第8話 ほら、良かったでしょ? 私がいて
「ふーん。じゃあ、王子様と一緒にスケート場でバイトする事にしたのか。ほれ、学校のバイト許可証。あと、こっちは保護者同意書な。記名押印しといたぞ」
「ありがとう剛史兄ぃ」
「学校では寝屋先生だ」
小言と一緒に貰った、バイト先に提出する保護者同意書をクリアファイルに大事にしまい込む。
玲のコーチのバイトが決まった時に、合わせて頼まれたのが、スケート場でのバイトだった。
普段はパート勤務の方が日中のシフトに入っているが、夏休みはお子さんが家にいるので、その代替要員を探していたとのこと。
夏休み期間限定のバイトということで、まさに俺にとっては渡りに船で、二つ返事でオーケイした。
「生徒指導用の面談室だから聞いている人はいないから、いいじゃん」
「最近はネズミが学内をチョロチョロしていますからね。目障りなら始末しますが? 才斗様」
「その口調を他人に聞かれる方がよっぽど不審に思われるよ」
担任の先生が、生徒に対して敬語で敬称呼びなんてしてたら異様でしかないんだから。
「あの程度の小娘に遅れを取ったりはしませんよ。この部屋も洗浄済みです」
洗浄って言うのは、この面談室をモップがけしたり、窓を拭いたって意味じゃないんだろうな……。
「で? その口調ってことは、家の関係の話なの?」
自分でも、ウンザリした気分が顔に出ているのが分かるが、そんな事は気にも止めない剛史兄ぃが話を続ける。
「ええ。と言っても、いつもの見合い話についてですが」
「じゃあ、いつものように断っておいてよ」
反射的に俺は拒絶の答えを返す。
そんな封建的な物には付き合っていられない。
「とは言え、才斗様も昔ならば既に元服の歳です」
「うちの家のカレンダーだけ平安時代か? 今、令和だぞ」
「そろそろポーズだけでも取り繕っておいた方が良い頃合いかと愚考いたします。向こうに一度爆発されては、こちらには実質、今の才斗様の生活をお守りできる手がありませんから」
「う……」
正しく現況を把握している剛史兄ぃに、言葉を詰まらせる。
「夏休み中ならお見合いするにも都合が良いかと」
「はぁ……。分かったよ、考えとく」
あの家とは縁を切ったつもりでも、向こうはお構い無しだ。
俺がどう思っているのか分かった上で、あの家はこうして義務を果たせと迫る。
まるで、解けない呪いのようだ。
その義務から逃れるためにも、経済的な自立は必要。
バイトを始めるのも、その一環だ。今はまだ、とても十全とは言えないけれど……。
現に、今の年齢の俺では、大人の同意無しにはバイトすら出来ないのだから。
「それと夏休みは、祖母ちゃんの家に帰るんだろ?」
「いきなり口調戻さないでよ剛史兄ぃ」
さっきの従者キャラからの振れ幅デカいっての……。
まぁ、これには理由がある。
「もうすぐだもんな。祖母ちゃんの一周忌」
「そうだね……」
剛史兄ぃにとっても歴とした祖母の話題なのだから、俺と同じ孫としての立ち位置で話したいが故という……。
「向こうに残してきたあの子は、今の才斗の惨状を知ったらどんな顔するんだろうな」
「あの子って……?」
「ほら、祖母ちゃんの告別式の時に、ひと際泣いてくれてた1個年下のスケバンみたいな女の子」
「ああ、愛梨のことか。って、惨状ってなんだよ……」
ニヤニヤしながら、頬杖をついて年下の従弟を弄ってくる剛史兄ぃ。
年上って、こういう所でマウント取ってきて本当にズルい。
「都会に出てくる時には泣いて縋られたんだろ?」
「暗部の副長のくせに、ねじ曲がった情報を掴まされてるよ剛史兄ぃ……。愛梨とは『とっとと都会に行っちまえ!』って餞別の品を投げつけられたっきりだよ。連絡も来ないし」
「その投げつけられた餞別って何だったんだっけ?」
「筋トレ用のグローブ。サイズはピッタリで愛用してる」
背中トレーニングの時の豆対策に、ベンチプレス時の手首保護にと、トレーニーにとってグローブは必須アイテムなのだ。
何やかんや、愛梨も俺の事をよく解ってくれていて、プレゼントを選んでくれたのだ。
「才斗……。お前、手袋のプレゼントに込められた意味って知ってるのか?」
「知ってるよ。中世ヨーロッパでは決闘の申し込みの合図だったんでしょ? でも、愛梨は渡した後にすぐに走って行っちゃったから、意味は解っていないで贈ったんだと思うけど」
「……お前は、本当に女の子に関してだけはポンコツだな」
「うるさいよ剛史兄ぃ! じゃあ用は済んだから、祖母ちゃんの一周忌でね」
剛史兄ぃのマウントから逃れるために、俺はバイトのために必要な書類を持って席を立つ。
「おう。夏休み中にまた問題起こすなよ。夏休みの間くらいは俺もゆっくりしたいからな」
「解ってるよ。そうそう、問題なんて起こさないから」
そう言って、俺は生徒面談室を後にした。
◇◇◇◆◇◇◇
「随分と遅かったわね才斗」
「お、凛奈。待っててくれたのか?」
生徒指導室からクラスの教室に戻ると、凛奈が誰もいない教室に1人座っていて、微笑みかけてくる。
既に終業式の後のホームルームも終わった後なので、他のクラスメイト達の姿はない。
「私も、友達が生徒指導室で激詰めされているのを待つ程度には、あなたに友情を感じているのよ」
そう言って、凛奈が手に持っていた文庫本にしおりを挟んでカバンの中に入れる。
「激詰めなんてされとらんわ。こちとら何の問題も起こしてないんだから」
「じゃあ、友達がいないことを涙ながらに担任の寝屋先生に相談でもしてたの? もういい加減諦めなさいよ」
「うるせぇ! 夏休み明けにはきっと……」
「ちなみに、クラスのみんなが既に居ないのは、一学期お疲れ様のクラス打上げでカラオケに行くからだって。クラスみんなで」
「……え?」
何それ……聞いてない。
俺、そんなイベントあるの聞いてない……。
『みんな』って言葉に、俺は含まれてないの……。
「ちなみに、私はしつこく誘われたけど断っただけ。中條さん達のグループも、別の集まりがあるからって断ってたかな」
「何それ、つら……。これ、夏休みが終わった後も引きずる一生キズだわ……」
俺って、そんなクラスの人たちに嫌われてるの?
なんで? なんで?
グルグルと脳内を同じ問いかけが回る。
しかし答えが出ない問いに、心拍だけが上がり、体温を熱くし、視界がぼやける。
「ほら、良かったでしょ? 私がいて」
「うん……」
「さ、私達も1学期お疲れ様打上げしましょうか。才斗の家で、2人きりで」
「うん……」
ひどく心が傷ついた俺は、赤子のように目の前にいる凛奈の言葉にうなずくだけしか出来ずに、教室を後にした。
傷つけた後に優しくするのは、口説く時の基本テクニック。
なお、手袋を女性が男性に贈る時の意味は『私を捕まえて』、『一緒に歩む人生(二対だから)』
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