第40話 え……、ボク、今回頑張ったよね……
「いやはや。西野様は肝が据わってますね」
「……朝っぱらから何の用? 剛史兄ぃ。あと呼び方……。俺もだけど、凛奈もなんで様付けなんだよ」
気配がすると思って目覚めた早朝。
枕元に立っていた忍装束姿の剛史兄ぃに、俺は気だるげに答えた。
あ~、眠い。
久しぶりの早起きは、夏休みのせいでつい遅くなってしまった起床時間が染みついた身にはしんどいなぁ……。
「それは、西野様は次期当主の婚約者殿ですからね。従者の身の上としては、様付けは当然かと」
「年下だけど先輩の彼女だから敬語で話すみたいなもん? それに、凛奈は婚約者じゃないから」
「本来のお見合い相手の家から西野様を奪い取っておいて、それは人としての道理が通らないのでは?」
「いたいけなメイドさんを拐った極悪非道な忍に人の道を説かれるとはね」
大きく伸びをして、痛いところを突かれた事を誤魔化しつつ、俺はベッドの上に座る。
「あれは保護です。あのままでは、いずれ草鹿はヘマをしでかして処理されていたでしょう。他の十賢哲が相手なら、もっと悲惨な末路だったでしょうね」
嫌味を飛ばしたのに動じないな剛史兄ぃは。
「そして捕らえた草鹿さんの身柄を抑えていることを、本来の見合い相手の家からにおわせると……。ひどいマッチポンプだよ」
「西野家と本来お見合いをするはずだった、阿子木の家には貸しがありましたからね。誰かさんのおかげで」
「まさか、俺のまぁまぁニキ動画を勝手に上げて謝罪しにきたアホ息子の迅君が、凛奈の婚約予定の相手だったとはね……」
本当に、世間は思ったより狭い。
実は、凛奈とのお見合い前に、阿子木の家の現当主さんにも九条家の横槍について説明するために来てもらっっていた。
そして、その場で俺の顔を見た瞬間に、2人の間に流れる少々気まずい沈黙と、脳内再生される、まぁまぁニキ動画の違法アップロードをした謝罪の一幕。
阿子木の家は、十賢哲の存在自体は認識していた家格なので、動画の時に愚息の迅君がやらかした相手がその十賢哲の縁者だと知り、あらためて泣きながら謝られた。
今回は、迅くんの婚約者予定の凛奈をかっさらうから、むしろこちらが謝罪する側なのに、可哀想に阿子木の家の現当主さんは震えていた。
現当主自体はいい人なのに、下手に九条家に関わることになってしまい、実に気の毒だ。
「阿子木の家の現当主は人格者ですが、次期当主で息子の迅君はポンコツですからね。そういうのに目端が利かずに家格の高さだけで飛びついた西野家の現当主殿は、やはりセンス2.5流の経営者ですね」
「いや、話をすりかえないでよ剛史兄ぃ。今回は明らかに、剛史兄ぃが全体の絵を描いてたよね?」
「色々な問題を、一挙に片づけるためですよ。表の顔を取り繕うためだけの担任教諭ですが、教え子が不幸になるのをむざむざ見逃すのは癪でしたし、ちょうどモグリの忍を取り込むチャンスでした。さらに、渋る主のお見合い実績にもなりますし」
「だったら、せめて俺に事前に相談しろよ! 日頃は、次期当主とか言って持ち上げる癖に!」
従者だ部下だと俺の前でへりくだった態度を取るくせに、肝心の所でホウレンソウを怠りやがって!
「今回のことは、すべて才斗様の御心次第でしたからね。あくまでその他の救済はオマケ。私としては、才斗様が覆せぬ己の無力感をその後の成長の糧にしてくれても、全然構わなかったのですよ」
意地悪そうに剛史兄ぃが笑う。
「で、俺はまんまと剛史兄ぃの手のひらの上で踊ったと」
してやられた俺は、憮然とした顔でベッドの上に座りつつ頬杖をついてみせる。
ここは、ガキっぽく見えても不機嫌さを剛史兄ぃに見せつけたいのだ。
「ですが、才斗様は今回、九条家の力を存分に奮いました。家を忌み嫌っていたのに、何故ですか?」
「……別に。そうしたかったから、そうしただけだよ」
意地悪そうに笑いながら問いかけてくる剛史兄ぃから目を背ける。
別に、気まずいからじゃないし。
ちょっと、起きぬけに肩甲骨のストレッチがしたくなっただけだし。
「力があるから使ったと? 才斗様も、次期当主としての自覚が芽生えたのですね」
「そういうのじゃないよ……」
「力とは麻薬と一緒です。最初のハードルは高くとも、一度奮えば際限が無くなります。あの無礼な物言いの西野様の父が、力に屈服して惨めに這いつくばってこちらの要求を呑むのを見て、何か感じるものがあったのでは?」
「…………俺はあの人たちとは違う」
これは、剛史兄ぃからのアドバイスだろう。
力に呑まれるな、楽をするとしっぺ返しを喰らうと。
「それに、俺は、家の力を使ったことに後悔はないよ。今回の凛奈の事は、どう考えても九条の家の力を使わないと根本的な解決には至らなかったと思う」
「そうですか。今回の事で、才斗様が本邸に連れ戻されるリスクが上がったとしても後悔はないと?」
「ああ、ない」
俺は自信を持って剛史兄ぃの問答に答えた。
そこにウソはない。
例えこの先に、どんな末路が用意されていようとも、凛奈を助けた選択に対して、俺は一片の悔いも抱かない。
それは、覚悟という言葉に分類される感情だった。
「では、私からはもう言うことはないですね。まぁ今回の事は、没落し姿をくらませていた三大忍が一であった草鹿の家の者を、九条家の暗部に取り込めたのです。それだけで、他の十賢哲への力の誇示や牽制になってお釣りが来ますから、御当主様もうるさくは言わないでしょう。弁明の報告書の作文量がいつもの倍になりそうですが」
「そう…。いつも、すまな」
「おっと、そろそろ時間だ。あ、最後に、才斗様。今はベッドで寝たふりをしておくのが賢明だと思いますよ」
俺の労いの言葉によく解らない話を被せて、慌ただしく印を結びだす。
「寝たふり? どういう意味だよ剛史兄ぃ」
「それでは、後程学校で」
一方的に言い残すと、剛史兄ぃは音も煙もなく消え失せた。
何なんだ?
(カチリッ)
剛史兄ぃの残していった言葉の意味について考えていると、玄関から物音が聞こえた。
咄嗟に俺は、剛史兄ぃのアドバイス通りに布団を被ってベッドの中に潜り込む。
(ヒタッヒタッ)
忍び足の足音が、さりげなく掛け布団の外に出した耳に届く。
玄関には鍵がかかっていたはずなのに何故……。
間者か?
いや、俺でも聞こえるような足音を立てるような素人は、不法侵入する前に暗部の護衛に間引かれている。
それに、当の護衛の責任者である剛史兄ぃが半笑いで帰っていった。
となると、答えは……。
「何してんだ、凛奈」
「きゃっ、バレた」
布団から勢いよく飛び起きると、凛奈が残念そうな顔で、手をワキワキさせる。
手付きがやらしいぞ。
「玄関に鍵かかってたろ。どうやって入った?」
「え? 普通に寝屋先生からもらった合鍵で」
「なんなの、あいつ!?」
俺は思わずさけんだ。
何がしたいの剛史兄ぃは?
どこの世界に、主人の家の合鍵を、襲うと解りきっている奴に渡してるの?
はは~ん。
さては、剛史兄ぃの奴、クビになりたいんだな。
解雇理由は何にしてやろうか。
主人を差し置いて独断専行が過ぎるとでも書いてやるか。
「婚約者なら要るだろって言って渡してくれたのよ」
「いや、こういう歳で婚約者がいるようなお家は、そんな気軽に相手の家に出入りしないもんなの!」
「それは、貞淑なご令嬢とお坊ちゃんの場合でしょ? だって私たちだよ? 」
『私たちだよ?』に色んな意味を内包させ過ぎだろ。
そして、それで何か納得しちゃっている自分もいる。
たしかに今更、通常のお見合い相手みたいに、お互いを知るための探り探りの会食とか、俺と凛奈の間には要らないしな。
「まぁ、確かにな……、って!?」
「才斗~。しゅき~♪」
抱きついてきた凛奈にベッドに押し倒される。
「……制服、シワになるぞ」
「しゅき、大好き」
「はいはい」
忠告も聞かずに、凛奈は俺の胸の中で丸まって喉を鳴らすネコのように甘えてくる。
ベッドに押し倒されたけど、別に情事をしたい訳ではなく、ただ甘えていたいだけなようなので、そのまま胸を貸す。
「また、怪しいメイドさんお手製の妖しいアロマでもキメテきたのか?」
「それ、思い出させないでよ!」
「幼児退行して、しゅきしゅき言ってた凛奈の衝撃は忘れようにも忘れられんわ」
頬を膨らませて、ポカポカ胸の辺りを優しく殴ってくる凛奈に対し、俺はおどけて見せる。
「だって、好きなんだもん。この想いを色々と言語化したいとも思ったけど、胸が好きでいっぱいなの。だから、好き~♪」
人は恋をすると周りが見えなくなり、知能指数が下がると聞く。
きっと、凛奈はその典型例なのだろう。
学校では容赦なく正論でぶったぎる学内一の美人が見る影もない。
しかし、素面でこれはヤバくないか?
だって、今日から……。
「才斗……。どういうこと?」
ゴロゴロにゃんにゃん甘えてくる凛奈により塞がれていた視界の死角から、声が聞こえた。
見えていないので声だけだが、その声音だけで声の主がタールのように、ドロドロどす黒いオーラをまとっている事が解った。
「玲……。お、おはよう、早いな。って、凛奈。離れろ」
玄関で、持っていた通学バッグを取り落として、瞬きひとつしないで、こちらを真っ直ぐに見つめる玲に、俺は凛奈に抱きつかれ越しに朝の挨拶をする。
ベッドの上ということもあり、構図は完全に妻に浮気現場に踏み込まれた旦那の図である。
「いや~。もうちょっとだけ」
ベッドの上で胡座をかいて座ろうとするが、凛奈はガッチリ腕と足で大好きホールドをきめて、離れる気ゼロである。
「凛奈ちゃんが無事なのは喜ばしい事だけど、何でこんな才斗にデレデレになってるの? お見合いって、ボクが知らないだけで人格洗浄されるものなの?」
抑揚のない声で訊ねてくる玲。
いや、人格洗浄にそんな効果を付与することは出来ないから。
「あら、ヘタレ王子おはよ。未来の夫婦の寝室に不躾に入ってくるなんて無粋ね」
「ふ、夫婦ぅぅぅうう!?」
ようやく俺から離れた凛奈が、玲を全力で煽る。
そして、分かりやすく激しく動揺させられる玲。
ある意味、いつものパターンである。
「私、才斗と婚約したから。親も公認だし」
「いや、正式な婚約じゃないぞ」
勝ち誇った顔で胸をはる凛奈に対し、すかさず俺が訂正する。
さすがに俺の一存だけで正式な婚約は出来ないので、婚約を見据えて今後も仲良くしていこうという関係におさまっている。
凛奈のお父さんも内心は不満そうだったが、そこはお互いがまだ未成年であることを理由に渋々納得させていた。
だが、婚約という凛奈のパワーワードを前に、どうやら俺の補足情報は玲の耳には届いていないようで。
「目が……、頭の中がチカチカ、バチバチする……。何だろうこれ……」
何やら脳破壊攻撃を食らったようで、玲は頭を抑えて呻いている。
「だ、大丈夫か玲? 頭痛薬あるぞ」
俺はすかさず、夏休み始めの凛奈との自宅打上げの際に凛奈に買ってもらった頭痛薬を玲に差し出す。
あの時は、俺も何かしらの精神的ショックに起因する頭痛をこの薬で和らげたのだ。
「え……、ボク、今回頑張ったよね……。恋敵の凛奈ちゃんの転校や望まぬ婚約を阻止するために、才斗のメッセンジャー役を買って出て、スマホ壊された挙げ句に、この仕打ちって……」
俺の差し出した頭痛薬が視界にあることにすら気付かずに、玲は呻くように今の己の状況を顧みる。
「ああ。私、敵に塩を送られたら大艦巨砲で返す主義だから」
何その恩返し?
血を血で洗った幕末の攘夷志士だって、もうちょい人の心あるぞ。
「いや、だからな玲」
「たしかに、ヘタレ王子は今回頑張ったわね。特別に、才斗の女友達として近くをウロチョロするのは許してあげる。私は寛容な妻だから」
「妻ぁぁぁあああ!?」
人が婚約もどきの事を説明しようとしてるのに、ややこしい事言うなや!
「という訳で、そろそろ行きましょ。旦那さま♪」
「いや、俺まだ制服に着替えてないんだけど」
朝から望まぬ来訪者が多くて、着替えはおろか朝ごはんもまだである。
「着替えも妻にさせたい亭主関白タイプなのね才斗は。でも、そういうお世話をするのは嫌いじゃないかな」
「いや、着替えるから出て行って欲しいんだけど。って、キャー! パジャマを脱がそうとするな!」
躊躇なくパジャマのズボンに手を掛ける凛奈に、俺は慌ててスカートめくりされた女子の如く抵抗する俺の叫びに、ようやく玲が再起動する。
「な、なんて破廉恥な! 才斗から手を放しなさい!」
玲の発したセリフは、図らずも暴漢から姫を護ろうとする王子様のそれだった。
いや、配役の男女が逆なんだけどね。
「夫婦としての神聖な子作りを邪魔しないでくれる? 」
「才斗の純潔はボクが護る!」
「いや、着替えの話だったのに、いつの間にか話が刷り変わってるんだけど」
真っ当な指摘をする俺だが、残念ながらヒートアップする2人の耳には届いていないようで。
「折角、私が妻の余裕で才斗の女友達としては存在を許してあげてるのに……。結婚後も空気読まずに夫に纏わりつく女友達は、実家ごと破滅ざまぁさせられるって教えてあげるわ、ヘタレ王子」
「自分が望まぬ婚約を解消したら、今度は同じことを才斗に強いる……。悲しいけど、悪は討たなきゃ、この悲しい連鎖は終わらない。せめて介錯するのが、友人としての務めだよね凛奈ちゃん」
凛奈と玲が対峙する姿は竜虎が相対するがごとく。
争うは、俺の貞操。
勝手に始まる因縁の対決。in俺の部屋。
「玲も凛奈も、制服に着替えるから部屋の外に出ろ! 夏休み明け初日なのに遅刻するだろが!」
茶番劇を繰り広げる2人を玄関から追い出した時に出た外は、9月になったというのにまだ暑かった。
振り返ると色々あった夏休みだったが、気が重いのは、夏休みが終わってしまったからなだけではなく、これからの事を考えると気が重いからだなと思った俺は、いつものように玄関の外で小競り合いをする玲と凛奈の小競り合いをBGMにしながら、ため息をつきつつ制服に着替えるのであった。
<了>
これにて2章完結です。
2章は凛奈ちゃんの章というのは事前に決めていたのですが、大いに暴れてくれました。
3章は、自称婚約者で迷いを捨ててデレ甘になった凛奈ちゃんに対し、玲の逆襲はあるのか?
注目したい所です。
3章については、書籍第1巻が発売される頃に投稿を開始する予定なので、書籍版と一緒にどうぞよろしくお願いいたします。
最後に、お願い。
ブックマーク、★評価よろしくお願いします。
連載を長く続ける上では、本当に必要な栄養素なんで、評価まだの方は、是非よろしくお願いします。
それでは、3章でまたお会いしましょう。