第8話 イケメンが静かにキレてるのって怖い……
「むにゃ……。寝ちゃってたか」
遮光性の高いカーテンからわずかに漏れる光で目を覚ました俺は、まどろむ中で、辛うじて意識を覚醒させる。
外はすっかり朝のようだ。今日が日曜日で良かった。
「たしか昨晩は、玲君と人生ゲーム50年設定でゲームしてたけど、途中でどちらからともなく寝落ちしちゃったんだな。しかし、フカフカだなこの絨毯」
リビングの床に雑魚寝みたいに寝ちゃっているが、頬に触れる絨毯の感触が心地よい。
「あ、やべ。ヨダレが」
そんな絨毯に、よく見るとヨダレの跡が!
「掃除すれば大丈夫かな……」
問題が起きたおかげで俺の頭は一気に覚醒し、脳が起きたので体を起こす。
体には毛布が掛けられていた。
きっと玲君が掛けてくれたのだろう。
起き上がった俺の目の前にまず飛び込んできたのは、大画面のテレビ画面。
画面は、昨晩やっていた人生ゲーム画面が表示されていて、32年目の俺のターン選択の状態だった。
どうやら昨晩は、俺が玲君より先に寝てしまったようだ。
「お~い、玲くん。ちょっと起きて」
次に俺の視界に入ったのは、ソファの上に丸まった毛布にくるまった塊だ。
スースーと可愛い寝息を立てているのと、それに合わせて鼓動するように動く毛布の塊に、俺はそれが玲君のなれはてであると断定する。
「むにゃ……マネージャーさん。あと5分だけ」
「何だよマネージャーって。ほら、俺ももう帰りたいから、早く起き、ろ!」
そう言って、俺は寝ぼけて訳の分からないことを言っている玲君の毛布を一気にひっぺがした。
「わひゃ!? さむい~~!」
「やっと、起き……って、うぇ!?」
毛布を引きはがしたソファの上には、たしかに人がいた。
ただ、そこにいたのはネグリジェ姿の女の人だった。
毛布を持ったまま固まる俺。
寒くてダンゴムシのようにソファの上にダンゴ虫みたいに丸まっているネグリジェ姿の女性。
「うるさいな~、もう。起きちゃったよ」
声のした方を見ると、床から起き上がった玲君が眠い目をこすりながら、文句を言っている。
どうやら玲君は、俺が寝ていた位置からすると、ちょうどリビングローテーブルで死角になっている位置の床で寝ていたようだ。
「あ、お母さん帰ってたんだ……って、なんて格好で寝てるの!?」
悲鳴のような声を上げる玲君の声は、男にしては随分とキーが高めだった。
◇◇◇◆◇◇◇
「まことに申し訳ありませんでした!」
「い、いえ……、こちらこそ初対面で見苦しい格好をお見せしてしまって。玲の母の涼音と申します」
こちらがその場で土下座すると、なぜかお母さんの涼音さんも同じように床に正座して頭を下げてくる。
「なんで、あんな所で寝てたのお母さん」
「あ、玲ちゃん。お母さん、昨晩仕事が遅く終わって帰ったら、みんなここで寝てて楽しそうだから、私もって思っちゃって」
ジト目で見る玲君に、指先をツンツンしながら、お母さんの涼音さんが釈明する。
ネグリジェからルームウェアに着替えて、寝起き時には着けていなかった眼鏡をかけている涼音さんは、玲君より少し小柄で、なんだか可愛らしい印象だ。
「す、すいません。家主の涼音さんに断りもなく泊まってしまって」
「いえいえ。最初、リビングで男の子が雑魚寝しててびっくりしましたけど、よく見たら動画で観たあの子だってすぐに解って。玲ちゃんと仲良くしてくれたんですね。ありがとうございます」
そう言って、涼音さんがニコリと笑いかけてくれる。
「いえいえ、そんな」
「この子、意外と寂しがりやなんで、ご迷惑をおかけしてると思いますが、今後も仲良くしてやってください」
「もー、お母さんやめてよ! 僕は別に一人でも平気だし!」
「玲ちゃん。そうやって意地を張るから、今回みたいなトラブルに巻き込まれたんでしょ?」
「う……それは……」
玲君が反撃した途端にお母さんの顔になる涼音さんと、それに気圧される玲君を見ると、やっぱり親子なんだなと和む。
「まぁまぁ涼音さん。玲君を責めないであげてください。悪いのは殴った奴ですから」
「あ、生の『まぁまぁ』が聞けました。やった」
「お母さん、その下りはもうやったよ」
何だろう。
こういう仲良し親子のやり取りを見るのって尊いな。
朝からいいもの見れた。
「あれ? でも、お母さんに急に仕事が入っちゃったから延期の連絡を玲ちゃんがしたんじゃ」
「ワー! ワー!! お母さん、朝ご飯まだだよね? 何か頼む?」
玲君は朝からハイテンションだ。
昨晩も盛り上がったのの余波だろうか?
「いや、そんな朝食までご相伴にあずかる訳には……。俺、もう帰りますよ」
「いえ、せっかくいらっしゃるのですからご一緒していってください。玲ちゃん、昨晩の内に頼んでおいたデリバリーの朝食用のパンとかが、下のコンシェルジュさんの所に届いてるはずだから、取りに行ってくれる?」
「ええ……、ボクが?」
「うん、お願い。お母さんスッピンだし、九条さんをお待たせする訳にいかないでしょ?」
「しょうがないな……もう」
文句を言いつつ、自分から朝食云々を言い出した手前からか、玲君はお母さんの涼音さんに言われた通り、素直に玄関から出て行った。
「すいません九条さんをダシに使ってしまって」
「いえいえ」
「あの子ったら、会合の延期の連絡は自分からするって言って、わざわざ私から九条さんの連絡先を聞き出したんですけど、どうしても直ぐに貴方に会いたかったみたい。ごめんなさいね玲ちゃんのわがままにつき合わせちゃって」
「ハハハッ。いえ楽しかったので」
さっき必死に取り繕ってたけど、お母さんにはしっかりバレてるぞ玲君。
「それで、予定外ではありますが、今、玲の話をしてしまってもいいですか?」
「はい、もちろん。玲君にはあまり聞かせたくない話ですもんね」
涼音さんがわざとらしく玲君におつかいを頼んだのは、本来の目的を遂げるためだと察しがついていた。
「そうなんです。それにしても九条さんは察しも良くてしっかりしてますね。玲ちゃんと同い年とは思えません」
「いえ、そんな」
「保護者の方にも挨拶をしましたが、話は本人に直接してもらって構わないと言われたので。信頼されてるんですね」
「え!? 保護者……」
そう聞いた途端に、背中を汗がつたい、身体が強張る。
「保護者がわりの寝屋先生から学校経由でお電話がありまして。九条さんのご両親の事についても聞いていますよ」
「そうだったんですか……」
保護者って剛史兄ぃのことだったのかと分かり、身体の緊張が解け、詰まっていた息を吐きだす。
俺の家の面倒な事情を知った上で、涼音さんはそれを玲君には聞かせないように配慮してくれたのか。
ありがたい話だ。
「じゃあ、玲ちゃんが戻ってくる前に手短に話をしましょう。例の動画アップについての、今後の対処方針ですが」
そこからは涼音さんもスイッチが入ったのか、先ほどまでポワンとした優しいお母さんから、身内を傷つけられて怒っている闘うお母さんにシフトチェンジした。
◇◇◇◆◇◇◇
「では、動画についてはアップしたアカウントユーザーの開示請求を行い法的責任を追及する方向で。これについては、九条さんの分も含めて私の顧問弁護士に一任してよいでしょうか?」
「ええ、頼みます」
玲君が戻ってくるまでにという時間的制約があるので、今後の対応方針については迅速にまとめられた。
「こちらの提案を採用いただいてありがとうございます」
「あの、弁護士費用はこちらの分はきちんと負担いたしますので」
「それはこちらで持つので大丈夫ですよ」
「いや、流石にそれは……」
「こちらのトラブルに巻き込んでしまい。また、ネット上の被害はむしろ九条さんの方が大きい。私は、その点についても怒っているんです。これ位はさせてください」
毅然とした涼音さんが言い切る。
眼鏡の奥にある目には、はっきりとした意志が宿っていた。
流石は、こんな高級マンションに居を構えるだけはあるな。
「って、そんな真っすぐに見つめないでください……。今、ノーメイクなんですから」
「ああ、すいません」
涼音さんのバックグラウンドに想いをはせていたら、ついマジマジと見つめてしまった。
先ほどまでの毅然とした態度が砕けて柔和なお母さんとしての空気が戻り、場の緊張感がなくなる。
しかし、玲のお母さんだからそれなりの御歳のはずだがお綺麗だ。
玲君と姉弟と言われても違和感がない。
「まぁ、先ほどスッピンよりも恥ずかしいところをお見せしてしまったので今更ですが」
「それ、ご自身で蒸し返しちゃうんですね」
さっきのネグリジェ姿の涼音さんを否応なしに思い出してしまった俺の顔は、きっと赤かっただろう。
今、目の前でビシッと今後の対応協議をしていた涼音さんとのギャップも相まって、むしろ見てしまった時よりも生々しく想像してしまう。
「ワー! ワー! 忘れてください!」
手をぶんぶん降って、真っ赤になった涼音さんは俺の頭上に浮かんだネグリジェ姿のイメージ図をかき消そうとする。
母としての強さと、まだ少女っぽさも残している不思議な人だ。
って、俺が涼音さんのネグリジェ姿を思い返しているのが、本人にバレている!?
「あれは忘れようにも忘れられませんね」
「もうっ。私、お仕事でも、あそこまで肌の露出はしないんですよ」
「仕事で露出?」
「あれ、もしかして九条さん、私が誰か気づいてないんですか?」
俺が怪訝な顔をすると、涼音さんがハタと気づいたというように、こちらに問いかけてくる。
「玲君のお母さんの涼音さんですよね?」
それ以上も以下もあるのだろうか?
「いや、そうじゃなくて……。はぁ、ショックだな……スッピンで眼鏡だから、オーラ無かったかな……。ちょっと、私の顔をよく見てください」
「え、でもさっき、スッピンだからあまり見ないでと」
「今は私の矜持に関わる問題なので、ちゃんと見てください!」
何なのか解らないが、涼音さんが見ろと言うので顔を正面から見てみる。
スッピンで恥ずかしいとか言うが、こうまじまじと見てみると化粧っ気が無くても、涼音さんもとても整った顔だよな。
玲君がイケメンの王子様なんだから、お母さんの涼音さんも美人さんというのはうなずける話だが。
だけど、あれ?
そういえば、この顔はどこかで見たような……。
「もっと、近くで見てください」
「え……」
そう言った涼音さんの声は妙に色っぽく、眼鏡の奥にある瞳に吸い込まれそうになって。
「なに、2人して見つめ合ってるの? お母さん、九条さん」
キンキンに冷え切った冷たい声の乱入者に我に返る。
「れ、玲君! も、もう戻ったんだ」
「ち、ちがうのよ玲ちゃん。九条さんとはただお喋りをしていただけで」
いつの間にか、音もなくリビングに戻ってきていた玲君に話しかけられ、慌てて、彼我の距離を離してワタワタと弁明する俺と涼音さん。
いや、実際にやましいことはしていないのだが。
「大人の話し合いをしてるんだろうと気を使ってゆっくり帰ってみれば……」
イケメンが静かにキレてるのって怖い……。
そうか、玲君はお母さんの事が大好きだから、俺に盗られまいと怒ってるのか。
「ち、違うんだ玲君。涼音さんの顔を見てどこかで見た人だなと思って」
「そりゃそうでしょ。だってお母さん、星名カノンだもん。ドラマやCMで観たんでしょ」
「え!?」
気づいていなかったのか? と呆れる玲君を尻目に、俺は涼音さんをつい凝視してしまう。
「どうも。女優の星名カノンです」
ここぞとばかりに涼音さんが眼鏡をはずしてドヤ顔をこちらに向けてくる。
ここで、俺の脳内で色んなピースが繋がる。
電車内のトラブルの日に観ていたお昼のワイドショーで、急遽、星名カノンが出演を取りやめたのは、このためだったのか。
「お母さんのお仕事について聞いた時に自由業みたいなものって玲君言ってたじゃない」
「だって、お母さんがカノンだって知ったら、僕の事じゃなくてお母さんの方に興味が移っちゃうと思ったから……」
玲君はそう言って、チラリと俺を横目で見る。
「あらあら、玲ちゃんの大事な人なんだから、お母さん盗らないわよ」
「そう言ってて、前も習い事の時に~」
その後のかしましい親子喧嘩を、俺は羨ましいなと心の中で思いながら眺めていた。
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