第24話 おばさんをからかった罰ですよ
「ふっ! ふっ!!」
最近の俺の放課後は、何かしらの予定を玲や凛奈にねじ込まれる事により、露骨に減ってしまった筋トレ時間を補填すべく、俺は朝から早起きをして自宅でのダンベルトレーニングにいそしんでいた。
朝トレはいい。
朝早くから活動していると、自分が真っ当な生活をしていると実感できる。
(ピリリッ♪)
「はい。あ、涼音さん、おはようございます」
『おはよう九条君。ゴメンね、朝早くに』
「いえ、大丈夫ですよ。どうぞ」
電話の相手は玲のお母さんの涼音さんだった。
ちょうど、トレーニングを終えてプロテインを飲み干し、シャワーで汗を流した所だったので、そのまま用件をどうぞと促す。
『例の、動画を投稿した相手の開示請求についてなんだけど、掲示板サイトの管理者とプロバイダ事業者に発信者情報開示を請求したの。そしたら、掲示板サイト側に既に犯人側が名乗り出ていたみたいでね。思ったより、ずっと早く相手が解かりました』
「お~、そうなんですか」
わざわざ電話だったので、なんとなく用件については予想がついていたが、やはり例の電車での暴行事件とそれに付随する動画公開についてだった。
『通常は数か月単位で時間がかかるらしいから、かなりラッキーなパターンだったみたい。って、動画で顔を曝された九条君に言うべきじゃなかったか……ゴメンなさい』
「あ、いえ、気にしてないので大丈夫ですよ。それで、動画を上げた相手は誰だったんですか?」
『それがね。20代半ばのサラリーマンの男性だったみたい』
「え!? 大人だったんですか?」
てっきり、動画を上げたのは、向こう見ずでネットリテラシーが甘い、自分と同年代の未成年の可能性が高いと思っていたのだが。
『私も驚いてるの。顧問弁護士さんの事務所に犯人の相手方が訪ねてきたらしいんだけど……、保護者同伴って言えばいいのかな。成人男性相手に保護者って言うのも抵抗があるんだけど、親御さんに付き添ってもらって来たみたい』
「ああ……」
そう言えば、あの日の電車の中にヒョロッとした体躯のスーツ姿の男性がいたかも。
そっか……。
別に、あの場で加勢してくれとまでは言わないまでも、大人なら第三者としての証言を警察や鉄道会社に入れてくれるかと思ったのだが、人というのはそう自分の思った通りには動いてくれないものなのだな……。
『九条君みたいに、高校生だけどしっかりしてる子もいれば、こういう大人もいるものなのよね』
絶句した俺を気遣ってか、涼音さんが俺の事を持ち上げつつ嘆く。
「お気遣いありがとうございます」
『そういう風に、私の事まで配慮してくれる所とか、本当に九条君は大人より大人ね』
フフッと漏れ出た涼音さんの笑った声が耳の鼓膜にかかってくすぐったい。
「……今、耳が幸せでした。女優の星名カノンにささやいてもらって」
『へ? も、もう! おばさんをからかうんじゃありません!』
「さっきの褒め殺しのお返しです」
涼音さんはきちんと俺を大人扱いして、今回のトラブルでも俺を当事者として関わらせてくれている。
けど、時に子ども扱いしてこられると、それはそれで面白くないので、こうしてからかってあげるのだ。
時に大人、そして時に子供を行ったり来たりする。
これは高校生という大人になりかけの年齢の一つの特権なのかもしれない。
『それで、先方は直接謝罪したいと言っているのだけど、九条君はどうしたい? もちろん、嫌なら会う必要なんてこれっぽっちも無いと私は思うけど』
「いえ、会います。こちらの顔が割れているのに、俺が向こうの顔を知らないのはフェアじゃないですから」
『……憂さを晴らすために会うというのは、私としてはあまりお勧めしないけど?』
「いえ、直接謝って欲しい訳ではないです。いざという時に警戒態勢をとれるように、相手の顔を憶えておきたいからです」
涼音さんは、言外に会って欲しくないと言っているが、俺は俺の考えで会うことを決める。
今後、相手方が逆恨みをして、俺や玲を襲ってくるとも限らない。
いざという時に、顔や背格好を知っておくことは損にはならない。
『そうやって、大局を見誤らない度量の大きさは流石は……って、この先は言わない方が良かったわね』
「痛み入ります」
これが電話で良かった。
きっと俺の顔は苦虫を嚙み潰したような顔だったはずだ。
ただ、涼音さんも俺の声色で、その事には触れて欲しくないと覚知して言わないでおいてくれたから、この人には俺の心の内はバレバレなのだろう。
『ちなみに、玲ちゃんに暴力を振るった子の方は、その日のうちに、仕事先の社長さんが謝りに来たわ』
「そちらは保護者じゃないんですね」
ニッカポッカの兄ちゃんの勤め先だから、どこかの建設会社だろうか。
通勤中の社員の不手際という事だと、会社に責任が及ぶのか?
『どうやら、家庭的に色々と問題がある子みたいね。今は社長さんが、会社の寮に謹慎させてるそうよ。もっとも、今は本人も外へ出たがらずに、ずっと1日中引きこもってるらしいけど』
「そうですか」
暴力事件を起こして、おまけに動画で悪行が広く拡散されてしまったのだ。
ネットには自分への誹謗中傷が溢れて、世の中が全て敵に見えているだろうから、引きこもってしまう気持ちは分らんでもない。
『玲ちゃんの顔を殴ったにっくき相手だけど、社会的な制裁をかなり苛烈に受けちゃってるし、相手方も未成年だし、接近禁止や治療代の賠償程度の内容になりそう。こちらも、社長さんが直接謝罪に赴きたいと言ってるけど、どうする?』
「いえ。加害者側の顔は知れているので、こちらは会う必要はありませんので断っていただくようお願いします」
所詮は、未熟な未成年だ。
ニッカポッカの兄ちゃんも今は落ち込んでいるとの事だが、俺を前にして逆上したりする事も考えられる。
自業自得とは言え、彼は今追い詰められているのだ。
どんな反応を示すか分かったものではないし、このまま二度と会わないでおくのがお互いのためだ。
『そうね。こちらも玲を会わせるつもりはないから、相手の直接謝罪の要望については拒否しましょう』
「はい。よろしくお願いします」
その後、動画の投稿主との面会の場についての日程や場所の調整を済ませる。
そうこうしていると。
「だから、ボクが才斗と一緒に登校するの! 凛奈ちゃんは先に学校行ってて!」
「いいえ、才斗は私と登校します。同じ学校なんだから、それが当然なんだから」
「凛奈ちゃんは学校で一緒なんだから、朝くらいボクに譲ってくれてもいいじゃん!」
玄関の向こう側から、かしましくケンカする女の子の声が2つ。
玄関のドアを開けなくても分かる……。
俺の学校への送迎についてケンカするなんて、世界で玲と凛奈の2人だけだ。
『ああ、玲ちゃんがそちらに着いたみたいね。そういえば言い忘れてたけど、一先ず加害者側との協議が開始されて状況が落ち着いたから、今日から電車で行ってもいいわよと許可したら、玲ちゃんったら喜んですっ飛んで行っちゃったから』
電話越しでも聞こえたのか、涼音さんが笑っている。
「あの、おかげで俺の家の玄関前が修羅場になってるんですが」
『みたいね。おばさんをからかった罰ですよ』
くそ……。慣れないことなんてするもんじゃないなと後悔していると、涼音さんが勝ち誇ったような弾んだ声をあげる。
電話の向こう側で涼音さんがドヤ顔しているのがありありと想像できる。
「はぁ……」
『早く玄関に行かないといけないんじゃない?』
「すぐに行きたいのは山々なんですが、俺は今、何も着てない裸体なので服を着ないと」
『は、裸!? いつから!?』
してやったり顔のまま涼音さんとの通話を終えるのは何か癪だったので、俺は捨て身の攻撃を敢行する。
「涼音さんが電話を掛けてきた時からずっと裸ですよ。ちょうど筋トレ後のシャワーを浴びた所なので」
『それ、先に言ってよ!』
「その言葉、そっくりそのままお返しします」
『…………』
「あ。今、俺の裸を想像しましたね」
『す、す、するわけないでしょ! 娘と同い年のの、男ののののの子の裸なんて!』
「落ち着いてください涼音さん」
のが多すぎます。
『九条君って意地悪だよね……』
「さっき、玲が来るのを黙ってたお返しです。さて、じゃあ服を着ないとなんで電話切りますね」
『あ、勝ち逃げズルい! 次は負けませんからね!』
そう言って、涼音さんからの電話は切れた。
ついムキになる所は、玲はお母さんに似たんだな。
「ボクは才斗と一緒にトレーニングしたし!」
「私は才斗の家のお掃除してあげたりしたし!」
「柔軟の時には、薄布一枚の私の肩や背中に触れてくれたし!」
「私なんてこの間、才斗にお姫様抱っこされたし!」
「才斗はボクの家にお泊まりしたし!」
「今度、私ともお泊りするって言ってたもん!」
と、涼音さんとの電話が切れた事で玄関先の喧騒に意識が戻る。
玲と凛奈はまだやってるのか。
どっちが一緒に俺と学校に行くかで揉めていたのに、いつの間にか俺に関するマウント合戦になっている。
「お前ら、どっちがより仲良いかでケンカすな! 小学生か!」
朝からうるさくして近所迷惑なので、俺は2人をしかりつけた。
「「ふへ……。はい……」」
なお、俺がバスタオル一枚を腰に巻いた格好で玄関先に現れたので、一瞬で2人のケンカは鎮火した模様である。
フルチンで電話に出なくてはならないことは人生においてよくあるシーン。
こういう機会は大切にしたい。
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