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26_滅びのとき

 

 翌日。王宮の大広間で王太女ノルティマの帰還を祝う盛大なパーティーが催された。

 大理石の床は塵ひとつなく磨き抜かれ、頭上のシャンデリアは夜の空に浮かぶ星々のごとく繊細な輝きを放っている。アントワール家の権威を人々に知らしめるかのように、潤沢な財産が惜しみなく装飾に注がれていた。


 そして、広間の中で最も注目を集めていたのはもちろん――ノルティマだった。人々より一段高いところに、女王アナスタシアと並んで立つ。


 この場にはヴィンスと王配の姿もあるが、王配はさながら置物のように、アナスタシアの後方で傍観している。彼は常に女王の影のように付き従っており、存在感がない。

 エスターはノルティマの晴れ舞台を見たくないという理由で、自室に引きこもっているとか。


「早く皆様にご挨拶申し上げなさい」

「……かしこまり、ました」


 ノルティマの耳元でアナスタシアがそう囁く。ノルティマが帰ってきたら彼女は、これまで蔑ろにして申し訳なかったと口では言いつつも、なんだかんだと理由をつけては仕事を押し付けてきた。


 ノルティマに負担をかけてきたことに、多少の反省や自責の念はあるらしいが、自分が楽をして遊んでいたいという性根の部分は、ちっとも変わっていないようだ。


 一歩前に踏み出して優美なカーテシーを披露する。ゆっくりと顔を上げ、こちらを見ている人々を一瞥して思った。


(もう……周りの人たちの言うことを聞いて大人しくしているのは嫌。自分の感情にもちゃんと寄り添ってあげたい。もう二度と――心が壊れてしまわないように。だから逆らってやるわ。誰かを犠牲にしなくては成り立たないような脆弱な王政はどの道、いずれ滅んでいたでしょう。それが少し……早まるだけ)


 にこりと穏やかに微笑みながら、ノルティマは言う。


「この度は、私の不在でお騒がせしてしまい、申し訳ございませんでした。ただいま戻りました」


 形式通りの挨拶を口にしたあと、反対隣に立っていたヴィンスがぱんっと手を叩き、声高らかに宣言する。


「本日は皆様に、次期女王失踪の真相について、ご説明させていただきたい。――さぁお前たち、罪人をここに!」


 大広間の扉が騎士たちによって開け放たれ、それと同時に少年の姿のエルゼが連れ込まれる。


 全身傷だらけで薄汚れ、手錠で拘束されたみすぼらしい少年の姿に、広間にいる人々はざわめいた。眉をひそめ、怪訝そうな顔をしながら、ひそひそと噂話を始める。


「何、あの子ども……汚くてみっともないわ」

「きっと不法侵入した卑しい孤児なのよ」


 その場にいる誰もが、その少年が大国シャルディアの国王であり、数百年を生きる元精霊王だとは夢にも思わないだろう。騎士たちはエルゼのことを広間の中央に跪かせた。


 神力が回復した彼なら、大人の姿と子どもの姿、どちらも自由に変身できる。つまり彼は今――自らの意思で罪人として捕らえられた子どもの姿をとっているということ。

 地下牢でノルティマと再会したとき、エルゼは脱出せずにあの貯水池に留まったのである。


「この少年は、あろうことかリノール湖で乗馬中のノルティマ王太女殿下をそそのかして誘拐し、ベルナール王国に大混乱を招いた大罪人。その罪の重さを理解しているのか!?」

「……」

「その沈黙は、肯定の意と取らせてもらう。よって、少年エルゼに――処刑を命じる!」


 ヴィンスの声が広間全体に響き渡り、人々はしん……と静まり返った。すると――

 

「ふっ……ははは……っ」


 そのときエルゼが、肩を震わせながら笑い出した。死刑を宣告されているのに笑う少年の姿に、ヴィンスは困惑して一歩後退する。


「な、何がおかしい? 気でもおかしくなったか?」

「おかしいのはお前たちの方だ。こんな子どもに誘拐なんてできる訳がないだろう。事実だったとしたら、咎めるべきは手薄すぎる警備体制じゃないか? それに……一体誰に対して、処刑だって?」


 エルゼが小さく何かの呪文を唱えれば、彼を拘束していた騎士たちは突然、どこからともなく発生した水流によって吹き飛び、壁に突きつけられる。

 水は生き物のようにうごめきながらエルゼの鎖に絡みつき、ばらばらに破壊していく。


「その力は……一体……」


 驚愕するヴィンスをよそに、ゆっくりと立ち上がるエルゼ。立った瞬間に眩い光が彼を包み、あっという間に大人の姿へ変えていく。

 拷問によってできた傷も、精霊術でまたたく間に治癒された。


「――精霊術を目にするのは初めてか?」


 エルゼは長く伸びた艶やかな髪を、額から後ろに掻き上げる。ふわりとはためく金髪やその妖艶な仕草に、女性たちはうっとりと目を細め、色めきたつ。


 人間離れした美貌を持つエルゼは、後光が差したかのような圧倒的な存在感を放っていた。


「ま、まさかそなたは……精霊か?」

「ご名答」


 女王アナスタシアの問いに、エルゼは淡々と答える。


 エルゼが自身の正体を精霊だと認めた瞬間、辺りは再びどよめく。ざわめきが空気を揺らして、ノルティマの肌まで伝わってきた。

 五百年前に王家が水の精霊国を滅ぼしてから、ベルナール王国にはめっきり精霊がいなくなってしまったはずだった。それが、人の形を成せるほどの偉大な精霊が目の前に現れ、人々は困惑を隠せずにいる。


「待て……。あのお姿は、シャルディア王国の国王陛下じゃないか……!?」

「う、嘘……シャルディア国王は、人ではなかったということ……?」


 貴族の中には、シャルディア王国の国王を見たことがある者もいた。元精霊王とシャルディア王国の国王が結びついたことで、驚愕に驚愕が重なっていく。


 彼はアナスタシアのことを冷めた目で見据えて言った。


「お前がアントワール王家――最後の女王か。しかとその顔、覚えておこう」

「最後……ですって?」


 エルゼはアナスタシアの問いかけを無視して、ヴィンスのもとにつかつかと歩み寄った。圧倒的な力を目の当たりにした彼はすっかり萎縮しており、後ずさっていく。


「ひっ……」


 だがエルゼはそんな彼を逃さず、片手で顎を掴んで、身体ごと軽々と持ち上げた。


「ぁがっ……離せ――」

「なんと浅ましい男か。王太女の失踪理由によって醜聞が広がることを恐れ、無実の少年に全ての罪を着せるとは。それがアントワール王家のやり方か? 昔から卑怯で汚いところは何も変わっていないらしいな」

「く、苦しい……、息が……っ」

「お前たちのせいで、ノルティマがどれだけ苦しんできたか分からないのか? なぜひとりの女性に敬意を払うことができない? なおも彼女を酷使し、また同じことを繰り返す気か……!?」

「ぅ……ぐ、……頼む……離して、くれ……」


 ヴィンスはエルゼに片手で持ち上げられたまま、ばたばたと足を動かしている。その腕からどうにか解放されようと、エルゼの節ばった手に爪を食い込ませた。手に血が滲み、腕を伝ってぽたぽたと床に落ちていくが、エルゼは痛みなど全くお構いなしの様子で。


 彼は眉間に縦じわを刻み、怒りをむき出しにしている。突然の流血沙汰に、どこかから女性の悲鳴が漏れ聞こえた。


(だめ……このままではヴィンス様を殺してしまう……)


 手の力がどんどん強まっていき、ヴィンスの顔が青くなっているのを見て、ノルティマはとうとう止めに入った。


 エルゼの腰にぎゅっと後ろから抱きついて、諭すように告げる。


「――その人が死んでしまうわ。離して差し上げて」

「この男はあなたをあの冷たい湖に追い詰めた。その罪を償わせてやる」

「私は平気よ。もういいの、だから落ち着いて」

「…………」


 怒りで我を忘れて興奮しているのか、触れ合う肌が小刻みに震えていた。けれどノルティマが抱き締めたことで彼の身体からゆっくりと力が抜けていく。


「……あなたがそう言うのなら」


 ノルティマの説得で毒気が抜けたように穏やかになり、乱暴に手を離す。

 床に崩れ落ちたヴィンスは、激しく咳き込みながらこちらを見上げた。


「げほっ、ごほごほ……っ。ありがとう、俺のことを助けてくれたんだな」

「勘違いしないで。このお方の手を汚したくなかっただけ」


 元婚約者からの謝辞を冷たく跳ね除ける。

 そして、ノルティマはエルゼに対して、深々と頭を下げた。


「我が一族のこれまでの非礼の数々、アントワール家を代表して心よりお詫び申し上げます。シャルディア王国が国王陛下――リュシアン・エルゼ・レイナード様」

「あなたが詫びることなど何もない。顔を上げて、ノルティマ」

「寛大なご厚意、ありがたく受け取らせていただきます」


 エルゼがシャルディア王国の国王だと明かされた刹那、広間の観衆の中に紛れていたレディスと、シャルディア王国から連れてきた騎士たちが、エルゼの後ろに恭しく付き従う。


 困惑する人々に対して、ノルティマは玲瓏とした声で言った。


「これより私から、失踪に関する全ての真相をご説明いたします。……恥を忍んで、正直に。私は誰かに誘拐されて消えたのではなく、自身の意思で王宮を出ました。王宮の暮らしに耐えられなくなり――リノール湖に崖の上から身を投げたのです」

「「……!」」


 人々のどよめきを四方から受けながら、ノルティマは淡々と続ける。

 

「私は長きに渡り、政務のほとんどを女王陛下や婚約者から押し付けられ、心身をすり減らして参りました。王配殿下や廷臣たちも私が理不尽を強いられていることを知っていながら、助けてはくれませんでした。私は王太女でありながら王宮内で誰にも尊重されない――奴隷のような存在だったのです」


 ノルティマは続ける。ヴィンスと妹の不貞を知り、ついに我慢ならなくなって手紙を残して王宮を出た。そして、リノール湖に沈んで死にかけていたところをエルゼに助けられたのだ――と。


 今でも湖の凍えるような冷たさが身体に焼き付いていた。

 けれど、湖の中にエルゼが現れ、焦がれ続けていた人の温もりを唇や肌で受け止めたことも、鮮明に覚えている。


「リュシアン陛下が罪人? まさか。私はこのお方に命を救われただけではなく、心身が回復するまで保護していただいたのです」


 そして、ヴィンスを見据える。


「それなのに、あろうことかリュシアン陛下のお話を聞くこともせずに拘束、拷問……濡れ衣を着せて処刑とは……。大それたことをしでかしてくれたわね」

「違う、俺は、何も知らなかっただけだ……!」

「知らなかったでは済まされないわ。そこに至る経緯がどうであれ、ひどい仕打ちをしたのは純然たる事実。シャルディア王国が我が国に攻め入る――大義名分を与えたのよ」

「…………っ」


 シャルディア王国は、軍部もきわめて優秀で、度重なる侵略戦争で領土を拡大し、繁栄を築いてきた。現在は領土拡大政策が行われておらず平和な時代が続いているが、それでもシャルディア王国が周辺国にとって脅威であることに変わりはなかった。


 ここでエルゼがアナスタシアに対して宣戦布告したなら、戦が始まる。その事実に、辺りに今日一番の緊張した空気が走り、全員がエルゼの次の発言に注目している。


 エルゼはゆっくりと、薄く形の整った唇を開く。


「そう怯えなくてもいい。こちらのふたつの条件に従うのなら、今回の件は全て――水に流してやろう」

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