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16_散々な戴冠式【エスター視点】

 

 ノルティマが消えてからひと月。ベルナール王国には一切雨が降らなくなっていた。各地で農作物が枯れるなどの深刻な被害が報告されている。

 あとひと月雨が降らない状況が続けば、川や湖の水が枯れる渇水が発生し、農作物だけではなく人々の生活への悪影響が起こると予想されている。


 しかし、エスターは能天気だった。これまで困ったときは誰かが手を差し伸べてくれたため、今回のことも誰かがどうにかしてくれるだろうという気でいるのだ。


 精霊の慰霊碑への礼拝も一度したきりすっかり懲りてしまい、体調不良を理由に一切足を運んでいない。


(はぁ……退屈だわ)


 その日の午前中、講義室で家庭教師の授業を受けながら、エスターは手持ち無沙汰にペンをもてあそびながらため息を漏らした。


 ノルティマが消えてから、エスターは次期女王のための教育を受けることになったのだが、勉強嫌いなエスターにとっては苦痛でしかない時間だった。

 これまでノルティマを指導していた教師がそのままエスターを担当することになったのだが、彼女はかなり厳しく……。


「エスター様。もっと集中なさってください。ペンが止まっていらっしゃいますよ」

「はぁい。でもそろそろ休憩したいわ。ずっと座っていたせいで腰が痛くって」

「つい三十分前に休憩を取ったばかりではございませんか。あなた様は次の女王になられるお方です。今からでは遅すぎるくらいですので、本気で取り組んでいただけなければ困ります。……ノルティマ様は一度として弱音を吐かれることはありませんでしたよ」

「……っ!」


 姉のことを引き合いに出され、エスターの額にびくりと怒筋が浮かぶ。機嫌を損ねた小さな子どものように、むっと頬を膨らませながら彼女を睨めつける。


「何? それじゃあ、お姉様じゃなくて私が死ねばよかったっておっしゃいたいの!?」

「そ、そういう訳では……。ご気分を害してしまったのなら申し訳ございません」


 エスターが最も嫌いなのは、姉と比較されることだ。誰より自分が一番でいたいのに、姉の方が優れていると言われた気がして、無性に苛立つ。

 謝罪されても怒りが収まらないエスターは、がたんっと椅子から立ち上がって、家庭教師を指差した。


「あなたは今日を以て解雇するわ。クビよ、クビ」

「……っ! わ、私はただ、エスター様にやる気を出していただきたかっただけで……」

「言い訳なんて聞きたくないわ! 私は次期女王、私の命令は絶対よ。いいから下がりなさい。ほら、さっさと荷物をまとめて!」

「……かしこまり、ました」


 彼女はそそくさと荷物をまとめ、講義室を出て行く直前に言った。


「私はただ、エスター様のことが心配なのです。私がいなくなってもどうか、勉強を頑張ってくださいね。女王になるということは大変なことなのですよ。大勢の方が、些細な粗を探そうと目を光らせ、足をすくおうとする中で、いかに支持を得ていくか……歴代女王様たちは苦心して参りました。あなた様にはその覚悟がおありですか?」

「そんな話は聞きたくないわ。さっさと出て行って」


 扉が閉じたのを確認して、エスターは椅子に座り直し、足を組む。


(あー、せいせいした。勉強なんてもううんざりよ)


 扉の奥の足音が次第に小さくなっていくのを聞きながら、彼女が出て行ったあとの扉を見つめる。そして、片目の下まぶたを指で引き、べっと舌を出した。


 誰も見ていないのをいいことに、だらしなく机の上に両腕を伸ばし、頬杖をついたそのとき、今度は部屋にアナスタシアが入ってきた。


「お母様……!」


 ちょうど退屈していたところに、良い話し相手が来てくれたと喜んだのも束の間、母親の顔を見て、舞い上がっていた心はしゅんと項垂れる。


 なぜなら彼女が眉間にしわを寄せて深刻そうな顔をしていたから。


 これから面白くない話をされるということは、何も聞かなくても容易に想像がつく。


「エスター。しっかり勉強しているの? 家庭教師はどこに行ったの?」

「ああ、あの人ならさっき辞めさせたわ」

「…………は?」


 アナスタシアは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。


「だって、私に生意気なことばかりいうんだもの。次期女王には媚びへつらい、かしずくのが普通でしょう? それに彼女、ずっとお姉様を教えていた方らしいし……。おさがりみたいで不愉快極まりないわ」


 しばらくの沈黙のあと、彼女は重々しく呟く。


「ノルティマはそんなことを言ったりせずに頑張っていたわよ」


 母の言葉にエスターの眉がぴくりと動く。

 

(どうして。どうして皆、ノルティマの名前を出すの。死んだ人のことなんてどうだっていいじゃない)


 エスターのことだけを見て、敬い、愛してほしいのに。


「はっ。口を開けばノルティマ、ノルティマって……。馬鹿の一つ覚えじゃないんだから。お母様まで、お姉様と私を比べるの?」

「……」


 ぎろりと刺すように睨みつけると、普段のかわいらしい皮をかなぐり捨ててしまったような迫力に、アナスタシアは息を呑む。


 自分にはもっと従順な先生を用意してほしい、と付け加えれば、アナスタシアは額を手で抑えて深く嘆息する。


(……お母様が私の頼みに対してため息を返すことなんて、今までにはなかったのに)


 アナスタシアは説明した。エスターの現状の成績では、とてもノルティマが行っていた政務を任せる訳にはいかないのだと。


 一刻も早く王太女の政務を行えるように、熱意があって優秀な教師が必要だった。そして、熱意があって最も優秀なのが、王族への教育係の経験がある――あの女だというのだ。


「いい? あなたは二週間後の戴冠式を終えたら、正式に王太女になるの。今のままではとてもやっていけないわ。新しい教師は私が探しておくから、次はしっかり勉強を――」

「戴冠式!?」


 アナスタシアの言葉を遮り、興奮気味に立ち上がるエスター。


 戴冠式といえば、ノルティマが十歳くらいのときに行ったのを覚えている。彼女が与えられた冠を、だだをこねて奪い取ったはよいものの、すぐに失くしてしまってショックを受けたのだった。


「じゃあまたあの冠をもらえるってこと!?」

「ええ、そうだけどそれよりも勉強の話を――」

「やったわっ! ずっとあの冠がもう一度欲しいと思っていたの」

「…………」


 今度はノルティマのためではなく、エスターのためだけにあつらえた冠が手に入るのだ。

 そう思うと、喜びで自然と口角が上がっていた。しおしおと萎れていた花が咲いていくように。


「そうと決まったら、次は失くさないように、冠をしまっておく入れ物を用意しなくちゃ。ありがとうお母様!」

「ちょ、ちょっと、エスター! 話はまだ終わってな――」


 エスターは、話をろくに聞きもせずに部屋を飛び出していた。

 アナスタシアは次期女王にはあまりにもふさわしくない幼稚な挙動の数々に呆れ返り、天井を仰いだ。

 

 その後エスターはというと、王宮に金細工の職人を呼びつけて、冠を収納するための箱作りを依頼したのだった。



 ◇◇◇



 戴冠式は、王宮の敷地内にある聖堂で行われた。華やかに装飾が施された室内。エスターは美しいドレスで着飾り、毛先の長い中央の絨毯を踏み歩いた。


(ああ、みんなが私を見てるわ……! 私が主役なのね……っ!)


 絨毯の両端に用意された席には、来賓が座っている。彼らの視線が自分にだけ向けられているということで、エスターの承認欲求は満たされていく。


 けれど、人々の中でアナスタシアとヴィンスは暗い顔をしていた。ノルティマがいなくなってからふたりは働き詰めで、揃ってやつれており、目の下にクマを作っている。


(んもう、お葬式じゃないんだからもっと明るい顔をしてよね)


 そして、聖堂の中央まで歩み、いざ司教から冠を与えられるというときだった。  



 ――バンッ!!



 突然聖堂の入り口が開け放たれて、雪崩のように武装した民衆が流れ込んでくる。


「へ……?」


 民衆のひとりが何かをこちらに向かって投げつけ、せっかくのドレスが汚れる。手を伸ばして触れるとぬるぬるしており、床には割れたあとの白い殻が落ちていた。


(卵……)


 自分が投げつけられたのは卵なのだと理解した。

 せっかくのドレスをよくも汚してくれたと憤るよりも先に、今度は罵声が飛んでくる。


「雨が降らなくなったのはあんたのせいだ!」

「あんたのせいで雨が降らなくなったに違いないわ! あんたが王太女に――ふさわしくないからよっ!」

「そうだそうだ! ……村の池は枯れた。俺たちの水源を返せ! 俺たちから水を奪うな! こんなことになったのはお前が王太女候補になってからだった。ノルティマ様のときはこんなこと起こらなかったんだからな!」


 彼らの眼差しには、エスターが夢見た憧憬や羨望とは明らかに違う、並々ならない憎悪が滲んでいた。


(……違う。こんなの、違う)


 アナスタシアやヴィンスが最も恐れていた暴動が起きたのだ。

 雨が降らなくなったせいで、人々の不満は王家に向いている。

 身を賭して戴冠式を邪魔し、エスターを女王の座から引きずり下ろそうとしている。


「お前なんか――死んでしまえ!!」

「早く死ね! 死ね!」


 自分たちがノルティマに向けた言葉がまさに自分に跳ね返ってきた。顔も知らない相手の怒りが、憎しみが、殺意が、ぐっさりと心の奥に深く突き刺さっていく。


 これで万が一、精霊たちの呪いの真実を知られでもしたら、こんな暴動だけでは済まないだろう。アントワール王家の者が国の長である限り呪いは続き、いつ雨が降らなくなる恐怖に怯えなくてはならないのだから。

 そのときはアントワール王家は滅亡し、次の王が選ばれるはずだ。


(こんなの……私が望んでたのと違う)


 女王になれば、無条件に人々から愛されるものとばかり思っていたのに。これでは訳が違う。


 騎士たちが壁を作るようにエスターのことを庇い立っているが、飛んでくる石や卵を防ぐことができても、暴言を防ぐことはできない。無防備な心に矢が刺さっていく。


(どうして、どうして、どうして……)


 国民の誰かが、司教から冠を取り上げて踏みつけている。精巧な装飾がぼろぼろに壊されていくのを目の当たりにしたエスターは、悲鳴を上げた。


「ひっ……やめて……。いや、私の冠を壊さないでっ! いやぁああああっ!」


 けれどその声は、暴徒たちの声によって掻き消される。アナスタシアが騎士たちに命じ、民衆は次々に取り押さえられていく。

 エスターはわあっと声を上げて泣き喚き、その様子をただ見ていることしかできなかった。


(何なのよっ!? どうしてこんなことになるのよ……! 私はただ、幸せになりたいだけなのに……っ)

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