第29話 濡れてる! 濡れてるから!!
「フーッ! フーーッ!! はい、次!」
「ヒー! ヒーッ!! こっちは空のタライだけだけど何回も引っ張ると辛い!」
「頑張れ玲!」
「はい、次の子~」
俺は池の向こう岸に居る玲を励ましながら、ひたすらタライに乗った子供たちをロープで引っ張る。
復路がもったいないという事で、結局両岸から俺と玲で交互にタライを引っ張る事になったのだ。
「すごい! 速い!」
「水面スイスイ進む~!」
「キャッ! キャッ!」
「もう一回やりた~い!」
そして、ちびっ子たちは楽しむ事には容赦がないので、リピーター率も半端ない。
おかげで、ロープ引っ張りワークのオーバートレーニング状態だ。
「ほら、頑張りなさい。才斗、ヘタレ王子」
「凛奈ちゃんも手伝ってよ!」
「私は子供たちの列の整理があるから無理。両岸見てバランスよく並ばせないと。はい、次の子の搭乗完了。早く引っ張って才斗~」
一方、勝手に安請け合いした凛奈は重労働を華麗にかわす。
いや、お前もやれや!
そんな文句も言えないくらい、ひっきりなしにチビッ子たちが並び、俺は考えることを辞めてタライ引っ張りマシーンに徹した。
◇◇◇◆◇◇◇
「お兄ちゃんお姉ちゃん、ありがとう。じゃあね~」
「すいません、うちの子と遊んでいただいて」
「ぜぇ……はぁ……いえいえ」
ようやく子供たちが飽きて列の並びが無くなり、俺たちは解放された。
荒い息をしつつ何とか、子供たちや保護者の方たちの謝辞に答えるが、もう腕が上がらん。
「っていうか、子供たちの列が消えたのは、昼食時だからか。お~い、俺たちもメシにしようぜ……。って、何してんだ2人とも」
予期せず、良い筋トレにはなったので、タンパク質多めのお昼御飯が食べたいな~、なんて思って向こう岸にいる2人に声を掛けたのだが。
「ちょっとヘタレ王子! あんたはさっき、先に才斗に引っ張って貰ったでしょ!」
「明らかにボクの方が頑張ってたから、ボクが先でしょ!」
何やら凛奈と玲が、タライをめぐって揉めている。
「何やってんの2人とも?」
「聞いてよ才斗! 私は、まだ一度も才斗にタライを引っ張って貰っていないのに、この強欲なヘタレ王子が和を乱すの!」
「こっち側のタライ引っ張るのを全然手伝わなかった凛奈ちゃんが、よく和がどうだとか言えたもんだね! ここは、一番汗をかいたボクが先でしょ!」
割とどうでもいい争いだった。
っていうか、俺も疲労困憊なのに、そこは無視なのかよ。
「どっちが先でもいいじゃん」
「これはプライドの問題なの!」
「そうだよ才斗! ここで日和ることは絶対にできないんだよ!」
こいつら、正直面倒くせぇ……。
こっちは、休日の朝から2人が勝負するからとか言われて審判役をやらされて、その後も、ちびっ子達の世話で終わった。
だからだろう。
「それならもう、2人一緒にタライに乗れよ」
俺は少々投げやりなアイデアを、大して考えもせずに提案したのは。
「お互い譲れないなら仕方がないか……」
「まぁ、他のちびっ子も見てるしね……」
そして何やかんや、玲も凛奈もアスレチックコースを勝負のために一周して、その後ちびっ子達をさばいて疲れていたこと。
また、自分たちが揉めている間にちびっ子の列が後方に出来てしまっていたのに気づいて、恥ずかしかったこと。
以上の2点の理由により、この場に居る3人ともが、正常な判断を下せなかった事は仕方がない事である。
「じゃあ引っ張って」
「いいよ~、才斗」
「あいよ~」
本来はタライの中で胡坐の体勢で座るのだが、2人で座れるスペースは無いので、玲と凛奈はタライに立ってスタンバイする。
一応、立った位置に掴むためのロープが渡してあるので、タライに立って乗ること自体は正当なやり方の一つではある
そう。
1人なら。
「ちょ、ちょ、ちょっと! 才斗、ストップ! ストップ!!」
「沈んでる! 浸水してるってこれ!」
俺がタライを引っ張り出して早々に、玲と凛奈から悲鳴が上がる。
そう。
このタライのアスレチックは1人用だった。
いくら細身とは言え、女子高生2人を支えられる浮力はタライ君には無かった。
そのため、スタートの静止時にはギリギリ浮いていたタライ君だが、俺のロープ引っ張りにより荷重に偏りが生じ、一気にタライは浸水していく。
「アハハハッ! ブハハッ!!」
「ちょっと、何笑ってんの才斗!」
「早く引っ張って才斗! 靴濡れてる! 濡れてるから!!」
ダメだ……。
笑いすぎて、全然ロープを引っ張る手に力が入らない。
もはや膝上まで完全に池の水につかっていて必死な少女2人の悲痛な叫び声と、それを大爆笑しながら引っ張る男が1人という、訳の分からない情景がそこには広がっていた。
無論、周りのちびっ子達も大爆笑だった。
◇◇◇◆◇◇◇
「あ~、笑った……。腹いてぇ」
「ひどいよ才斗……。ボクが止めてって言ったのに、笑いながら手は止めてくれないんだから……」
「ああ、もう……。ショーツまでグチョングチョンに濡れちゃってる」
何か、ここだけ切り抜いたらとんでもない下ネタ会話みたいになっているが、単に玲と凛奈が腰まで池に水没したせいである。
そりゃ、池にそのまま浸かったら下半身全部ダメだわな。
「才斗、随分大きな声で笑ってたよね……」
「いや、あれを見て、ぶふっ……。笑うなって方が無茶だろ」
「まだ顔がニヤケてるよ才斗!」
ジトッと非難めいた視線を向ける玲に対して、俺はつい思い出し笑いをしてしまう。
こんな、心から笑ったのは本当に久しぶりだ。
「けど、この濡れようは、流石に自然乾燥とはいかないわね」
「たしかに」
まだ真夏とは言い難い日差しでは、ここまで濡れネズミになった状態の衣服が乾くとは思えない。
濡れたままでいたら、風邪をひきそうだ。
「という訳で才斗。ショーツを買ってきなさい」
「へ?」
ショーツって、いわゆる……女性の大切な部分を守護する下着の事ですよね!?
「コンビニに簡易なのが売ってるから。お願~い才斗」
「え……でも、男の俺が女性用下着を買うのはちょっと……」
凛奈が珍しく可愛くお願いして来るが、要求内容は思春期男子高校生には、無茶苦茶ハードル高いぞ、おい!
「へぇ~。じゃあ、才斗は私と、ついでにヘタレ王子がこのまま風邪ひいてもいいんだ?」
「いや、そんな訳じゃ……」
「才斗ぉ……ボク、寒いよ……クチュンッ……」
なんでさっきまで勝負で争ってたのに、こういう時の連携だけは息ピッタリなんだよ!
「だぁ~~! もうっ、分かったよ!」
ちきしょう!
残念ながら、俺に断るという選択肢は端からなかった。