第36話 九条殿は嫌なんでござろう?
「どうだい? 真夏に氷の世界っていうのも、中々に乙なもんだろ?」
「そうですな……」
「ここなら、前回のプールの時みたいに同級生に会う危険性もない。俺だって君の事考えてるんだよ」
「そうですな……」
「だからさ。ここなら思う存分、2人で愛について語らい合えるよ」
「だから、そうやって切り抜き動画にされたら終わるような危ない発言をするなでござるよ九条殿!」
そう言って、隣にいる中條さんが慌てて俺の手を塞ぎにかかる。
まだ濡れていない手袋の柔らかな感触が唇に伝わる。
温かいなぁ……。
やっぱり俺にとっての安定の有識者だよ、中條さんは。
「で。今日の相談場所はスケートリンクでござるか。真夏に長袖の上着を持ってきてと言われたから何かと思ったでござるよ」
物珍しそうに、中條さんはスケートリンク周りの観覧席からキッズスケート教室の様子を眺める。
「わざわざ俺のバイト先まで来てくれて、ありがとね中條さん」
「ああ、いいんですよ。今夏の祭典用の同人誌は早刷りで入稿済みで暇ですからな」
夏の祭典? 早刷り? 入稿?
よく分らないが、何やかんや文句を垂れつつも夏休みわざわざ相談に乗るために俺のバイト先まで来てくれるのは愛だよな。
「んで、今回はどうしたんですか九条殿? ダブル婚約者同伴帰省かまして、とうとう西野殿に愛想を尽かされたのですかな?」
「まぁ当たらずも遠からずかな……」
茶化すように話す中條さんに対し、俺は渇いた笑みをこぼす。
「え、え? マジなんですか? 我輩の見立てだと、西野殿は放蕩な亭主の事を、愚痴を溢しつつも支える事に性的喜びを感じるタイプだと思っていたのでござるが」
そんなプロファイリングしてたの?
っていうか、俺がダメ夫に設定されているのは解せないんだけど。
掃除は微妙だけど、料理はできるし!
「で、相談は例によって凛奈のことなんだけどさ」
「はいはい。って、いつもの『友達の話なんだけど』のくだりがようやく省略されるのですな」
「ああ、ちょっと今回は真剣な話でね。凛奈が婚約して、学校を転校するみたいなんだ」
「ぶほっ!? え、マジで急転直下じゃないですか。一体なにがあったんです!?」
驚いている中條さんに、俺は実家での法事の事と、面会謝絶状態だった凛奈に、隙をついてWeb通話を試みて家出を促したが、スマホを叩き壊されて終わった事を話した。
「ふむ……。やんごとなき方々の世界も大変なんですな」
俺の話を聞き終わった中條さんは、腕組みをしながら、う~んと一瞬押し黙る。
「中條さん……。俺はどうしたらいいと思う?」
藁より断然頼りになる中條さんに、俺はすがるように意見を求めた。
「まず一般論で言ったら、今回の九条殿は割と頑張ったでござる。リスクを取って、自分の家に家出してこいと、九条殿にやや強引に迫られて、西野殿はきっとトゥンクとしたと思われます」
「はぁ……」
いつもは散々な言われようなのに、今日は珍しく中條さんに褒められた。
それ故に、逆に嫌な予感が……。
「しかし、そこで一時のテンションの高まりに身を委ねずに、西野殿は九条殿を拒絶してみせた。故に西野殿の決意は固いと思われますな」
「うぐ……。そうだよな……」
俺だって凛奈のキャラや性格については、それなりに知っているという自負がある。
凛奈は芯がしっかりとある女の子だ。
だから、そんな凛奈がこうと決めたことを軽々しく曲げるとは思えなかったし、最後にスマホ越しに見た凛奈の顔には、悲しくも意志の強さが垣間見えた。
「九条殿も西野殿の決意の程には気付いていたんでござろう?」
「うん、そうだね。けど、第三者の中條さんも同じ見立てってことなら、やっぱり……」
「それでも、こんな終わり方は九条殿は嫌なんでござろう?」
「え?」
今までにない、客観的な事実や評価ではない、感情の部分に訴えかけてくる中條さんの言葉に、俺は虚をつかれた。
「相談というのは、別に我が輩が答えを九条殿に与えるものではないでござるよ。我が輩を壁打ちにして自分の気持ちや考えを整理するものでござる」
「壁って……、俺はちゃんと中條さんの事をアドバイザーとして信頼してるよ」
藁と自称してたと思ったら、今度は壁と来たか。
この子は、自己評価が低く、妙に自分を無機物に例えがちだ。
「それでも最終的な答えを決めるのは自分なんですよ。現に、九条殿はこの間、我が輩のアドバイスは聞かずに女の子2人を連れた帰省を敢行して火だるまになったんでしょ?」
「た、たしかに……」
帰省の話は中條さんにしてないのに、なんで分るんだろう。エスパー?
「いきなり突き放すような事を言いますが、九条殿が西野殿を諦める口実に、ただの壁役の我が輩を勘定に入れないで欲しいでござるな」
相変わらす飄々とした語り口の中條さんだが、言っていることはきつめの正論だった。
「でも、相手の気持ちを無視するのは……」
「それこそ今更でござろう。今まで、西野殿や叡桜女子高の王子様を自分本意に振り回しておいて」
「今日の中条さん、なんか厳しい……」
改めて言われるとその通りなんだけどさ……。
「事実でござろう? 考えて、悩んで自分の信じた道を進むでござるよ。終わった後に、慰めてやることぐらいは、相談を受けたよしみで付き合うでござるから。ほら、元気出せでござる」
項垂れた俺の頭を掴んで、やや乱暴めにヨシヨシされる。
なんだか、剛史兄ぃに頭をワシワシされた時のくすぐったさと同じものを感じる。
「ありがとう。おかげで決意が固まったよ」
「そうですか。西野殿と一緒に吉報を伝えに来るのを待ってるでござるよ」
俺の頭から手を離して、にこやかに微笑む中條さんの頬は、スケート場という氷の世界のためか、頬は少し朱色に染まっていた。
「それにしても、頭ヨシヨシなんて、これこそ切り抜き動画にされたらマズイ場面だったんじゃない?」
「スケート場には小学生キッズ達しかいないでござるから、クラスメイトに見られる心配は無いでござるよ。あと、男の頭をナデナデするというトロフィー条件を達成できるチャンスなんて、なかなか我が輩の人生にはないでござろうからな~」
相変わらず、よく分らない事を言うなぁと、カラカラと笑う中條さんを見て思う。
でも、中條さんのためにもなっているなら、少しは恩返しが出来たのかな。
そんな事をぼんやり考えていたら、俺はある事に気づいた。
「あ。そういえばうちの高校の人はいないけど、このスケートリンクには……」
と、言いかけたところで、氷上からこちらに一直線に来る気配が一つ。
「才斗……。その女の子、誰?」
凍えるような氷上でスケート教室の講師という大役を終え、玲が、氷のような眼差しで俺に訊ねて来る。
「ひぇ……」
黒の上下のトレーニングウェアで、束ねた髪がジャンプなどで少し乱れた玲は、ワガママ王子様というよりは闇堕ち王子様という出で立ちで、その迫力に中條さんは大きく後ずさりして俺の背後に隠れた。
「おう、玲。紹介するよ。この人は中條亜子さんといって俺の大事な」
「ど、ど、どうも初めまして! 叡桜女子高校の王子様さん! 私は、九条殿とは何の変哲もしがらみもない、ただのクラスメイトです! ただの雑談相手です! 本当にただの!」
俺の紹介に被せるように、大声で『ただの』を連呼する中條さん。
その様子は、まるで熊や虎といった猛獣を前に、必死に活路を見出だそうとする小動物のような怯えようだった。
そういえば、玲と中條さんは同じ場にはいたことはあっても、直接会話はしたことないもんな。
中條さんもお世辞にもコミュ力が高そうには見えないし、ここは、2人の仲を取り持つためにも俺が一肌脱がねば。
「いや、そんな謙遜しないでよ中條さん。俺と中條さんは特別な関係で」
「だぁぁぁぁああああ! 何言ってくれやがるんですか、このスカポンタン!」
俺が、色々とアドバイザーとしてお世話になっている事を玲に話そうとするが、中條さんに口を手で塞がれる。
「ボクは凛奈ちゃんにスマホを壊されてダウナーな気分の中、無理やりテンション上げてちびっ子スケート教室の講師の仕事をしていたっていうのに……。才斗はスケートリンクサイドで凛奈ちゃんとは別の女とスケートデートなんてして……。どこにでも、相手が弱っている所を見計らってくる泥棒猫っているんだね……。本当に油断ならないな……」
「いやいやいやいや……。ですから我が輩は、九条殿に一方的に付きまとわれてる、ただの女友達なだけで!」
「何それ……。『私はあなたと違って才斗に追いかけられてる側なのよ』っていうボクへのマウント?」
「ち、ちがっ!」
「でも、さっき才斗の頭ポンポンしてた……。凛奈ちゃんの例もあるし、ボクは女友達を自称する輩を決して信じない……」
「ハワワワ。ホント、我が輩みたいなクソザコ脇役キャラが自我出して、調子乗ってすんませんでした! 我が輩は帰りますので、それでは! 九条殿、今度会った時は覚えてろでござるよ!」
氷上の白い世界とは対照的などす黒いオーラを発しながら、玲がリンクから上がろうとしているのを見て、慌てて帰ろうとする中條さんは捨て台詞を残して去っていった。
さっきは凛奈と一緒に吉報を届けに来いって言ったのに何なんだ?
とにかく腹は決まった。
後はやるだけだなと、スケート靴を脱いでダッシュで中條さんを追いかけていく玲の後ろ姿を眺めながら思うのであった。