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第7話「歌姫」

会議室は重苦しい空気に支配されていた。


「君、この失態をどうしてくれるのかね!!!」


バンッ


(威嚇にもなっていない。)


リリスに喚き散らす男の肉はたるんでおり、軍人としての覇気は一切感じられなかった。


「毒の奪還に失敗しただけでなく、暗部の人間が三人も脱走したそうじゃないか。君をもってして繋ぎ止められるものなど、その程度だったのかな。」


どこからか醜悪な笑いが起こる。


「だいたい、女に暗部を任せるなど―」

「ああ、全く誰に媚びたんだか。」

「どう挽回してくれるのか、見ものですな。」


「おい、お前、聞いているのか!」


再度、こぶしを机に叩きつける音が響き渡った。


「……それで?」


リリスの声は驚くほど冷静だった。


「三人の脱走がなんだというのかしら?」


男たちがは口々に喚きたてる。


「な、何を言っている!? それがどれほどの問題か分かっているのか!」


リリスは微笑んだ。


「ええ、もちろん。ただ、一つ確認したいのですが……この場にいる誰か、彼ら三人を確実に捕えられる方がいらっしゃるのかしら?」


会議室が静まり返る。


(何の覚悟もない人間が椅子にふんぞり返っているだけね。ストレス発散なら飲み屋でやって欲しいぐらい。)


エルトリア国内では、先日の軍部の失態が明らかになって以降、タガが外れたように軍に近い政治家の汚職なども発覚しており、”強硬派”はその影響力を大きく削がれていた。


「暗部の問題は、暗部で片を付ける。それだけです。」


リリスの人形のような瞳が男たちを見据えていた。彼女の殺気がその場を支配する。


「首を突っ込みたい方は、どうぞ。けれど、命が惜しい方はおすすめしないわ。」


それだけを言い残すと、会議室を後にした。



カツカツとヒ―ルが音を立てる。

リリスはそのまま刑部へと向かっていた。


「ヂャオ、あなたの彼貸してもらえる?」

「ん?がくか?」

「ええ、少しやってもらいたいことがあるの。」



§



―――パンッ、パンッ、パンッ


退院したリツの姿は、訓練場にあった。


「傷が開くぞ。」

「ジャック………今更、お見舞いか。」


ジャックは何も言わない。

ただ、じっとコチラを探るような目で見てくるのだ。


「何しに来た。お前に関係ないだろう。」


リツの声にはかつてないほどの苛立ちが混じっていた。


「あら?2人仲良いのね。」


むさ苦しい訓練場には似合わない鈴を転がすような声が響く。


「リリスさん………。」

「コチラ、岳さんよ。今日からリツ君には岳さんの訓練をつけてもらう。」


ヂャオの横にいた糸目の男だった。


「素人に何を教えろと?」


岳もリリスに連れてこられただけなのか、あまり乗り気では無いようだ。


「戦いの場で必要なこと、全てを。」


岳の元から鋭かった眼光がより鋭利なものになる。


―――ッス。


音は無かった。

リツは避けようとしたが、咄嗟のことに体勢が崩れ落ちただけだった。



訓練所の壁際では、ジャックの片手に握られたメスをリリスが押さえ込んでいた。


「なんの真似ですか。」

「あなたこそ。リツ君がそんなに心配?ここからは、彼らの訓練よ。」


ジャックは、舌打ちを堪えるように美しい唇が歪む。


彼は鼻を鳴らすと腕の筋肉から力を抜いた。

リリスは涼しい表情でジャックの腕に添えていた手を離す。


(相変わらずだな。)


見た目から侮られる彼女だったが、伊達に暗部のトップではない。


「あなたがバディに興味を持つなんて珍しい。」

「…あいつの傷が開くと面倒なだけです。」


リリスは、クスクスとからかうように笑っている。


「あら、もう行くの?」

「ええ、訓練なんですよね。」


ジャックは訓練所から遠ざかった。



その時、リツは繰り返される岳からの攻撃を避け続けていた。


「なん、で…急に………こんな…!」


岳と対話しようとするリツを無視して攻撃は続く。


近距離戦はリツは苦手だった。

いつ相手を傷つけるか分からない。


ただ、避ける一方のリツの体力が削られていく。


また、体がよろけた。


岳は、その隙を見逃してはくれない。

溝内みぞうちに拳が入る。


空っぽの胃から酸が迫り上がって来る。


倒れた。


完全に決着は付いていた。


だが、まだその拳を緩めてない者がいた。


「なん…⁉︎」


岳の拳を顔面に感じながら、リツの言葉はただの音として空に消えていった。



§



(まただ……。)


目を覚ました時、見えたのは無機質な天井だった。見慣れた医務室だ。


「女帝の付き人が、目を覚ましたら訓練場に来いだと。」


着替える。胸には新しい包帯が巻かれていた。


(傷…裂けたんだ。ジャックか…。)


避けながら感じた痛みは覚えていた。


「ありがとう。」


去り際にお礼を行って、訓練場に戻る。

今は、ただ


―――強くなりたかった。



訓練場の扉を開ける前にイメ―ジする。


(もし、また攻撃されたら………。)


圧倒的な力量差だった。


(それだけ、あの人が強いってことだ。)


心して扉を開ける。しかし、何の衝撃も襲ってこなかった。

恐る恐る中へと進むと岳は瞑想していた。


(自分の訓練中か?………邪魔だったかな。)


後ろに下がろうと足を擦った。


「お前、なんであの時スタンガンを使わなかった。」


岳の低い声が訓練場に響く。


「お前は、私の攻撃を体勢の整っていない状態で複数回にわたって避けた。隙を見て、スタンガンを打てば、医務室に運ばれることにはならなかったはずだ。」

「そんな余裕なんてなかったから―」


岳は、リツの言葉を嘘だと断言した。


「お前は、武人として名をはせた俺の攻撃をかわせるだけの目を持っている。にもかかわらず、一度も反撃をしなかった。」


言葉を紡ごうとしたが、言うべき言葉が見つからなかった。


「銃口を向けることさえしない。非致死性であるにも関わらず。」


そうだ。リツのスタンガンであれば、無力化するだけで岳に使っても問題ないはずだった。


「しかも、数日前に味方と思っていた人間から銃を向けらたにも関わらず、その体たらくか。」


反論の一つでも言ってやりたいのに何も言えなかった。


「お前、死ぬぞ。」


その言葉がリツの胸に重く圧し掛かる。


確かに、岳の攻撃を避けることはできた。

だが、それだけだった。

反撃することなく、ただ逃げ続け、最後には倒れた。


リツは拳を握る。


「……僕は、出来ることなら、戦いたくないんです。」


初めて出た本音だった。

周りに人殺しをさせない。でも、自分も死にたくない。

そう言って任務に出ながらも、戦うことも拒否していたのは自分だった。


岳は目を細めた。


「戦いたくない? それは、武器を持っている者の言葉ではないな。」


岳は鼻で笑う。

彼はゆっくりと立ち上がり、リツに向き合った。


「"殺さない戦い方"なんてものは、ただの幻想だ。」

「でも!僕は、殺さないって、殺させないって決めたんです。」


岳が構えたのが見える。


「では、証明しろ。」


その言葉を合図にリツは滑らかな動作でスタンガンを抜いた。



§



「本日、ヴェストリア連邦の実業家であるヴィンセント・ウィテカー男爵と、エルトリア共和国のアレクサンダー・ラインハルト議員による対談が実施されました。両者は経済協力の可能性について議論し、貿易促進やエネルギー政策の連携強化を視野に入れた―」


この数カ月で世論は大きく変化していた。

砦の不在によりヴェストリア連邦側から仕掛けてこないこともあり、レンツェオは事実上の休戦状態にある。国同士の争いや危機感を煽るようなニュースよりも国内の不正などに目が向き、複数の政治家や有力なコメンテイター、ニュースでも”穏健派”が前に立つようになっていた。


「なんか、一気に平和に近づいた気がするな。」


医務室でテレビを眺めながらリツが言葉にする。


「平和、ね。お前、本当にそう思ってるのか?」


ジャックは紅茶を一口飲み、画面から視線を逸らした。


「誰かが裏で火をつけたんだろう。」


確かに、現在の風潮は以前までだったら考えられない程の手のひら返しだ。


(リリスさんが何かやってるのか?)


疑問は浮かんだが、ジャックも知らないのであれば、リツには何が裏で糸を引いているのかなど知る由もなかった。



§



連日、岳との訓練と医務室の往復を続ける中、ユージンに呼び出される。

集まった顔ぶれを見渡せば、それは前回失敗した任務を共にした面々だった。


「テロが計画されている。」


その言葉にリツは眉をひそめた。


「標的はヴェストリア連邦の歌姫セレーナ・ホワイトの公演だ。民間人が巻き込まれかねない。」


ヴェストリア連邦の象徴ともいえる彼女の初公演は、エルトリア共和国での開催が発表されるや否や、瞬く間にチケットが完売し、国内外から大きな注目を集めていた。


統合派の動きが活発になる中、その存在は、今や政治的にも大きな意味を持つ。

穏健派にとっては"融和の象徴"、強硬派にとっては"屈辱の象徴"だ。


「敵は、"死線同盟"と名乗る50名程度の規模の武装勢力だ。現在の政権以上に強硬な姿勢でヴェストリアとの徹底抗戦を訴えているらしい。」


最近は、岳との訓練をしながら傷が完全に癒えるのを待つ日々だった。


(完治したと思ったら………物騒な話だ。)


現世でも、テロリストと呼ばれる人々はいたが、どうも冷めた目で見てしまう。


「公演は今夜18時30分からだ。舞台のスタッフとして潜り込む準備はしている。」


ユ―ジンが辺りを見回す。


「このメンバ―が集められた理由は分かっていると思う。絶対に死守しろ。」


簡潔に述べると解散が告げられた。

部屋を出ようとするとユ―ジンに呼び止められた。リリスから伝言だ。


「リツ、ジャック。一人でいい。生け捕りにしろとのことだ。次のテロ計画でも聞き出すんだろ。」


―――言われなくても、目標は殺人ではない。テロを阻止にすることだ。



§



リツは作業着に袖を通しながらジャックを見た。

彼も同じ格好をして、工具箱を手にしている。


「……こういうのは初めてだ。」


リツはその不服そうな顔に、つい吹き出しそうになった。


「行こう。」


リツも帽子を被ると会場へと乗り込んだ。



舞台の設営員として野外公演の数時間前から会場に潜入する。


歌姫の到来を待ち望む声と断固拒否する者たちのデモ、公演会場の周辺は異様な熱気に包まれていた。


リツとジャックもその中に紛れ、舞台装置の調整を装う。


まずは、通常のスタッフの動きを確認する。

舞台裏は目まぐるしく、演者、スタッフ、正規の護衛でごった返していた。


「いるな。」


ジャックの視線の先には、持ち場を離れるスタッフがいた。箱を持っている。


バレない程度に視線だけで追う。

舞台袖を抜け、武器を構えると舞台裏に回る男を尾行するリツの手にはスタンガンが握られていた。


男が舞台裏に何かを設置しようとしている。


(……爆弾か?)


リツが身を乗り出した瞬間、気配を察知した男が振り向く。


「……っ!」


男は即座に懐に手を入れるが、リツの弾丸が先に撃ち込まれた。


「ぐ……っ!」


男の体に電流が流れると体を痙攣させながら倒れた。



§



リツは、岳との訓練で学んでいた。


「リツ、戦闘を避けられない可能性が高い時、どうすれば相手の傷を最小限にできるか分かるか?」

「非殺傷性の武器を使う?」

「刃物だって、ただ数回当たるだけ傷は沢山つくが、死なない。」


言われてみればそうだ。

確かに、相手に致命傷は負わせないが傷を増やして痛めつける方法はいくらでもある。


「相手が抵抗をするから傷が増えるんだ。」


リツは静かに聞いていた。


「覚えておけ、お前が躊躇っている間に相手は抵抗しようとする。そうすると戦闘が激しくなり相手にいらぬ傷を付ける可能性が高くなる。お前はそれも嫌なんだろう?」

「…はい。」

「じゃあ、どうすればいい。お前はその武器をどう使う。」


ただ、相手を傷つけなければいいと思っていた。その為に非致死性の武器にこだわっていた。

だが、それだけでは不十分だ。


ちゃんと使いこなさなければ、自分が加害者になる事を恐れた自己愛の塊にすぎない。


そして、リツの出した答え―――それが、”先手必勝”だった。

相手がこちらに気が付く前に無力化する。

相手に抵抗の意思すら産ませないタイミング。


それが、殺させない覚悟を決めた者としてのリツの答えだった。



§



ジャックの声に現実に戻る。


「多少はマシになったな、駄犬。」


もう睨む気も起きない。ただ、リツなりに任務への向き合い方が変わってきていることをジャックも感じ取っているようだった。


「爆弾処理、出来るか?」


リツはそこら辺にあったロ―プを使って、男を縛りながらジャックに尋ねる。

ジャックはその場で爆弾を確認すると、手際よくメスでワイヤ―を切っていく。


「単純な構造だ。慣れたやつなら大丈夫だろう。」


その言葉に安堵した。

無線によれば、建物の四方、舞台裏と舞台袖に爆弾が見つかっているようだ。


「数が多いな。」

「民間人もいるのに、徹底的にやろうとしてるんだろうな。」


無線からユ―ジンの声が聞こえてくる。


「全員聞け、建物を飛ばすには十分な量だ、これで爆発物は全てと考えていいだろう。公演前には撤収だ。ポイントに戻れ。」


簡潔な指示だったが、一抹の不安が過ぎる。


(本当にそうだろうか…確かに十分すぎるほど爆発物は見つかっているけど…。)


確かに建物を破壊することが目的なのであれば、建物の四隅、舞台を狙うと言うのも納得できる。だが、彼らにとって"屈辱の象徴"である彼女を消すことこそが目的なら、講演の破壊だけで満足するとは思えなかった。

爆発物を此処まで仕込んでいるテロリストたちが、他に何も手を打っていないと言うのは違和感がある。


「ユージンさん、本当にもう戻っていいんでしょうか?」

「どういうことだ?」

「いや、爆弾の量は十分だと思いますが、講演中何かあるかもしれません。撤退するには早いと思います。」


継続での調査を無線で進言するが、応答がない。


「ユージンさん?」


リツの呼びかけにも反応がない。


「僕の無線が調子が悪いみたいだ。ジャックからも言ってくれないか?」


ジャックが軽く首を横に振る。そちらも繋がらないようだ。

こんな時に機器の不調とはついていない。

だが、そう言っている間にも、開演時間が迫っていた。撤退のポイントに行くならばもう戻るべきだ。


「時間が無いぞ…どうする。」


ジャックが不意に問いかけられる。

ただ、彼も急いで動こうとしないと言うことは、リツと同じように撤退指示を前に違和感を抱いているようだった。


(僕が、ヴェストリア連邦に関わる者全てを否定したいテロリストなら…。)


「襲撃…いや違う。そんなに人数はいない。それに爆弾の意味がなくなる。」


ジャックと視線が合った。


「「狙撃。」」


外に出て周辺を見渡す。

会場は街の中心にある大きな公園の中にあり、周辺に高い建物が多い。


「舞台が見えるのは北。」

「ライフルの射程距離は、腕に覚えがあれば3km程度か。」

「警備が厳しくない人が出入りしやすい建物。」


互いの思考が混ざり合って行く。

絞り込んだ選択肢の屋上の端が不自然に光った。


西日が沈もうとしていた。

狙うなら、よりセンセーショナルな瞬間。

―――歌姫の登場シーンを狙うはずだ。


二手に分かれ階段を登る。

エレベーターを降り、足音を消して屋上の扉の前に付いた。


息を整える。

押した扉は風圧で重かった。


風が吹き込むと同時に男の姿を捉える。


(気づかれた…!)


狙撃手と思われる男はライフルを手放し、逃走を図る。

リツはスタンガンを発射した。


「う、オラァ!」


男の足に当たったが、服の上からだったためか声を上げるだけで構わず階段へ向かって走って来る。


懐から何かを取り出そうとしているのが見えた。


「動くな。」


次の瞬間―――

反対から回り込んでいたジャックが狙撃手の背後から現れ、男の肩にナイフを突きつけた。


「終わりだ。」


バタ。


リツが男の急所に一発打ち込むと全て終わっていた。



時間だ。

透き通るような旋律と共に柔らかく、それでいて芯のある声が、辺りに響き初めた。沸き立つ歓声が街中をうねるように駆け巡っていた。

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