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第38話 よく頑張ったな玲

 まだ心臓がバクバクしている。

 落ち着かない気分の中、人通りの多い雑踏をすり抜けるように早足で歩いていく。


「才斗……」


 さっきのサラリーマンたちは、もう追ってきていないのだろうか?


 いや、油断は禁物だ。

 さらに仲間を呼びよせているかもしれない。


「ねぇ、才斗」


 駅前でタクシー拾って、家まで送り届けるのが一番安全か?

 でも、お金の持ち合わせが……。


 星名家に着けば、涼音さんが居るだろうから呼び出して……。

 っていうか、涼音さんに玲が見つかったって電話しなきゃ。


「才斗ってば!」

「わっ!? ど、どうした玲! 追手か!?」


 手を引っ張られて、俺は弾かれたように臨戦態勢をとり、周囲をキョロキョロと警戒する。


「そんなの来てないよ! さっきから、ずっと話しかけてるのに」

「お、おお。そうだったのかゴメン。玲を何とか助けないとって思って、それだけで頭がいっぱいで」


「あ、そこに公園があるよ。とりあえず、あそこで少し休も」


 そう言って、玲はちょうど目の前にあった公園を指さす。


「え? でも追手が」

「そんなの来ないよ。それに、色々あってボク疲れちゃったからさ」


「そっか、分かった」


 まぁ、涼音さんに電話したりもしたかったから、一時的にいる分には問題ないかと思い直し言われたとおりに俺と玲は公園のベンチへ向かった。




◇◇◇◆◇◇◇




『あ、ありがどう九条ぐん……! 玲ぢゃんを見つけでぐれで……』


「いえ、そんな……。俺だけの力じゃないですから。じゃあ、先ほど伝えた公園の前にハイヤーを回してもらうという事で。はい、はい、よろしくお願いします」


 玲を無事に保護したと伝えた電話の向こう側で、ぐしょぐしょに泣いている涼音さんを宥めて、俺は電話を切った。


「涼音さんに連絡したぞ玲」

「ありがとう才斗。お母さんどうだった? その……怒ってた?」


「めっちゃ泣いてた。帰ったら、ちゃんと謝るんだぞ」


 そう言って、不安そうにベンチに座る玲の頭を軽く撫で、玲の横に座る。


「……車、すぐに来るって」

「うん」


 夜の公園。


 大通りの喧騒がかすかに聞こえる中、2人の間に沈黙の時がしばし流れる。



「……何で、ボクが家出したのか、聞かないの?」


 沈黙を破ったのは玲からだった。


「聞いたら答えてくれるか?」


「うん。才斗になら話す。けど、まだ誰にも……。お母さんにすら話したこと無いから怖いんだ……」


 ベンチの隣で微かに震える玲の手を握る。


 ずっと外に居たせいで手が冷えきっているかと思ったが、その手は熱を持っている。

 手から伝わる熱から、玲の緊張がこちらにも伝わる。


「うん。一緒だからな」


言葉は少なく、手の温もりから安心を伝える。


しばらくすると、玲の手から伝わる熱が落ち着いた頃に、玲はポツリポツリと語りだした。


「ボクの足のケガについては才斗も知ってるんだよね?」

「ああ。フィギュアスケートの指導中に、佐々木さんの妹の氷花ちゃんを庇って、スケート靴のブレードでキズを負ったって」


「才斗は、その話を聞いた時にどう思った?」

「玲のこと、カッコいいと思ったよ。まさしく王子様だなって」


 玲のしたことは称賛されるべき事だ。

 咄嗟に他人を助けられる勇気も、その後に、助けた氷花ちゃんの事を気遣う配慮も。


「違うんだ……。ボクは、そんな皆から羨望の眼差しを送られる王子様なんかじゃないんだよ」


「どういうこと?」


「ボクはね……。あのケガが無くても、もうフィギュアスケートを辞めようと思ってたんだ」


 まるで、自身の中に巣食う毒を吐き出すかのように、玲は重く言葉を発する。


「ケガの前に……」


「ボクはこの通り、女にしては身長が高めでしょ。小学校の高学年頃からグングン身長が伸びちゃったんだ」


「伸び……ちゃった?」


 玲の言い方に俺は引っかかりを覚えた。


「フィギュアスケートは、小柄な体型の方が有利な面が多いんだ。高難度のジャンプを跳ぶには、身体が軽い方がいい。そして中学生になってジュニアに上がったボクは、ノービスで……、小学生の頃に跳べていたトリプルアクセルが跳べなくなった」


 当時を思い出してか、玲の手から少し熱が喪われた気がした。


「いっぱい練習してきた……。なのに、ボクから戦うための武器が滑り落ちていく……。とても辛かった……」


「そうか……」


 努力の末に少女が身に着けた技が、身体の成長という止めようもない物によって失われる。


 それは恐怖であり、努力でどうしようもない理不尽だ。

 そして、失ったものをただ取り戻すための旅が、どれだけ過酷で精神的に辛いか……。


 それを思うと、当時の玲の苦闘が偲ばれた。


「コーチやお母さんは、いつかまた飛べるようになるって励ましてくれたし、精一杯サポートしてくれた。でも、ボクの心はもうほとんど折れていた。そんな時に……」


「氷花ちゃんの事故によるケガが……」


「うん……。ケガをした時に、ボクは……。卑劣なボクはこう思ってしまったんだ」


 逡巡するように少し俯いた玲は、しかし勇気を振り絞るように顔を上げて俺の目をまっすぐに見据えて口を開く。




「やった……。これで格好良くフィギュアスケートを辞められるって」




 玲の手にギュッと力が入り硬く強ばるのを、俺は無言で包み込む。


「このキズはボクにとって逃げた証なんだ。だから、普段から出来るだけ見えないように隠した」


 玲がズボンタイプの制服を着るようになった理由。

 名誉の負傷なのに、キズを見られて突如として逃げだした理由。


 微妙に繋がらなかった線が繋がった。


「でも、ダメだね。普段は忘れてるふりをしていても、やっぱりこのキズは消えてくれない。周りだって覚えてる。さっきも、お母さんからキズのことを労わられた。それが居たたまれなくって、ボクは衝動的に家を出ちゃったんだ。自分の醜さに耐えきれなくて……」


 優しさが時に毒となり追い詰める。

 涼音さんが悪い訳では無いから、余計に玲は自分を責めることになったという訳か。


「そうか……。ずっと苦しかったんだな玲は」


「うん……」


 ここで玲が言っているキズは、物理的なものではなく心に負った方のキズだろう。

 だからこそ、そのキズはずっと乾くことなく生傷として残っていた。


「それで、俺にだけは知られたくなかったっていうのは」


「才斗にだけは……。真っすぐな君にだけにはウソをつきたくなかった。でも、本当の事を話す勇気もなかった……」


 ふり絞るように懺悔の言葉を繰り出す玲。


「才斗に幻滅されるんじゃないかって怖かった。だから逃げ出す事しか出来なかった……。ゴメ」



「実はさ~、俺も電車で殴られてる玲を助けに入った時に『何やってんだ俺は』とか、『こんなの貧乏クジじゃん』とか思ってたんだよな~」



「さ……才斗?」


 玲の謝罪へ被せるように、突如として過去の話をほじくり出した俺に、困惑した顔を向ける玲。


 だが、構わず俺は喋り続ける。


「あげく、助けた奴はサッサとファンのお嬢様女子高生達に囲まれちゃって、ニッカポッカの兄ちゃんのヘイトが完全にこっちに来ちゃってさ」


「ご……ゴメン」


 あの時は、玲の事を男だと思ってた頃だからな。

 そりゃあ、妬ましい気持ちもあったのは事実である。



「俺はただ運が良いだけさ。本質はヘタレな小市民で」



「そんな事ない!」




 俺の卑屈な愚痴に、玲は立ち上がって大きな声で抗議した。


 先程までの不安によるものではなく、怒りによって震えているのが、顔を紅潮させていることから見てとれる。


「ボクの王子様の事を悪く言うのはやめて!  例え、才斗本人でも許さないよ!」


 ハハッ、今までで一番の激オコ顔だな。

 やっぱり美人が怒ってると、迫力があって、おっかねぇや。



「でも、俺もまた玲が言っているような真っ直ぐな人間じゃないんだよ」



 今までは、玲を敢えてヒートアップさせるために半分は演技だった。

 だが、この言葉にだけは重力を込めた。



『自分は真っ直ぐな人間なんかじゃない』



 この言葉だけは、紛れもない心の底から引き揚げた、俺の本心だ。



「そんなの関係ない! 何を心の中で思っていようが、才斗がボクを助けてくれた。その結果だけが全てなの!」



 大声で、怒気をこめて怒っている玲からは、フーッ! フーッ!! と上がった心拍により吐き出される呼気の音が聞こえてくる。



「だろ? じゃあ、玲のキズだって一緒じゃないか」



 真剣に、俺のために怒ってくれている玲に対し、微笑ましい気持ちを込めて俺は玲に笑みを返しながら言った。


「え……?」


「その理屈で言ったら、玲が助けた氷花ちゃんは今も元気にスケートリンクで滑ってる。それが結果の全てだろ」


「う……」


 自分の主張がブーメランとして戻ってきて、玲はたじろぐ。


「この間、佐々木さんにスケートリンクに連れて行ってもらったけど、氷花ちゃんは、何の影もなく今でもフィギュアスケートを楽しんでるみたいだったよ」


「そっか……。氷花、まだフィギュア続けてくれてたんだ……」


 そう零した玲の横顔からは、嬉しさを噛みしめているのが見て取れた。


 どうやら玲は、その後、氷花ちゃんには会っていないようだ。

 恐らくは、その後が気がかりではあっても、自身がケガを機に引退したことを、氷花ちゃんに悟られないようにするために。


「そう考えたら、俺も玲も似た者同士なんだよ。心の内では違う事を考えてたのに、周りがそうは思ってはくれなかった」


「そうだね……」


「まぁ、俺は玲とは違って、まぁまぁニキとか言われてネットでおもちゃにされて、挙句の果てに、誰かさん達のせいで学内の評判が駄々下がりしたりしたけどな」


「誰かさん達のせいって……、ああ、ボクと凛奈ちゃんの事か。アハハハッ!」


 ようやく、乾いた取り繕うためのものではない笑いが玲から漏れる。

 わざと怒らせて、感情を表に出しやすいようにした成果だ。


「俺の方は、実際にケガした玲とは比べるべくもない程度の被害だけどな。でも、そのおかげで得たものもあった」


「得たもの?」


 小首を傾げる玲の目を真っすぐに見つめる。



「今、俺の目の前にいる人」

「……ふへ」



 玲の口から、空気と変な声が漏れ出る。


「無駄に劇的な出会いで、おまけに男だと思ってたら女の子で、その子が急にスカート履きだしたり。愉快で、楽しくて、玲と出会えて本当に良かった」


「才斗ってホント不意打ちしてくるよね……。さっきだって、サラリーマンの人達の前でボクの事を大事な人とか言ってさ」


 苦情めいた事を言ってプリプリしている玲。


 だが、言外に漏れ出ているのは怒りではなく、嬉しいの感情をまとったオーラだった


「そうか? 俺は思った事を言ってるだけだ。その辺は、最近仲良くなったワガママ王子様の影響かもな」


「そっか……、それは仕方ないね」


 俺の軽口に笑う玲の手からは、緊張がいつの間にか滑り落ちていた。


「どうしても手の中から零れ落ちて行ってしまうものはある。でも、それなら他のもので手の中をいっぱいにすればいい」


「才斗……」


「そして、喪ったことが、ただの思い出になるまで、ずっと隣にいるよ」


「……ずっと?」

「ああ。俺くらいの奴がちょうどいいだろ?」


 玲が己に課した原罪という名の心のキズは、俺が今彼女を肯定しても、直ぐに完全に消えてしまうものではないだろう。


 きっと、また自分を責める夜を玲は迎える。


 その時に、玲のそばには秘密を共有する人間が必要だ。

 キズの痛みに耐える相手の横にいる役割の人間が。


 お母さんの涼音さんや、佐々木さんでは関係が近すぎて、玲も事実を打ち明けたり弱音を吐くこともできない。


 だから、ついこの間知り合った、俺くらいの関係性の奴がちょうどいい塩梅なのだ。


「ありがとう才斗。でも最後だけは間違ってるよ」


「間違ってる? って、むお!?」


 何か間違ったのか? と問う間も無く、ベンチ横にいる玲が抱きついてくる。

 何とかベンチの上に押し倒されずに、玲の身体を受け止める。



「ちょうどいいからじゃない。ボクが初めて心の内を喋ったのは、才斗だからだよ。そこは間違えないで」



 ゼロ距離で触れる、玲の身体を通して、玲の熱が、拍動までが伝わってくる。


 でも……、何だろう?


 以前に、校門前で登校の別れ際に玲が抱きついてきた時とは何かが違うような。



「不思議だな……。ドキドキするんだけど、それ以上に今はとても安心する」



 玲も、前回とは違うという心境のようだ。


 胸の中に居る玲を見下ろすと、とても穏やかな顔をしていて、幸せそうだった。



(よく、頑張ったな玲)



 自分には出来ない、内心の吐露をやり遂げた玲の頭をそっと撫でてあげながら空を見上げる。


 都会の公園からだけど、今夜は綺麗な星空だった。




◇◇◇◆◇◇◇




「だから、朝はボクが才斗と電車で行くんだよ凛柰ちゃん!」


「だから、同じ学校の私が一緒に登校する方が自然だっていつも言ってるでしょ、家出不良ヘタレ王子!」


「また異名が長くなってる!? あ、あれは別に正式な家出じゃないもん! ただの未遂だもん!」


「あいつら、仲直りした途端に、またケンカかよ……」


 またもや戻ってきた、早朝の我が家の玄関前で繰り広げられるご近所迷惑な喧騒に、ため息混じりのボヤキが出てしまう。


 昨晩は、玲を家に送り届けて、涼音さんから長い長い感謝を伝えられて、大分帰宅が遅くなってしまい寝不足だってのに……。


 折角、今朝の筋トレをお休みにして家を出るギリギリまでベッドに寝転んで微睡んでいようとしたのに、台無しである。



「だから、お前ら人の家の前でケンカすな! 近所迷惑だって言ってんだろ!」


 玄関を開けて2人を叱る。


 最早この口上が、おはようの代わりになってしまっている気がする今日この頃だ。


「あら、才斗おはよ。今日は制服着てて偉いじゃない」

「制服着てるだけで褒められたのは初めてだよ」


 この間、2人を玄関先で同じように叱った時は、筋トレしてシャワー後の上裸姿だったからな。


 だが、心なしかドアを開けた瞬間の凛奈は、少し残念そうな顔をしていた気がする。


「って、ヘタレ王子。なんで私の後ろに隠れてるのよ?」

「うう……だって、まだ心の準備が……」


 まるで盾にするように、凛奈の背中の後ろに隠れている玲。


 だが、身長は玲の方が高いので、まったく隠れ切れていない。


「別に代り映えしないんだから、もったいぶらないの。ほらっ」


「わわ!? ちょっと、凛奈ちゃん!」

「ああ。スカートに戻したのか玲」


 スカートタイプの制服に黒ストッキングという、見慣れたスタイル。


 なのだが、玲は制服のスカートの裾をつかんで、恥ずかしそうに顔を真っ赤にして俯いている。


「う、うん……。どうかな? 才斗」

「お、おう……。玲が好きな格好をしてるのがやっぱり一番だよ」


 玲の精神状態が回復してくれた証を見て安堵しているのと、恥じらいのスカート姿の玲に、正直グッときているのとがない交ぜになって、無難な事しか言えない俺。


「そこで、『うん。やっぱり、スカート姿の方が俺好みだな』とか言わないのが才斗よね」

「まぁまぁ、そこが才斗の良い所だよ凛奈ちゃん」


 何故か解釈一致で盛り上がる凛奈と玲。


 あと、まぁまぁは俺んだぞ玲!



「って、そろそろ出発しないと遅刻する。ほら行くわよ」



 手元のスマホで時間を確認した凛奈が、歩き出した。



「行こ、才斗」


「ああ」


 足取りが軽くなった、王子様みたいに可愛い少女の笑顔は、今朝の青空みたいに澄み渡っていた。



【第1章おわり】

これにて第1章完結です。


さて、タイトルが変わっているのでもうお気づきでしょうが、本作の書籍化が決定いたしました!


これも、本作を読んでいただき後押ししていただける読者の皆様のおかげです。ありがとうございます。

書籍化に関する詳しい話は、活動報告にてどうぞ。


引き続き本作に付き合っていただける方は、

ブックマーク、★評価よろしくお願いいたします。


しゃおら~~!! 第2章も頑張るぞ!

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― 新着の感想 ―
一章完結お疲れ様&書籍化おめでとうございます。 確かに、特に女子のスケーターの低年齢化は激しいようですね。体形の変化とかについていけないのが本当に辛いようで。ロシアのスケーターとか20になる前に引退…
書籍化おめでとうございます♪
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