第2話 拙僧、パンチラで煩悩耐性ゼロを悟る
それから、三日後――
薄暗い民家の一室。古びた木製のベッドに、二つの気配があった。
最初に目を覚ましたのは、少女だった。
「……ここは……?」
かすれた声とともに、少女はゆっくりと上半身を起こし辺りを見回す。
窓から差し込む柔らかな陽光が、肩にさらりとかかる淡い金糸の髪を照らしていた。
光の加減によっては白金にも見えるその髪。
透き通るような肌と翠の瞳が静かに揺れる。
気品とあどけなさが同居する顔立ちに、薄布のローブが揺れていた。
そして、そのすぐ隣の布団で、もう一人の気配がもぞりと動く。
「う……む……」
新村煩乃――この異世界に転生したばかりの少年僧は、まだ朦朧としながらも上体を起こしかけて――
次の瞬間、見てはならぬものを、見てしまった。
「えっ……あ……きゃっ!?」
少女が慌てて身を引くと同時に、はだけた布の隙間から、パン……
――いや、言うまい。
だがそれは確かに、純白の生地が月光のように輝いていた。
(煩悩を断ち切ったはずの拙僧が……なぜ、これほどに惑う……!)
――煩悩耐性・ゼロ――
修行僧として108年積み上げてきたはずの"煩悩断ち"の塔が、ものの一秒で崩れ落ちた。
鼻血がぷしゅ、と吹き出し、煩乃はそのまま気絶した。
「えっ!? えええっ!? なんで倒れたの!?」
少女の困惑の声が響くなか、平和な10分が経過した。
◆ ◆ ◆
「……お、落ち着け、拙僧……仏に帰依……すれば……いや、無理だあれは……」
10分後、煩乃は意識を取り戻し、布団に正座して念仏を唱えながら反省していた。
対する少女はというと、恥ずかしさを堪えつつ、穏やかな顔で口を開いた。
「あなたが助けてくれたの?」
「……記憶は曖昧だが、そんな気がする。君は、森で……」
「……うん。わたしは、リリアって言います」
彼女は小さく息を吸い込んでから続けた。
「リヴィエラ王国の聖教会に仕える者です。今回ヨコマール枢機卿の依頼で、神殿騎士とともに西の村へ向かっていたんです。でも……森の途中で、騎士たちが急に止まって……」
リリアは拳を握りしめ、小さく震えた。
「そのとき、ガルドという騎士が、突然わたしに襲いかかってきました。抵抗したけど、喉を切られて、胸に……あの黒い刃が……」
煩乃は黙って聞いていた。やはり、自分が見た通りだった。
「でも……気がついたら、こんな村にいて、傷はどこにもないの。……どうして、わたし、生きてるの?」
リリアは不思議そうに自分の胸に手を当て、確かめるように何度も撫でていた。
死を超えたはずの命。その蘇りを、彼女自身がまだ信じ切れていない。
煩乃は黙ってうなずいた。
あの"白ノ零式"の奇跡が、本当に生きる命を取り戻したのだと――自分の手で。
だが、あの声――「七十年前にこの地に来た者」と名乗った存在は一体何者だったのか。
そしてなぜ、拙僧を「待っていた」と言ったのか。
この世界には、まだ知らぬ秘密が潜んでいる――。
◆ ◆ ◆
そのとき、ちょうど扉が開き、老夫婦が食事がはいった籠を持って入ってきた。
「おはようさん。……具合はどうかね?」
「はい、おかげさまで。森で倒れていたところを、助けていただきありがとうございます」
少女は丁寧に頭を下げる。
「私はリリアと申します。命を救っていただいたご恩、心より感謝しております」
「そうかいそうかい。改めてよろしくな、リリアちゃん」
老爺がにっこりと笑った。
「儂はカイ。ここジミナ村できこりをやっとる。三日前、森で木を伐って帰る途中、道端でおぬしたちが倒れておるのを見つけての。急ぎ荷車に乗せて家まで運び、手当てをしたのじゃ。こっちは――家内のルダじゃ」
老婦人――ルダが、やさしく籠を揺らしながら頭を下げた。
「リリアちゃん、本当に助かってよかったねえ。あんな姿で見つけたときは、もう……」
ルダ婆は目を細め、手を取りながらほっと胸を撫け下ろした。
「この方が、私の命を救ってくださいました。あの……お名前、うかがってもよろしいでしょうか?」
「拙僧は――」
「"ボンちゃん"でいいよ」
煩乃の隣にいたカイ爺が、にこやかに言った。
「ほら、寝てる間にな、"ぼんのう……煩悩が……ぬけぬぅ……"とか、夢の中でぶつぶつ言っててな。最初は心配したけど、だんだん癖になってな」
「うちじゃずっと、"ボンちゃんが起きるまで静かにしときな"って呼んでたんですよ、ふふ」
ルダ婆もおかしそうに笑う。
「ぼ、煩悩……ボンちゃん……?」
リリアがきょとんとしながら繰り返す。
「……え、えっと……では……ボンちゃん様?」
「さ、様は要らぬっ!」
「ふふ……ボンちゃん」
少女がくすりと笑い、煩乃は言葉を失った。