第35話 俺が何とかしてやる
「この間はありがとな。その……、法事の準備、たくさん手伝ってくれて」
『ううん……。私も、急に帰っちゃってゴメン……』
冒頭は、俺と凛奈の気安い関係からは想像もつかないほどの、たどたどしいやり取りだ。
ビデオ通話で対面と大して変わらないはずなのに。
「…………」
『…………』
そして流れる沈黙。
『あ~っ! もう! ほら、そんな見つめあってないで、そろそろ本題に入る!』
何故かビデオ通話を繋いだ時から不機嫌な玲が、雑に進行する。
そもそも、玲が叡桜生であることと、お母さんで女優の涼音さんを使って、西野家に忍び込む策は玲のアイデアなのに。
解せないが、涼音さんに凛奈のお父さんの相手をしてもらっているのだから、あまり長時間は通話できないのはたしかだ。
「凛奈。本当に婚約して、転校しちゃうのか?」
『うん……』
伏し目がちに力無く首肯する凛奈。
それだけで、俺から色々と確認するのは不要だと判断した。
「婚約も転校も、納得してないんだろ? だったら、俺の家に住め」
『『ふぁ!?』』
スマホの向こうで、凛奈はもちろん玲も驚いていた。
『な、な、何それ……。2人は、け、け、結婚するってこと!?』
「いや、ただの家出だよ。お父さんに抗議の声は上げないと」
この計画は玲にも話してなかったしな。
事前に話したら、何だかんだ優しい玲が自分の家に凛奈をかくまうと言い出すのは分り切っていたから。
『ああ、何だ……。そういう意味か。良かったぁ……』
スマホ画面の向こうの玲が胸を撫で下ろす。
いや、玲。
今は凛奈と話してるから、あまり画面上を占有しないでくれ。時間がそんなに無いんだってば。
『無理よ、そんなの……』
画面の向こうの凛奈は、俺の提案に一瞬は驚いたようだが、直ぐに無力な子供の顔をする。
画面越しにも解る……。
かつて、俺も同じような諦念をまとった弱々しい顔をしていた。
「いや、できる。何なら、まぁまぁニキのネットの知名度を活かして世間に訴えかけて」
『そうやって、子供が何かやったって無駄なのよ! 何でそれが解らないのよ!』
久しぶりに見せた凛奈の劇的な反応は、怒りと苛立ちだった。
「凛奈……」
『才斗なら、もっと私の事を解ってくれてると思ってた! 私と同じキズを持っていると思ってた! でも、それは思い違いだったみたいね!』
感情的になり、『フー! フーッ!!』と、手負いの獣のように荒い息を吐き、開いた瞳孔はこちらを恨めしく見つめる凛奈。
豹変した凛奈の後ろで、玲は青くなってアワアワしている。
「分かるよ……。凛奈の背負ってきた痛みは」
『何が分かってるっていうのよ。言ってみなさいよ!』
挑発するような言動。
だが、そんな問答を俺に課しているという事は、まだ期待も捨てきれていないという現れだと思い、俺はむしろ安堵する。
「諦めに支配された時の悲しさと、諦めたことでちょっと心が軽くなっている自分への失望とか……」
こちらは努めて冷静に、心に波風を立てないように慎重に、言葉を選ぶようにポツリポツリと言葉を紡いでいく。
『……っ!?』
「何百回も、何万回も考えてきたよな。それでも、碌なゴールに辿り着けなくて絶望してさ。で、いつかその日が来るのを震えて待つしかない。朝起きると、また一歩分猶予が無くなっていることに絶望する」
『だったら……、そこまで分かってる才斗なら分かるでしょ! これは、どうしようもない事なの! 私がこの家に生まれた時から背負った呪いみたいなもの……。その、いつかが来てしまったのが今の私よ!』
吐き出した怒りの言葉の熱量とは裏腹に、徐々に凛奈の顔から険の表情が滑り落ちていく。
けれど、その顔を上塗りするのは、悲しみだった。
「いや、まだだ。闘う余地は残されてる」
『そんなのとっくにやったわ! 中学受験では白紙の解答用紙を提出してやった! 令嬢にあるまじき態度や言動をとった! そして……』
一瞬、凛奈は言葉を飲み込んだ。
まるで苦虫を飲み込んでしまったような苦しい顔をした後に、凛奈は言葉をつづけた。
『手近にいた、たまたま隣の席だっただけの男の物になろうとした。別に好きでもないのに、傷物の令嬢になれば、あのクソ親父を困らせることが出来ると思ったから!』
「凛奈……」
『分かるでしょ? 私は、どこまでも自分本位なのよ。私の今までの言動にドキドキしちゃった? エッチな事が出来ると思った? 残念でした~。全て幻、ウソでした!』
まるでネタばらしをするピエロのようにおどけた口調で凛奈は笑った。
けど、画面に映るピエロの目には隠しきれない涙が浮かんでいた。
ピエロの仮面には、目元に涙がある。
自分に悲しい出来事があっても、道化に徹して観客の事を笑わせるという覚悟を示すものだ。
そういう意味では、今、目の前にいるピエロは道化失格だった。
何故なら、一つも面白くないし、結局客前で泣いているからだ。
「ごちゃごちゃうるさい凛奈。俺の所に逃げてこい。俺が何とかしてやる」
悪辣な俺への罵りの言葉を全部無視して、俺は自分本位に凛奈に俺の意志を押し付けた。
それは、かつて俺がかけられた言葉。
大好きな祖母ちゃんからかけられた言葉だった。
ちょっと借りるよ祖母ちゃん。
『なんでよ……。なんで、私のこと、嫌いになってくれないのよ!』
「自分が発する一言一言に、自分が傷ついて泣いてるバカを嫌いになんてなれるかよ」
泣き声こそ上げずとも、凛奈の目からは大粒の涙が、安っぽいウソ告白暴露の言葉なんかよりも、よっぽど雄弁に物語っている。
彼女の叫びを。
「問答は俺の勝ちだと思うけど、どう思う? 玲」
『う、うん。才斗の勝ちだと思うよ。凛奈ちゃん泣いちゃってるから。ぐずっ』
泣いている凛奈にあてられたのか、玲も涙を抑えられずにいる。
『いつの間に勝負になってるのよ……。しかも審判がヘタレ王子とか、癒着もいい所じゃない』
泣きながら凛奈が抗議するが、そこには乾いた笑いがあった。
涙で顔はベショベショなのに。
「なら再勝負するか?」
『本当に強引なんだから……。まぁまぁまぁって言ってる事なかれ主義はどこ行ったのよ』
涙をぬぐいながら凛奈が、仕方ないなという顔をする。
「決める時には決める男なんだよ俺は」
『へぇー。自分の実家に女2人連れてった男が何を決めるって?』
「ぐ……、相変わらず切れ味鋭いな」
変わらぬ毒舌が復活して、俺は心の内で安堵する。
これなら。
『ホント、なんでこんな口も性格も悪い女の事がそんな気になるかな』
「それは……。さっき凛奈が言ってたけど、やっぱり俺と凛奈は似ているんだと思う。性格が悪い所とかな」
『そうだね。やっぱり才斗は私に似てる。多分、もうここまでウマが合う人とは出会えない気がする。だから』
「……だから?」
『だから貴方とは一緒に居られない。バイバイ才斗。大嫌いだよ』
そう言うと、スマホの画面は空転し、一瞬、凛奈の家の天井が映ったかと思うと、画面の中の世界が加速し、暗転した。
先ほどの最後の映像の乱れが、凛奈が手に持ったスマホを振り上げて、地面に叩きつけた事によるものだと気づくのに、俺は時間を要した。
「大嫌いって……。振り絞った笑顔で言う事かよ……」
最期に見た凛奈の顔を思い出しながら、俺はノーシグナルと表示されたWeb通話アプリの真っ暗になった画面を眺めながら独り言ちた。
2章完結まであと5話。
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