第7話 わざわざ言い直さなくてもいいのに……
「子供たち向けのスケート教室のコーチをボクがですか!?」
ジュースの自販機と談笑するためのテーブルと椅子が何セットかある休憩スペース。
そこで鬼丸さんから飲み物を渡されると、開口一番に鬼丸さんから切り出されたのは、玲の講師打診だった。
「もう夏休みだろ? フィギュアの体験コースに参加希望の子が今年は多くてな」
去年の冬季オリンピックで、日本勢から金メダリストが出て、フィギュアスケートはちょっとしたブームになっていたのだ。
「夏は選手の合宿帯同もあるしで現コーチ陣だけじゃ、とても全員分は受けられないと思ってたんだが、玲が引き受けてくれるなら子供たちの参加希望を断らずに済む」
「う……」
断りづらい理由に、玲が黙りこくる。
鬼丸さんは玲にとっては、畏敬の念を抱く存在みたいだから、余計に断りづらいだろう。
「すいません鬼丸さん」
「ん、なんだい彼氏君? 」
「玲の友人の九条才斗と申します」
「……!? わざわざ言い直さなくてもいいのに……」
「え、玲?」
「ボクをナンパから救いに来てくれた時に、ボクの事『大事な人』って言ってた癖に……」
「いや、だってそれは……」
玲のためにと鬼丸さんとの間に入ったのに、何故か急激に不機嫌になる玲にワタワタしてしまう。
「アハハッ! 今のやり取りと、私が差し出した上着じゃなく、防寒性皆無の男物の半袖シャツを大事そうに羽織っている玲を見て、君達がどういう関係なのかは大体察しがついたよ」
初対面なのにすっかり見透かされてしまった。
いや、そこは日頃からコーチとして子供たちを良く観察しているからだな。
うん、そうに違いない。
そうやって脳内で無理矢理結論付け、弛緩した空気を締め直して、俺は口を開いた。
「当然ご存知かと思いますが、玲はここでケガを負ってフィギュアスケートを辞めたんです。そんな玲に、無理強いはしないでください」
俺は鬼丸さんの目を見て、毅然とした態度で実質的な拒絶の言葉を口にする。
「才斗……」
「ふーん。部外者の君が言うね」
「だからこそです」
玲が言いにくい事は、俺が場の空気を読まずに言ってやる。
威容を放つ鬼丸コーチの鋭い視線に、正面から対峙しながら、俺は一歩も引かない構えだ。
しばらく沈黙が場を支配する。
「ふっ……。アハハハッ!」
「お、鬼丸さん?」
「コーチ?」
突如、威容を放っていた顔を弛緩させ鬼丸さんが愉快そうに笑いだし、俺と玲は
「いや~、流石は電車で暴漢から玲を救いだした男の子なだけあるな」
「え! ご存知だったんですか?」
こういう体育会系で陽の者みたいな人も、あの動画観てるの?
「ああ。涼音さんから聞いていてな」
「え!? 鬼丸コーチは、ボクのお母さんと今でも連絡取り合ってたんですか?」
驚く玲に鬼丸さんが続ける。
「そりゃそうだ。玲のケガが治って元気にしてるのはとうに知ってた。この間はアスレチックではしゃいだみたいだな」
「そんな最近の事までご存知だったんですね……」
玲は恥ずかしそうにうつむく。
「さっきのコーチの打診だって、既に保護者の涼音さんには了承を得てる。無論、本人が乗り気ならという条件付きでだが」
「そうだったんですね。それなら、ボクには断る理由は無いですね。体験教室のコーチの話お請けします」
「玲……大丈夫か? 無理してないか?」
「うん、大丈夫だよ才斗。ボクも前に進みたいから」
ニッコリと笑う玲の顔には、少しの不安と、けれど大きな希望が見てとれた。
決して無理をしているという感じではなさそうだ。
「そっか……。鬼丸さん、先程は事情も知らずに首をつっこみ、申し訳ありませんでした」
「いやいや。流石は、単身で玲を助けた胆力の持ち主だと感心したよ、まぁまぁニキくん」
頭を下げる俺に対し、鬼丸さんが俺のネットミーム名を持ち出してきて茶化す。
最初はとぼけて、俺の事を知らないふりしてやがったな……。
食えない人だ。
「そろそろ皆、その呼び名は忘れかけてきてるので、やめてください……」
「アハハッ! 分かったよ才斗くん。あ、そうだ! そんな君にも頼みたいことがあるんだけど」
「はぁ……」
今日初めて会った俺に頼み事?
なんだろうと玲の方を見るが、玲にも分からないようで、ハテナマークが浮かんだ顔を見合わせることになった。