第13話 拙僧、水車小屋にて外道の化身と対峙す
夕刻、宿屋『月牙亭』の一室――
質素な夕食が木のテーブルに並んでいた。固いパンと薄い野菜スープ、それに申し訳程度の干し肉。
「……今夜の戦いに備えて、もう少し良いものを食べたかったけどね」
ヴィヴィが残念そうにスープをすすった。
「すまぬ……拙僧が金貨を二枚も使ってしまったばっかりに……」
ボンノーが申し訳なさそうに頭を下げる。
「いいよいいよ! また冒険で稼ごうよ!」
ヴィヴィが慌てて手を振った。
「……ボンノーさまが金貨を差し出したのは、私を荷台から降ろさずに済ませるためですよね。どうかご自分を責めないでください――ありがとうございます」
シノは淡い金の睫毛をふわりと伏せ、頬をわずかに染めた。
「贅沢は言えぬ。腹が満ちれば十分じゃ」
ボンノーは静かにパンをちぎりながら、遠い目をした。
「……腹が減っては戦はできぬ、か」
グレアは兜を外さぬまま、器用にパンを口元へ運んでいた。
質素ながらも、四人は黙々と食事を済ませた。
窓の外では、夕陽が赤く町を染め始めていた。
◆ ◆ ◆
日が完全に沈み、月が顔を覗かせる頃――
四人は宿を抜け出し、町はずれの水車小屋へと向かった。
小屋の周囲は森に囲まれ、水車の回る音だけが静かに響いている。
「ここじゃな」
ボンノーが錫杖を握りしめた。
「まだ誰も来てないみたいだね」
ヴィヴィが周囲を見回す。
「茂みに隠れて待とう」
グレアの提案で、一行は水車小屋を見渡せる茂みに身を潜めた。
◆ ◆ ◆
しばらくすると、松明の明かりが揺れながら近づいてきた。
黒羽隊の兵士が二人、大きな麻袋を担いでいる。
「重てぇな、おい」
「文句言うな。ガルド様のお楽しみだぞ」
兵士たちは水車小屋の扉を開け、麻袋を中に運び込んだ。
そして何事もなかったかのように立ち去っていく。
「……袋の中身は……」
シノが不安そうに呟いた。
「おそらく、女人じゃろう」
ボンノーの拳が震えた。
◆ ◆ ◆
さらに一刻ほど待つと、再び松明の群れが近づいてきた。
今度は十人ほどの黒羽隊に護衛され、巨躯の男が悠然と歩いてくる。
月光に照らされたその顔は、まさに悪徳領主ガルドその人だった。
「始まるぞ」
グレアが剣の柄を握る。
ボンノーは静かに作戦を告げた。
「まず、シノ殿が『白ノ四式・サークルスリープ』で護衛を眠らせる。耐えた者は拙僧とグレア殿で峰打ちじゃ」
「わかりました」
「了解だ」
「あたしは?」
「ヴィヴィ殿は、いざという時の盾になってもらう」
「任せといて!」
◆ ◆ ◆
ガルドが水車小屋に入るのを確認してから、作戦は開始された。
シノが静かに詠唱を始める。
『白ノ四式・サークルスリープ!』
淡い光が護衛たちを包み込む。
八人がその場に崩れ落ちた。
しかし、二人だけは踏みとどまっている。
「な、なんだ!?」
「敵襲か!?」
その瞬間、ボンノーとグレアが茂みから飛び出した。
錫杖の柄が一人の後頭部を打ち、剣の峰がもう一人の首筋を叩く。
二人の兵士は、声も上げずに気絶した。
「よし、縛り上げるぞ」
手際よく十人全員を縄で縛り、近くの木に括り付ける。
◆ ◆ ◆
その時、水車小屋の中から不気味な声が漏れ聞こえてきた。
「がははは! いい女じゃねぇか!」
ガルドの下卑た笑い声だった。
「女はみんなヨコマール様に献上すんのが決まりよ。その前に、お前は俺様がたーっぷり味見をしてやる!」
くぐもった女性の呻き声が続く。口を塞がれているのだろう。
「……許せない」
シノの全身が震えていた。
「行くぞ!」
ボンノーの号令と共に、四人は水車小屋へ突入した。
◆ ◆ ◆
扉を蹴破って飛び込むと、そこには信じがたい光景が広がっていた。
粗末な藁の上に、褐色の肌をした耳の長い女性が転がされている。首には禍々しい紋様が刻まれた首輪がはめられ、口は布で塞がれていた。
そしてその上に、獣のような笑みを浮かべたガルドが覆いかぶさろうとしていた。
「なんだ、てめぇら!?」
ガルドが振り返る。その顔に、驚愕の色が走った。
「まさか……リリア!?」
シノ――いや、聖女リリアがフードを脱ぎ捨てた。
淡い金色の髪が月光に照らされ、神々しく輝く。
「ガルド……神の名において、あなたの悪行をここで終わらせます!」
凛とした声が、小屋に響き渡った。
「私は――聖女リリア。あなたに殺されかけた、あのリリアです」
「ば、馬鹿な! 俺は確かにお前の喉を切り裂いた! 呪いの刃も突き立てた! 生きているはずがない!」
ガルドの顔が青ざめる。
「神の御加護により、私は蘇りました。そして今――あなたの罪を裁くためにここにいます」
リリアは祈りの杖を掲げた。
「神と正義の名のもとに――悪徳領主ガルド、ここで裁きを受けなさい!」
◆ ◆ ◆
「ふざけるな!」
ガルドは壁にかけていた大剣を抜き放った。
「死人が生き返るなんざ、あり得ねぇ! 幻覚か、それとも偽物か!」
ボンノーは一歩前に出て、わざと挑発的に錫杖を構えた。
「ほう、その程度の剣術で、よくも領主が務まったものじゃな。拙僧ならば、この錫杖一本でも――」
そう言いながら、ボンノーは素早く錫杖を振るい、小屋の中央にあった木樽を叩き割った。
樽から水が溢れ出し、床を濡らしていく。
「おっと、すまぬな。この狭い場所では、お主の自慢の大剣も宝の持ち腐れじゃろう? 天井に当たって満足に振れまい」
「てめぇ……!」
ガルドが大剣を振り上げた瞬間、刃が天井の梁にぶつかり、木屑が舞い散った。
「ほれ見よ。外ならば存分に暴れられようが……まさか、狭い場所でしか戦えぬ腰抜けか?」
ボンノーはにやりと笑いながら、じりじりと扉の方へ後退する。
「舐めやがって! 表へ出ろ! その生意気な口、叩き潰してやる!」
激昂したガルドは、大剣を担いで扉を蹴破り、勢いよく外へ飛び出した。
(うむ、思った通りじゃ。単純な男よの――これで女人も安全であろう)
ボンノーは内心でほくそ笑みながら、仲間たちと共に外へ続いた。
月明かりの下、四人とガルドが対峙する。
――暗い川の流れと水車のきしむ音が、夜の静けさを切り裂いていた。
◆ ◆ ◆
「始めるぞ」
ボンノーが錫杖を構えた。
リリアが詠唱を開始する。
「生命の女神レファリアよ――我が祈りを受け、守護の環を顕現せよ!」
『白ノ二式・サークルプロテクション・ツヴァイ!』
「生命の女神レファリアよ――我が祈りを受け、仲間に祝福の息吹を与え給え!」
『白ノ二式・サークルブレス・ツヴァイ!』
二重の加護が仲間たちを包み込む。
「行くよ!」
ヴィヴィが大盾を構えて前に出る。
ボンノーとグレアが左右から挟み込むように動いた。
ガルドの大剣が唸りを上げて振り下ろされる。
ガァン!
ヴィヴィの大盾が激突を受け止めた。
「ぐっ……重い!」
「だが、隙だらけだ!」
グレアの剣がガルドの脇腹を狙う。
しかし、ガルドは信じられない反射神経でそれを躱した。
「甘いな、騎士風情が!」
大剣を横薙ぎに振るい、白銀の鎧を纏ったグレアを弾き飛ばす。
「グレア殿!」
ボンノーが錫杖で追撃を防ぐ。
「こいつ……強い!」
ヴィヴィが歯を食いしばる。
殺しのプロとして長年君臨してきたガルドの実力は、噂に違わぬものだった。
◆ ◆ ◆
激しい攻防が続く。
四人がかりでも、ガルドを追い詰めるのは容易ではなかった。
しかし、徐々にガルドは劣勢へと追い込まれていく。
「はぁ……はぁ……」
ガルドの呼吸が乱れ始めた。
「くそ……四対一じゃ、分が悪い……」
その時、ガルドは懐から奇妙な物を取り出した。
黒い液体の入った注射器のようなもの。
「これは……ヨコマール様から賜った、最後の切り札だ!」
リリアが息をのむ。
「な、何をする気ですか――やめなさいっ、ガルド!」
しかし、止める間もなくガルドは自らの首筋にそれを突き刺した。
「グガァァァアアアッ――ッ!!」
獣のような雄叫びが夜空に響き渡る。
ガルドの体が、みるみるうちに変貌していく。
骨が軋む轟音とともに皮膚が裂け、下から黒い鱗が芽吹いた――それは人という器が砕ける音。
膨れ上がった筋肉は鱗に覆われ、腕も脚も異形へねじ曲がる。
最後に腰から下が蛇の胴へと伸び、巨大な尾が地面を叩きつけた。
「ちょ、なにあれ!?」
ヴィヴィが震え声を上げる。
半人半蛇の化け物――
それが、ガルドの成れの果てだった。
「ぐるるるる……力が……みなぎる!」
化け物と化したガルドが、赤い眼で一行を睨みつける。
「これで……お前らなど……ひとひねりだああああ!」
巨大な尾が、凄まじい速度で振るわれた。
「みんな散れ!」
ボンノーが叫ぶ。
ヴィヴィとリリアは素早く横に飛び退いた。
しかし――
「ぐあっ!」
不意を突かれたグレアが、巨大な尾の直撃を受けた。
白銀の鎧が激しい音を立てながら、宙を舞う。
カラン――
衝撃で兜が吹き飛び、月光の下に転がった。
兜の下から解き放たれた亜麻色の髪が、夜風になびきながら広がっていく。
「グレア殿!」
ボンノーは錫杖を投げ捨てた。
半人半蛇の化け物が、不気味な笑い声を上げる。
「がははは……まずは一人……!」
吹き飛ばされたグレアの体が、地面に叩きつけられようとしていた。
(間に合え……!)
ボンノーはグレアを受け止めるべく、全力で駆け出した。




