第1話 電車内でイケメン男子高校生が殴られていた
新作です。
「てめぇ、何こっち見てんだゴラぁッ!」
週末明けの月曜日という一番しんどい日。
今日も今日とて同じ発車時間、同じ車両のいつもの朝の通学の電車に乗り込んだ、俺、九条才斗 16歳は、運よく座れたシートの上で悪あがきのうたた寝をしている最中に、突如として罵声を浴びて目を開けた。
(なんだよ。折角の、俺の貴重な睡眠時間邪魔しやがって)
見ると、電車の出口付近で、工事現場用のニッカポッカを着た髪を明るい色に染めた兄ちゃんがキレ散らかしている所だった。
「それはこっちのセリフだよ。こっちを睨みつけてきて」
怒声を上げたニッカポッカの兄ちゃんが喧嘩を吹っかけているのは、ブレザー姿の男子高校生だった。
キャップをかぶり、ブレザーの上着の下に着たパーカーのフードを被ってマスクしている、線の細いビジュアル系の今風な雰囲気のイケメン高校生だ。
って、こういう因縁をつけてくる奴にそういう返しはマズい!
「人にガンくれといて、なんじゃテメェ、ゴラァッ!」
こういうヤンキーな輩は、とにかく嘗められたら死ぬとばかりに、自分を雑に扱った人間に、反射的ににキレる。
そしてニッカポッカの兄ちゃんもご多分に漏れず、その厄介な性質を持っていたようで、すぐさま男子高校生の胸倉をつかんで激高する。
思い出す、地方の田舎公立中学時代。
学業成績が良いから似合いそう、というふざけた理由でクラスの学級委員をしていた際に、クラスのヤンキー生徒同士の諍いにしょっちゅう駆り出されていた苦い記憶がよみがえる。
「離せよ!」
「坊が、調子くれとんちゃうぞ!」
(誰か止めてやれよ……)
諍いをする周囲の席を見渡すが、みな一様に彼らから目をそらす。
そうだよな……それが正しい選択だよな。
現に俺も日和見を決め込んでいる。
だって、関わったら絶対損するもん。
仲裁に入って、殴られてケガしたらもちろん嫌だし、今後の学校生活に支障を来しかねない。
仲裁に入って、自身がヒートアップして手を出した日には、自分も警察のお世話になっちまう。
これが、絡まれているのが美少女や子供だったら、ラノベの冒頭シーンみたいにナイト役を買って出る奴もいるだろうが、あいにく野郎同士であれば、そういう邪な勇気を奮い立たせる奴もいない。
絡まれてる男子高校生もパッと見は、イケイケ風な見た目だから対等なケンカをしているようにも見える。
「おらっ、こいよ。おい」
ニッカポッカの兄ちゃんが、とうとう男子高校生を殴りだした。
男子高校生の頬の辺りに拳が入る。
それを見た瞬間に、
「まぁまぁまぁ」
つい、座っていた席から立ち上がり、気付いたら俺は火中の栗のある焚火へ全力で手を突っ込んでいた。
(何やってんだよ俺ぇぇぇぇぇええ!! あと、『まぁまぁまぁ』って何!?)
自分でもなんで仲裁に入ったのか分からない。
中学生の学級委員時代に、ケンカの仲裁をしていた反射みたいなものか?
どちらにせよ、俺は声を発してしまい、存在を覚知されてしまった。
「は? 関係ないのにシャシャって来んな」
ニッカポッカの兄ちゃんが血走った眼を俺に向ける。
「まぁまぁ。殴るのはアカンよ」
こういう興奮状態にいる相手には、長々と喋っても伝わらないので短文で返す。
そして、俺との会話に夢中なニッカポッカの兄ちゃんの意識から外れた男子高校生を、さりげなく自分の背後へ回す。
「関係ないじゃろが!」
「まぁまぁまぁ」
さっきから俺、『まぁまぁまぁ』しか言ってねぇよ。
意味のない返しをしつつ、俺はニッカポッカの兄ちゃんを観察する。
身長は俺よりも低い。
服装からして、現場仕事に従事していると思われるが、そこまで体も大きくなく、体格的にも、訳あって筋トレしている俺に分がある。
この細さは、若さによるものだろう。
ニッカポッカも新品同様だから、仕事の歴もそんなに長くないのかもしれない。
そして、公衆の面前でこんな騒ぎを起こすような奴だからか、顔も幼い。
(こりゃあ、こっちもガキか……。けど、これなら最悪、何とかなるか)
と、俺は相手を分析して少し落ち着いた。
俺の心理的余裕が伝わったのか、ニッカポッカの兄ちゃんも、先ほどのように直ぐには俺には飛び掛かってはこない。
ヤンキーっていうのは、誰彼構わずケンカを売るのではなく、勝てそうな奴に、自分に対してビビった奴にケンカを売る習性がある。
むこうも俺の体格を見て、ひと先ずは様子見を選択しているようだ。
筋肉は裏切らない。
とは言え、いつ暴力を俺に向けてくるか分からんので、さり気なく通学用のリュックを下腹部あたりに持ってくる。
金的攻撃は、体格差とか関係なく一発でも貰ったらアウトだからね。あと、あれ痛すぎるねん。
「君は、今から仕事に向かうところなんじゃないですか?」
「なんなんだ、さっきからごちゃごちゃテメェはよぉ!」
「まぁまぁまぁ」
俺の『まぁまぁまぁ』作戦は続く。
一見、意味がない風に思われるかもしれないが、こういう時に相手に時間を使わせることは重要だ。
今の場所を考えると、より一層ね。
(ここらで、誰か援軍が来てくれると助かるんだけど……)
俺が、ほかの乗客に視線を送ると、皆あからさまに視線を逸らす。
(ですよね~~!)
なにせ、俺さっきから『まぁまぁまぁ』しか言ってねぇもん。
ここで、おっさん達が忘れちまった胸の中に眠る正義感を呼び起こすような、見事な演説でもかましてたら、思わずその場のテンションに身をゆだねるおっさんもいたかもしれない。
けど、そんな人の情動を駆り立てる演説能力が俺にあったら、普通の高校生やっとらんわ!
「もう、おめぇはいいわ。おい、お前。次の駅着いたら降りろや」
うわぁぁ……。
完全にニッカポッカの兄ちゃんのターゲットが俺に移っちゃったぞ。
おそらく、このニッカポッカの兄ちゃんが、俺に対して下した評定はこうだ。
図体はデカいが、ケンカ慣れしてない奴。
ただ、衆目の前ならば、それこそ周囲が止めに入ったり横槍が入りかねない。
だから、電車から降りて邪魔の入らない人気のない場所でサシでやれば勝てると。
まぁ、その通りだよ。
中学時代に学級委員とかやらされてた事からお察しの通り、俺は優等生で生きてきて、ケンカは仲裁しかしたこと無い。
けどな……。
だからこそ、お前らみたいな奴らのあしらい方は、色々と心得ているんだよ。
「次の駅で降りろよてめぇ」
そう言って、ニッカポッカの兄ちゃんはドカッと電車の座席に座ると、周囲の乗客は、サササーッと兄ちゃんから距離を取る。
「うん、いいよ。どうせ降りる駅だから」
実際に、次の駅は俺の高校の最寄り駅なので問題はない。
ニッカポッカの兄ちゃんは、己の下車要求に対する了承の返事には反応を示さず、スマホをいじりだした。
とりあえず、電車が次の駅まで着くまでは休戦ってことね。
大股を開いて座席スペースを大きく占有しているのは、ちょっとでも自分の身体を大きく見せようとする、野生動物の威嚇に似ているなと、ふと思った。
さて、この電車は快速だから、駅に到着するのは数分後か。
「あ、あの……、すいません。ボクをかばったせいで、こんな……」
背後から声をかけられ振り向くと、制服の上着の裾をつかみながら、男子高校生が今にも泣きそうな顔で立っていた。
あ……ごめん。
目の前のヤンキーの対処にいっぱいいっぱいで、一番の被害者である君の事を忘れてた。
「気にしないで。勝手に首を突っ込んだのは俺だから。殴られたところ大丈夫?」
「は、はい。そんなに痛くないです」
「殴られた直後は、アドレナリンが出てて、そんな痛く感じないんだよ。腫れも後から来るから、ちゃんと冷やした方がいいかもな。ええと……、あ、こんなんで悪いけど使ってよ」
ゴソゴソと通学用リュックの中を漁り、お昼御飯用の弁当保冷バッグに入っていた保冷剤を渡す。
「ど、どうも」
さっき会ったばかりの奴の弁当用の保冷剤を、男子高校生は素直に受け取って、殴られた頬に当てる。
ヴィジュアル系な今風な感じかと思ってたが、素直でええ子やな、この子は。
和んだおかげで、少しこちらも落ち着く。
「君、名前は?」
「星名 玲といいます」
「俺は九条才斗って言うんだ。玲君、この後、もっと面倒な事になるけど、これだけは覚えておいてくれ。君は、何も悪いことはしてない。大人に今回の事を聞かれたら、正直に事の次第を話してね。それが君を守ることにも繋がるし、何より俺を守る事にも繋がるから、よろしくね」
「は? はい」
よく意味が解っていなさそうだが、玲君は俺の言葉に頷いた。
俺の自己保身の言を真面目に聞いてくれてありがとう。
「大丈夫ですか、玲様!?」
「玲様!」
こちらの話が終わると、女子高生たちが数名、玲君の方に、心配そうに駆け寄ってきた。
玲様!?
なに、この子めっちゃモテる子なの?
ちくしょう、イケメンっていいな……。
「あ~、そこの君。この子と同じ高校だよね?」
「え!? ひゃ、ひゃい」
玲君と同じ制服を着た女子高生の一団に話しかけると、女子高生たちは驚いて変な声を上げる。
急に異性から話しかけられるなんて、ただでさえ警戒されるのに、ましてやトラブルの渦中の奴に話しかけられるのは嫌だよな……。
でも、俺の方も余裕は無いので堪えて欲しい。
ニッカポッカの兄ちゃんに聞かれるとアレなので、俺がブラインドになる位置に立って女子高生たちの顔が見えないように気を付けながら、小声で話をする。
「君たち、さっきの様子見てたよね? 学校や駅で、もし事情聴取の機会があったりしたら、状況を証言してほしいんだ」
「は、はい!」
てっきり女子高生たちは、巻き込んでくれるなと迷惑がられるかと思ったが、案外素直にこちらの願いを受け入れてくれた。
「頼むね。被害者はもちろん、俺を助けることにもなるからさ」
そう言って、俺は手を合わせて女子高生たちにお願いする。
こういったトラブルの際に、傍観を決め込む人間というのは、決して悪人ではない。
大半の人は、見て見ぬふりをしてしまった自分に罪悪感や自己嫌悪を覚えている。
そういった後ろ暗さがあるから、火中の栗を拾った俺が、こういう風に真っ向からお願いすれば、案外聞いてくれるものなのだなと、事態を客観視する余裕も出来てきた。
「わ、分かりました」
「ありがとう」
女子高生たちの頷きに、俺は感謝した。
もしかしたら彼女たちの首肯は、この場しのぎの物かもしれないが、それでもいい。
この女子高生たちが証言をしなくとも、周囲の乗客が、証言を依頼したい云々の話を聞いている。
大人たちは愚かな俺みたいに、表立ってリスクを冒したりはしない。だが、同時に山のように後悔してきた経験だけはしてきている。
あの時もし、ああしていたならばと思い返す苦い思い出。
自分のプライドを守って窮地に立たされた事。
逃げ出した後悔。
自己への諦め。
心の中の神に背いた自己嫌悪。
そういった後悔の記憶は、夜寝る布団の中で頭の中をグルグルと駆け巡る。
それなら、今夜安眠できるように、後で駅員に証言くらいはしておくかという意識が働く人がいるかもしれない。
淡い期待だが、この場で直接的な援護を期待するよりは、はるかに確率が高いと踏んでいる。
と、そうこうしている間に電車が減速し始め、間もなく次の駅へ到着する旨の車内アナウンスが流れる。
「おい、降りるぞ」
ニッカポッカの兄ちゃんが、ユラリと立ち上がり、俺に声をかけてくる。
俺は、返事はせずに乗降ドアの前に立った。
俺が降りるのを渋ったりせず、素直な様子なのに気を良くしたのか、兄ちゃんも俺の後ろにつく。
結構、降りる人が多い駅なのだが、乗降ドア付近には俺とニッカポッカの兄ちゃんの周囲に空白の空間を作っていた。
『こちら側のドアが開きます』
車内アナウンスが流れ、電車のドアが開く。
「車内暴力事案でぇぇぇぇぇす! 駅員さん、早く来てくださいぃぃぃぃいいいい!」
ホームに降り立った俺は、日常ではまず発することはない、腹から出す最大声量で助けを呼んだ。
「どうしましたか!?」
俺のただならぬ叫びは、上手く電車乗降時の喧騒にまぎれてかき消えることなく、ホームの駅員さんに届いた。
そして、これは完全に幸運だったが、たまたま俺たちが降りた乗降口のほど近くにホームの駅員さんがいた。
だが……。
「今、応援を呼んできます!」
直近に居た駅員さんは小柄な女性の人で、状況を見た女性の駅員さんは、どこかへすっ飛んで行ってしまう。
オーケー。
体格的にも、この駅員さんの援軍を呼ぶという判断は正しい。
ただ、援軍が来るまでは、俺とニッカポッカの兄ちゃんの2人きりの時間が発生するというのが、目下最大の問題なだけだ。
ちくしょう、まだ勝ち確じゃねぇ!
「てめぇ、なにチクッとんじゃクソがぁぁぁ!」
さて、この怒れるニッカポッカの兄ちゃんと2人きりで対峙して、無事でいる時間をどうやって捻り出すか。
「まぁまぁまぁ」
ここに至っても、またもや伝家の宝刀の『まぁまぁまぁ』に頼る俺。
「てめぇ、サシで勝負や言うたやろうが!」
「いや、そんな約束してないよ」
君の、サル山でのケンカのルールなんて知らんし。
とは言え、興奮状態のニッカポッカの兄ちゃんは、今にも飛びかかかって来そうだ。
増援の駅員は……まだか。
そんなに時間はかからないと思うのだが、次元が歪んだのかと思うほど、時間の進みが遅い。
なんとか、時間を稼がねば。
と、悩める俺の視界に、いい物が飛び込んできた。
「これ以上、騒ぎを大きくするな! これ、押すぞ!」
そう叫んで、俺はわざとらしく人差し指で、ホームの柱を指さした。
俺の指先には、黄色の筐体に主張の激しい、赤色のデカいボタンがついた電車の緊急停止ボタンがあった。
「な!?」
本当にボタンを押す気はない。
っていうか、この状況はボタンを押しても良い場合なのか、俺には判断がつかん。
既にこの騒ぎで、電車の運行が遅延することは確定だから今更かもしれないが、こういった非常ボタンを自らの判断で押すというのは、非常にストレスがかかる。
だからこそ俺は、この見るからに押すとヤベェことになりそうな見た目のボタンが押されるか否かの選択権を、ニッカポッカの兄ちゃんに押し付けた。
「……し、知るかよ」
ニッカポッカの兄ちゃんは反論をするが、明らかにたじろいでいて、声に先ほどの威勢は無い。
そうだよな。
自分のせいで、ヤバそうなスイッチが押されるって嫌だよな。
このニッカポッカの兄ちゃんは、ある程度冷静さが戻れば人目を気にしたりとか、一応その辺を恥やマズいと思う程度には話が通じる。
けど、こういう場において話が通じるというのは命取りになる。
「俺がこのボタンを押すのは君次第だと言っただろ! よく考えろ。君は、その格好からして、仕事へ行く前だろ。いいのか? これ以上、騒ぎを大きくして。俺は君のためを思って言ってるんだ!」
こういう荒れごとの場で、相手の話を聞いてしまうのは悪手だ。
特に、『お前のために言ってるんだ』と言う奴は十中八九、自分のことしか考えてないぞ。今の俺みたいにな。
「は~い。お客さんたち、どうしました~?」
はぁ……。
助かった。
「そのニッカポッカの男性が、車内で男子高校生を殴りました。暴行傷害事案として、私が証言します。警察を呼んでください」
ドヤドヤと、駅員が数名来たところで、俺はようやく胸をなでおろし、電車の非常停止ボタンから指をどけ、端的に状況を伝えた。
「て、てめぇ!? 騒ぎを大きくしたくないみたいな事言って、大事にしてんのはテメェじゃねぇか!」
ここに来て、ようやく自分が謀られた事にニッカポッカの兄ちゃんは気付いたようだが、もう後の祭りだ。
ニッカポッカの兄ちゃんの周りには、すでに男性の駅員が数名で囲んでいる。
とは言え、これから警察行きのニッカポッカの兄ちゃんに、格好よく手向けの言葉くらい贈ってやろうか。
「まぁまぁまぁ」
結局、何にも格好いい言葉なんて浮かばなかった。
格好悪いな俺。
ここは一気に読ませたかったので、ちょい長め(6,000文字)の第1話でした。
第2話からは半分の3,000文字程度になりますので、よろしくお願いします。
なお、この第1話。
9割くらいは作者が過去に実際に経験したエピソードを元にしています。
あの頃は若かった……。
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