第12話 私は才斗と、その……
『ピ~~ッ♪ お電話ありがとうございます。草鹿伊緒です。現在、草鹿伊緒はメイドの勤務時間外です。ご用件のある際は、初体験エピソードを400字詰め原稿用紙3枚でまとめてから、明日ご連絡を』
「自動音声の真似してないで、早く迎えに来てください草鹿さん」
無機質な女性の機械音声が流れるスマホに向かって、俺は留守電のピーッ音が鳴る前に、こちらの用件を一方的に伝えた。
『あら、バレてしまいましたか。結構自信のあるモノマネだったんですが。なぜ私だと?』
「草鹿さんだからですかね」
なにせ、電話は凛奈のスマホの電話帳アプリからかけてるからな、この電話。
こういう悪ふざけをされるのも想定内だ。
『まだ会って数回ですが、私のことよく解ってくれてるんですね。しゅき』
「今、そういうの拾う元気ないんで……」
なんとか凛奈をなだめすかして、ようやく凛奈のスマホを借りてこうして連絡できているのだ。
とっとと用件を終わらせたい。
『どうしましたか? 凛奈お嬢様が、勝手に持ち出したエッチな気分になるアロマキャンドルにでも当てられましたか?』
「やっぱり確信犯だったんですね」
呆れを声に乗せるが、メイドさんは動じない。
『凛奈お嬢様には、大事な場面でこういう飛び道具に頼ると足元をすくわれる事を、身をもって知ってほしかったので』
「なるほど。帝王学教育の一環と」
けど、本当に教育目的なのか? という疑問点はこの人の場合は拭い去れないけど。
『それで九条様、凛奈お嬢様はどうなりました? いきなり服でも脱ぎだして押し倒されましたか?』
絶対、この人楽しんでるだろ。
「いえ、そんな事は。幼児退行して、しゅきしゅき言われただけですよ」
『それはそれは。まぁ、エッチな気分にさせるという効能はウソですからね』
「あと、メイドの貴方の自慢話が多かったですね。伊緒は有能なんだって何度も言ってました」
『……そうですか』
お。
電話越しだから向こうの様子は窺い知れないけど、今の反応は草鹿さんの素のリアクションっぽいな。
これ、内心では草鹿さんも嬉しいんだろうな。
初めて、この人に反撃できた。
『とは言っても、九条様にはアロマが効かなかったようですね』
「……まぁ、そうですね。こういうのは効き目に個人差がありそうだし」
『ご家庭の事情で、こういった物には耐性があると?』
「……忠告しておくけど、そこは深入りしないでね。そうしないと、君は凛奈と二度と会えなくなるよ」
『…………』
「…………」
しばらく沈黙の時間が続き、通話代を無駄にする。
『肝に銘じておきます。それではお迎えに上がりますので、数十分ほどお待ちください』
「じゃあ、よろしくお願いします」
沈黙は事務的なやり取りにより打ち消され、電話は切れた。
あの人と話す時には、色々と気を遣う。
「ほい、凛奈。スマホ返す」
「うん。夜風が気持ちいいね」
室内は例のアロマによる有害物質が充満しているので外に避難し、アパート横の植栽の辺りに腰かけて夜風に当たっている。
このまま、草鹿さんがお迎えに来るのを待っていよう。
「ねぇ、才斗。さっきの事なんだけどさ……」
「ん? さっきの事って?」
幼児退行の原因から離れて、外の新鮮な空気を吸ったおかげか、凛奈は急速に自分を取り戻していた。
朗報だが、一つ問題が。
「私が幼児退行してた時のこと……」
「あ……。記憶残ってるタイプなんだな、凛奈は……」
今回の場合は、記憶が残ってる方が色々ときついかもな。
「えっと、あれは、その……」
赤い顔でモジモジしている凛奈に俺は助け船を出してやることにする。
「解ってる解ってる。あれは本意じゃないって解ってるから……」
「え?」
「凛奈があんな感じになったのは、草鹿さんのアロマのせいで酔っぱらったからだろ? 冗談だって解ってるから」
こういう時は、軽く流すに限る。
変に気にされて、その後しばらくギクシャクする方が嫌だし。
「ほんと、あのメイドさんは食わせ者で」
「違うよ、才斗……」
夜風に吹かれながら、早々に話題をそらそうと草鹿さんの話を出した。
きっと、羞恥心でいっぱいの凛奈はその流れに絶対に乗ってきて、草鹿さんへの愚痴大会になるかと思ったから。
でも、俺の予想は外れた。
「え? 違うって……」
「だって、私はあのアロマキャンドルが何の効果をもたらすのか、知ってて持ち出して使ったんだよ」
「……そこ、気づかないふりしてたんだけど」
そう。
俺は意図的に、その点を無視してアロマキャンドルはメイドの草鹿さんのイタズラという方向へ話を持って行こうとしていた。
「ゴメンね。素直に騙されてくれない、不器用な女で」
「ホントそうだよ。凛奈はそういうとこあるよな~」
いつになくしおらしい様子の凛奈に対し戸惑いつつも、俺の方はまだおどけた対応を取った。
「ねぇ、才斗……。もうバレてるから言っちゃうけど、私は才斗と、その……そういう事がしたいです」
俺のシャツの裾を指先で握り、真っ赤な顔をしながら凛奈が言った。
「…………」
流石に、凛奈の言うそういう事が、どういう意味なのか聞き返すデリカシーのない真似はしなかった。
目の前にいる凛奈が勇気を振り絞った事は、シャツの裾から伝わる彼女の指先の微かな震えから察せられたから。
「ごめんね。伊緒のアロマの力を借りた勢いでしか言えなくて。こんなんじゃ、ヘタレ王子に笑われちゃうな」
「俺達って友達だよな? なのに、何で……」
「べ、別に友達とそういう関係になるなんて、珍しいことじゃないでしょ」
いつかの、中條さんと問答した時の事が思い出される。
男女の友情は男女の欲が絡まないならば成立すると。
じゃあ、一度でも相手をそういう対象と見たら、この関係は終わってしまうのだろうか。
「凛奈はそれでいいのか? 異性の友達という存在を大事にしていたのは、凛奈の方だろ?」
「それは……そうなんだけどさ。ちょっと色々と状況が変わっちゃって」
そう言った凛奈の顔に影が射し、その表情に、俺の胸はチクリと痛みを覚えた。
どこか諦めを帯びた凛奈が、まるでかつての自分と重なって見えた。
「状況? それって」
「お待たせしました凛奈お嬢様」
「わ!? 草鹿さん」
問い質そうとした所で、メイドの草鹿さんが声をかけてきて驚いてしまう。
この人、音もなく現れて心臓に悪い。
「伊緒……貴女には色々と言いたい事があるんだけど」
「ああ。あのアロマについてですね」
ピキピキとキレている凛奈に対し、相変わらず草鹿さんは涼しい顔だ。
「そうよ、それ! 効能がデタラメだったじゃないの! おかげで幼児退行したりして大変だったんだから!」
「あのアロマキャンドルには、素直になる効能があります」
「「え?」」
「つまり凛奈お嬢様が幼児退行したのは、心の奥底ではバブみを求めているからです」
「な、な……」
「日頃は凛としてますが、お嬢様は根は甘えん坊なんですよ九条様」
「はぁ……。それは、今日で十二分に解りました」
さっきまで、しゅきしゅき甘えてきてたもんな。
あと、その……。俺としたいって正直に吐いた事とか。
「も、もう! さっさと帰るわよ伊緒!」
形勢不利と見た凛奈は、敗走のために迎えの車にさっさと乗り込んでしまう。
どうやらアロマの影響も全て抜けたようだ。
「それでは九条様、失礼いたします。お休みなさい」
「はい。お休みなさい」
所作は非の打ち所のない草鹿さんのお辞儀に返礼する。
「才斗~!」
草鹿さんが乗り込んで、車が発車した直後に後部座席の窓が開き、凛奈が顔を覗かせる。
「今日のはノーカンだから、お泊まり会は夏休み中に絶対にやるからね!」
「え!? ちょ、おま!」
この期に及んで俺の家にお泊まりする気なの凛奈?
凛奈の素直な気持ちを聞いちゃった後だから、その……意識するなって方が無理だろこれ!
「これは約束だから……。じゃあね」
言うだけ言って、凛奈を乗せた車は走り去っていった。
大いに困惑する俺を残して。
アクシデントの最中、あえて相手の懐に踏み込む決断をした凛奈ちゃん。
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