第32話 悪い虫というのは俺の事
「お家でっか~い」
到着した凛奈の家の前で、玲が感嘆の声を上げる。
凛奈宅は、高い塀に囲まれた平屋の大邸宅だ。
「あれ? 玲は凛奈の家に遊びに行ったことあるんじゃないのか?」
「ううん。ボクの家に凛奈ちゃんが遊びに来た時に大まかな場所を教えてもらっただけ。後は、最寄駅で地元の人に『西野家はどこですか?』って聞けば辿り着けるからって言われてて」
「実際、そうだしな」
周囲の家とは違って大邸宅だから間違いようがない。
「なんか、才斗は凛奈ちゃん宅のリアクション薄いよね」
「前に一度来たことがあるからな」
「ふーん……。ちゃっかり、ボク以外の女の子の家に遊びに行ってるんだ」
珍しく察しの良い玲から、ジト目が飛んでくる。
「凛奈が熱を出した時に、お見舞いに一回訪問しただけだよ」
「そっか。じゃあ、自宅デートの回数はボクの方が上だね。後で、凛奈ちゃんに自慢しよう」
そして、マウント材料を見つけて途端に上機嫌の玲である。
頼むから、俺の家に遊びに来てる回数は、凛奈の方が多い事には気付かないでくれよ……。
そう思いながら、俺はインターホンを押す。
『誰だ?』
インターホンから無遠慮な男性の声が響き、俺は思わず面食らってしまう
てっきり、インターホンには、メイドの草鹿さんが出るかと思ったのだが。
「突然の訪問すみません。私、西野凛奈さんのクラスメイトで九条才斗と申します」
「凛奈ちゃんはご在宅ですか?あ、私は凛奈ちゃんの友人の星名玲です」
とは言え、俺は以前にお見舞いのために凛奈の家を訪れているし、今日は玲もいる。
突然の訪問でも、そんなに怪しまれないと思ったのだが。
『娘は会わない』
「え?」
ぶっきらぼうな返答と、インターホンの相手が凛奈のお父さんであることに驚き、思わず間の抜けた回答をしてしまう。
『さっさと帰りなさい』
「ちょっと待ってください! 凛奈さんは、体調でも崩されたんですか?」
直ぐにでも切られそうなインターホンに対し、俺は慌てて食い下がった。
『……君か。メイドから聞いていた仲の良い友人というのは。いいだろう、勝手口の方に回りなさい。少し話をしてやろう』
「はい、分かりました……」
高圧的な物言いと、家族の友人を勝手口に回すという、正規の来客ではないという扱いに、俺は嫌な予感がしていた。
だが、一先ずここは応対をしてくれるというので、俺と玲は言われた通りに、邸宅の裏の目立たない勝手口の方へ回った。
「凛奈の父で西野家当主の西野芳一だ」
勝手口の前には、すでに恰幅の良い男性が待っていた。
当主という、家の中で一番偉い立場であることを名乗りつつ勝手口の前で出迎える。
これは、端からお前らを家には上げるつもりはないという意志の表れだ。
「ご当主直々の歓待、痛み入ります。まずは突然、事前の約束もなく訪問いたしました非礼をお詫びします」
とは言え、ここで感情を表に出してはならない。
今は、凛奈の現状を知ることを最優先にすべきだと、俺は直感的に思っていた。
いかにも傲慢そうな凛奈の父を目の前にして、その懸念は確度が上がっていた。
「ふん。最低限の礼節位は弁えているようだな。娘もあれで、最低限の人の見立てはできるようだ」
目の前で不躾に品定めしている己の無礼には気付かないのか、それとも自分が選別をする側の人間であることが染み付いているのか。
その言動には不快感を覚える。
うちの両親と同種だ。
「なに、このオッサ……、モガッ!」
「ちょっと黙って玲。それで、凛奈さんはどうしていますか? 連絡をしてもずっと返事がなくて心配しておりまして」
不愉快な人だが、今は堪えてくれ玲。
この人の機嫌を損ねたら、それこそ何の情報も得られずに俺達は門前払いになるのだから。
ここは下手に出るしかない。
「外部との連絡は禁じている。そして、君が娘の事を心配する必要はもう無い。娘は婚約することになったからな」
「「婚約!?」」
思わぬワードに俺と玲は素頓狂な声を上げてしまう。
「ええと……、おめでとう……、ございます?」
ここで玲の天然が炸裂する。
一方の俺の方は、婚約というワードに色々な想像が巡る。
地元の名家、まだ高校1年生という婚姻出来ない年齢での婚約、そして外部と連絡を禁じている意味。
立て続けに来る縁談、釣書、見合い相手の媚びた作り物の笑顔や、怯えた顔……。
俺の頭の中は、凛奈の今置かれた状況と自分の事を重ねて、グチャグチャになる。
「ようやく先方との調整がまとまってな。これで西野家はもっと大きくなる」
玲の一応の祝言に気を良くしたのか、凛奈の父親は得意気に語り出した。
「でも凛奈ちゃんは、まだ16歳なんじゃ……」
頭の中がグルグルしている俺に代わり、玲が訊ねる。
「もちろん籍を入れるのは高校を卒業してからだ。それまでは、悪い虫がつかないように、夏休み明けからは、叡桜女子高等学校へ編入させる」
「え!? 凛奈ちゃん、うちの高校に来るの!?」
ここで言う悪い虫というのは俺の事を指しているのだろうなというのが、凛奈のお父さんが一瞬寄越した視線から解る。
「ほう、たしか星名君と言ったか。君は叡桜生なのだね。転校した暁には娘と仲良くしてやってくれたまえ」
「はぁ……」
名門女子校であり、夏から凛奈を編入させる学校の生徒と聞いて、丁寧な態度に改める凛奈のお父さん。
玲の方は色々と複雑な心境とばかりに、にこやかな凛奈のお父さんの笑顔に怪訝な表情を見せる。
「では、そういうことで」
最後に、俺の方を見てニヤッと笑ったあとに、凛奈のお父さんは勝手口の扉の向こう側へ行ってしまった。