第6話 これが音に聞く彼シャツ
「まさか、こんな形でまたここに来ることになるなんてね……」
佐々木さんをおんぶして、ようやく辿り着いた目的地を前にして、玲が感慨深そうに独り言ちた。
「気まずいなら、俺だけで佐々木さんを送っていくけど」
神妙な顔つきで隣に立つ玲に提案するが、
「……ううん。ボクも一緒に行く」
ちょっとだけ逡巡したが、 玲はキッパリと力を込めて宣言した。
「そっか」
勇気を出して前に進みたいんだな、玲は。
かつて逃げ出したという、自身の過去と正面から向き合うために 。
「それに、才斗だけで佐々木さんを連れていったら、間違いなく才斗は不審者だよ」
「ええ……。一応、挨拶もしたから佐々木さんの妹の氷花ちゃんとも面識はあるんだけどな」
どうやら、俺を茶化す余裕もあるようだ。
「気絶したお姉ちゃんをおんぶして登場したら、氷花もビックリしちゃうよ。だからボクが説明する」
確かに、一回見学に来ただけの奴が、気絶した生徒のお姉さんをおんぶして来たら、騒ぎになるのは必至である。
「ありがとう。頼むよ玲」
「うん」
真っ直ぐに見据えた先にあるスケート場の、かつて玲が通ったフィギュアスケートクラブがホームリンクとしているスケート場への入口へ向かい、俺と玲は歩を進めた。
◇◇◇◆◇◇◇
「え!? 玲お姉様……ですか?」
「氷花、久しぶり。大きくなったね」
スケートリンクの脇に入ってきた途端に、こちらから呼び掛けるより早く、氷花ちゃんはレッスン中にも関わらず氷上を全速で滑ってこちらに来てくれた。
「は、はい! わ、私……ずっと……ずっとお会いしたくて」
感極まってという様子の氷花ちゃんは、突如訪れた玲との再会に、理解が追い付いていないという感じだが、目じりに涙を浮かべて喜んでいる。
「急に氷の上からいなくなっちゃってゴメンね氷花。でも、氷花がフィギュアスケートを続けてくれていて、とても嬉しいよ」
「あ、ありがとうございます! 玲お姉様が、幼少の頃に私を指導してくださったおかげです!」
なんだか氷花ちゃん、この間、佐々木さんに紹介してもらった時と雰囲気が違うような……。
前は小学生っぽい元気な様子だったのだが、玲を前にしている今は、大人っぽいというか艶っぽいというか……。
玲しか見えていないという感じで、ポ~~~ッとした顔で玲の目を真っすぐに見つめている。
そのせいなのだろうか。
「あの……氷花ちゃん。お姉さんが隣でこんな有様なんだから、ちょっとはこっちも心配してあげて」
1回だけ挨拶した男におんぶされている、意識を手放した姉が、氷花ちゃんの視界には全く入っていない。
「あれ、お姉ちゃん寝てるんですか?」
「そこは説明が難しいんだけど……、うんそんな感じ」
先ほどは、説明は自分に任せておけと言っていた玲だが、実に適当な説明である。
とは言え、姉が路上で奇声を発して何度もシャットダウンと再起動を繰り返したという事実を事細かに妹の氷花ちゃんに説明するのも忍びない。
これは仕方がないという事で、俺の方でも特に補足説明はしないでおく。
「じゃあ、お姉ちゃんはこちらで預かりますね。これで練習を途中で抜けた言い訳になりますし。ほら、行くよお姉ちゃん」
「ううん……。玲様……、せめてフリフリレースはご勘弁を……」
ちゃっかり者の妹からぞんざいな扱いを受けつつ、佐々木さんは氷花ちゃんに肩を貸して貰いながらスケートリンクを後にする。
「お疲れ様、才斗。炎天下で佐々木さんをおんぶして歩いて大変だったでしょ」
「いや、こんなのブルガリアンスクワットのキツさに比べればなんて事はないよ。それに、スケート場に入ったら涼しかったし」
玲の労いの言葉に、冷えた額の汗を拭いながら答える。
「クチュンッ!」
「あ。そりゃ玲は寒いか」
スケート場は、リンクのために室温が低く、真夏でも長袖が必要だ。
夏用の甘々ワンピース姿では、とてもじゃないがこの寒さに対抗出来ない。
「へ……平気だよ、これくらい」
「せめて、これ羽織っておきな」
「え?」
俺はカバンの中から学校制服のシャツを取り出して、玲に渡した。
「これって、才斗が今日着てた制服のシャツ……」
「ああ、ごめんな。そんなのしかなくて」
制服の上着があれば良かったのだが、あいにく真夏なので持ち歩いていなかった。。
「いや、そんな事ないよ! ありがとう。そっか……これが、音に聞く彼シャツ……」
「玲?」
「お母さん……。ボクはまた大人への階段を昇ります。天から見守っていてください」
俺のシャツを手に持って凝視し、何やらブツブツと唱え出した玲。
え、俺のシャツを羽織るのって、お母さんに報告するほどの覚悟が要るの?
あと、天から見守ってって、涼音さんは故人じゃねぇよ。
やっぱりシャツは返して貰うか?
「お客様。もし宜しければ、こちらお使いください。スケート場の貸しウインドブレーカーです」
逡巡していると、横から声をかけられた。
声の方を見ると、中年女性が上着を2着、手に持って立っていた。
スポーツジャージを着ている元気の良さそうなご婦人だ。
「あ、すいません大変助かります。それではお言葉に甘えて」
このままだと風邪を引くから、願ったりかなったりだ。
「……うっ!?」
シャツをご婦人から受けとると、背後で呻き声が上がった。
「よお、玲。元気そうじゃないか」
「ど、どうも……お久し振りです! 鬼丸コーチ!」
さっきまで寒そうにしていたし、まだ俺のシャツも渡された上着も羽織っていないのに、玲がダラダラと汗をかいている。
普段から、フィギュアスケート仕込みの体幹により美しい姿勢の玲が、反り返らんばかりに力を背骨に込めて直立している。
「鬼丸じゃなくて下の名前の悦子で、『えっちゃんコーチ』って呼べって、いつも言ってただろ玲。まぁ、今はヘッドコーチだがな」
カラカラと笑う鬼丸さんは、どうやら玲がフィギュアスケートをやっていた頃のコーチなようだ。
玲が突然体育会系出身キャラみたいになった様子から、何となく当時の関係性が垣間見えた。
「ヘッドコーチ就任おめでとうございます! 鬼丸コーチ!」
「だから、『えっちゃんコーチ』と呼べって言ってるだろ。で、玲。その方は?」
笑いながら、鬼丸さんが俺の方へ視線を向ける。
「はい! ボクの大事な人です! 鬼丸コーチ!」
「玲……。体育会系特有の過剰なバカでか声で、言わないでよ」
良い姿勢でハッキリ言うなぁ……。
あと、純白甘めなワンピース姿で体育会系の物言いって、違和感が凄い。
「アハハッ! そうか。玲も、もう女子高校生だもんな。それより玲。久し振りの再会であれなんだが、ちょっと相談があるんだ」
「は、はぁ……」
先程まで再会を屈託無く喜んでいた玲の恩師である鬼丸さんが、急に真面目な顔つきになった。
それに合わせて玲の背筋は、よりピンッ! と伸び、俺もついつられて背筋を正したのであった。
なお彼シャツは汗で少し湿っている模様。
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最近、ブックマークしかつかねぇ……。




