第37話 ようやく、こっち見てくれた
【西野凛奈_視点】
「晴れ着、よくお似合いですよ。凛奈お嬢様」
「……ありがと、伊緒」
姿見に映る鮮やかな柄の晴れ着姿の自分。
ただ、晴れの日に着る着物なのに、私の顔は晴れやかとは正反対の顔をしていた。
「目元が少し赤いですね。ファンデーションで隠しましょう」
「うん。お願い」
「昨晩も泣き明かしたのですか?」
「そんなことないわよ。今日のお見合いが嫌すぎて寝れなかっただけ」
泣き明かしたのは、才斗に最期のお別れをした晩だけ。
それ以降の私は、涙も枯れはてたのか、今の心は平坦な凪のような状態だった。
「申し訳ありません、凛奈お嬢様。私が無力なばかりに……」
目元のメイクを終えて化粧箱の蓋を閉じると、伊緒はメイドドレスのスカートを掴み、手と声を震わせた。
「貴女が謝ることじゃないわ。いずれこの日が来るのは分かっていたし、だからこそ、今までは自由に過ごさせてもらったんだから」
「でも、早すぎます……。そして、凛奈お嬢様が自由に出来た時間を縮めてしまったのは、失態を犯した私を助けるため」
「こら、伊緒。その話はもうしないって約束したでしょ? 相変わらず主人の言うことを聞かない子ね貴女は」
俯き珍しく殊勝な態度の伊緒に対し、私は微笑みかけて震える手を両の手で包むように優しく握る。
「結婚の際に連れていくメイドは貴女以外に考えられないしね。これからの結婚生活の方が数十年と何倍も長いのだから、1年2年早まったのなんて誤差の範囲よ」
ニッコリと笑いながら、伊緒を励ます。
これは本心だ。
これから、私は結婚相手の家という味方がほぼいない場所へ嫁ぐ。
一人ぼっちで居るのは流石に耐えられない。
だから、理由は明かされなかったが、囚われの身となった伊緒を助け出すための交換条件として、婚約が早まる事には、大して悩まなかった。
でも、こういう計算高い所が、私の可愛くない所よね。
その点、ヘタレ王子が羨ましい。
あの子は不器用だしワガママだけど、真っ直ぐな子だから。
フフッ。
「凛奈お嬢様?」
「ああ、ごめんね。ちょっと思い出し笑いしちゃって。ほら、伊緒もいつまでも辛気臭い顔してないの」
会話の脈絡なく思い出し笑いをしてしまった恥ずかしさを誤魔化すために、私は努めて明るく振る舞った。
「ですが……」
「主人を敬いもしない、いつもの態度に戻って伊緒。それが結果的に私を救うことになるから」
「……はい、凛奈お嬢様」
やれやれ、これはもう少し時間をかけないといつもの傍若無人な伊緒が戻ってくるのは無理そうね。
「凛奈。そろそろお見合い会場に行く時間だぞ」
不躾に開いたドアからクソ親父が部屋に入ってくる。
「準備は整っております御当主様」
「ふむ。着飾れば、それなりには見えるな。くれぐれも先方に粗相はするなよ」
頭からつま先まで不躾に私の姿を見やると、クソ親父は鼻を鳴らした。
今日のお見合いには並々ならぬ気合いが入っているようだ。
「しませんよ……」
私は、力なくクソ親父に反抗の意志が無い旨を伝える。
今日の見合いを受けるのは、伊緒を取り戻すための交換条件だ。
取り引きをした以上、その約束は果たさなくてはならない。
そうでないと、家同士の更なる大きな揉め事となる。
そして、ここで言うお見合いが、通常のように相手を気に入らなければ断わる事ができる、軽い類いのものではないことも。
今日のお見合いは婚約前の実質的な顔合わせでしかない。
「いってらっしゃいませ、凛奈お嬢様」
「うん。行ってくる」
恭しく腰を折る伊緒に対して、私は主人らしく手を後ろ手に振って、自宅の邸宅を後にした。
外の天気は、私の心の中とは真逆の、夏の日射しが照り付ける晴れだった。
◇◇◇◆◇◇◇
「本日は……、お日柄……両家の……」
お見合いが始まり、隣の席に座るクソ親父がベラベラと喋り倒すが、私は意識して脳の解像度を下げていた。
見合い相手の事なんて興味ない。
俯いてテーブルをジッと見ている態度も、まぁ深窓の令嬢で男慣れしていないとからだと、勝手に邪推してくれるだろう。
そんな事を考えながら、私は高級ホテルの最上階ラウンジのテーブルを見ながら思った。
暇潰しに、テーブルのシミでも数えていたいが、高級店なだけあって、シミはもちろん、ホコリすら見当たらなかった。
「なん……、話が違……」
高級ホテルのラウンジなんだから、苦痛の時間を過ごす人の事も考えて、面白い柄でも用意すべきねと私は詮なき方向へ思考を巡らせる。
「まさ……! あな……! 有名なフィク……」
何やらクソ親父が興奮して喋っている耳障りな声が、耳に響く。
聴覚を遮断するためには、思考の海に沈むのが一番だ。
(才斗は今頃どうしてるかな……)
自然と思い浮かんだのは、やはり才斗のことだった。
見合い中に、他の男の事を考えているなんて、私もとんだ悪女だなと、心の中で自嘲する。
でも、自分の人生はこれからもそうなのかもしれない。
見合い相手と結婚したら、生活の全てで我慢を強いられる。
好きでもない相手と、家のために結婚するということは、そういう事だ。
そして……、当然世継ぎを求められる。
その時に私は、今みたいに夫婦の寝室でホコリ一つない天井を眺めて才斗の事を思いつつ、妻としての義務を果たすことになるのだろう。
って……、駄目だな。
目の前の苦しさから逃れるための思考が、悲観的な未来に及んで余計に気分を暗くする。
「これ、凛奈! 顔を上げなさい! 失礼だろ!」
暗い思考の海から引き揚げられたのは、皮肉にも隣の席のクソ親父からの軽い肘鉄だった。
(さすがに、相手の顔を見続けないのも限界か……。さて、これから私の人生の隣に居座る男の顔はどんなのかしら……。冷徹な御曹司? それとも、脂ぎったオジサンかしら……)
お見合い相手に興味なんてないから、お見合い写真も釣り書きも見ていなかった。
私は、無感情でテーブルを見つめていた顔を気だるげに持ち上げた。
「ようやく、こっち見てくれた」
お見合い相手の第一声は、少々呆れたような声音だった。
目の前にいるスーツ姿の男性は、冷徹な御曹司でも、脂ぎったオジサンでもなく、今すぐ叫び出したいほどに見慣れた人。
「………………才斗…………」
目の前で笑う学校の隣の席の男の子の顔は、スーツ姿のせいか少し大人びて見えた。
「え……。え?」
「その呆けた顔、さては話聞いてなかったな」
まだ、目の前の事態が飲み込めないでいる私の心の中をバシバシ読んでくる才斗。
「申し訳ありません、九条殿。教育が行き届いておらぬ娘で。母親を早くに亡くし、母親から令嬢としての教育も受けておりませんで……」
「いえいえ、活発な所が凛奈さんの良いところですよ」
…………!?
うちのクソ親父が……。
人を見下し、上にはこびへつらう奴が、額の汗をハンカチで拭いながら才斗に全力で媚を売っている。
目の前の光景に、私はますます混乱する。
「そう仰っていただけるとありがたいです。九条様の屋敷と比べれば、きっと我が家は犬小屋もいい所ですが、ぜひ家にも遊びに来ていただければ」
「はい。また勝手口からお邪魔します」
笑顔でチクリと嫌味っぽく言いはなった才斗の言葉に、クソ親父は顔面蒼白となる。
「そ……、その節は本当に大変なご無礼を!」
「あの時、インターホン越しじゃなくわざわざ勝手口で応対したのは、凛奈さんが転校と婚約するのを聞かされた俺のBSS顔を拝むためだったんですよね?」
「お、お許しください……。まさか、この国のフィクサーと名高い『十賢哲』に名を連ねる九条家の、しかも嫡男様だとは知らずに……」
慌てて椅子から立ち上がり、クソ親父は床に這いつくばった。
見合いの場であり、娘の私の前でという現状すら頭から抜けてしまう程の、迷いのない土下座ムーブだった。
「そんな、土下座とかいいですよ、お父さん。お見合いの場には似合いません。それに、私の顔を知らなくても無理はないです。十賢哲はその存在自体が、財界でもほんの一握りの者にしか知られていないものですから」
「はい……。無知を恥じ入るばかりで……。この度、その存在と名を知る機会を得たばかりか、九条家と縁を繋げることが出来て、望外の悦びで……」
「いえいえ。他の家との婚約前提のお見合いに、こちらから横槍を入れたのです。これくらいの便宜は図らせてください。本来のお見合いの相手方の家には九条の名の下、それ以上の便宜を図ったので、西野家との関係もこれまで通りにすると確約いただきました」
何なんだろう、これは……。
一体、私の目の前で何が起きているんだろう……。
才斗が言っていることの半分くらいは、私の理解が及ばない。
けど、私が長年悩み、解くのを諦めてしまったこの家での呪いが、瞬く間に解決していることだけは解った。
「王子様だ……」
自分を幽閉された憐れなお姫様に見立てて、いつか私の下にも王子様が来てくれるかもと、子供の頃には期待した。
でも、現実にはそんな都合の良い存在なんていないと諦めていた。
土壇場で現れた救いの白馬の王子様に、私の心は完全に拐われた。
2章タイトル回収完了。
2章完結まで後3話。
ブックマーク、★評価よろしくお願いします。
励みになっております。