第30話 手を抜けられない理由あったわ
「じゃあな才斗。見事な法事施主回しじゃったぞ」
「ありがと、じっちゃん」
「それに引き換え、剛史はもっとシャンとせんとな~。早く嫁さん連れて来いよ」
「はいはいはい。その内ね」
食事も終わって実家に戻り、列席者への最後の振る舞いであるケーキとコーヒーを済ませると、三々五々に列席者達が帰っていく。
田舎の特有の無遠慮発言を残して、最後まで世間話をしていたじっちゃん達を送り出した。
「はい、終わりです。みんな、お疲れ様~」
「おう、お疲れ。コーヒー皿はこれで全部か才斗?」
「ああ。英司すまんな手伝ってくれて」
お盆にソーサーとコーヒーカップを山積みした英司に、礼を述べる。
「我は宴会までは何もしてなかったからな。愛梨たちと違って」
「流石に疲れたみたいだな。お疲れ様、玲、愛梨」
「疲れた……」
「このくらい、ラクショーなのじゃ……」
100人分のコーヒーの準備と配膳を終えた所で、2人は燃え尽きて、台所の板の間にへたり込むように座っていた。
「それにしても、凛奈ちゃんが土壇場で居なくなっちゃうとは……」
「正直、コーヒー出しは兄者と才斗兄ぃが手伝ってくれなかったら回らなかったのじゃ」
「西野さんは急な用事でも出来たのか?」
「いや、理由を聞く間もなく行っちゃったから……」
あの慌てようは一体……。
身内に不幸でもあったのか?
どちらにせよ、直ぐには理由は聞けそうにもない。
「そう言えば、才斗よ。剛史のアンちゃんが、『先に都会のコンクリートジャングルに帰るからよろしく。宴会等の種々の支払いはしといたから』と言い残して、帰っていったぞ」
「あんにゃろ……。地元のじっちゃん、ばっちゃん達に強制お見合いでも組んでもらうか」
剛史兄ぃの自由過ぎる行動に、俺の怒りのボルテージは上がりっぱなしだ。
あの人、裏では俺の従者の癖に。
「それでは才斗よ。法事も無事に終わったことだし、勝負と行こうぞ」
これで終わりと思っていた矢先に、ネクタイの結び目を緩めて取りながら、英司が語りかけてくる。
それでは、じゃねぇよ。相変わらず暑苦しい奴だ。
「喪服で相撲なんてしたくねぇよ。喪服1着しか持ってないんだから、破りたくないし。着替えだ土俵の用意とかしてたら時間ねぇよ。帰りの電車の時間もあるし」
「ふむ……、それは一理あるが、我とお前が会敵して勝負も無しというのもな」
顎をつまみながら英司が思案顔をする。
「じゃあ、あれはどうじゃ? 坂道をダッシュするの。あれなら短時間で勝負がつくじゃろ」
「「げっ! タバタ式……、だと……」」
愛梨からタバタ式と聞いて、無意識に胃が逆流する感覚を覚える。
根性の塊の番長キャラである英司も同様なようで、幻痛に顔をしかめている。
「愛梨ちゃん。タバタ式って何?」
「タバタ式トレーニングと言ってな。20秒間全力ダッシュして、10秒インターバルで1セット。これを8セット行うトレーニングじゃ」
「ふーん……」
愛梨の解説を聞いた玲の薄いリアクションに、俺は思わず追加の説明をせずにはいられなかった。
「いや、玲。『そんなキツイの?』って顔してるけど、これ地獄見る奴だからな!」
タバタ式トレーニングは本来は心肺能力を向上させるためのトレーニングだ。
心肺能力は本来は、ある程度の長時間のトレーニングで向上させるものが一般的だが、このトレーニングは5分もかからずに、心肺能力の向上が図れる。
ただ、当然代償はある。
「うむ……。たしかに短時間で決着はつくが……」
勝負を言い出した英司や、日頃スクワットのキツさに喜びを感じる俺ですら尻込みする恐ろしいトレーニング。
それがタバタ式トレーニングなのだ。
英司も乗り気ではないし、ここは上手いこと勝負の話自体を俺の伝家の宝刀の、まぁまぁ節で無かったことに……。
「ほら、才斗兄ぃたちの帰りの電車の時間があるんじゃから、とっとと始めるぞ兄者。よもや、先代番長総代は、己から吹っ掛けた勝負から逃げたりはすまい?」
しまった!
そうこうしている 間に、愛梨が妖しく笑いながら兄の英司を煽りやがった。
「……そうだな。修羅の道だからと言って背中を見せるは男の恥よの」
悲壮な決意を胸に、英司が覚悟をきめやがった。
やめて!
俺の方には、そんな覚悟を決める理由なんて無いんだよ!
「なんだか分からないけど、英司君に負けないで才斗」
「ぐ……」
俺の勝利を疑わない、無垢な目を向ける玲を前にして、俺もまた逃げ道を失うのであった。
◇◇◇◆◇◇◇
「勝負の内容は、山頂までのダッシュを用いたタバタ式のレースで、8セット目の全力フェイズが終了した時点で先行していた者を勝利者とする。なお、各セットのインターバル中はジョギング程度の速度とし、追い抜きは禁止とする」
愛梨がレギュレーションを読み上げる中、俺と英司は、憂鬱な顔でスタートラインに立っていた。
「なんで俺は、祖母ちゃんの法事を無事に終えた後に、こんな事してんだろ……」
「ここまで来たら諦めろ才斗よ」
ネクタイを取り、しっかりとアキレス腱を伸ばしている英司が、軽いジョギングでウォーミングアップする俺のボヤキに答える。
なお、俺も英司も足元は喪服の時に履いていた革靴のままだ。
革靴で走るなんて靴擦れが心配だが、タバタ式なら短時間で終わるから、その心配はないね(泣)。
「どう考えても、お前が、俺と勝負しろとか言い出したからだろが!」
「我もこんな展開になるとは思わなかったのだ! しかし、勝負ならば我が勝つ!」
ああ、もう。
正直、この勝負は何かを賭けてるとか、勝者にご褒美や敗者に罰ゲームがあるわけでもない。
純粋にただ勝ち負けを決めるだけ。
まだ、じゃんけんの方が時間がかからない分、建設的だ。
ここは、適当に手を抜いて……。
「頑張って才斗~! ファイト~!」
なんて考えていたら、そこには、笑顔で俺の事を応援する玲の姿が!
……手を抜けられない理由あったわ。
無垢な笑顔で応援しやがって。
俺だって男の子なんだから、女の子から応援されて手を抜いて負けるなんてダサい事はできない。
「それでは、位置について。よーい……、スタート!」
「「ウオォォォォォ!」」
愛梨の号令とともに、俺と英司は全力で目の前の坂道を全力ダッシュで駆け上がる。
村に唯一ある観光施設である頂上 展望台への坂道は、まだ夜景には早い時間なので、人も車も誰もいない。
「3、2、1……。はい、10秒インターバル」
20秒坂道全力ダッシュの1本目が終わり、軽めのジョギング程度の速度に落とす。
3メートルほど前を英司が先行しているが、俺はルール通りに間隔を一定に保って、追い抜きしないようにする。
そして、このインターバル間で電動自転車に乗った愛梨が追い付いてくる。
「3、2、1……。はい、2セット目!」
「「があああぁぁぁぁあ!」」
2セット目位まではまだ、いいのだ。
全力ダッシュをしても、心拍にはまだ若干の余裕がある。
ただ、セット間の10秒のインターバルでは呼吸は全く整わない中で全力ダッシュを続けると、どんどん酸素が欠乏していき、心拍は極限のビートを刻み続ける。
「はい、5セット目スタート!」
「はひゅ……」
「おえ……」
「ほら、ダッシュの速度が落ちてるぞ兄者! 才斗兄ぃとの差が縮まってるぞ」
このタバタ式トレーニングは本来は、己との戦いだ。
20秒ダッシュで全力を出さずに手を抜けば、多少はこの艱難辛苦が楽になる。
しかし、レース形式にする事で、その甘えは出にくくなる。
「12、11……」
次のインターバルまでのカウントダウンが、時空が歪んだんじゃないかという程に進まない。
こちらは心臓も肺も限界で張り裂けそうなのに。
本当にタバタ式は、悪魔的で、実に効率よく人間を極限状況に追い込む仕組みである。
人の心とか無いんか。
「つ……○セット……。スタッ!」
明らかに異常な身体の状態に、脳内に霞がかかり、耳に届く声が遠くなる。
今が何セット目かも分からない。
ただ、スタートの号令で全力でもがく、単純マシーンへと変貌する。
今は、この無間地獄が終わるのを待ちわびるのみ。
正直、勝負なんてどうでもいい……。
「才斗抜けるよ! あと1メートル!」
脳を持たぬダッシュマシーンの耳に、不意に応援の言葉がきちんと意味のある言語として届いたのは奇跡であろう。
「おがあああああ!」
獣の咆哮を上げながら、俺は乳酸漬けとなり重くなった大腿部を前に繰り出し続ける。
「3、2、1……終了ぅ~!」
「ぶへらっ……」
「グハッ……」
待ちわびたトレーニング終了の朗報に、その場に崩れ落ちる。
本当は、その後の疲労回復のためには、インターバル時の軽いジョギングをした方がいいのだが、本当に限界まで追い込んでるので、その場にへたれ込むしかないのである。
そして、この崩れ落ちた地点が、各々のゴールなのである。
「勝者、才斗兄ぃ! 流石じゃの!」
「やったね才斗!」
いや、勝利とかはマジでどうでもいい……。
今はただ、法事の宴会で食べたご馳走をリバースしないようにするだけで精一杯だ。
道路上で喘ぎつつ、ふと後方に目線をやると、1メートルはど後方で英司がこと切れていた。
こうして、勝者も敗者も誰も得しない勝負が、この夏の帰省の最後の思い出になったのであった。
最近、筋トレエピソードを入れてないので入れてみたよ。
タバタ式はマジでしんどいから、忙しい現代人にはお勧めだよ(悪魔の微笑み)
私の場合は、自転車の室内漕ぎでもがいているよ。
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