第13話 玲様ぁぁあああ! 捨てないでぇぇぇぇぇ!
『まもなく電車が参ります。黄色い線の内側に下がってお待ちください』
電車の接近を告げるアナウンスがホームに流れる。
「大丈夫か? 玲」
「大丈夫……」
「呼吸が苦しかったり、視界が狭くなったりしてないか?」
「フフッ、優しいね才斗は」
俺の腕に掴まる力にギュッと力がこもる。
「いや、そりゃ心配だからな」
図らずも、あの暴行事件が起きた便の電車、同じような時間、天候になってしまった。
暴行を受けた記憶を思い出す条件が揃い過ぎていて、本来なら初めて試すべき日としては不適切かもしれない。
「でも、あの時とは違って、今は最初から隣に才斗が居てくれる。それに、何かあっても才斗がボクを護ってくれるんでしょ?」
「お、おう。任された」
「あ、でも才斗は『まぁまぁまぁ』しか使えないか」
いたずらっぽく笑いながら玲が俺を見上げる。
その額にはわずかに汗がにじんでいる。
「それでいいんだよ。何かあっても、玲が逃げる時間がさえ稼げればそれで」
「ふぇ………」
「って、玲、大丈夫か? 顔が赤くなってるぞ」
「いや……、思いもかけない反撃を食らって、ちょっとドキドキしちゃっただけだから」
「それ大丈夫なのか? とりあえずこの便の電車は見送るか?」
ちょうどホームに電車が到着した所だが、1本くらい見送っても時間的には問題ない。
「この心拍の上がり方は、別の理由だから……。あ~、もうっ! ほら、電車来たよ! 乗ろう才斗!」
そう言って、玲がグイグイと俺の背中を押して電車に乗車する。
なぜかリハビリを受ける側に促されて、トラウマの場所へ乗り込む構図になってしまった。
そして、後ろに回られたので、玲が今どういう表情をしているのか、俺には窺い知ることは出来なかった。
◇◇◇◆◇◇◇
「玲、電車の中だから吊り皮つかんだら?」
「いや、ボクは女の子だから吊り皮には手が届かないから」
「いや、玲は女子にしては結構長身だから、問題なく吊り皮に手が届くかと思うんだけど」
俺の真っ当な指摘は聞こえていないのか、玲はホールドした俺の腕を離す気は毛頭無いようだ。
これ、電車が急停止した時に危ないから、あまりお勧めできないんだけど。
「この方が落ち着くから」
こう言われてしまうと、トラウマ克服を引き受けた手前、断れない。
「俺は落ち着かないんだよな……」
駅へ向かう往来でもそうだったが、今は電車という限られた閉鎖空間の中だ。
感じる視線の数と密度が痛いなと、電車内にチラッと視線を泳がせる。
「え……? …………え!?」
「え……私の王子様がスカートをお召しに……」
「玲様が男性と腕を組んでらっしゃ……え……? ……え?」
「ワタクシが見ているのってサタンが見せる幻よね……そうよね……?」
何だか車内がザワついているなと思ったら、玲君と同じ制服を着た女の子たちが、朝から絶望した顔で、何やらうわ言のように独り言をつぶやいている。
よく見なくとも、みんな玲と同じ叡桜女子高の制服を着ている子たちだ。
「なぁ玲。何か、お前の学校の女の子たちがショックを受けてるみたいなんだけど」
「きっと、ボクのスカート姿が珍しいからだよ」
「いや、なら何でどの女の子も、今にも朝の通勤電車の前に飛び込みそうな限界サラリーマンみたいな絶望顔してるの?」
「さぁ? 今日は難しいテストでもある日なのかな」
玲はすっとぼけているけど、女子校の王子様がスカート履いて男の腕にぶら下がってるから、ファンの女の子たちが脳破壊されてるんじゃ……。
「れ、玲様!」
意を決したように、ちょっと涙目の女の子がこちらに話しかけてきた。
あ、この子。
たしか、暴行事件の現場にもいて、玲君を介抱してくれてた子だ。
小柄でサイドテールの髪型で、可愛い女の子だな。
「おはよう佐々木さん。色々と心配かけちゃってゴメンね。休んでいる間のノートありがとう」
玲が王子様然とした口調でお礼を述べる。
あ、女子たちの前では王子様モードなのね。
ただ、相変わらず俺の腕を抱えこんだままだが。
「い……いえ。それよりも玲様、その殿方は……。見たところ、先日、玲様が暴行を受けた時に、仲裁に入ってくださった方とお見受けしますが……」
「うん。あれから初めて電車に乗るから、ついて来てもらったんだ」
「あ、ああ。そういう事ですのね」
あからさまにホッとした顔をする、お嬢様口調の佐々木さん。
周りで固唾を呑んで、こちらの様子を窺っている女子生徒たちも胸をなでおろしている。
「うん、ボクの大事な人なんだ」
「「「「え゛あ゛っ!?」」」」」
安心させて希望の光を見せてからの絶望という、感情の絶叫フリーフォールに乗せられた佐々木さん達から、お嬢様にあるまじき、おっさんのような奇声が発せられた。
いや、友達って言えばいいのに、なんで大事な人なんて含みを持たせた表現にするんだよ。
「大丈夫? 佐々木さん風邪かい?」
「だ……大事な人って、どういう事ですの⁉ まさか……」
心配する玲君に、佐々木さんが食って掛かる。
「言葉のとおりだよ。才斗は恩人なんだから」
「そ、それはそうですわね……。あの、才斗さんと仰いましたか? 私、佐々木香奈と申します。叡桜女子高校で玲様をお支えするファンクラブ会長兼親衛隊の隊長をしております。この度は、玲様を助けていただき、ありがとうございました」
「あ、いや、そんな。ご丁寧にどうも。九条才斗と言います」
深々と頭を下げる佐々木さんに合わせて、俺もお辞儀をして返す。
すると、同じ車両に居合わせた叡桜女子高の女子生徒たちの何人かも、その場で同様にこちらにお辞儀をしてくる。
さすが、『隊』と自称するだけあって、軍隊みたいに統制が取れてるんですね……。ちょっと怖いです。
「玲様の通学のケアについては、今後、私どもが責任をもって務めさせていただきますので。お疲れさまでした」
感謝の言葉の直後に、引継ぎの旨を伝えてくる佐々木さん。
これは、『こちらの領分を侵すな』という言外のメッセージが込められていると感じた。
佐々木さんの後ろで、親衛隊の子たちも、うんうんと頷いている。
「さぁ、玲様こちらへ。ご欠席されていた間の学校での話を」
「え、やだ。才斗と一緒にいる」
佐々木さんが玲の腕をつかんで引き離そうとするが、玲はがっちりと俺の腕を抱え込み直す。
ちょ……玲、当たってるんだけど……。
抵抗するために強く俺の腕を抱え込んでいるせいで、その……、お胸の柔らかい部分が。
この柔らかさ……やっぱり、玲って女の子なんだな。
「どういう事です玲様!? もしや……、この男に脅されているのですか!」
「……はい?」
肘の辺りに当たる柔らかな感触に全神経を集中させていたので、佐々木さんの突然の追求に反応が一拍遅れてしまう。
「言い淀んだということは、やはり、この男に脅されているのですね!」
「いや、ちがっ! ちょっと落ち着こう」
まさか、玲の柔らかいところの感触を堪能していて、反応が遅れたとは言ええない。
「話しかけないで俗物が! 妊娠する!」
「ええ……」
弁解しようとした俺に対し、佐々木さんが過剰に俺から飛び去すって距離を取る。
たしかに、さっき玲の女性としての柔らかい部分に意識を持っていかれていた俺からはスケベオーラが漏れ出てたかもしれないけど、さすがに触れてもいないのに妊娠はしねぇよ。
「男って、いつもそう!」
「俗物が……」
「汚らわしい」
たしかに、俗物という点では、今の俺に反論することは出来ないかも……。
にしても、みんな言いすぎじゃない!?
複数のお嬢様女子高生から蔑みの目線や罵倒されるって、特殊な性癖を持ってる人にはご褒美かもしれないけど、ただの思春期男子高校生にとってはトラウマ級の精神攻撃だ。
「いい加減にしてくれるかな」
収拾がつかなくなりかけた場の空気を、冷たい声が一閃する。
「れ……玲様?」
眉をつり上げ、怒りを露わにする冷たい声の主の玲に、佐々木さんが戸惑った表情を浮かべている。
これはキレてる。
この間、お母さんの涼音さんに怒っていたのとは比較にならないくらいに。
「さっきから何? ボクの恩人に対してみんな、失礼な態度をとって」
先ほどまで、かしましかった電車内はシンと静まり返る。
イケメンが怒ってるの怖いと、玲を男の子だと勘違いしていた時に思ったものだが、美人が怒っているのもやっぱり怖い……。
「玲様……。私たちは……」
「謝りなよ」
身体を硬直させる小動物のような佐々木さんに対し、玲は冷たい視線を容赦なく突き刺し、弁解を封殺する。
「で……、出過ぎた真似をして申し訳ありませんでした……。玲様……」
「謝る相手が違うよ。才斗にだよ」
おずおず、ビクビク震えながら謝罪の言葉を述べる佐々木さんへ一切の容赦がない玲。
「それは……」
「出来ないなら、佐々木さんとの仲はこれっきりだね。さよなら」
「そ、そんな! れ、玲様ぁぁあああ! 捨てないでぇぇぇぇぇ!」
「ま、まぁまぁまぁ。落ち着いて玲」
白昼、電車の中で繰り広げられる、泣き崩れすがりつくお嬢様女子高生と、それを冷たい目で見下ろす元王子様、そして、その間であたふたする俺。
「ぐ……非礼な態度を……とってしまい……まことに申し訳……ありませんでした……」
唇を嚙み、血が噴き出すのではと幻視させられるほど怒りに震える目つきで、佐々木さんから謝罪を受ける俺。
当然ながら、周りの注目を独り占めなわけで。
「あの男子高校生って、この間動画で話題になってた『まぁまあニキ』だよね?」
「今度はヤンキーじゃなくて、女子高生相手に『まぁまぁまぁ』って言ってる」
「あいつ、いざという時にはそれしか言えないのか?」
「女の子が震えながら謝罪してるけど」
「っていうか、あの動画で殴られてた子って女の子だったの!?」
「で、まぁまぁニキに助けられて、メス堕ちしたのか」
ああ……。
これは、新たな燃料を皆様に投下しちゃってるな。
その後ギャン泣きする佐々木さんと、激オコな玲、佐々木さんを慰めつつゴミを見るような目で俺を見てくるその他の叡桜女子高生徒の皆さんとの間で思考停止し、やっぱり『まぁまぁまぁ』と宥めるしかできない己の無力さを痛感するのであった。
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