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第14話 2人分、娘婿君検定合格です

「夏休みのお盆前に才斗君の田舎に行くのね。いいわよ」

「やった! お母さん大好き!」


 涼音さんが二つ返事で了承の言葉を口にすると、玲はお母さんの涼音さんに抱き着いた。


「涼音さん、そんな二つ返事で……。うち、田舎で交通の便が悪いから泊まりになっちゃうんですよ」


「あら、私だって玲ちゃんが一人だったり、女の子だけで泊りの旅行に行くって言うなら、反対したわよ。でも、才斗君がいるなら安心だし」


 娘に抱き着かれながら、涼音さんはウインクして返す。

 相変わらずお茶目な人だ。


「いや、だから……。それは俺を信用しすぎですって」


 この人、一人娘が男と一緒に小旅行して心配じゃないのか?


「才斗君なら電車移動の時にトラブルがあっても、まぁまぁまぁで何とかなるし」

「その弄り、まだするんですか? 鬼丸さんといい、大人の人は微妙にトレンドから古くなった頃にもネタを擦るから」


「ひっどーい! 玲ちゃん、未来の義理の息子君が、お義母(かあ)さんのこといじめる~。反抗期かな~?」


 こんなお母さんなら、多分、息子は反抗期が起きようもないかも。


 なんていうか、この人は放っておけなくて、突き放すとどんな行動をとるか分かったもんじゃないから。


 なお、義理の息子云々は一々ツッコんでいたら負けなのでスルーだ。


「も、もうっ、お母さんったら気が早いよ。ボクちょっと滑ってくるね」


玲も、恥ずかしいからかそっぽを向いて、ベンチの方へ向かう。


「それで、なんでスケート場に涼音さんが?」

「それは、才斗君のバイト初日を義母として見届けるために。スタッフさんのウェア似合ってるわね」


「バイト初日に母親が見学に来たら、多分、俺が息子ならグレると思います。本当の目的は?」


「玲ちゃんがまたスケートを滑ってる所が見たくて来たの」


 そう言って涼音さんは、ベンチに座ってスケート靴を履いている玲の後姿を見て、目を細める。


「そっか。あのケガをして以来、玲はスケートは」

「うん、全然してなかったの。親として、玲ちゃんがケガをした時に、変にフィギュアスケートに引き止めたりする事はしなかったけど、それでもあれが正解だったのかなって、今でも疑問に思う事はあったんだ……」


 白い息を吐きながら、当時を懐かしむように涼音さんは遠い目をスケートリンクの天井へ向ける。


 ここは、玲が何年間も通った馴染みのスケートリンクだから、きっと、同じ天井を涼音さんは何度も見上げてきたのだろう。


「でもね。この間、フィギュアスケートのバイトをしたくて、バイト代が入った後の後払いをするから、スケート靴を買って欲しいって玲ちゃんが申し出てきてくれた時は、嬉しかったな」


「そうですか。お母さんの涼音さんが信じて待ったおかげですね」


「何言ってるの、才斗君のおかげよ。こうして玲ちゃんが前に進めたのは。本当に貴方には感謝しています。ありがとう」

「そんな、急に畏まらないでくださいよ」


 丁寧な所作で腰を折る涼音さんに、居たたまれない気持ちになる。


 玲がスケートに向き合う勇気は、玲自身から湧き出た物で、それを育んできたのは涼音さんが暖かく玲の事を信じて見守ってきたからだ。

 俺はたまたま、最後の一押しをしただけに過ぎない。


「電車で玲ちゃんを助けてくれただけでも、娘婿君検定合格なのに、こうして玲ちゃんがまたスケートに関わる前向きな気持ちにさせてくれて。もう、2人分、娘婿君検定合格です」


「2人分合格って何ですか」


 合格証書が2枚貰えるとかか?


「そうね。私も玲ちゃんのついでに才斗君にお嫁さんとして貰ってもらうとか?」

「んぐ!? 何言ってるんですか涼音さん! もし、玲が聞いたら」


「そんな慌てなくても、玲ちゃんならスケート靴を履いたら集中のスイッチ入るから聞こえてないわよ」


 涼音さんの笑えない冗談にドギマギしている俺をよそに、涼音さんがリンクへ目を向ける。


 玲がちょうど氷上へ出た所だった。


「わ……。優雅だな」


 思わず感嘆の声が漏れてしまう。


 まだ生徒も誰もいない、フィギュアスケート専用のリンクを滑る玲は一言で言えば華麗だった。


「うわ……。ゆったり滑ってるように見えるのにグングン加速してく。後ろ向きで滑ってなんであんな思い切り滑れるんだろう」


 素人目で見ても玲のスケーティングは優雅で、何も曲がかかっていないのに、彼女の背景には物語が見えた。


 久しぶりに氷上に戻った氷の精霊が、爆発させたい喜びを抑えつつ、一つ一つ氷の感触を確かめる。


 恐らくは穏やかな曲調を、スケート靴のブレードが氷を削る音だけで表現する。


「凄いですね涼音さ……」

「玲ちゃん……良がっだ……良かったね……」


 大粒の涙を流して、女優さんなのに顔がしわくちゃになるのも構わずに泣く涼音さんに、思わず言葉が途切れる。


 これまで積み重ねてきた親としての愛情がその涙には現れていた。


「ほら、涼音さん。そのままだと目が腫れちゃいますよ。まだドラマの撮影があるんでしょ?」

「ご……ゴメンねぇ……才斗ぐん」


 泣き腫らさないように、ハンカチの折り目の先っぽを丸くし、優しく叩くように涙を拭ってあげると、涼音さんはクシャクシャな顔で俺にお礼を言った。


 だが、涼音さんの涙腺は完全に馬鹿になってしまっていて止まる気配はない。


 これは、メイク担当さんに頑張ってもらうしかないか……。


「お。玲の奴、やってるな」

「あ、鬼丸さんこんにちは。あ! あのですね、涼音さんが泣いてるのは」


「やぁ、九条君こんにちは。涼音さんも」

「鬼丸コーチ……玲……ちゃん……滑って……」


「ハハハッ! そうですね。大会の度に、玲が滑ってるのを見て泣いちゃってた涼音さんが懐かしいですね」


 え?


 大の大人が目の前で大号泣しているのに全く動じない鬼丸さんは流石だなと思ってたけど、これが涼音さんの通常営業なの?


「お、跳ぶな」


 涼音さんの可愛らしい過去に思いを馳せていると、どうやら玲のスケーティングはクライマックスに向かっているようだ。


 身体にひねりの溜めを作り、氷の後押しを受けて玲が氷上から飛び立つ。


「シングルアクセル! 降りたな!」


 鬼丸コーチが頭上で拍手する。

綺麗に着氷した玲もホッとした顔をする。


 こんな間近でフィギュアスケートを観たのは初めてだけど、予想以上に高くジャンプするもんなんだな。


 シングルアクセルと言いながら、素人目にはほとんど身体は2回転回ってたようだが、それでも玲には余裕があるように見えた。


「ぷふ~! シングルアクセル跳べたから、何とか子供たちの前で最低限カッコウつくかな」


 一通りの感触を確かめ終わったのか、玲がリンク外周の見学通路にいるこちらに滑ってくる。


「カッコ良かったよ玲」

「ありがと才斗」


 回転で乱れた前髪を託し上げながら笑う玲は、とても伸びやかな顔をしていて、こちらもつられて笑顔になる。


「玲ぢゃぁぁぁん!」

「わっ! お母さんのこの感じ久しぶりだなぁ~」


 苦笑しながら玲はお母さんの涼音さんの伸ばす手にハイタッチする。


「あ、お母さん。例の物、ちょうだい」

「ぅえ……。例の物っで?」


 万感の思いが目と鼻から涌き出ている涼音さんは、子供のように聞き返す?


「いや、だからその……」


 何故か言いにくそうにモジモジしながら、玲が俺の方をチラチラと見る。


「アハハ! ティッシュだな!」

「ちょ!? 鬼丸コーチ!」


「演技後は、身体の火照りと氷上の冷えによる寒暖差や、回転の遠心力から鼻水がめっちゃ出るんだ。玲は鼻がかみたいんだよ」

「な、なんで全部言っちゃうんですか鬼丸コーチ!」


 玲が真っ赤な顔をしているのは、どうやら激しい演技による火照りや、氷上の冷気に当てられたからだけではないようだ。


「好きな男の子の前でテイッシュで鼻をかみたくないなんて、乙女だね玲は」


「あ、ポケットティッシュなら俺持ってますよ」


「お、さすが出来る男だな九条君は。恥ずかしがってかまなかったら、鼻水が垂れちゃうぞ玲」


「ありがと才斗……。鼻かむからあっち行ってて才斗……」


 流石に背に腹は代えられないという事で、玲も大人しくポケットティッシュを受け取る。


「はいはい。ってちょっと待て玲。その妙に小汚ない軍手はもしかして……」


 玲にポケットティッシュを手渡す時に触れたのは、よく見たら手袋ではなく軍手だった。


「え? あ、バレた」

「もうその軍手はちゃんと捨てなさいって言ったじゃん!」


「いくら才斗のお願いでも聞けないよ~。ボクにとっては大切な宝物なんだから」


 折角、カッコ良いのに手元がこれでは色々と台無しなので本気で止めて欲しい。


 が、そんな事は意に介さず、氷上の妖精は宝物を奪われまいと、また氷上を滑って行ってしまった。


 小汚ない軍手にポケットティッシュを添えて、とても楽しそうに氷上を駆けていった。


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玲ちゃん、素直で純粋でええ子やなぁ…
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