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あるかもしれないし、ないかもしれない。
ぼくには判断がつかない。
わからない。
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そんな思いを胸に抱きつつ、しょぼしょぼとぼくは家に帰った。
そのまま寝るまでずっとぼおっとしていて、部屋の柱に頭をぶつけたりした。
その翌日は、やはり夢を見ることなく目が覚めた。
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だから、あの不思議な感覚が不意に蘇ったのは、誰かに呼ばれたからなのだろうか? と感じたのだ。
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引き金になったのは、児童公園に生える木の『影』だ。
日曜日、自転車で軽く散歩(散チャリ)をしていたときのことだった。
暑くて、また多少足が凝ってもいたので、公園で涼むことにした。ときおり吹く風が、ぼくの頬に涼を伝えてきて、遠くの椅子の下では顔の造作及び配色が間違った猫が、びくびくしながらぼくを見つめていた。さらに風が吹き、木々の梢や葉を揺らし、視線がその辺りをさまよい、足許まで延びる木の影を何とはなしに目で追う内、不意といった感じで、ぼくは『影』に出くわしたのだ。
それは紛れもない、あのときの筋のような『影』だった。
『影』はただ『影』として、そこにあった。それを落としている元の存在がないのだ。
空の影!
単に地面に落ちる何もないものの『影』。
もしそれがあるとすれば、それは空そのものが持つ何かの性質だったに違いない。
その直後――
「痛い!」
あの感覚が蘇った。
目の奥が急にむず痒くなり、ついでパリンと割れたような衝撃とともに、今度も映像が飛び込んできた!
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同じといえば、前に見たものと同じ映像だった。
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少女の顔も背景も、ひしひしと伝わってくる恐怖の感覚も同じだった。
でも、わずかに前のときとは異なっていた。時間が経過していたのだ。それは、もしかしたら百万分の一秒ほどの時の経過だったのかもしれない。けれども少女を確実に死の淵に追い詰めてゆく時の経過だった。鉛の時に閉じ込められ、己の恐怖に堪えきれず、目を見開き、口をさらに大きく開き、聞こえない声で辺り狭しと叫んでいる少女。じわじわと迫り来る死に、しかし必死に耐えながら、微かに微かにもがく清楚な肢体。
すると次に、ぼくは何かにぐいと引っ張られる衝撃を感じた。少女の映像が消え、視界は元の児童公園に戻っている。目の奥はまだ痛い。髪の毛を後ろから引っ張られている感覚だ。顎がぐいと上がり、視線が高くなった。そのとき――
光が見えた!
そして、その光の眩しい煌きの背後に逆光を受けた四角いものがあり……。
〈32〉
それはアラビア数字で『32』と描かれていた。
何故だか不明だったけれども、ぼくにはそれがプレートのように思えた。
筋が絡まり網のように見える、あの光の『影』の番号?
とっさに、ぼくはそう理解した。それ以外には考えられなかったからだ。
それとも誰かに、過去に、その考えを埋め込まれたのか?
どちらにしてもそれは瞬間の出来事で、痛みも映像もそれから不意に、まるで最初から何事もなかったかのように消えた。
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学校はすでに夏休みに入っていた。
消える少女の噂は、現れたとき同様、何時の間にか消え去っている。
実際に消えた(攫われた?)少女の事件や記事は新聞にもネットにもない。
世間では、すべては終わってしまっていたようだ。
どうやらぼくひとりの中にだけ、それは継続していたのだ。
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体験はとにかく奇妙だったけれども、ぼくは意味を探るのを止め、ただそのプレートのことだけを考え続けた。
何かと理由をつけては陸上部の練習をサボり、競技会の選手からは外されてしまった。気持ちの中では、それでいいのか? と思う部分もあったのだけれども、走ることがそんなに好きだったわけではないし、この夏は思いがまったく別のところにあったのだから仕方がない。
とにかくぼくは、あのプレートを見た公園に毎日通い、何でもいいから手掛かりを見つけ出そうと必死だった。
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数日後、ぼくは最初の手掛かりを掴んだ。
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あの感覚への移行状態に慣れたのか、ぼくは前より楽に同じプレートを見ることができるようになっていた。
目の奥は確かに多少むず痒かったし、パリンと割れる感覚も残っていたのだけれども、どうやらそれを自分で操作できるようになったのだ。