第14話 拙僧、偶然の接吻にて姫騎士の真なる力を覚醒させる
ドサッ!
重い鎧の衝撃がボンノーの全身を貫いた。
「ぐっ……!」
なんとか受け止めたものの、その勢いに押されて後方へよろめく。そして――二人の体が地面に倒れ込んだ、その刹那!
偶然が、運命を紡いだ。
ボンノーの顔と、兜を失ったグレアの顔が、互いに引き寄せられるように近づき――
触れた。
唇と、唇が。
一秒。
世界が止まったように、時が凍りついた。
二秒。
ボンノーの瞳が見開かれ、相手の顔をはっきりと認識する。
亜麻色の髪。
整った顔立ち。
長い睫毛。
そして――明らかに女性的な、柔らかな唇の感触。
三秒。
「――――っ!?」
二人同時に、現実を理解した。
◆ ◆ ◆
「わ、わたくしの……わたくしの初めての接吻が……!」
グレア――いや、その正体は明らかに若い女性だった――が、顔を真っ赤に染めて叫んだ。
月光に照らされたその顔は、まさに王国一の美姫と謳われるに相応しい美貌。高貴な気品と、剣士としての凛々しさを併せ持つ、まさに姫騎士の名に恥じない容姿だった。
「こ、これは……グレア殿、いや、貴女様は……!」
ボンノーが驚愕に震えながら口を開きかけた、その時。
「ボンノーさま……」
すぐ近くで、シノの声がした。
振り返ると、フードを被った少女は複雑な表情でこちらを見つめていた。その瞳には、驚きと、困惑と、そして――
(……この気持ちは、なに……?)
シノの胸の内で、初めて味わう感情が渦巻いていた。
自分を救ってくれた恩人。共に旅をする仲間。そして、いつの間にか特別な存在になっていた人。
その人が、別の女性と――しかも、こんなにも美しい女性と――
「あ、あの……ボンノーさま……」
シノが何か言いかけた瞬間。
ボンノーの顔が、一気に真っ赤に染まった。
唇の感触が、まだ残っている。
グレアの――いや、あの美しい女性の――
「ぼ、煩悩が...煩悩が...!」
混乱した様子で呟く。
「百八年の修行が...初めての...」
声が震える。心臓が激しく打ち、呼吸が乱れる。
「ふ、ふつつかながら拙僧の初めても...」
言葉が支離滅裂になっていく。
鼻から一筋の血が流れ始める。
「ぐふっ...」
視界が揺らぎ、膝から崩れ落ちた。
ばたり。
「ボンノーさま!?」
シノが慌てて駆け寄る。
「あーあ、ボンノーさん鼻血出して倒れちゃった! よっぽど嬉しかったんだね~!」
ヴィヴィが楽しそうに茶化す。
◆ ◆ ◆
「おいおいおい! エロ坊主! なにをいちゃついてやがる!!」
半人半蛇の化け物と化したガルドが、不快そうに吠えた。
「俺様と戦ってる最中だってのに、キスなんかしてんじゃねぇ!」
その言葉に、グレア――正体を現した姫騎士が、はっと我に返った。
「ち、違う! 今のは事故だ! 無効だ!」
慌てて立ち上がり、落ちていた剣を拾い上げる。
「そ、そうだ、今のは無し! 見なかったことにしろ!」
必死に男口調を取り繕うが、顔は真っ赤なままだった。
しかし、その時――
(……何か、感じる)
グレアの内側で、何かが目覚めようとしていた。
熱い。体の奥底から、力が湧き上がってくる。
(これは……まさか、権能……?)
特別な資質を持つ者にのみ宿るという、神秘の力。それが今、覚醒しようとしている。
◆ ◆ ◆
グレアは素早く状況を見渡した。
ボンノーは気絶。シノはその傍で回復魔法を唱えている。ヴィヴィは大盾を構えて警戒中。
そして目の前には、巨大な化け物。
「ヴィヴィ!」
グレアが鋭く指示を飛ばす。
「ボンノーとシノを守れ! ここは俺が引き受ける!」
「え、でも一人じゃ――」
「大丈夫だ」
グレアは顔を真っ赤にしながら、剣を構えて深く息を吸った。
そして、ガルドを真っ直ぐに見据えて啖呵を切る。
「貴様のような外道が、これ以上この地を汚すことは許さない! 王国騎士の名において――いや、リヴィエラの姫騎士として、貴様を討つ!」
「はぁ? 姫騎士だぁ?」
ガルドが嘲笑を浮かべる。
「女が騎士の真似事か! 笑わせるな!」
「……笑いたければ笑え。だが――」
グレアの全身から、赤いオーラが立ち上り始めた。
「これが、俺の誇りの証だ!」
◆ ◆ ◆
「リヴィエラの姫騎士、その名に懸けて――勇気の光、いま解き放て!」
『姫騎士権能・ブレイブハート!』
叫びと共に、赤いオーラがグレアの全身を包み込んだ。
髪が逆立ち、瞳が紅蓮に輝く。握る剣もまた、赤い光を纏って振動し始めた。
「な、なんだ……この力は……!?」
ガルドの声が震えた。本能的な恐怖が、化け物の体を貫く。
「ば、馬鹿な……人間がこんな力を……!」
赤いオーラは増大し続け、周囲の空気すら歪ませ始めた。地面に亀裂が走り、小石が浮き上がる。
「こ、これは……まさか……!?」
ガルドが驚愕の声を上げる。
次の瞬間――
シュッ!
グレアの姿が、掻き消えた。
「速い!?」
通常の三倍――いや、それ以上の速度!
赤い彗星の尾を思わせる残像を引きながら、グレアはガルドの懐に飛び込んでいた。
一閃。
鋭い斬撃が、化け物の鱗を切り裂く。
「ぐあっ!」
二閃、三閃――紅の閃光が軌跡を描く。
四閃、五閃、六閃――空気が裂け、音が遅れて追いつく。
七閃、八閃、九閃――もはや残像すら捉えきれぬ速さ。
まるで戦場に咲く紅蓮の華。舞うように、斬るように、ただ静かに――美しい。
「くそっ! 動きが見えねぇ!」
ガルドが巨大な尾を振り回すが、グレアは軽やかにそれを躱す。
跳躍、回転、そして斬撃。
月光の下で繰り広げられる、美しくも激しい剣舞。
◆ ◆ ◆
「これで――終わりだ!」
グレアが高く跳躍し、剣を振りかぶる。
赤いオーラが最高潮に達し、刃が眩く輝いた。
(この力……導かれるように技の名が浮かぶ……!)
まるで体の奥底に眠っていた記憶が覚醒するように、必殺の技名が口をついて出た。
『紅蓮剣・裂光斬!』
振り下ろされた一撃が、空間そのものを切り裂くように、ガルドの体を真っ二つに断ち切った。
「ば、馬鹿な……俺が……この俺様が……! 人間ごときに……! グギャアアアアアァ……」
断末魔と共に、化け物の体が崩れ落ちる。
どす黒い血が飛び散り、やがて動かなくなった。
静寂が、戦場を包んだ。
◆ ◆ ◆
「う……ん……」
ボンノーがゆっくりと目を覚ました。
「ここは……?」
「ボンノーさま! よかった、目を覚まされて……」
シノがほっとした表情で顔を覗き込む。
「あ、起きた! ボンノーさん、大丈夫?」
ヴィヴィが心配そうに、でも口元は少しにやけながら近づいてくる。
その時、グレアが慌てたように立ち上がった。
「あ、兜……!」
月光の下に転がったままの白銀の兜を見つけ、素早く拾い上げる。そして、迷うことなくすぐに被り直した。
「……ふん、これがないと落ち着かない」
低い声で呟きながら、兜の位置を調整する。
顔を隠してしまえば、照れも恥ずかしさも誤魔化せる――そんな安堵感が、グレアの肩から力を抜かせた。
「ガルドは……?」
「倒しました。グレアさんが」
シノが静かに答える。その声には、わずかな寂しさが混じっていた。
振り返ると、赤いオーラが消えかけているグレアが、肩で息をしながら立っていた。
「グレア殿……いや、貴女様は一体……」
ボンノーが問いかけると、グレアは慌てたように顔を背けた。
「さ、さっきのは事故だ! 無効だからな!」
「え? いや、拙僧が聞いているのは……」
「だから違うって言ってるだろ! わざとじゃない!」
兜の奥から慌てたような声で、必死に否定する。
「あ、あれはキスじゃない! ただの事故! 偶然唇が触れただけで……」
「ふーん、事故ね~」
ヴィヴィが意味深に笑う。でも、その頬もほんのり赤い。
「……でも、三秒は長いよね」
「み、見てたのか!?」
グレアが慌てふためく。
「う、うん……たまたま……」
ヴィヴィも少し照れたように視線を逸らした。
「は、はい……拙僧も、その……事故ということで……」
ボンノーも顔を赤くしながら頷く。
一方、シノは少し離れた場所で、複雑な表情を浮かべていた。
(事故でも……キスは、キスですよね……)
小さくため息をつきながら、胸の奥のもやもやとした感情を押し殺す。
「……シノちゃん」
ヴィヴィがそっと近づいてきた。
「大丈夫?」
「え? な、何がですか?」
「ううん、なんでもない」
ヴィヴィは優しく微笑んだ。自分も実は、少しだけ胸がちくりとしたことは内緒だ。
◆ ◆ ◆
「とにかく、水車小屋に戻ろう」
ボンノーが咳払いをして提案した。
「捕らえられていた女人殿が、まだあそこにいるはずだ」
「そ、そうだね」
ヴィヴィも慌てて話題を変えた。
四人は水車小屋へと向かった。
道中、ヴィヴィは時折グレアとボンノーをちらりと見ては、小さく微笑んでいた。
(なんか……いいなぁ)
そんな思いを胸に秘めながら。
月は静かに、四人の背中を見守っていた。
この夜の出来事が、それぞれの心に刻んだ想いの深さを、まだ誰も知らない――。




