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07_混乱に陥る王宮【ヴィンス視点】

 

 一方、王太女ノルティマが消えたあとの王宮は、大混乱に陥っていた。


「ノルティマの遺体が見つからないだと!? それはどういうことだ……!?」


 執務室の机をヴィンスがどんっと両手で叩き、書類が一瞬だけ宙に浮かぶ。大きな音が響き渡ったのと同時に、近くに立っていたエスターがびくっと肩を跳ねさせた。

 ヴィンスは机の奥の椅子に座り、眉間のあたりをぐっと指で押した。


 机を挟んで向かいに立つ騎士たちが、恭しく頭を垂れる。


「は、はい。十日間、総力を挙げてリノール湖を捜索しておりますが、ご遺体の発見には至らず……」

「どういう訳だ? 確かに、彼女が湖に沈んでいく姿をこの目で見たはずなのに……」


 十日前、ノルティマが目の前で崖から飛び降りた瞬間を思い出し、背筋がぞわぞわと粟立つのを感じる。

 飛び降りていく瞬間を見ただけではなく、水面に激しく叩きつけられる音も聞いた。なのに、遺体が見つからないなんて。


(あんなに衝撃を受けて、無事でいられるはずはない。だが、なぜだ?)


 水死すると、腐敗していく過程で肺や胃の中にガスが溜まり、大抵の場合は浮かんでくるものだ。しかしノルティマはリノール湖をくまなく探しても見つからず、浮かんでくることもなかった。


 もし、ヴィンスの息がかかっている者以外が、彼女の変わり果てた亡骸を見つけでもしたら大変な騒ぎになるだろう。


(次期女王が、王宮での暮らしに耐えかねて身投げしたなど――アントワール王家始まって以来の醜聞になる)


 最悪の想定は、遺体が別の誰かに渡っていることとして。もし良い方に予想が外れたとしたら、彼女はどこかで生きているかもしれない。そんな思いがあって、人員を割いて大掛かりな捜索を続けさせている。


「ヴィンス様、もうお姉様のことを諦めましょう? きっと湖の底に沈んだに違いないもの。探すだけ時間の無駄だわ」


 騎士たちと話をしているところに、エスターが割り込む。


 ヴィンスだって、探したくて探しているわけではない。ノルティマがいなくなれば、エスターが精霊の呪いで苦しむことになるし、今まで仕事を押し付けてきた分が返ってくることになるから、こうも躍起になっているのだ。


 エスターと悠々自適な日々を過ごすためには、ノルティマという馬に馬車を引かせる必要があるから。


 ヴィンスは子どものころから、次期王配になることが定められており、教育を施されてきた。

 ノルティマは聡明で、昔から成績が優秀だった。対して自分は彼女より劣っており、ノルティマはヴィンスの助けを必要とするまでもなく、ひとりで大抵のことができた。


 王配は女王を助けるために存在するのに、役に立たないのでは面目が立たない。

 ノルティマが有能であればあるほど、ヴィンスは婚約者としての存在意義を否定された気分になり、プライドを傷つけられていった。いつしか彼女に対して劣等感と嫉妬を募らせてせていき、毛嫌いするようになっていた。


 そして自然と、妹のエスターに思いを寄せるようになった。

 勉強のことも政治のことも無頓着なエスターの傍は居心地が良かったのだ。


 それからヴィンスは、度々政務をノルティマに押し付け、嫌味を零しては鬱憤の捌け口にし、当てつけのようにエスターのことを可愛がった。


 それがこの数日、ノルティマの不在によって仕事が増えて手が回らなくなり、睡眠時間を返上していたため、ヴィンスの目の下にはくっきりとクマができている。


 エスターは執務机に両手をつき、こちらに身を乗り出す。


「それより、今から一緒にお出かけしましょうよ! 新しい劇をやっているみたいだから気晴らしにでも」


 今まで仕事をサボって遊べていたのは、ノルティマという押し付ける相手がいたからだ。


「悪いが、また今度にしよう」

「ええ……そんなぁ……」


 しゅんと肩を落とすエスター。


 今までずっと、彼女のわがままをかわいいと思っていたのに、この危難のときにものんきに遊ぶことばかり考えていて、わずかに苛立ちを覚えた。


 必ず埋め合わせをするようにとねだるエスターを尻目に、騎士たちに命じる。


「ノルティマの捜索は、より人数を増やして継続しろ」

「かしこまりまし――」


 騎士のひとりが承諾を口にしかけたそのとき、執務室の扉が開いた。


「――その必要はないわ」

「じ、女王陛下……!」


 女王アナスタシアは、複数の近衛騎士と使用人たちを付き従えて、峻厳とした佇まいでそこにいた。執務室にいた騎士たちも、この国で最も気高く畏れ多い女王に対して、一斉にかしずく。


「王国騎士団は常に人手不足。先日西の町で深刻な野盗被害が出て、そこに人員を割かなくてはならないわ。ノルティマの捜索は今後規模を縮小する。――いいわね」

「「御意」」

「そなたたちは下がっていなさい。わたくしはヴィンスに話があるから」

「「はっ!」」


 彼女は人払いし、執務室にはヴィンスとエスター、アナスタシアの三人きりになる。


「面を上げなさい」

「はい」

「いい? ヴィンス。それからエスターも。残念だけれど、ノルティマは生きてはいないわ。今は湖に沈んだ遺体を探し出すより、流行の劇を観に行くより、重要なことがあるでしょう。わたくしたち王家が安全に国家を運営していくためには――精霊の怒りを鎮める祈りを捧げなくてはならない」


 アナスタシアはひと呼吸置き、額を手で押さえながら言う。


「わたくしたちは取り返しのつかないことをしたのよ。あの子は強い子だから大丈夫だと思い込んで、知らず知らずのうちに追い詰めてしまったんだわ。それがまさか、こんなことになるだなんて……」

「で、ではまさか、慰霊碑の礼拝はエスターにやらせるということですか?」

「それしかないでしょう。祈りが有効なのは、王家直系の者に限る。アントワール王家には、ノルティマの他にエスターしかいないわ」

「ですが、彼女の身体ではとてもあのような苦痛に耐えられません!」

「――それでも! ノルティマは弱音ひとつ吐かずに、祈りの務めとして全うしていたわ」


 眉間に縦じわを刻み、切羽詰まった様子で声を張り上げる女王。美しい顔に威圧が乗ると迫力があり、ヴィンスはひゅっと喉の奥を震わせる。


 だが、彼女を労わらず、当然のこととして済ませていたのはヴィンスに限ったことではなく、アナスタシアも同じだ。


 彼女だって病弱なエスターばかりに心をかけて、ノルティマのことを蔑ろにしてきたのだ。女王の仕事の多くを娘に押し付けて自分が楽をしたり、外遊にばかり出かけて享楽に耽っていた。今更後悔したところでもう遅い。


「ヴィンス。ノルティマがいなくなって政務が滞っていると聞いたわ。もっとしっかりなさい。これからは新たな王太女――エスターの婚約者として支えてもらわなくてはならないのだから」

「やったあっ!」


 そのとき、深刻な話し合いの場には明らかにそぐわない、弾んだ声が飛んできた。横にいたエスターがぴょんと飛んで、嬉しそうにに手を合わせる。


 こちらがいぶかしげにエスターを見つめると、彼女は変わらない調子で言った。


「私がお姉様に代わって次の女王様になるのね! 嬉しい、ずっとお姉様が羨ましくて仕方がなかったの」

「「…………」」


 あまりに浮かれた様子に、ヴィンスとアナスタシアはぽかんと呆気に取られる。人がひとり死んだというのに、どうして笑っていられるのかと。


 彼女を死に追いやった責任はエスターにもあるというのに、少しも心が痛まないというのだろうか。


 すると、アナスタシアが口を開いた。


「あなた、女王になりたいと思っていたの……?」

「うん。だって女王ってかっこいいし。みんなにちやほやされる、一番偉い人ってことでしょ?」

「それだけではないわ。女王は国の長であり、この国を着実に運営して、存続させていく責務があるの。――要するに、とても大変なことが沢山あるということ。勉強だって頑張らなくちゃいけない。それを分かって言っているの!?」


 アナスタシアが彼女の両肩に手を置いて迫るが、エスターは重責におののくことはなく、またしてもあっけらかんと微笑む。


「平気よ。だってヴィンス様やお母様、他の廷臣の方々が助けてくださるもの」

「はぁ……」


 頭の中に花畑でも広がっているような底抜けの前向きさだ。

 そんなエスターに毒気を抜かれたのか、あるいは呆れているのか、アナスタシアはため息を吐いた。はなからエスターには努力する気などなく他力本願のようだ。


「これまであなたを甘やかしてきたこと、今になって後悔しているわ。いい? エスター。あなたはこれから王家に名を連ねる者として――礼拝を捧げなくてはならないの。それは耐えがたい痛みを伴うけれど、ベルナール王国の平和を守るために必要なことなのよ」

「礼拝……?」


 そしてアナスタシアは、アントワール王家が過去に精霊の国を滅ぼしたことで恨みを買い、祈りを捧げて怒りを鎮めなくては雨が降らなくなったということを語るのだった。


 ノルティマが王太女に即位してから数年間、毎日呪いによって苦しんできたこと、そして今後は自分がその役目を引き受けなければならないと知ったエスターだが、ことの深刻さを理解していないらしく、手を合わせてはにかむ。


「ふふ、手を合わせてお祈りするくらい、わけないわ。お姉様でも耐えられたなら大丈夫よ。そのくらい私にも乗り越えられるに決まっているもの」

「「…………」」


 しかしこの日、礼拝による苦痛を実際に経験したエスターは、あっさり音を上げることになるのである。

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