第18話 拙僧、枯れた村にて命の灯火を救う
温泉宿を発ち、峠を越えて山道を下る一行。木漏れ日が朝の光を運び、鳥のさえずりが静かな山間に響いていた。
「ようやく下り坂になったね」
ヴィヴィが大きく伸びをしながら言った。
「峠越えは疲れるから、平坦な道が恋しかったよ」
道は次第に緩やかになり、視界が開けてきた。
「村が見えてきましたね」
シノが指差す先に、小さな集落が見える。
しかし――
「……なんか、変じゃない?」
ナターシャが眉をひそめた。
「畑が……全部枯れてるのさ」
確かに、村の周囲に広がるはずの畑は、茶色く枯れ果てていた。緑であるべき場所が、まるで砂漠のように荒涼としている。
「妙じゃな……」
ボンノーが錫杖を握りしめた。何か不吉な予感が胸をよぎる。
◆ ◆ ◆
日が傾き始めた頃、一行は村の入口に差し掛かった。
「今夜はこの村で一泊しましょう」
ボンノーが提案する。
「峠越えの疲れもありますし、馬も休ませねば」
「そうだね。宿があるといいけど」
ヴィヴィが辺りを見回す。
しかし、村に入ってすぐに違和感を覚えた。人影がほとんどない。家々の扉は固く閉ざされ、通りには重苦しい空気が漂っている。まるで村全体が息を潜めているかのようだった。
「……様子がおかしいですね」
シノが不安そうに呟く。
◆ ◆ ◆
ようやく見つけた村人――老人は疲れ切った顔で語り始めた。
「一昨日、ばあさんが亡くなってな……皮膚が黒くなって、苦しみながら逝った」
「黒く……?」
グレアが顔をしかめる。
「昨日は、隣の家の子どもが同じ症状で……まだ七つだったのに」
老人の目に涙が浮かぶ。
「大人もみんな、体がだるくて動けねぇ。何かの呪いじゃねぇかって、みんな怯えてる」
◆ ◆ ◆
その時――
「お願いします! 助けてください!」
若い夫婦が、必死の形相で駆け寄ってきた。
「神官様! どうか、娘を……娘を助けてください!」
女性は泣きながらシノの袖を掴む。その手は震えていた。
「回復魔法を使えるんでしょう? お願いします!」
「落ち着いて。案内してください」
シノが優しく手を取る。
「必ず助けます」
◆ ◆ ◆
夫婦の家は、村の中ほどにある小さな藁葺き屋根の家だった。薄暗い部屋の奥で、幼い少女が苦しそうに横たわっている。
「うぅ……いたい……」
か細い声が漏れる。
ボンノーが近づいて、少女の状態を確認した瞬間――
「これは……!」
少女の足は、膝下まで紫色に変色していた。さらに外縁部には、白く腫れ上がった膿の塊が浮き上がっている。皮膚はところどころ裂け、血が滲んでいた。
「ひどい……」
シノが息を呑む。
◆ ◆ ◆
「すぐに治療を」
シノは祈りの杖を掲げた。
『白ノ三式・ヒール・ツヴァイ!』
柔らかな光が少女を包む。
しかし――
「あれ……?」
傷は癒えない。紫色の変色も、まったく改善されない。
「どうして……」
シノが困惑する。
ボンノーは少女の症状を見つめながら、記憶を探った。前世の知識が、頭の中で点と点を結び始める。
(この症状……まさか)
◆ ◆ ◆
「失礼ですが」
ボンノーは夫婦に向き直った。
「最近、野菜や果物は食べておられますか?」
「え?」
夫婦は顔を見合わせる。
「畑が魔害虫にやられて、全滅してしまって……もう二月も、保存食だけで……」
「干し肉と固いパンばかりです」
母親が申し訳なさそうに答える。
(やはり……!)
ボンノーの中で、確信が生まれた。
「これは壊血病じゃ」
「かいけつびょう?」
ヴィヴィが首を傾げる。
「聞いたことない病気だね」
「壊れた血の病……?」
シノも困惑している。
「血が壊れるんですか?」
「いや、その……ビタミンCが不足して起こる病です」
「びたみん……しー?」
グレアが眉をひそめる。
「なんだそれは。呪文の一種か?」
「それは……ええと……」
ボンノーは説明に困った。この世界の人々に、栄養素の概念をどう伝えればよいのか。
「あー、つまりですな……野菜や果物に含まれる、体に必要な見えない成分があるのです」
「見えない成分?」
ナターシャも首を傾げる。
「魔力みたいなものかい?」
「い、いや、魔力とは違って……その……」
ボンノーは頭を掻いた。
「とにかく、拙僧の世界では、船乗りがよくかかる病でした。長い航海で新鮮な野菜が食べられないと発症するのです」
◆ ◆ ◆
ボンノーは説明を続けた。
「長い航海で新鮮な野菜や果物が食べられぬと、この病にかかる。陸でも、野菜不足が続けば同じことが起きるのです」
「つまり……野菜を食べないと病気になるってこと?」
ヴィヴィが理解しようと努める。
「でも、なんで野菜なの? 肉じゃダメなの?」
「肉は煩悩……いやいや。野菜には、体を正常に保つ特別な力があるのじゃ」
ボンノーは苦し紛れに説明する。
「その力が失われると、血管が弱くなり、皮膚が黒くなってしまうのじゃ」
「なるほど……分からん」
グレアが正直に言う。
「でも、ボンノーが言うなら信じよう」
「じゃあ、呪いじゃないんですか?」
母親が希望を見出したように尋ねる。
「呪いではございませぬ。そして――」
ボンノーは少女の頭を優しく撫でた。
「治せます」
少女は涙目でボンノーを見上げる。
「ほんとう……?」
「うむ、大丈夫じゃ。拙僧が必ず治す」
◆ ◆ ◆
「シノ殿」
ボンノーが振り返る。
「毒を治す白魔法はございますか?」
「はい、キュアポイズンなら」
「よろしい。ナターシャ殿……」
「なんだい、お坊様?」
「冷却する魔法は使えますか?」
「ブリザードがあるよ。匙加減で温度調節もできるのさ」
「よろしい。それと――」
ボンノーは夫婦に向いた。
「清潔な布はございますか?」
「は、はい! 洗い立てのものなら」
母親が慌てて戸棚から白い布を取り出す。
「これでよろしいでしょうか?」
「十分です」
ボンノーは改めて夫婦に向き直った。
「治療を始めてもよろしいですか?」
「は、はい! お願いします!」
◆ ◆ ◆
「まず、火を起こして湯を沸かしてください」
ボンノーの指示で、父親が慌てて竈に火を入れる。
「シノ殿、少女を眠らせてください」
「わかりました」
シノが優しく少女に語りかける。
「大丈夫よ。少し眠るだけだから」
『白ノ五式・スリープ』
少女の瞼がゆっくりと閉じられた。
◆ ◆ ◆
ボンノーは懐からナイフを取り出し、火で炙り始めた。
「何を……?」
グレアが心配そうに見守る。
「外科手術です。膿を出さねばなりません」
刃が赤く熱せられたのを確認し、ボンノーは慎重に白く腫れ上がった部分に刃を入れた。じゅっ、と小さな音と共に、膿が流れ出す。
「うわっ……」
ヴィヴィが顔をしかめる。
しかしボンノーの手は震えない。前世で培った経験が、この瞬間に生きていた。慣れた手つきで、次々と膿瘍を切開していく。
◆ ◆ ◆
沸騰した湯を器に入れ、ナターシャの前に置く。
「ナターシャ殿、この湯を体温程度まで冷やしてください」
「了解なのさ」
『黒ノ五式・ブリザード』
ナターシャが絶妙な加減で魔法を使うと、湯から立ち上る湯気が消えた。
「これでどう?」
「よい塩梅です」
ボンノーは清潔な布を冷ました湯に浸し、丁寧に患部を洗い始めた。膿と血を優しく、しかし確実に取り除いていく。
◆ ◆ ◆
「シノ殿、今です」
「はい!」
『白ノ三式・キュアポイズン・ツヴァイ!!』
緑がかった光が患部を包む。細菌やウイルスが浄化されていく。
続けて――
『白ノ三式・ヒール・ツヴァイ!!』
切開した傷口が、みるみるうちに塞がっていった。
「すごい……」
ナターシャが感心したように呟く。
「お坊様、医者もできるのかい?」
「昔、少しばかり学んだことがありまして」
ボンノーは謙遜しながら、懐から乾燥レモンを取り出した。
◆ ◆ ◆
「う……ん……」
少女がゆっくりと目を覚ます。
「お目覚めかな」
ボンノーが優しく微笑む。
「お茶を飲もうか」
熱い湯に乾燥レモンを入れ、準備を始める。
「ヴィヴィ殿、蜂蜜漬けの乾燥桃をお持ちでしたな?」
「え? あ、うん! まだ残ってるよ!」
ヴィヴィが嬉しそうに袋から取り出す。
「これ、使うの?」
「少しだけ拝借したい。甘みがあれば、子どもも飲みやすいでしょう」
ボンノーは蜂蜜漬けの乾燥桃を少し加えて、特製茶を作った。
「すっぱい……でも、あまい」
少女が不思議そうな顔をする。
「レモンも食べるんじゃぞ。病気が治る魔法の果実じゃ」
「……うん」
素直に飲み干す少女。
母親が涙を流しながら、ボンノーの手を取った。
「ありがとうございます……ありがとうございます……!」
◆ ◆ ◆
「ボンノーさま……」
シノが尊敬の眼差しでボンノーを見つめる。
「医術まで心得ていらしたなんて」
「いや〜、ほんとすごいよ!」
ヴィヴィが興奮気味に言う。
「まるで本物の医者みたい!」
「……見直した」
グレアも素直に感心している。
「戦場で身につけた技術でございます」
ボンノーは照れくさそうに頭を掻いた。
「仲間の命を救うため、必死で学んだものです」
(……この笑顔を見るためなら、いくらでも学べる)
◆ ◆ ◆
翌朝――
「お坊様! 見て見て!」
少女が嬉しそうに足を見せる。紫色だった皮膚が、健康的なピンク色に戻りつつあった。
「うむ、順調に回復しておるな」
ボンノーが優しく頭を撫でる。
「レモン茶は毎日飲むんじゃぞ」
「うん!」
少女は元気よく頷いた後、突然言い出した。
「あのね、お坊様」
「なんじゃ?」
「わたし、大きくなったらお坊様のお嫁さんになる!」
◆ ◆ ◆
瞬間、場の空気が凍りついた。
「……は?」
グレアの声が低くなる。剣の柄に手が伸びかける。
「お嫁さん……ですか」
シノの笑顔が引きつる。祈りの杖から不穏な光が漏れ始めた。
「へぇ〜、ボンノーさん、ロリコンだったの〜?」
ヴィヴィがにやにやしながら茶化す。
「お坊様、罪作りなのさ〜」
ナターシャも楽しそうに笑う。
「い、いや、これは子どもの戯言で……」
ボンノーが慌てて弁解するが、グレアとシノの視線は冷たい。いや、冷たいというより――複雑だった。
◆ ◆ ◆
「とにかく!」
ボンノーは咳払いをして話題を変えた。
「村の皆にも乾燥レモンを分けて差し上げよう。これで壊血病は防げるはずじゃ」
市場で買い込んだ乾燥レモンを、村人たちに配って回る。使い方を丁寧に説明し、野菜が手に入るまでの対処法を伝授した。
「本当にありがとうございます」
村長が深々と頭を下げる。
「命の恩人です」
◆ ◆ ◆
村を発つ朝――
「お坊様、またきてね!」
少女が手を振る。
「お嫁さんになる約束、忘れないでね!」
「あ、あはは……」
ボンノーが苦笑いを浮かべる。
馬車に乗り込むと、グレアとシノの視線が痛い。
「ボンノーさま……幼い子まで籠絡するなんて」
「この煩悩坊主……」
「ロリコンは犯罪だよ〜」
「百八歳が相手じゃ年の差ありすぎなのさ」
「ち、違う! 拙僧はそんな趣味は……!」
必死に弁解するボンノーだったが、誰も聞いてくれない。しかし、その表情はどこか優しく、温かかった。
(命を救えた……それでよいのじゃ)
ボンノーは小さく微笑みながら、手綱を握った。
新たな朝日に照らされながら、一行はリントベルクへと向かう。村には希望が戻り、少女の笑顔が輝いていた――。




