第9話「ジャックの過去ー①」
昼間に歩くビュニスの街は、エルトリア共和国の建設後に首都として定められ、古くからの建物が少ない分モダンな印象になる。
「普通に外出るのって変な感じだな。」
街には、焼きたてのパンのような甘く香ばしい香りが漂い、人々が賑やかに言葉を交わしている姿は、どの世界でもいいものだった。
「バディとなら月に一回の外出は許可されてるからな。」
「そう言えば、ジャックは俺が来る前のバディっていたんだよな?」
ヂャオの言葉を思い出す。
相棒者を拒否してきたと言っていたが、”駄犬“と呼ばれながらも今のところリツを拒否する様子はない。
「ああ。」
「どんな人だったんだよ。」
「…忘れた。」
微妙な間がある。
(絶対嘘だ…。)
「その人、今どこに居るんだ?」
ジャックは間髪入れずに答えた。
「死んだ。」
何の感情も浮かんでいない横顔を見つめる。
自分達は暗部の人間なのだ。
自分の命を人質に取られ、命がけで任務に臨む。
「任務で…か?」
「………。」
ジャックは、答えてくれなかった。
少し気まずい気持ちを切り替えるよう話題を変える。
「…今日は、本当に紅茶を買いに行くのか?」
「当然だ。」
初対面で紅茶を飲んでいる所を見て以来、事あるごとにジャックが紅茶を飲んでいる姿は見てきた。
(イギリス人って本当に頻繁に紅茶飲むんだよな…)
毎日のティ―タイムは、彼はいつにも増してリラックスしており、そんなに良い物なのだろうかと興味をそそられた。
「リツ、お前には分からないだろうが、茶葉というものは産地だけではなく、収穫の時期、乾燥の仕方、発酵の度合いによって味が全く変わる。いい紅茶を選ぶには――」
「はいはい、分かったから。」
リツが軽くあしらうと、ジャックは鼻を鳴らした。
「茶の奥深さを知らないな。だから駄犬なんだ。」
「悪かったな、俺は庶民派なんで。」
そんなやり取りをしながら、二人は紅茶専門店の前で足を止める。
こぢんまりとした木造の店。扉を開けると、紅茶の芳醇な香りがふわりと鼻をくすぐった。
「いや、ジャック君、また来てくれるとは思わなかった。」
そう言いながら出迎えてくれたのは品の良い老紳士だ。
「ご無沙汰してしまいました。」
ジャックは少し顔を綻ばせた。
(こんな顔するんだな…。)
2人は軽く世間話をすると、店主が商品を取り出して説明が始まる。
リツは、その空間に圧倒されていた。
美しい缶に詰められた茶葉たちは、蓋を開けると閉じ込められていた個性を解き放つようにそれぞれ違いがあり興味深い。
「試飲するかい?」
「ええ。良ければ入れますよ。」
「いいかい?折角だから久しぶりに飲みたかったんだ。君の淹れる紅茶は美味しいからね。」
ジャックは店主と交代すると奥の台所へと入っていった。
(相当通ってるんだな…この店。)
「ははは、呆れたかい?紅茶屋の店主がお茶を客に入れてもらうだなんて。」
「あ、いえ。ジャックはよくここに来るんですか?」
「以前は。最後に来たのは一年以上前だ…もう引越しでもしてしまったかと思っていた。」
リツがこの世界に訪れるよりもずっと前だ。
その頃には、バディを亡くしていたのかもしれない。
「でも、私はジャック君に君のような友人がいて嬉しいよ。」
リツは驚いた。
(友人…なんだろうか?)
任務の間、事実上命をお互いに預けているのだ。
友人よりも濃い関係だった。
「勝手に心配していたんだよ。彼は、あまり喋らないタイプのようだし、以前店に彼を呼びに来た友人は、あまり柄がいいとは言えない人物に見えたから。」
(前のバディか…。別行動がバレたら爆破だって言うのに…。)
あんまりジャックと前のバディは関係が上手く行ってなかったのかもしれない。
「まあ、ただのお節介な老人の戯言だ。」
店主は茶菓子を用意してくると言って奥へと下がって行った。
ジャックの淹れた紅茶と店主が出してくれた一口大のスコ―ンをいただく。
スコ―ンはしっとりとした生地に程よい甘味で満足感があった。
香りに誘われるように繊細な模様の描かれたティ―カップを持ち上げる。
「綺麗ですね、このカップ。」
「おや、気に入ってくれたかい?」
「はい!妹が好きそうなので。」
(澪どうしてるかな………。)
あちらの世界の家族を思うと胸がギュッと締め付けられた。
そんな思いを押し殺しながらティ―カップ湯気を見つめる。
鼻腔をくすぐるのはフル―ティ―な甘い香りだ。
「いい匂いですね。」
ひとくち口に含むと舌の上にじんわりとした暖かさが広がる。まず感じたのは、柔らかな渋みだ。スコ―ンとよくあっており、くどくなく心地いい。
そのすぐ後から、蜜のような甘みが追いかけてきて、口の中を優しく満たしていく。
ほっと一息つく。
隣を見るとジャックも満足げな様子だった。
「すごく美味しかったです。」
「そうかい、少しだけ茶葉をおまけしておいたら、またおいで。」
店主に見送られたリツの手には、茶葉と共に例のティ―カップも握られていた。
「今日は、ありがとう。オススメのお店を教えてもらえるなんて思わなかった。」
「紅茶は帝国人の血だ。多少嗜なんでおけ。」
初めて任務や医務室といった仕事以外の何かを共有した気がする。
(こう言う日も悪くないな…。)
2人で並んで、街を抜ける。
西日が眩しい。そろそろ外出許可の時間も迫ってきたので、軍部へと足早に戻ろうとしていた。
(ここ、初めて通る道だな。)
ジャックに着いて歩いていると正門とは違う門が近づいてくる。
「こんな所に学校なんてあったんだな。」
門の横には小さな敷地に学校のような建物と遊具が見えていた。
建物を横目に通り過ぎる。
「お兄ちゃん!」
パタパタとか蹴る音がしたかと思うと柵越しに少女が声をかけてきた。
リツが思わず振り向くが、知らない顔だ。
辺りには自分たち以外には誰もいない。
「ジャック?」
問いかけるが、彼女を一瞥するとジャックは歩き出そうとする。
「おい、良いのか?」
リツが呼び止めるが、ジャックは何も答えない。
少女は、必死に追い縋ってくる。
「待って!ねえ、お兄ちゃん!」
その声は、切実だった。
彼女の表情を見るにジャックの知り合いであることは間違いないだろう。
「知り合いじゃないのか?」
「お前には関係ない。」
ジャックはそのまま軍部の門を潜って行くのだった。
§
(いや、流石に気になるだろ。)
あれだけ、子供との関係を匂わせられたのだ。何かあると言っているようなものだ。
ユ―ジンやセシリアにも聞いたが全く聞いたことはないらしい。
リリスならばと思ったが、忙しいのか中々捕まらなかった。
(まさか…隠し子⁈いや、な訳ないか。)
グルグルと迷走しながらも、周囲に聞いて回っていた。
「岳さん、ジャックが子供と関わるような任務に行ってた話とかって聞いたことありませんか?」
訓練終わりに尋ねた。
「私は詳しくない。ヂャオ様に聞いてみるか?」
岳の知る限り、暗部に最も長く所属しているのがヂャオらしい。
入れ替わりの激しい中では、ジャックも長い方だと怖いことを言っていた。
「ヂャオさん、ジャックの事で聞きたい事が―」
徐に刑部の奥にあるヂャオ専用の執務室を開けるとお菓子を頬張る姿があった。
「リツではないか!お主も食べるか?」
和菓子とも違う、けど何処か懐かしい見た目の焼き菓子だった。
「リツ、そこにはヂャオ様特製の毒が入っているぞ。」
「え⁉︎」
「抗毒訓練がてら、美味しいお菓子も食べられる。良い案じゃろ?」
ヂャオは自身の案に満足しているのか、満面の微笑みだ。
則天武后は、政敵を排除するために毒を用いていたとは聞いていたが、後にも先にも中国唯一の女帝なのだ。
(自分も暗殺者に狙われる事もあるからか…)
彼女の無弱な表情からは想像つかないような話だが、昔の王侯貴族の間では抗毒訓練は行われていたと言われている。彼女にとっても当然のことなのかもしれない。
何とも言えない気持ちになってしまったが、気を取り直してジャックについて尋ねる。
「ん?あやつ、子供なんぞおるのか?」
「いや、疑惑っていうか…隣の敷地の学校の子がお兄ちゃんってジャックのことを呼んでいたんですよね…。」
「西門の隣なら、軍の支援する孤児院じゃぞ?」
ヂャオの言葉に少し納得する。
(じゃあ、どこかで知り合ったのかな?)
「あの相棒殺しが、お兄ちゃんとはその小童気になるのぉ。」
「相棒殺し⁈」
物騒すぎるワ―ドが飛び出して来た。
「なんじゃ、お主知らぬかったのか?杰克は、こちらに来てから頻繁に相棒が変わっておってのお。相棒殺しのあだ名がついておったんじゃ。」
「そんな…あいつ、こないだも僕のことを助けてくれたし、医者としてはちゃんとしてるし…。」
殺人犯だったと分かっていながら、ジャックを庇ってしまう自分がいた。
「最近はちと真人間になったようじゃが、お主が来る前は1年程バディはおらんだったぞ。」
「そう言えば、そうですね。」
岳はよっぽど興味が無かったのか、今思い出したと言わんばかりの様子で話に入ってきた。
「相棒殺しと子供、気になる!」
突如ヂャオがソファ―から立ち上がる。
「よし!リツ!調べに行くぞ!」
「調べたいのは山々ですけど、僕、ジャックといないと外に出れないので、その女の子と話も出来ないんですよ?」
眉を下げるリツに、ヂャオは得意げな表情で告げた。
「ふん、童を誰だと思っている!」
§
「本当に出られた…。」
「儂は刑部の主にして則天武后ぞ!」
ヂャオの表情には褒めてと書かれている。
「ヂャオ様、流石でございます。」
「苦しゅうないぞ。」
岳の言葉に少し鼻を膨らませるヂャオの姿は今日も愛らしい。
刑部の主は伊達ではないのか、ヂャオと岳の三人でならばという条件付きで外出許可が下り、ジャック無しで孤児院に向かうことが出来た。
先日の少女を探す。
「あ!」
大きな声のした方を振り向くと少女がいた。
先日見たリツのことを覚えてくれていたようだ。
隣には、士官学校の制服姿の少年がいる。リツよりも少し年下だろうか。
声を上げた少女に近づこうとするとサッと、少年がリツたちの目の前から少女を隠す。
「えっと、僕は、律って言うんだ。その女の子の用事があってきたんだけど…。」
「あんたら何者だ?」
少年は警戒心を露わにこちらに問いかける。
(僕たち何かしたっけ…?)
あまりにも警戒され、戸惑ってしまう。
少女が少年の後ろから顔を出した。
「お兄ちゃんの、お友達のお兄ちゃん?」
「アリス、こいつら知り合いか?」
「アリスたちのこと助けてくれたお兄ちゃんのお友達?」
少女のセリフにも疑問符が浮かぶ。
「そう!僕たちこの間一緒にいたジャックの友達なんだ!」
少女が笑顔になると少年を振り払って毎に出てくると興味深そうにヂャオを眺める。
「…わいい。」
「ん?なんじゃ?アリスとやら。」
「可愛い!」
アリスは叫んだかと思うと、ヂャオに近づく。
「おい、アリス危ないから近づくな!」
「なんで、エリック?お姉さん、何て名前なの?アリスと友達になって!」
エリックと呼ばれた少年の静止を聞かず、身じろくヂャオに近づく。
アリスの視界には、もうヂャオしか見えていないようだ。
「な、なんじゃ!?」
ヂャオは逃げようとするが、腕を引っ張られていく。
流石の少女相手には岳も手を出しようがないのか、見守ることにしたようだ。
「リツ、助けんか!!!」
「ヂャオさん、これも何があったか知るためです!お願いします!」
リツが頭を下げた。
アリスには、大人たちの様子は全く関係ないのか、ヂャオの手を引き孤児院の子達に紹介して回っている。
「後で、僕、ヂャオさんから刺されますかね…。」
「その時は、骨は拾ってやる。」
岳にスッパリと見放されてしまった。日頃は良い師匠だが、ヂャオに関しては、リツの味方はしてくれないようだ。
「おい、あんたらの目的はなんだ?」
アリスの元気な姿に押されて放置してしまっていたが、少年からは険のある雰囲気は消えていない。
「エリック…君でいいのかな?僕たちはジャックの同僚で、ジャックのことを知りたくて来たんだ。」
「言われなくても、あいつと同僚なのはその”首輪“を見たらわかるよ。」
少年の言葉に息を呑む。
暗部のことは当然部外秘である。“首輪”のことは、軍部でも上層部と暗部に関わった人間しか知らないはずだ。
「あの女の部下なんだろう。」
「…リリスさんのこと?」
エリックは小さく頷いた。
「俺たちはは、約束通りあんたらには一切かかわらない。監視も必要ない。ここのやつらは何も知らない。だから、帰ってくれ!」
エリックの必死の形相に驚きを隠せない。
ただ、彼は、リリスと何らかの約束をしているようだ。異常なまでに、こちらを警戒していることと関係があるのだろう。
「ごめん、僕たち何があったか知らなくて。本当に、アリスちゃんとジャックが知り合いだったみたいだから、何があったか知りたかっただけなんだ。」
「…。」
エリックはこちらを探るような眼で見つめる。
リツはどういった表情をしていいか分からないまま曖昧に微笑んだ。
「………俺が話せば帰ってくれるか。」
「うん。約束する。」
エリックから向けられていた敵意が無くなった。
ヂャオと戯れる子供たちを見る目には悲哀が感じられた。
アリスはそんな彼の様子には気づかず、ヂャオを振り回して楽しそうに他の子たちと一緒に遊んでいる。
「あいつは、俺たち、ここに居る全員を助けてくれた。此処を作ったのもそのジャックって奴だって、あの女の人が教えてくれた。」
「ジャックが⁈」
思わずリツが声を上げると岳も興味深そうに声を上げた。
「一年ぐらい前の話だ。」
どんな世界でも、貧困や格差がある。
彼らは元々ビュニスの貧困街の生まれで、何らかの理由で親を亡くした子供たちで肩を寄せ合って生活していた。
そして、エリックはそこを取り仕切っていたそうだ。
一年程前、彼らの周辺で次々とメンバ―がいなくなる事件が相次いだ。
貧困街、ましてや心配する親などいない彼らがいくら警察などに訴えても真剣に子供たちを捜索してくれる大人などいなかった。
複数人で行動するなど自衛をするのも限界に達していた時だった。
裏路地に悲鳴が響く。
「俺たちだって馬鹿じゃない。ちゃんとエリアごとにメンバ―を置いて張ってたんだ。でも、アリスが攫われた。」
小さい子供の抵抗など一瞬でねじ伏せられたのだろう。
だが、エリックたちが着いた頃には、ほとんど息も絶え絶えの犯人と思われる男と、気絶した状態のアリスを抱えるジャックがいたらしい。
犯人と思われる男もジャックと同じように”首輪”が付けられていた。また、男には切りつけたような傷が無数についており、ジャックの手には血塗られたメスが握られていたそうだ。
「どっちが犯人か最初はわかったもんじゃなかった。メンバ―が襲われてなきゃ、アリスは、ギャングの仲間割れに巻き込まれたんだと思っただろうよ。」
犯人と思われる男は、軍によって連れていかれたそうだ。
しかし、その後、新聞などで何の音沙汰も無く、エリックとしてはそのまま触れずにやり過ごそうと思っていたらしい。
「けど、あの女が来た。」
リリスだ。
「女は、あいつが俺たちの保護を求めているって言ってきたんだ。もし、それを承諾すればちゃんと教育を受けさせて、保護するって。けど、俺は最初拒否した。」
「何で?」
純粋な疑問だった。国に保護してもらえるならそれまでの彼らの待遇とは雲泥の差だろう。
「俺たちは自分たちで何とかやってた。それに、どう考えても、あいつも、あの女も堅気じゃない雰囲気だった。」
(それは、確かに…。)
暗部は、あくまで国民にその存在すら伏せられたこの国の影の部分だ。
「そしたら、来るか、死ぬかで脅された。」
「え、リリスさんが?」
「…お前から見たらどんな奴か知らないが、あの女は、俺が自分たちのことを言いふらすリスクがあるなら消すのは簡単だって言ってた。」
苦虫を嚙み潰したような顔をする。
「多分だけど、俺たちのことはどうでも良かったんだと思う。どちらかと言えば、あいつとも交渉でもしてたんじゃないのか?条件を飲ませたいだけなんだろうなってことは、今なら分かるよ。」
エリックは、不服そうな表情で告げた。
「それで、気づいたらここが出来て、一斉に入れられていた。俺は、あの女に文字が読めるなら軍に入れって、こいつらがちゃんと教育を受けられているか自分の目で見張っとけって言われて…しゃ―なし今は学校に行ってる。」
「そうなんだ…。」
「今のところ約束は守られてるよ。けど、アリスは怖い思いをしたんだ。余計な事を思い出させたり、これ以上変なことに巻き込みたくない。」
エリックはそう言うと、もういいだろうと呟いた。
「もう、無理じゃ!」
ひとしきり子供たちに振り回されたヂャオが帰ってきた。
「アリス、もうよいであろう!」
「え―、ヂャオちゃんもう飽きたの?」
文句は垂れていたが、なんだかんだヂャオとアリスは仲良くなったようだ。
「おい、アリスこの人たちはもう帰るらしい。」
「え―もっと遊ばないの?」
アリスはまだまだ元気いっぱいだが、一通りここで聞きたいことは聞けたのでお暇することにする。
軍部へ戻りながらヂャオにもエリックから聞いた話を連携する。
「杰克が人助けとな!」
「いや、それもですし、”首輪"を付けてたって僕たちと同じ”イヌ”ってことですよね。」
「”イヌ”同氏の喧嘩が殺し合いに発展した話はあるが、一方的な攻撃は爆破案件だと思うが…。」
この際、喧嘩から殺し合いまで発展したことには触れないでおく。
(任務なのか?でも、そうじゃ無かったら…なんでジャックは爆破されず、僕とバディを組めたんだ?)
疑問を胸に医務室へと向かった。