐いていた。
「……なんとか、切り抜けたか」
ボンノーが額の汗を拭った。生きていることの実感が、じわじわと湧いてくる。
大空洞に、静けさが満ちていく――




