81-90
81
そこで、かなり疲れてはいたのだけれど、ぼくは4番プレートを遠目で確認しながら32番まで取って返し、今度は数を昇ってみた。
82
33から44までが道路脇の民家周辺地区にあり、45で高速高架をくぐり、46から48までがまた民家地区、49がSS(昔の呼び名ではガソリンスタンド)内、48から50までがいわゆる住宅街沿い、52で路面電車の踏切を渡り、53から63までがまた住宅街、64で私鉄の線路を越え、69までが住宅地、71で遠い歩道をぐるりとまわり、四車線の車道を渡り、74で水道局給水所脇を抜け、76で六車線の道路を渡り、78から住宅街に入ったのだけれども、その辺りから陽射しが翳り、プレートの見極めが難しくなる。
しかし、どこまで続くんだろうか?
そのときぼくは、心底疲れ、またかなり途方に暮れていたのだけれども、もう意地を張れるだけ張り、先を急ぐことにした。
その先はずっと住宅地で、82で高校のグラウンド横の小道を抜け、川を渡り、丘を登り、やはり不意にそのプレートの最後の番号、90番に到達した。
頬に当たる風はまだまだ暑かったが、辺りはだいぶ陽が落ち、空の輝きは薄れていた。黄昏になれば、もう『影』やプレートの確認はできない。だから、ぼくは目を凝らし、筋の連結を確認した。
83
筋は確かに途切れていた。
だけれど、その先に微かに光る別の『影』の終点と、色の違うプレートが見えた。
番号までは確認できなかったけれども……。
ぼくはそのとき心身ともにヘトヘトになりながらも希望を繋ぐことができた。
まだ、あの少女に出遭える可能性はあるのだ、と……。
84
家に帰り、すぐさまぼくは区分地図を捜した。
それは机の脇に落ちていて、埃を被ってはいたけれども、ページ内に壊滅的な傷みはなかった。
ぼくはその日追いかけたプレートの場所を頭に思い描きながら、おおよその位置に印をつけていった。
出来上がって見ると、プレートは四つの区に跨って存在していた。ほぼ直線とはいえたが、完全に真っ直ぐではなく、途中でうねるように腰を曲げていた。街に落ちた蛇か龍のように思えなくもない。距離はせいぜい十数キロといったところで、あんなにいちいち確認しながら進まなければ、自転車で疲れる距離でもない。
ぼくは地図に引いたプレートの線の横にLBと印をつけた。
別の色を発見するまで考えもしなかったのだけれども、その日に辿ったプレートの色が薄青だったからだ。発見したプレートは、光の加減で多少黄色がかって見えたけれども、おそらく薄緑だったと思う。光の波長では、黄色(約580~550nm)と緑(約530~490nm)とは似通っているからだ。
……とそこまで考え、ぼくは少女の映像にはプレートがなかったことに思い当たった。
記憶を探ってみる。憶えていないだけなのか、それとも実際に見えなかったのか?
光の『影』に伴うプレートは、最初にプレートだろう思ったくらいだから、四角くかつ薄い板の形状をしていた。だから今回の探索でもそうだったように、角度によっては見えなくなっても不思議ではない。
考えに考え、記憶を手繰りに手繰り、どうやら角度が垂直だったのだろうと思い至った。
それとも逆光がきつすぎて、色も数字も読めなかったのだろうか?
最大の手掛かりだったというのに……。
その日は食事をし、風呂に入り、ベッドに横になると、そのまま寝入ってしまった。
あのときには思いつきもしなかったのだけれども、予想通りというか、あの映像は再来しては来なかった。
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翌日は朝五時前に起床し――遠足前の早起きか?――、前の日に辿りついたLB90番プレートのある街に出かけた。
その日も天気が良くて、この先陽が昇れば、かなり暑くなるだろうと予想された。
前の日には気づかなかったのだけれども、LBの最終プレートは、お寺の近くの空に浮かんでいた。ぼくはそれをしばらく眺め、薄緑のプレートに向かった。90番プレートから距離にして約五十メートルほど南西側に、その別のプレートは浮かんでいた。番号は35。
ぼくはそれにLG35番プレートと名前をつけ、ゆっくりと街を下っていった。
方向は西だった。
86
最初は住宅街だったけれども、そこを抜けると川沿いに光の『影』(筋)とプレートが浮かんでいた。
光の『影』自体の形は、どれを見ても、LBのものと何ら変わりがあるようには思えなかった。『影』の大きさに伴い、プレートの高さは上下していたのだけれども、これもLBプレートと大差なかった。
川に沿って緩い円弧を描きながら私鉄の高架をくぐり、幹線道路を渡り、また住宅街に入り、企業のグラウンドを越え、川沿いの大きな古墳公園を抜け、また別の幹線道路を渡り、団地の中を通り、高速の高架をくぐり、しばらくすると、最終プレートに辿りついた。
今度は1番だった。距離にすればLBよりずっと短くて半分以下。
予想したように、その先にはまた別の色、今度は薄赤か、あるいはピンクのプレートと、それとはまた別の薄紫のプレートが浮かんでいた。
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いったい、何種類あるんだろう?
ある意味ぼくは感心し、また明らかに途方に暮れた。
だって、そうだろう?
考えるまでもないことじゃないか!
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けれどもぼくは気を取り直し、今度は硬貨でプレートの色を選んだ。決まったのは、最初に確認したピンクのプレートを伴う光の『影』だ。
その『影』のプレート番号も1番だった。
89
ぼくは、ほぼ南に向かい、ピンクのプレートを下った。
他の空の『影』やプレートを追っていたときにも感じたのだけれども、同じ山の手の街といっても場所場所で顔つきが違う。新しい街があれば、旧い街があり、それらが入り混じった街もある。都会といっても山の手は元々田舎だから、旧くからある畦道は曲がりくねっているし、まだ住宅になっていない畑には鶏が鳴き、高級住宅街の中に葡萄園があったりする。そんな畑は、大抵あまり広くないので、柵から手を入れれば葡萄がもぎ取れそうな感触だ。また、いわゆる何々街道と名のついた道だって、決して直線的には進まない。ST区やSN区なんかでは、路地に入れば出られなくなるし……。いわゆる行き止まりが多いのだ。昔は田圃や畑のあった土地が一戸建ての住宅に化けていたりするから、その界隈が袋小路だらけとなる。プレートがすぐ近くに見えるのに行き着けないこともしばしばで、それらを平均すると、光の『影』の連なりの単純な合計距離より、一・五から二倍以上、余計に走っている計算になった。
それから、これは前から感じていたことだけれども、旧い街には猫が多く、切り通しの高台の新興住宅地では――近くにビルがないので夜が比較的暗いってこともあるのだろうけど――犬が多い。新旧入り混じった街では、当然のように両方いる。小型犬が大型猫の猫パンチに一瞬怯む、なんともいえない光景さえ目撃する。
90
Pプレートを伴う光の『影』の軌跡は、そんな街の中を抜けていった。
そこは山の手の街といっても、途中何度か市に入ったりしたから、これまでよりも確かに田園イメージが強いといえた。同じように幹線道路を渡り、住宅密集地や高級住宅街を抜け、線路を渡り、高速の高架をくぐりながら、ぼくはPプレートを伴う空の『影』を南下していった。やがて畠が増え、その界隈のイメージがだんだん少女のいた光の『影』の映像から遠退いていくのを感じたところで、T川に抜けた。川幅が二百メートルほどある、都と県を隔てる川だった。