第8話「拷問」
(また、ここに来てしまった…。)
死線同盟のテロを阻止して数日、岳との訓練後、付いてくるように言われ刑部に向かっていた。
「リツ!お主、最近はこちらに来ぬから待ちくたびれたぞ!」
刑部では、ヂャオが仁王立ちで待ち構えていた。
同じアジア系のよしみか、以前名前を憶えられて以来、謎に懐かれている。
かわいらしい少女に笑顔を向けられて悪い気はしない。自然とリツの頬も緩む。
「今回は、リツが連れて来た奴等だからな。お前のやり方に乗っ取ってみたのじゃ!」
そういうヂャオの背後には、歌姫セレーナ・ホワイトの公演を狙った死線同盟の男たちが並んでいる。それぞれの部屋で拷問を受けているようだ。
「そのな。殺さぬようには気おつけておったのじゃが、一人壊れてしまっての…。拘置所に送還じゃ。」
そう言いながら振り返る彼女の視線の先では、爆弾の設置係と思われる男が泡を吹いて倒れていた。
「一体、何をしたんですか?」
亡くなってはいないようだが壊れるとは物騒な話だ。
「”水滴刑”じゃ。殺してはおらぬぞ!」
水滴刑―――全身を縛られた額に向けて、規則的に一滴だけ水がたらされる。
痛みのない拷問でありながら、確実に理性を蝕むと言われている。
(あれ、本当に効くのか………。)
「イキガッタことを言っておったからもう少し骨があるかと思ったが、何ていうことはない。」
ヂャオは呆れ返ったような顔をしている。
せっかく、リツに褒めて貰えると思ったのにと言っている雰囲気だけ見れば華憐だが、敵から見れば、耳をふさぎたくなるような話だ。
「だかの、あとは、狙撃手しか残っておらんのじゃ。」
そう言うヂャオは珍しく申し訳なさそうな顔をした。確信犯とも思えるほどに可愛らしいその表情は、庇護欲をそそる。
(澪が少し言いにくいお願いをするときも、ふざけてそんな顔わざとしてたんだよな。)
明るい性格の妹のことを不意に思い出した。
だが、わざわざ、岳がここに連れて来たということは何か意図があるはずだ。
リツとしても、拷問部屋への長いはあまりしたくなかった。
「狙撃手からは、次のテロの場所を聞きだすんですか?」
「そうじゃな。色々と聞きたいことがあるのじゃ…リツ、また面白い手を考えてくれるじゃろ?」
ヂャオはリツを見つめると期待に満ちた目で見つめてくる。
リツは、溜息をつき、一瞬考えた後、静かに口を開く。
「ヂャオさん、狙撃手と爆弾犯の二人は引き合わせてますか?」
「いや?何故じゃ?」
「少し、やってみたいことがあるんです。」
リツの言葉にヂャオの小悪魔のような笑みが深まった。
§
「お願いします。」
リツがそう言うと岳がリツを殴りつけた。
数発顔面を殴られたのち、躊躇なく振り下ろされた拳は、リツの溝内へとめり込む。
(本当、躊躇がない。)
最後にそんな事を思いながら、リツの意識は途切れた。
岳は、気絶したリツをたらいのように持ち上げると、ドサリと音を立てて、乱暴に牢へと放り込んだ。
§
リツが目を覚ます。
(懐かしいな…リリスさんとあった時を思い出す。)
かすかな湿気と、石畳の冷たさが肌に貼りつく。
薄暗い牢獄の中、かすかな蝋燭の灯りが揺れ、空気を重くしていた。
手さぐりに床を触るとゴツゴツとした石畳の上に放り投げられていた。
少しずつ意識が戻って来る。
「イッ………」
口の端が切れていた。思わず声が出る。
依頼したのはリツだが、これは数日の治療は覚悟すべきだろう。
牢の中は、血生臭い匂いが鼻についた。
だが、それは自分の唇のせいだけではないだろう。この場に染みついた匂いだった。
あたりを見回すと、人の気配がする。
予想通り、暗い室内では、お互いの顔はよく見えない。
男は黙り込んだままリツの目の前に座っていた。
(早速、仕掛けるか。)
リツは男ににじり寄る。
意識を失っていたせいでリツの喉は枯れていた。自然と咳が出る。
ゲホゲホとえずきながら尋ねた。
「お前が、俺を売ったのか!!!」
リツは男に体当たりをする。
「なんだ、お前!」
咄嗟のことに男は抵抗するが、リツは岳から習い始めたばかりの体術を使うと男に馬乗りになった。
「お前のせいで我々は壊滅状態だ!!!」
リツは、苦しげに息を吐きながら絶叫する。
「お前が、我々を売ったのだろう!ふざけるな!正義の鉄槌を下してやる!」
「いや、違う。何のことだ!俺は、何もしゃべっていない!あいつだ、爆弾の担当者が話したんだ…!」
リツは内心でほくそ笑んでいた。
男は、何ぜこんなところで自分が見ず知らずの男から責められているかも分からず、混乱しているはずだ。だが、自分より後に同じ牢に入れられた人間。しかも、先ほどの話しぶりからおのずと同じ組織の人間である可能性に想い至るだろう。
その上、急に襲われたとは言え、自分よりも格上の実力者、セリフからリツの方が死線同盟内において高い地位にあると勘違しているはずだ。
牢の扉が開き、岳が入ってくる。
乱暴にリツの首根っこを掴むと外へと連れ出した。
その間にも、リツは岳を罵倒するのを忘れない。
―――準備は整った。ここからが本番だ。
§
狙撃手は混乱していた。
歌姫セレーナ・ホワイトの公演を狙った計画は、見知らぬ男たちによって阻止された。
(あんな幹部、いたか?いや、それよりも…。)
先ほど、牢から運ばれた男の言葉を信じるならば、死線同盟は壊滅状態だと言っていた。
(抗戦は一人では行えない。仲間の絆が重要だ。助けに来てくれるはずだ…。)
そう頭の中で考えながらも、不安が頭をもたげる。
先日から、聞いたこともないような拷問を受け続け、消耗していた。
この状態では何も考えられない。
―――ガチャ。
眩しい光が差し込む。
先ほどまで一緒に収容されていた男はどうしたのだろうか。そんな疑問が浮かぶが、ここに答えてくれる人間など存在しない。
扉が空いたのは食事の合図ではなく、次なる拷問の合図だった。
ここ最近、嫌になるほど眺めた拷問担当の男に連れてこられたのは、先日とは別の拷問部屋だ。
ガラスの向こうには、先ほどまで同じ牢に入れられたと思われる人物が張り付けられている。別の担当者から拷問を受けているようだ。
張り付けられた男は部屋を出た時よりも出血が酷くなっていた。
今度は物理的な攻撃を受けることになるのかと思うと気が遠くなりそうだった。
拷問担当の男は、狙撃手に告げた。
「あの男はお前たちの組織の幹部だが、もうすぐ喋るだろう。そうすれば、お前の価値は無くなる。」
(そんなわけ………。)
狙撃手がその言葉を口に出そうとした瞬間。
目の前の部屋にいた、男に向かってメスが投げられた。
「ぐっ……ああぁッ!止めろ!止めてくれ!」
男が叫ぶ。メスが刺さった場所からは血が噴き出していた。
(あいつ!俺をやった…!)
目の前の拷問担当の男は、計画を阻止し、自分の肩を刺した男だ。
その事実に気が付いた瞬間、傷口が疼いた気がした。
そちらに、気を取られていたが男の目の前には岳が迫っていた。
「この、薬を3滴飲めば楽に行ける。」
そう言うと、強い力で顎を掴まれる。狙撃手は抵抗するが、首を振っただけでは力でかなうはずもない。
ギリギリと顎がズレる音が耳元で響く。
横目で向かいの部屋を見ると、うめき声以外の声が聞こえて来た。
「分かった、話す!話すから!俺たちは―」
先ほどまで、牢の中であれ程自分に憤っていた男は、死線同盟のメンバ―のことをペラペラと話し出した。
(あいつ!仲間を⁉)
「フン、幹部と言えどこの体たらくか。」
そう言うと岳は、目を見開く狙撃手の口に謎の液体を一滴注ぐ。
呑み込みまいと必死で抵抗するが、瞬時に吐き気がこみあげてきた。
胃の奥が勝手にひっくり返るような感覚だ。
(毒だ!死ぬ…!!!)
男の目の前に確かに死が迫っていることは瞬時に理解できた。
「お前は、あいつより有益な情報は持っていないだろう?」
岳はあちらに視線を向けながら言った。
先ほどまで、メスを投げていた男は攻撃を止めている。
ガラスの向こう側にいる張り付けの男と視線が合った気がした。
まだ少し幼いようにも見える男は、こちらを見るとニタリと笑った。いや、笑ったと言っても顔は晴れており口角が少し上がった程度だ。
―――だが、それはどんなものよりも邪悪な微笑みに見えた。
男は、狙撃手のことを語りだす。
「さっき、牢にいた男、あいつは元軍の所属で―。」
頭が沸騰した。
自分の仲間だと思っていた人間がこんなにも狡猾な奴等だったのか。
失望、怒り、色々なものが綯い交ぜになって押し寄せてくる。
その間にも、自分の口には二滴目が注がれようとしていた。
(情報、なにかこの状況を逆転するような情報!)
男は錯乱状態に近い中、頭をフル回転させる。
あるはずだ、あんな卑怯な奴に何故自分の命を差し出されなければいけないのか。絶対にあいつよりも先に死ぬものか。その思いに頭が支配された。
「ある!あいつよりも有益な情報を俺は持っている!」
「ほう?次のテロか?」
岳が尋ねた。
「違う。"死線同盟"を支援している人間のことだ!俺たちは軍の支援を受けている!見たんだ!軍の人間がうちに出入りしていた!」
岳は液体を注ぐ手を止めると男はたちまちすべてを話し出した。
§
「リツ!流石じゃ!大変面白い出し物だったぞ!」
汚れた服を脱ぐリツに近寄ってきたヂャオは満足そうな表情だ。
「ヂャオさん、"軍が死線同盟を支援している”ってどういうことですか?」
メイクもあるが、岳に一応本気で殴られた箇所が痛む。
喋るのは暫く不便そうだ。
「ん?そのままの意味じゃろうな?」
(全然、岳さんもヂャオさんも驚いた様子がない…。)
「それって―」
リツは、ヂャオに尋ねようとしたが、ジャックに遮られる。
「おい、急に呼び出すな。」
「それより、お前、本気で投げただろ!またお腹が切れるところだった!」
「舐めるな、加減している。」
リツを拷問していたのはジャックだった。
先ほど、見えていた血は豚の血をパックに詰めたものがメスによって破裂させただけだ。
あとは、これまで暗部が掴んだ情報を利用しながら、リツが死線同盟の幹部のフリをしていた。
「この湯薬は、また使っていいか?」
「ええ、医務室に来ていただければ準備しておきます。」
ジャックが答える。岳が持つ毒に見立てた薬は、ただの気付け薬だ。
胃腸の動きを活発化させる薬液に強烈な匂いを付けて貰っただけで効果覿面だった。
ヂャオは、いたずらっ子のように笑ってリツを見た。
「お主、本当に暗部向きじゃの。あんな頭の使い方、なかなかできるものではないぞ。」
リツは口の端についた血を拭う。
「できるなら、もうやりたくないですね。」
これは、リツの本音だ。
人を傷つけるぐらいなら、自分が殴られる方がよっぽどましだ。
「お主は記憶がないと聞いておるが、リツの過去であれば儂も興味がわくのぉ。」
「そんな、普通の世間一般的な人間ですよ。」
苦笑いを浮かべつつ返すが、隣に立つジャックとふと目が合う。
その瞳には、静かにこちらを探るような光が宿っている。
リツは無意識に居住まいを正した。 ジャックは何も言わない。ただ、互いの視線が絡み、気まずげにリツは視線を逸らした。
ヂャオは二人の間に流れる無言の緊張に気づいた様子もなく、のんきに笑う。
「いつでも、ジャックとの任務に飽きたら刑部へ来て良いぞ!」
軽口にリツは目尻を少しだけ下げたが、返事はしなかった。
そのまま、ジャックと並んで刑部を後にする。
背中に残るジャックの視線が、妙に長く感じられた。
§
刑部を出た所でユ―ジンに捕まる。
ボロボロに殴られたリツに珍しく驚いた様子だ。
「おい、リツどうしたんだ?」
「いや、これは色々あって………。」
「そうか…ヂャオ様から何か聞いてないか?」
急な問いかけにキョトンとした顔をしてしまった。
「いや、次のテロ計画については吐いてないとの報告だけ上がってきていて、他に情報がないか気になってな。」
「ああ、それならさっき"死線同盟"が軍の支援を受けてたって吐きました。でも、支援者の名前とか詳しいことは分からないみたいで、これからヂャオさんたちが誰か突き止めるって………。」
ユ―ジンの表情は変わらない。
「そうか。」
「どうかしましたか?」
ユージンは、一瞬何かを言いかけて、喉元で飲み込んだ。
「……いや、何でもない。」
軍人らしいハッキリとした物言いのユージンにしては釈然としない態度だった。
ユージンは、それだけ言うと去って行く。
「お前、あまりベラベラ自分の知っていることを喋るな。」
ジャックに注意される。
「なんだよ。」
「ここは暗部だぞ。いざという時に身を守るすべとして情報ぐらい持っておけ。だから、お前は駄犬なんだ。」
そう言うと、長身を生かしたストロ―クで、ジャックはリツを引き離そうとする。
リツは、ジャックの背中を追いかけた。